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フェラール=ベルスはベルノサ王国の侍女である。
いや今はもう、であったというのが正しい。
彼女の仕事は王女の身の回りの世話。また、手紙のやり取りなど王宮から出れない王女のために手となり足となり忠実にこなす。
そんな彼女は王女から絶大な信頼を得ていた。
普通ならあり得ない、公務の間に立つことを許されていた。
そして、あの日も公務の間で、王女の横で立っていたのである。
これから起こる惨劇など知らずに。
「ねえ、フェラール。用事を頼んでもいいかしら?」
堅苦しい雰囲気の公務が終わり、王女の部屋でお茶を出していた時、王女が暗くいった。
声のトーンが急に低くなるときは、王女が落ちこんでいるか、危険な案件を言うときだ。
公務のあとなので、フェラールは後者だと考える。
「はい。何なりと」
「……賢い貴方のことです。これが命に関わる命令であることは分かっているでしょう」
「はい、存じ上げております」
「これから、シュドール家の館で潜入捜査を行って下さい」
「シュドール家……でございますか」
正統三貴族の軍部を司る血筋を調べることは、どう考えても容易いことではない。
何せベルノサ王国戦略の機密情報が集まる館なのだから。
「それで、どの様なことを調べ上げましょう」
「……もしかしたら、国家転覆を狙っている可能性があるのです」
「そ、それは!」
あり得ない……とは言い切れないが、可能性は低い。
国家転覆とはつまりは謀反。あんな地位にしがらみになる貴族ならば、目立った行動は避けるはず。
何よりも、国民の信頼を勝ち取っているシュドール家がそんなことをするだろうか。
「もしかしたら、の話です、フェラール。私が得た情報をまとめると、この様な結果になっただけのこと。私の考えが間違っていることを、貴方が証明して欲しいのです」
そうはいいつつ、王女は国一の切れ者である。
王女の読みが外れたことなど、一度もない。少なくともフェラールには覚えがなかった。
しかし、その彼女が言っている自分自身の考えを否定している。自分自身もとてもあり得ない話だと思っているのだろう。
「分かりました。王女様のご意向にしたがいます」
「今回の命令は任意令とする。命令を聞かなかったら罪に問う、などとはしない」
続けて王女がいった。
「やりたくなかったら、やらないでほしい」
それ程危険なことなのである。
もしも、潜入捜査だと気づかれたら、王女が貴族を裏切ったなどと言われかねない。
もちろん、フェラール自身もただでは済まないだろう。
「命に代えて、任務を遂行します」
フェラールはそれでも、 王女のために動くことを決心した。
それを聞いて王女が一瞬悲しげな顔を浮かべたが、彼女は気づかなかった。
「今日からここに仕えさせて頂く、フェラールと申します。よろしくお願い致します」
ここは、シュドール家の館である。
門は小柄だが、淵には彩を凝らしたきれいな装飾がされていて、権力の高さを示していた。
門の上部には正統三貴族を表す、拳三つ分の緋の宝玉が埋め込まれている。
門兵は、フェラールの美貌に見惚れていた。
フェラールの服は王女直属情報部による提案で、肌の露出が高いシルクル(絹を三重に重ねて縫い付け、フリルにしている服)であり、女性らしさを引き立たせている。
門番はフェラールの咳払いではっと我にかえりたどたどしく部屋に案内する。
中は、軍部に似合わず、赤や白薔薇などの色とりどりな花が美しく並んでいた。
例えばこの紫の花は遥か東の国でしか見ることができない。この花は咲く季節になると、まるで小さな鐘のような花が小麦のように連なるそれは見事なものらしい。
無論、フェラールも図鑑でしか見たことがなかった。
フェラールは思わず足を止めたものの、ぐっと我慢した。
案内した門兵は案内している間、ずっとおどおどして緊張気味であった。
「こ、ここが君の宿舎だ。後で侍女長がくるから、それに従うように」
「はい、分かりました。門兵様」
フェラールも王宮では侍女長のもう一つ位上だが、ここでは見習い侍女と身分を隠しているため、門兵よりも身分は下になる。
よってフェラールは特に考えなく深々とお辞儀(フリルの部分を手でつまみながら)をしたのだが、
「い、いや、礼には及ばん!」
門兵がこんなにも心を仕留めるのが簡単だとは思ってもみなかった。
頬を朱くしながらだらしの無い笑みを浮かべていた門兵を見送りながら、これは案外楽か、とフェラールは心の中でつぶやく。
フェラールの作戦はこうだ。
侍女として、館に潜入する。次に館主もしくはそれに近い人に取り込む。それから情報を誘導し引き出させる。
言うのはとても簡単だ。だが、ここは軍部だ。情報を簡単には握らせないだろう。
さらに、短期間の調査を心掛けねばならない。
もしも王女の言うとおり、謀反を企んでいるのだとすれば、時間はもう殆どないだろう。
そんなことを考えながら、フェラールは改めて気を引き締めた。