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僕は言葉に踏みにじられながら生きる

作者: 御門 厳寺

 心という目に見えないものを、どうにか見てみようという試みからだった。僕はありとあらゆるものに手を出しては怪我をし、母親からの叱責は日に日に増えたものである。


 人生に革命をもたらしたのは、インターネットだった。知りたいものを知ることができたし、読みたいものを読むことができた。その知の海は、寛大な心を持って僕を包めこんでくれた。


 

 14歳。何かが尊厳を踏みにじってきた。心臓に檸檬を塗りたくられたような痛みだった。

 友は口を揃えて言う。


「お前はすごいやつだ」

「お前といると楽しい」

「お前がいてくれて良かった」


 嬉しいのに変わりはない。ただ純粋に、その言葉を言葉としか認識できなかった。再び知の海が僕を襲った。



 もし、目の前に「赤いリンゴ」があるとして。僕はきっと「赤くて美味しそうな素敵な果物だ」とでも言って、人目を盗んで齧りつく。そうしたら、甘くて香り高い果実が僕の口を満たすのだ。


 でももし、他の人が「赤いリンゴ」を見たとして。


 その人の出身地方では、「赤い」という現象を「ミドリ」と発音するかもしれない。目の前にあるものは全く一緒だが、その表現方法が違うのだ。すると僕は


「これは『赤い』だろう。『緑』ではない」


 とでも言うはずだ。しかし向こうにとって赤い=ミドリであるから、


「いいや、これは『ミドリ』だよ」


 と言うのだ。 僕ら二人は、お互いの言葉が似ているだけで全く違う、と気づくまで言い争い続ける。


 そしてそれは、多分僕たちの世界でも同じだ。


 

 彼らが使う日本語は、僕の日本語とはきっと違う。僕たちに本当の意味での共通言語など存在しない。ただ似た音の連なりに似た意味を当てている、気味の悪いお猿さんがリンゴを交換しているだけだ。


その事実がどうにも僕を──信頼だとか、尊敬だとかを踏みにじったように思える。


 外はもう夕焼けだった。カラスが三羽ほどこちらに向かってくる。


 今僕の感じていることは、本当に感じていることなのだろうか。聞いた話によれば、感情というのはただのホルモンバランスに過ぎないのだという。であれば、僕たちはホルモンバランスに名前をつけ、それの機嫌を取り、振り回されている。


 そのホルモンバランスを、僕たちは言葉として認識している。言葉があるから、僕たちはホルモンバランスを認識して一喜一憂する。


 僕は思った。言葉がなければ、全部平和なんじゃないか、と。


 言葉がなければ、感情もない。ただ食欲、性欲、睡眠欲に従って生きる方が、こんなに言葉の暴力を受けることもないのだろうし、誰かと理解しあう必要もないのだから。ウキキ、ウキキと言いながらリンゴを頬張って生きる。うん、悪くないだろう。


 大発明だ。しかしどうだろう、この発明もまた言葉で思考したからこそ生まれたものに違いない。矛盾した。また駄目だった。言葉から逃げることはできそうにない。


 僕は嫌になった。嫌になったのでおやつに取っておいたドーナツをぐちゃぐちゃに食べて、牛乳を飲んで寝た。美味しいと感じた。この言葉は少し、信じていいと思う。いつか、ドーナツをドーナツと認識しなくなったら、僕はきっとウキキと笑える。

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