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少女たちの地獄(カレイドスコープ)~価値なしと言われた令嬢たち~  作者: 宮野夏樹
第4章 正義の地獄(エシカル・ヘル)~白銀の聖女は無菌の檻で、己の呼気すら嫌悪する~

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第3話 無音の純白あるいは正義の標本箱

 王都は静かだった。静か―――という言葉では、この静止を記述するには足りない。音が死んでいるのではない。音が許可されていないのだ。


 靴音は均等。呼吸は規則。視線は水平。人々は計算された歩幅で歩き、同じ秒数で瞬きをし、定められた角度で頭を下げる。笑う者はいない。囁く者もいない。感情という「振幅」そのものが、外科手術のように世界から削ぎ落とされていた。


 都市は今や、巨大な標本箱だった。生きた人間が整然と収められた、完璧な展示物。白銀の甲冑が、無機質な石畳を滑る。エルザ・フォン・アーレントは、その光景を見渡し、白く凍った息を吐いた。


「……純度、安定。誤差、許容範囲内」


 誰に向けたわけでもない観測報告。彼女の瞳には、ついに濁りが映らない。吐瀉物も、怒号も、嘘も、笑顔も。すべては「不純物」として濾過された。この都市は、彼女が夢見た理想に限りなく近い。


 ―――それなのに。指先が、震えている。肉眼では判別できないほど微細な、だが致命的な振動。洗っても、磨いても、消毒しても。何かが、落ちない。


「ヨアヒム」

「はい」


 背後から返る声は、いつも通り温度を持たない。


「まだです。……ノイズが残っています。私の耳に、不快な音が届く」


 彼女の瞳がゆっくりと動く。街ではない。建物でもない。視線が向いたのは、自らの背後に控える「白銀の列」だった。聖騎士団。彼らは直立している。呼吸を、思考を、存在を抑えて。だが、エルザは知っている。彼らもまた、汗をかき、迷い、疑念を抱く「人間」という名の不確定要素であることを。


「……適合検査を行います」


 その一言で、広間の空気が物理的に固着した。




 広場に集められた騎士たちを、エルザは壇上から見下ろした。


「自己申告を命じます。私の正義に、一瞬でも濁りを抱いた者は名乗り出なさい」


 沈黙。


「思考はすべて記録されます。沈黙は、不潔な虚偽と同義です」


 一人の騎士が、耐えきれずに震えた。彼は一歩前へ出ると、幽霊のような声で告白した。


「……一度だけ。市民の隔離が、過剰ではないかと、思いました」


 白銀の閃光。音はしなかった。彼が倒れる際、血は飛ばない。エルザが展開した不可視の障壁が、飛沫の一粒さえも拒絶したからだ。石畳は、白いまま。


「適合外」


 淡々とした宣告。次。


「……昨夜、夢を見ました。子供が、泣いている夢を」


 断罪。終わり。処理は、事務的に続く。告白。排除。沈黙。聖騎士団は、整然としたリズムで、一列ずつ減っていった。ヨアヒムは後方で、その光景を恍惚として見守っていた。黒い鎧は光を返さず、彼の口元だけがわずかに歪む。


(―――ああ、美しい)


 彼女は濁らない。躊躇わない。彼は、エルザの耳朶に毒を注ぐように囁いた。


「エルザ様。貴女だけが、この世界で唯一の純粋だ。他のすべては、貴女の白を曇らせる泥でしかない」

「……そうですか」

「ええ。ゆえに、残る不純物は、もう多くありません」




 深夜。執務室。壁も、床も、机も、すべてが漂白された空間。エルザは、鏡の前に立っていた。視線を上げる。


 そこにいたのは―――「生物」だった。不眠に荒れた肌。血走った瞳。乾いた唇。痩せこけた頬。それは完璧な標本には程遠い、生々しい肉の塊。不潔だ。長い、氷のような沈黙の後。


「……ああ」


 吐息が漏れた。


「私が。私が、この世界で最も、救いようのない不純物」


 剣が抜かれる。白銀の刃が、自らの白い首筋へ。震えは消えていた。これは罰ではなく、清掃だ。汚れを落とす、当然の工程。刃が皮膚に触れようとした、その瞬間。背後から、冷たい腕が回った。ヨアヒムだった。彼は逃げ場がないほど強く、エルザを抱きしめる。


「いいえ」


 耳元の声は、狂気を含んで優しい。


「貴女は、まだ死んではいけません。この汚れた世界を、最後まで見届ける義務がある」

「……なぜ。私は、汚れている」

「終わりを見る権利は、創造主だけのものです。貴女が求めた純白の果てを、その濁った瞳で、永遠に凝視し続けなさい」




 白い部屋がある。窓はない。音もない。影もない。エルザはそこにいる。椅子に座り、背筋を伸ばし、呼吸を限界まで抑えて。動けば塵が舞う。話せば声が湿気を運ぶ。瞬きさえ、空気を乱す。彼女は自分という「汚染源」を、自分自身で永遠に監視し続けている。


 外には、白い街が広がっている。誰も笑わず、誰も望まない。人々は整列して歩き、静かに朽ちていく。風さえも、この完璧な静止を恐れて避けて通る。その標本箱の中心で。黒い鎧の男だけが、満足そうに目を細めていた。


 標本箱は完成した。そしてその最奥。最も美しい展示物は。自らの呼気さえも不潔だと嫌悪し続け、透明な狂気に幽閉された、純白の聖騎士だった。

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