知らない思い出
新卒で入社した会社からの辞令で今度引っ越しをすることになった。
今はその荷造りをしているところだ。
入社後に1月ほどの研修を経て、この地方都市に配属されてはや10年が経った。
毎日毎日走り回る日々で、結局荷解きをせずに今日に至った段ボールがいくつかある。
この引っ越しを機に処分してしまおうと、荷造りをするのに10年越しの荷解きをするというちぐはぐな状況である。
大方は処分してしまおうとは思っている。
が
この中には日々の生活には使わないが、決して処分する気にはならない大切なものが入っていた。
卒業アルバムや子供の頃大切にしていたおもちゃ。
そして、
写真だ。
今では写真なんてスマホで撮って、クラウドで保存できる。
俺が学生の頃は携帯といえば今でいうガラケーで、写真は撮れるが大切な場面ではデジカメなんかで撮影して、写真屋で焼いてもらうものだった。
それ以前では、フィルムカメラを使っていた。
今手元にあるのは、俺が子供の頃、まさにフィルムカメラで撮った写真だ。
「懐かしいなぁ、これは小学生の運動会の写真で、こっちは修学旅行の時、これは親父の誕生日」
どの写真もみんな笑っていた。いつ見返すというわけではないが、楽しい思い出の写真ばかりだ。
写真を見るたびにあの頃の記憶が鮮明に蘇ってくる………
というわけではなく、
写真の裏側にいつ撮ったのか、どんな時に撮ったのか一枚一枚の写真の裏側にメモがしてあるからだ。
この習慣を友達に話した時は、かなり驚かれた。
他の家ではこんなことはしないらしい………
親父が昔からまめな性格で、同じことをしていた。
写真とはそういうふうに保存するのだと思っていた。
俺も親父に倣っていたから今でもこうやって昔を懐かしむことが出来るわけだ。
サンキュー、親父
100枚はあろうかという写真を繰っては、裏返し、メモを見て、当時の記憶を呼び起こす。
そんな動作を何十回と繰り返したその時、不意にその手が止まった。
古い民家の縁側に、俺と弟,両親の4人が座っている写真だった。
こんな家、行ったことあったか………?
最初は、母か父の実家に行った時の写真かと思った。
いや、どちらの実家も当時はだいぶ新しい家だったし、こんな縁側はなかったはず。
旅館に泊まった時にでも撮ったのかとも思ったが、背後に写っているタンスやガラス戸を見るに旅館とも思えない。
当然、今までこんな家に住んだこともない。
全く身に覚えのない写真だった。自分は中学生ぐらいだろうか。
撮った記憶もない。
だが、写っているのは間違いなく自分とその家族だ。
ずっとこの段ボールに入っていた。誰の手にも触れられていないはずだった。
裏を見た。
メモ書きはちゃんとされていた。
「話すな 見せるな 捨てるな」
背筋がぞっとなった。
殴り書きのような荒々しい字だが、俺の筆跡で書かれていた。
他の写真全てにそうしていたような、日付や場面のことはなにも書いていなかった。
意味がわからなかった。
何だ、これ………
明らかに、自分の筆跡だ。
癖のある「捨」の字、つなげて書く「な」。間違いようがない。
けれど、こんな注意書き、書いた覚えはない。
そもそも、なぜこんなことを書く必要がある?
この写真は、ただの家族写真だ。変なものは何も写っていない。光の加減もおかしくない。全員カメラ目線だ。
いつの間にか撮られているわけでもない
写真自体におかしなところはないはずだ。
一切記憶にないことを除けば
しかし、全員虚な目をしていた。カメラを見てはいるが、ただ撮られているだけ。そんな目をしていた。
今までの写真はどれもみんな笑っていた。
だから、昔を懐かしんで、ついつい見続けてしまったのだ。
なんで、こんな写真を撮ったのか、こんなメモをしたのか、まるで意味がわからなかった。
数分間、裏と表を交互に見続けた。
意味のない行為だとわかっていても、やめられなかった。
なぜまったく覚えていないんだ………
じっと写真を見ていると、4人の目が写真の中からこちらを見ているようだった。
嫌な感じがする………
その写真になんとも表現できない不気味なものを感じて、写真を伏せた。
裏には意味不明なメモが相変わらずあった。
俺はその写真から逃げるように、片付けを再開した。
その日以来、あの写真は封筒に入れて、机の引き出しの奥にしまってある。
厳重に封をして………
捨てずに、話さずに、捨てずにしまってある。
あのメモ書きを守っている。家族にも聞くことはなかった。
そうしろと自分の字が言っている。
それ以来、もう写真は見ていない。
俺は一体いつまであの写真をしまい続ければいいのだろうか
私のスマホには撮った記憶はあるのに、撮った理由がわからない写真でいっぱいです
おおこわいこわい