婚約破棄で傷心していたら、私の従者が武勲とプロポーズを用意して帰って来た。
「コレット! お前との婚約を破棄する!!」
ある日の事。
私は婚約者だった伯爵子息エルキュールからそう告げられた。
夜会のど真ん中。
周りは私を嘲笑する視線や声で満ちていた。
エルキュール隣には別の女性――男爵令嬢エミリーがいた。
彼は言った。
私は侯爵家の娘という地位に胡坐を掻くだけの卑しい女だと。
周りが笑っていたのは、彼の言葉を信じたからだろう。
……少し前から、この手の根も葉もない噂が社交界で出回っていた事は知っていた。
十中八九、勝ち誇ったような笑みを浮かべるエルキュールとエミリーが流した噂だったのだろう。
彼は言った。真に愛するのはエミリーだと。
私と別れ、虐げられてきた彼女を真実の愛で満たすのだと。
***
「お嬢、泣かないでください」
その後。
私は逃げるように夜会を去り、馬車に飛び乗った。
馬車が走り出すや否や、ぽろぽろと涙を流す私にハンカチを差し出してくれたのは従者のノエルだ。
「あんな男、別に好きでも何でもなかったでしょう?」
「そういう話じゃないわ。あの婚約はお父様とお母様が決めたものだったもの。それを台無しにした挙句、偽りだらけの噂すら上手く弁明できなかった。家の評判だって落ち兼ねないわ」
「お嬢が気に病む事じゃないでしょう。悪いのがどちらかなんて、明白です」
「そう思ってくれるのは貴方や家族くらいでしょうね。……少なくとも、今晩の件のせいで、新たな貰い手なんて当分現れないわ」
すすり泣く私の顔をハンカチで拭いながら、ノエルは優しい声で宥めてくれた。
「もしそうなったら誰もかれも、見る目がないってだけです。それと、もしお嬢のいうようになったとしても、一人は必ず名乗りを挙げるはずですよ」
ノエルはそういうと自分の胸を叩く。
「弱小貴族でよければ、ですけどね」
ノエルの家は子爵家。
侯爵家の私の嫁ぎ先としては弱いと考えるのは常識だろう。
それでも、貰い手が全くない未来を憂いるよりはずっと心が楽になる。
……というか、私個人の感情だけを優先するのであれば、子爵家に嫁いだ先に待つものが彼と共に過ごす時間だというのなら、充分過ぎる幸福だと感じた。
「……本当に?」
「え」
「私が独り身のままだったら、本当に貰ってくれるの? こんな、『社交界の悪女』を」
まさか本気にされるとは思っていなかったのかもしれない。
ノエルはぱちくりと瞬きを繰り返した後、プッと吹き出した。
「こちらのセリフですよ、それは。俺なんかに貰われてくれるというのなら、勿論喜んで」
その言葉に、先程まで不安定だった気持ちが容易く落ち着いていく。
「……ありがとう、ノエル。少し落ち着いたわ」
「そりゃよかった。やっぱ、お嬢は笑顔が一番似合いますからね」
涙が引っ込んだのを確認してから、彼はふと顎を撫でて考えるそぶりを見せる。
「……ま、ほんとにお嬢を貰うなら流石にただの子爵家に、ってのは可哀想なんで、多少の武勲は分捕った後でしょうね」
「武勲って」
「俺の従者の任期もそろそろ終わりますし、そうなれば戦場に行かなくてはなりませんから、丁度良かったかもしれませんねぇ」
我が国の貴族の男児は、成人の前後の時期を他の貴族の家の従者として学びを得るのが常識だ。
その習わしに従っていたノエルの任期はあと一ヶ月といったところ。
それが終われば彼は晴れて一人前の貴族となり、その責を負うべく戦場に発つことになる。
我が国の辺境は魔物という恐ろしい肉食獣が蔓延る地域があったし、その周辺では敵国である隣国が我が国へ攻め入る機会を狙っている。
それら脅威に立ち向かうのが我が国の貴族や騎士――軍などの戦力に求められる責務だ。
「だいじょーぶですよ、俺が剣に於いて負け知らずって事はお嬢が良く知ってるでしょう」
彼の言う通りだ。
ノエルの剣術の腕は社交下でも非常に有名だ。
同年代だけではなく、歴代の騎士にすら真っ向から打ち勝つ程の剣術の腕を彼は持っている。
しかし、それでも命のやり取りが繰り広げられる戦場では何が起こるか分からない。
「……武勲なんてどうでもいいから、約束を放って命を落とすのだけはやめて頂戴」
「んー、善処します」
「馬鹿」
彼の『善処する』は素直に頷けない命令に対して逃げる時に使う言葉だ。
へらへらとしていて、事の深刻さを全く感じさせない彼に、私は短く暴言を吐いてしまうのだった。
***
ノエルが我が家を去って半年。
隣国との戦が終わった報せが届いた。
未だ婚約の話一つ舞い込んでいなかった私はノエルの姿を探すべく、凱旋した騎士達が集う場所まで向かった。
そして家族や恋人との再会に喜ぶ人々に紛れ、視線を彷徨わせていると――
「あ、お嬢〜」
なんとも気の抜けるような声が背後から聞こえた。
すぐさま振り返れば、顔や体の至る所に傷を作りながらも、元気そうに手を振るノエルの姿があった。
「ッ、ノエル……!」
「お久しぶりですねぇ。わざわざ迎えに来てくれたんですか?」
激戦から帰って来た本人とは思えないほど呑気な口調に拍子抜けしてしまう。
おかげで怪我はないかとか、無茶はしてないかとか、色々問い詰めようと思っていた気持ちはすぐに消え、代わりに私は彼をじとりと見つめる。
「……お陰様で、まだ貰い手も見つかってないものですから」
「……っ! それって」
ノエルが私へと顔を近づける。
整った顔がじ、と私を見つめている。
「俺がプロポーズしても大丈夫ってことですか?」
あまりにもストレートな物言いに顔がカッと熱くなる。
それを肯定と捉えたのだろう。
ノエルは何度か瞬きした後に、破顔した。
それから私の左手を取り、その薬指に口付けを落とす。
「俺と結婚してくれますか?」
普段の軽薄さとは違う、どこか照れ臭そうな微笑を浮かべるノエル。
彼が本気だということはよく伝わって来た。
だから私は、この時ばかりは素直に返事をしようと思い――
「……よろこんで」
彼につられるように笑顔を浮かべるのだった。
***
その後。
ノエルはなんと、敵国の将の首を落とし、終戦の決定打を作ったとして公爵という地位を国王から与えられる。
武勲を作るとは聞いたが、これは流石に聞いていないとおったまげながら私が言えば、彼自身も流石に予想外だと私と同じように目を剥いていた。
一方のエルキュールも、ノエルと同じく戦に参加していたそうだが……。
彼は剣の鍛錬も怠るような青年であったこともあり、大怪我をして片足を失ったらしい。
また敵前逃亡したとの噂も広がり、彼の評価は地に落ち……既に婚姻していたエミリー諸共、社交界から姿を消す事となった。
とはいえ、そんなことはもう私には関係のない話だ。
今の私は、ノエルと同じ屋根の下、彼の執務を支える毎日を送っている。
彼と過ごす日々は忙しなくも楽しい時間ばかり。
こんな日々がこれからずっと続く事が、心の底から喜ばしい。
私はこうして、愛する人との幸せを手に入れたのだった。




