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なゐふりて ひとなき径の 花こぼれ


「空の上に花が咲いたなら、誰がそれを見上げるのだろう──」


これは、まだ誰も知らない、“ひとつの始まり”の物語。

たった一人の少女と、名前を持たない花の精が出会った、春のある日のこと。


ゆっくりでも、すこしずつでも。

誰かの心に、やさしい風のように届きますように──


『花盗人の足音 EP.0』、どうかお楽しみください。




RE:brave column外伝、とありますが、本編はまだありません。


第一章「捻転」



「んー……もう朝かぁ……」



眠たげな声とともに、布団の中でぐるりと寝返りを打った少女が、ゆっくりと目を開ける。


彼女の名前は──種蒔たねまき さく

どこにでもいる、元気で明るくて、ちょっぴりズボラな女の子だ。


陽光が差し込む窓辺には、一輪の菜の花が凛と咲いている。

白いカーテンの揺らぎに包まれながら、まるで笑うようにその花は揺れていた。

 

「おいしそ……じゃなかった、今日もかわいいねぇ」


寝ぼけまなこを擦りながら身を起こすと、咲は菜の花に頬を寄せる。

瑞々しい葉に水滴が光り、ついつい食欲がそそられる。


「……あれ、菜の花さん、昨日より元気に見える!そっかそっか、今日もお日様の光、美味しいもんねぇ」


独り言のように話しかけながら、咲はぱちんと顔を叩く。

今日はなんだか、とても良い一日になりそうな気がした。


お腹が鳴った。


「んあー……だめだ、朝ごはん……行こ」


そんな具合で、咲はゆるやかに立ち上がり、ふわふわとした足取りで階段を下りる。


「おとーさーーん? おはーよー!」


トントンと降りながら、リビングに向けて間の抜けた挨拶を投げる。


「……オ、オハよウ……サク……ゴハん、デキテイ……ルよ」


テンポの悪い返事だった。

まるで言葉を知らない誰かが無理やり“音”を並べているような。


咲は眉をひそめた。


「なんか……変な返事……?」


違和感。だがそれより先に、空腹が勝った。

そう思っていた、ほんの一瞬前までは。


「ちょっとおとーさーん? シャキッとしてくださいー……え……?」

 

玄関横のリビングに入ったその瞬間、咲の足が止まった。


ーーーそこにいたのは、父ではなかった。


いや、形は似ていた。人間のような姿。

だが、どこかが、すべてが違っていた。


骨格が歪んでいた。

皮膚のようなものは溶け、液体のように垂れ、カッターシャツを模した布がべったりと体に張り付いていた。


2メートル近い巨体。

その“異形”が、ぐるりとこちらを振り返る。

 

「キョ、きょウは……ヒト、ひ、ヒひひひひトリで、オキられた、かかか」

 

「……ッ」


口がきけなかった。

声にならない悲鳴だけが喉をかすめた。


言葉のようで言葉でない“何か”を喋っている。

だけど、その内容を理解する余裕など、咲にはなかった。

 

「い、いやーーーッ!!」

 

咲は半狂乱で玄関から飛び出した。

日差しが強く、雲一つない快晴──のはずなのに、視界は白く澱んで見える。


「な、何あれ何あれ何アレェーーッ!」


逃げなければ。その一心で靴も履かずに家を飛び出した。

足の裏に小石が突き刺さる。痛みが神経を突き抜ける。


だがその痛みが、わずかに冷静さを取り戻させた 


「そ……そうだ! お巡りさん、お巡りさんに言わなくちゃ!」


町の外れにある交番。

そこを目指して、咲は足を引きずりながら走った。


ーーーしかし。

 

「も〜っ!またいないじゃん! いっつもいないじゃん!」


交番には誰もいなかった。

窓は開いているのに、そこにいるべき人の気配が、まったくない。


「他に……他に頼れる人は……」 


「おオオお……コマりでスか????????」


「え……?」


背後から、ねっとりと絡みつくような声が聞こえた。


全身から血の気が引く感覚。

ゆっくりと振り返ると、そこには、四足歩行の異形がいた。


犬のような姿。だがその“皮”は剥がれ落ちた肉のようにただれていた。

真っ白な穴が“目”の位置にぽっかりと空いている。


「……ッ?!」 


金縛りにあったように動けなかった。


まるでその穴が自分の心を覗き、何かを吸い取っているような錯覚──いや、確信。


「なんで……!? なんでぇっ! 誰か、誰か助けて!!」


震える声で叫んだ。

すると期待していたように、周囲に足音が近づいてくる。


……けれど、それは“人間の足音”ではなかった。


「ドウ……しタの?」


「アアァ……サく、サくサクさくチャんダァあ。」


「ワんチャンが、コワかった???の???ののののの」 


「…ッ!!!」


集まってきたのは皆、異形だった。

人間のような姿で、お利口に服のようなものを身に纏っていて、しかし崩れた輪郭と曖昧な言葉を持つ“何か”。


それに囲まれ、歩道の隅に追い詰められた咲。


攻撃はされていない。けれど、それは彼らが理性を持っているからか?

否、きっとまだ咲が“反抗”していないから。

もし動けば、何をされるかわからない。


(このまま……私……殺されるかも……)


涙がにじむ。

目をぎゅっとつぶって、咲は最期を覚悟した──


──その時だった。


キィィィィィィン……!!!


けたたましい音が空気を裂く。

直後、咲の目の前を覆っていた異形たちが、まるで紙くずのように吹き飛ばされていった。


黒い体液を撒き散らしながら地面に叩きつけられ、だんごのようにまとまってピクピクと痙攣する。


「ア……アァ」


声が出なかった。

けれど、見覚えのあるものが咲の目に飛び込んできた。


──母親の姉、おばさんの車だ。


車体は異形にぶつかって大破し、前方がひしゃげて煙を吐いていた。


(おばさん……!)


守ってくれる、大人の代表のような人だった。


咲は駆け出した。


「お、おばさん!! 大丈夫!? 早く逃げよう! この町、おかしくなっちゃった!!」

 

だが、返ってきたのは──


「ンええええぇぇ???」


「……え?」


違う。

この声は人間のものではない。


「うゴ、うごゴッが……うゴかないねェ?」


車の割れたガラスの隙間から、異形が手を伸ばしてくる。


「イヤッッ! やめてよ!!」


振り切って、咲は再び全速力で逃げ出した。


──どれだけ走っても、人の姿はなかった。

──どれだけ探しても、温もりのある声はなかった。


いつもタバコ屋の前に座っていたおじさんも、いつも話しかけてくる公園のお兄さんも、みんな……もう、いなかった。


そこに残っていたのは、ただ、ドロドロに溶けた異形。


ひとしきり走り、疲れ果てたサクは、誰にも見つからないよう辺りを警戒しながら、住宅街の外れに腰を下ろした。肩は激しく上下し、裸足の足の裏は小石やガラスで傷ついていた。


気がつけば、出発地点だった家の近くまで戻っていた。


異形の姿は、周囲には見当たらない。それを確認した瞬間、今まで張り詰めていた緊張の糸がぷつんと切れる。それと同時に、「走れ」という本能が忘れさせていた全身の痛みを体が思い出し始めていた。


「い、痛い……。痛いよぅ……」


足元からじんじんと焼けつくような痛みが広がり、咲はしゃがみ込んで顔を覆った。


どれだけ探しても、どれだけ叫んでも、人はいない。


街は、朝と変わらぬ姿のまま、“人間”という存在だけを抜き取られたかのように静まり返っていた。


いや、違う。ただいなくなったのではない。きっとみんな、異形になってしまったんだ。


「たばこ屋のおじさんも……段ボール基地のお兄さんも……」


かろうじて立ち上がり、よろよろと歩き出したサクは、自分が今夜どこに泊まるかを考えた。けれど、当てなどあるはずもない。家々には“彼ら”がいる。もうそこに人間の居場所はなかった。


結局、彼女は恐る恐る自宅に戻ることにした。玄関のドアに手をかける。朝のあの出来事を思い出し、手が一瞬止まったが、深呼吸して意を決して扉を開けた。


「ただいま──……は、言わない方がいいよね」


リビングを見渡す。黒い異形の影は、そこにはなかった。


「……いなくなってる。黒い、お化け」


それだけで、咲はほんの少し、安心できた。


救急箱を手にして、咲は自分の部屋に戻る。そっとドアを閉め、膝を抱え込みながら、足の怪我を処置する。


「……うぅ……ヒグッ……グスッ……」


心細さと痛みで、咲は声を漏らし、顔を覆った。


「誰か……誰か助けてよ……。ひとりに、しないでよ……ねぇ……!」


無論、この声が届く宛などどこにもない。


「お願い……誰でも、いいから……お願い…!!たすけて!!」

当然返事はない。

そう思った時だった。


部屋全体が、金色の光に包まれた。


「……な、なに……っ!?」


突然の発光に、咲は思わず目を細めて立ち上がる。部屋中を満たす暖かくて眩しい光。その光に、ついに恐怖よりも先に怒りが湧いた。


「もぉぉぉおお!今度は何なの!?わたしに何の恨みがあるっての!?やめてってば!!」


涙声混じりに叫ぶ。その言葉を遮るように、やさしく、でもはっきりとした声が空間に響いた。


「……だいじょうぶ。もう、ひとりじゃないよ」


咲は目を開けた。


黒い異形ではなかった。


部屋の真ん中に立っていたのは、自分と同じくらいの背丈の女の子。淡い光に包まれて、銀色の髪がきらきらと揺れている。

その少女は、まるで初めからここにいたかのような、自然な笑顔を浮かべていた。


「ねっ。もう、ひとりじゃないでしょ? サク!」


「……え。な、なんで……。どうして私の名前……?」


呆気に取られる咲を横目に少女はくるくると部屋の中を回りながら、声を上げて笑う。


「えへへ〜っ! サクに、ずっと会いたかったんだよ!……いや、毎日会ってたかぁ。でもでも、ちゃんと“こうして”会いたかったの!」


「え……?」


その無邪気な笑顔を見ていると、不思議と涙が止まった。


はじめまして、のはずなのに。まるで昨日も一緒に笑い合った友達のような。

いや、それどころか、今朝、あの菜の花に語りかけた記憶と、少女の姿が、奇妙なほど重なって──


「あぁーーーーっ!!!!!」


叫んだ咲に、少女はぴたりと足を止めて振り返る。


「な、なになに!? 何があったの!?」


「……き、君、もしかして……あの、そこっここ、そこのっ……菜の花から飛び出してきた!?」


咲は震える指で窓際の鉢植えを指差した。少女は、満面の笑みで頷く。


「うんっ!そうだよ!サクが、私を咲かせてくれたんだよ!」


「……わ、わたしが……き、君を……!?」


「あれっ……もしかして、産むつもりじゃ……なかった……?」


うるうると瞳を潤ませて、少女はサクを見上げた。その表情に、咲は慌てて手を振った。


「うぇ?!そ、そんなこと……なくもない……こともないけど!ないよ!大丈夫大丈夫!!」


とにかく泣かせたくない一心で、咲はよくわからないフォローを繰り出す。少女は一転してぱっと明るくなり、くるくると部屋を駆け回った。


「えへへ〜!やっぱりそうだよねっ!サクが私のお母さんだ!」


「お、お母さんて……」


顔を赤らめた咲は、なぜかその呼ばれ方が、ほんの少しだけ嬉しく思えた。


「……そ、そうだ…!あなたの名前は?」


すると少女は、目を丸くして答えた。


「だーかーら!サクがお母さんなんだよ!私に名前をつけるのはサクのお仕事!」


「……あっ」


目の前の少女が無邪気に笑いながら言い放った言葉に、咲は思わず返す言葉を失った。


「さあ、私に名前をちょうだい!サク!」


「……えーー、そんな急に言われてもなぁー」


「ズコーーーッ!」


少女が大げさに前のめりに倒れる真似をして、顔を上げる。


「あんまりだよぉー!なんでよー!」


その勢いに押されて、咲もつい笑ってしまう。


「あはは、冗談冗談!嘘だよ!わかったよ!あなたの名前でしょ!私が──サクッと決めてやろうじゃないの!」


「……」


静かになった。


少女がじっと咲を見つめている。ジト目だった。


「な、なんだよぅ……」


「いや、今の……決め台詞だったりする?」


「ンンンーーー?! うるさーーいっ!」


顔を真っ赤にした咲は、そのまま傍らにあった枕を掴んで少女に向かって投げつけた。


「へへーん!そんなの当たらないよーだ!」


少女は軽やかなターンで宙を舞い、ひらりと枕を避ける。


「なぬーー!」


「よーし!それじゃあもし当てることができたら──そうだなぁ、じゃあ願いを一つ叶えてあげるよ!」


「言ったな!」


「もちろん!お花に二言はないっ!」


そう言い切る目の前の少女に再び照準を合わせながら咲は言う。


「……ナノハ」


少女の目が一瞬、大きく見開かれた。


部屋の空気が止まる。


───ボフン。


「わぷっ!」


その静寂を破ったのは、枕が少女の顔面に命中する音だった。


「やりぃ! あったりー!」


枕は、少女──いや、ナノハの手に受け止められることなく、そのまま床に落ちた。


「さぁ、願いを叶えてもらおうか!」


「え、え、え? 待って待って、今なんて言ったの?!」


「んー? 願い叶えてもらおうか、って言ったんだよ。ナノハ」


「───っ!」


声にならない声をあげ、顔を手で覆ってぴょんぴょん跳ねる少女。その名を与えられたばかりのナノハは、喜びと気恥ずかしさで、しばらくまともに咲の顔を見れないようだった。


咲は、照れ笑いを浮かべながらもう一度、ゆっくりとその名を口にした。


「君の名前は──ナノハ。菜の花から生まれた子。だから、ナノハ」


ナノハは静かにその場に立ち尽くしたまま、ふわっと笑った。


「うんっ!ナノハ、っていい名前だね!ありがと、サク!」


部屋には、ふたりの笑い声が響いた。


──夜は、静かに更けていった。





「……いやでも、願いは叶えてもらうぞ?」


「……普通にできる範囲でお願いしますしゅぅ……」



第二章「家族」




「さく!さーく!起きて!おはようの時間だーよ!」


「……!!ナノハ!!」


目覚めと同時、耳元で元気よく騒ぎ立てる少女に、咲は反射的に抱きついた。


「お、おおぅ、随分と情熱的だねぇ……」


「だって……だってもし、夢だったらどうしようって……!」


ナノハは一瞬だけ黙った。まるで、何かを飲み込むような間。そのあと、どこか遠くを見るようにぼそりと言った。


「夢……夢ねぇ。夢であって欲しいこと、ひとつだけあってさ……聞いてもらってもいい?」


「???」


言いにくそうな声に、訝しげに首をかしげる咲。しかし、その前に部屋の様子に違和感を覚える。


「……あれ?今、何時?」


「わかんないけど、いつもならお日様がてっぺんにいる頃だよー」


「……え」


それにしては部屋の中が暗い。いつもは昼になると眩しいくらい光が入るのに、丁度月明かりで照らされている程度の明るさしかない。


「ん、ん〜……」


ナノハは気まずそうに窓を指さす。


「……?」


咲が視線をそちらに向けた、その時だった。


「……なっ!」


先日、リビングで遭遇したあの黒い異形。ぐにゃりとした肉体を捩らせ、骨格を無視した歪な姿のまま、窓一面にへばりついていた。


「い。いイイエ、イエ、はイレなく、なっチャッタヌェ……いいえいえイエはいれいれり」


「ぎゃあああああああッ!!」


「あっはははは!サク、ビビりぃー!」


「……ナノハ」


「うっひひひはははは!」


「私の願い、一つ叶えてくれるんだよね?」


「ひーっ……くっくるし……え? う、うん。できる範囲で、ね!」


「じゃあ……ナノハ、あいつやっつけてきて」


咲は満面の笑みを浮かべながら、ナノハの腰を鷲掴みにして持ち上げた。そして、そのままガラス越しに異形の顔とナノハの顔をこれでもかと近づける。


「ヒェッ……」


「あアァあ……か、カわイイねぇ。お、お、おウチ……イレ、て、イ、れェてぇねェええぇェェぇええエえエぇぇぇェ!!!!!!」


「「ぎゃああああああああッ!!」」


異形が窓ガラスをバンバンと激しく叩き始め、異常なテンションで絶叫する。その勢いに、いざけしかけた張本人の咲すら青ざめて引きつった。


「サ、ササッサ!サクのバカーーーーッ!!あんなのやっつけられるわけないじゃんかーーーー!!」


「ご、ごべんねぇーーっ!!あれ!無理だよねーーーっ!!!」


咲も泣きながら必死に謝罪する。体の底から寿命を抉られるような恐怖を味わった直後、ナノハをけしかけたことを猛烈に自己反省し、ぎゅうっと抱きついて謝った。


二人は部屋の隅、窓からもっとも遠い場所に寄り添い、しくしく涙を流す。


そのとき──


バン、と鈍い音を立てて、あの異形の体が窓ガラスからずるずると剥がれ落ちていった。ガラスには黒い体液がべったりと残り、まるで血痕のような跡を描いている。


「うっわ……」


「きっっったなぁ……」


二人の顔が青ざめて引きつる。完全にドン引きだった。


「い、いなくなったねぇ……」


「そ、そうだね……もう、大丈夫だよね……」


安堵とともに胸を撫で下ろした──その瞬間。


ギィ……バン!


階下から大きな扉が開く音が響いた。


「おウヂ、ハイれた、ヌェええええ!」


「ぎゃーーーーーーッ!!」


──どうやら、侵入された。


「な、ナナナナノハ!ど、どうじよゔぅ〜〜!!」


取り乱し、半泣きで意味不明な言葉を叫ぶ咲。その隣で、なぜかナノハは少し冷静だった。


「き、聞いてくれたまえ、サクくん!」


「???」


「実はわたし、ちょっと飛べるのです!」


「え!ほんと!?」


咲の目がぱぁっと輝く。異形が消えた窓から空へ逃げられるかもしれない。


「どうだい、お嬢さん。一緒に空の旅は?」


「おゔぉゔヴヴ……おそらト、トとトびたいヌェ〜」


「「い”や”〜ーーーーーッ!!」」


ナノハのボケにツッコミが入るより早く、まさかの異形から参加表明。二人は雑なやりとりを回収する暇もなく、急いで窓から空へと駆け出した。


──一歩、二歩、三歩!


ナノハはサクの手を強く握ると、渾身の力で空を蹴った。


「……うわぁ……すごい!すごいよ!わたし、空!お空飛んでるよ!」


咲は初めて見る空からの景色に心を躍らせる。


「ごめん、落ちる」


飛行機も乗ったことがない咲にとって空を飛ぶことは一つの憧れでもあった。


「あははは!ねぇ見てナノハ!わたしたち飛んでるの!空とんでるよぉ!」


「ごめん、落ちる」


ともすれば空から落ちるのだって当然初体験である。


「あっはははは!そっか!落ちるのか!私初めてだよ、落ちるの!」


「ごめん落t──」


──二人は落ちた。


とはいえ、ナノハが美少女の尊厳を捨て、鬼の形相で踏ん張ったおかげで、落下速度はそれなりに緩和されていた。


何より、無事に異形をまくことができたという安堵感に包まれた二人は、痛みも忘れて見つめ合う。


「……くっ、くふふ……あはははは!」


「いひひ……あっははは!」


──二人は声を合わせて、笑い出した。


──ひとしきり笑い終わったあと。


笑い声の余韻が静かに消えていく中、ナノハがふと何かに気づいたように、首を傾げる。


「サク? あれ……何??」


指差す先を見た咲は、一瞬得意げな笑みを浮かべた。


「あー、あれはねぇ……うん! わたしが育ててるお花畑……」


だが、言葉の途中で、口が止まった。


「……あれ?」


そこに咲いていたのは、菜の花、ひまわり、青い薔薇

本来なら咲く季節の異なる花々が、同時に、鮮やかに咲き誇っていた。


「……全部、咲いてる……?」


ナノハは目を輝かせ、ぱたぱたと小走りで近づく。


「わぁ! お花畑だ! サクが育てたの?!」


「う、うん。そうだけど……なんで……? 一緒に咲くはずのない花たちが……」


自然の摂理から外れた光景に、咲は困惑する。

けれど、ナノハの表情は違った。


「……!! ねぇ、サク!」


「ん? ああ、ごめんね! どうしたの?」


ナノハは花畑をじっと見つめながら、声を弾ませた。


「あのね、呼んでるの!」


「……呼んでる? 誰が?」


「このお花たちだよ! みんな、サクに会いたいんだって!」


「え? そうなの……? 私も、会いたいけど……でも、どうやって?」


ナノハはいたずらっぽく笑った。


「え? 私のときみたいにやればいいんじゃないの?」


「……そ、そう言われても……えーっと……」


言葉に詰まる咲を見て、ナノハはしゅんと肩を落とす。


「……やっぱり、私……間違って生まれてきちゃったんだ……」


「だーー!! もう冗談だってば冗談! わかったよ、やるよ!」


勢いよく立ち上がり、拳を握る咲。


「ええい、ままよ! サクっと決めてやるんだから!」


「……」


「……な、なんだよぅ?」


「べつにぃ~」


ジト目で咲を見つめながらも、ナノハは楽しげに笑っていた。


咲はそんな彼女の視線を無視しながら、そっと花畑の中心へと歩み出る。


──風がやさしく吹く。


「……お願い。わたしに応えて……」


咲はそっと目を閉じ、両手を胸の前で組んだ。


「私の名前は、サク。……私も、みんなに会いたい……!」


その声は風に溶けて、花たちに届くように静かだった。

けれど、咲の思いは確かにそこにあった。


次の瞬間──


花畑全体が、まるで意思を持ったかのように、鮮やかに、カラフルに、光り輝き始めた。


「……っ! サク、見て!!」


咲き誇る花々が、命を得たようにきらめき、風とともに光の粒が舞い上がる。


「これは……!」


その光景は、まるで祝福だった


花畑の光が落ち着いたあと、柔らかな風の中から、ふたつの影が浮かび上がった。


「……お腹、空いた……」


最初に口を開いたのは、青い薔薇の髪飾りと同じ薔薇の刺繍がされたスカートを身につけた、空色の髪の少女だった。

声はひどく弱々しく、今にも倒れてしまいそうなほどだ。


「昨日も、今日も……お水もらってない……し、死んじゃう……」


生まれたばかりとは思えぬほどの消耗ぶりに、咲が息を呑んだそのとき。


「いきなりわがままだっ! もっとさ! 産んでくれたこととか、今まで育ててくれたこととか! 初めに言うべきこと、あったはずだろ!」


鋭く跳ねるような高音が花畑に響く。


声の主は、黒いドレスを着た小さな黒髪の少女。ひまわりをかたどった大きな髪飾りをつけ、表情はあまりないようだが、どこか熱いものを秘めている。


その言葉を受け、青薔薇の少女は、じとっとした目でひまわりの子を見つめた。


「あなたも……大事なひとこと目、私へのお説教でよかったの?」


「な、なぬっ……!」


痛いところを突かれた彼女は、目をうるうるとさせて黙り込んでしまった。


「わああああっ!ちょっとちょっと!喧嘩しないで〜!仲良くしよ?ね?」


あわてて間に入る咲。どうやらひまわりの少女は繊細な一面があるようだった。これは要注意だ。


咲は気を取り直し、ふたりに正面から向き合う。


「改めまして、私はサク! ふたりとも、私に会いに来てくれてありがとう!」


その言葉に、青薔薇とひまわりの少女は同時にふわりと微笑んだ。


青薔薇・ひまわり「サク、大好き。」


「……きゅ〜〜んっ♡」


愛が重すぎて即死した。


ドサッ、と音を立てて咲が地面に崩れ落ちる。


「さ、サクーーーッ!!」


咲は死んだ。あわてて駆け寄るナノハだったが、幸いにもそれは「萌死」だった。程なくして咲が“萌蘇り”を果たすと、目に映ったのは、遠くでナノハがふたりの新入りと笑い合う光景だった。


「……ふふ、眩しいぜ……」


勝手に保護者ポジションを決め込み、悦に浸る咲。自分に酔っている。


だが──


「そういえば……」


ナノハとの出会いを思い返す。そう、あのとき彼女に“名前”を与えたのだ。


ならば、今ここに生まれたふたりにも、名を授けなければならない。


「くふふ……そうだなぁ…」


何やら悪巧みの顔でナノハたちのもとへ向かう咲。


「おーい! ナノハ! ヨマリ! ヒメ!」


「「……え?」」


突如呼ばれた名前に、ナノハと遊んでいたふたりの動きが止まる。静寂。


「──隙ありぃーーーッ!!」


静寂を打ち破ったのはナノハの咆哮。続けざまに振り下ろされたラリアットが、ふたりの少女に炸裂する。


「うぐっ!」

「ホゲェ!」


「……ぁれ?」


「ちょっと!? 大丈夫!?」


一体どんな遊びをしていたのかと呆れながら駆け寄る咲。


だが、心配をよそにふたりは勢いよく上体を起こし、大きな声をあげる。


「「今、なんてっ!?!?」」


目をキラキラと輝かせて、咲の次の言葉を待っている。


咲はゆっくりと、けれどはっきりと告げた。


「……そろそろ、おうちに帰ろう。ヨマリ、ヒメ。」


ふたりの身体がぴくりと震える。


「わ、わたしが……ヨマリで……」


「わたしが……ヒメ……」


「すごい……すてき!!」


「ヒメ……うん、しっくりくる。ありがとう、サク。」


その瞬間、咲の胸に温かな感情が広がった。まるで家族が増えたかのような、そんな気持ち。


「へへ、なんだか……私が名前をもらった時のことを、昨日のことのように思い出すよ」


「ギリ今日だぞ。ドンマイ」


「はぅっ!!」


「「「あはははっ!」」」


笑い声が、夕焼け空に響いた。


けれどその笑い声の余韻が残るなか、ナノハはふと真顔になり、ヨマリとヒメの肩をぽんぽんと叩いた。


「……いやでも、ヨマリ、ヒメ。私の願いは叶えてもらうよ?」


「「あぅ……」」


「……子は親に似る…かぁ……」




第三章「虫」




咲は笑っていた。ナノハと、ヨマリと、ヒメと。

まるで何もかもが元通りになったかのように──。


けれど、その笑顔の奥で、彼女は気づいていた。


町には、もう誰もいない。

父の姿も、どこにも見えない。

それでも笑ってしまうのは、今があまりにも眩しくて、

目の前の幸福が、夢のように儚くて──


現実という言葉が、あまりにも遠く、怖すぎた。


「……泣いたら、きっと、止まらなくなるから」


ぽつりとこぼした言葉は、自分に言い聞かせるようで。

だからこそ、咲はもう一度、強く笑ったーー


 


その日の夕暮れ。


「さて、本当にそろそろ帰るよ!」

ナノハが言うと、ヨマリが両腕をぶんぶん振って叫ぶ。


「えー!あとちょっと!あとちょっとだけ遊びたい!」


相変わらず元気な調子だったが、表情はほとんど動かない。


「まったく、子供ね……」

ヒメが鼻で笑う。だがその言葉にも、どこか柔らかさがあった。


「なんだとー!?貴様!決闘だ!!武器を持て!」


「おぉー!私も混ぜろぉ!」


ナノハが加わると、ヨマリとヒメが同時に一歩引いた。


「ヒェッ……」


ふたりとも、ナノハのラリアットが完全にトラウマになっているようだった。


「もう!だーめだったら!また明日、決闘でもなんでもやろうよ!」


咲が手を広げて仲裁に入る。


「決闘は……」

「しない!!」


ヨマリとヒメが息を揃えて叫ぶ。仲がいいのか悪いのか、よくわからない。

でも、それが、すごく嬉しかった。


家へと帰ろうとしたその時だった。


突如、ものすごい風が吹き荒れ、咲たちの進路を塞いだ。

咄嗟に目を閉じ、恐る恐る開けるとそこにいたのは。


「……虫?!」


巨大な昆虫のようなシルエットが、空中をホバリングしている。

それは「虫」ではなく、町中にいたバケモノの一種だった。


ぐにゃぐにゃとした形状、ドロドロと粘つく皮膚。

──あれは、間違いなく、あの“異形”だ。


「ッッ──」


咲の記憶が急激に蘇る。

人がいなくなったこと。

父が消えたこと。

“黒いもの”に囲まれた、恐怖の朝。


でも。


「……それでも今は、私が、この子たちにとって“安心できる場所”にならないと」


咲は自分に言い聞かせるように、みんなの手を取って叫んだ。


「家に逃げよう!!」


怯えるナノハ、ヨマリ、ヒメを引っ張りながら、咲は走る。

振り返る余裕はない。ただ必死に、必死に。


巨大な虫のような異形は執拗に追ってきたが、どうにか巻き、

ようやく自宅に辿り着いた。


「はぁ……ッ、はぁッ……!みんな、大丈夫!?」


咲が振り返ると、みんな青ざめた顔で頷いた。


「ムシ……きもい」

ナノハが震える声で言った。いいのか、花がそんなこと言って。


「ふっ!サ、サクに仇なすああああんな虫ケラなんか!私のヒマリカッターでワンパンだ!」

ヨマリが拳を振るって叫ぶが、そんな必殺技、一生使わないでほしい。


「ひーっ、ひーっ、死……死んぢゃうぅ……」

ヒメは泣きそうな声で床にへたり込む。


──やっぱりこの子たちは、自分で自分の身を守ることなんてできないんだ。


咲は改めてそう痛感する。

そして、外の様子をこっそり確認すると──


虫はまだ、家のまわりをぐるぐると旋回していた。


(……でも、それより問題なのは……)


「おォおおおソとがうるサイヌェ……」


……コイツのこと完全に忘れてたッ


ヨマリとヒメが、目を見開いて叫びそうになる。


「ギャッ……ッ!」


「しっ!だめ!」

ナノハと咲が2人がかりで抑え込む。


「な、なんだあれは!外の虫より100倍危険に見えるぞ……!!」


「サクのお友達なの?……趣味、悪……」


「違うわ!!」


思わず叫んでしまった。

言われてはならないことを言われた気がして、反射的に。


「ヌぇええ?」


まずい、気づかれたか──。


「おソ、、ソ、おそトがウウルうルウるさいヌェぇえ、、、」


(よかった!気づかれてない、、、!)


しかし安心した次の瞬間、家のガラスが叩き割られた。

轟音とともに、先ほどの“虫”が家の中へ侵入してきたのだ。


羽音が家中に響き渡る。

部屋が、壁が、ガタガタと揺れた。


ヨマリも、ヒメも、ナノハでさえ、声を失う。


──現実が、また暴れだした。


咲は、歯を食いしばった。

もう、逃げるだけでは駄目なのだ。

守らなければ。

自分の生んだこの子たちを──。


「ええい、ままよ!」


咲は勢いよく立ち上がると、窓の外に旋回する巨大な虫と、リビングに居座る黒い異形を交互に睨みつけた。


「私が……あんたらなんか!サクッとやっつけちゃうんだから!」


気合を込めたその宣言に、ナノハが悲鳴のような声を上げる。


「さ、、サク!ダメだよ!一緒に逃げよう!お願いだから!」


だが、咲は振り返らずに親指を立てて言う。


「ふふふ、大丈夫だよ!私には策があるんだから!」


「……」


「サクだけに、ってな!」


その場にいた全員が一瞬、無言になる。


「……いや、そうじゃなくて!いい?あいつら同士をぶつけて戦ってもらうの!私があの2体の間に入って、互いの攻撃が互いに当たるようにするの!」


「えぇ……!?」


ナノハは頭を抱える。


「でも……ほんとに、あのお化けたちって、攻撃し合うの? 正直……家にいた方のお化け、見た目は凶悪だけど、戦えるかどうかは分かんないよ? なんかずっとボソボソ言ってるだけだし……」


「そん時はそん時!大丈夫、策は完璧!」


そう言い残して、咲はドアをバンッと開けて飛び出していった。


「サクーーーッ!!」

「やだーーー!!」

「バカーーー!!」


花たちが叫ぶ。が、咲は止まらなかった。


──ごうっ、と風が舞う。


咲は家の前の空間、巨大な虫と異形のちょうど中間地点に立った。


「こっち!ここだよ!ほら、やれるもんならやってみなよ!」


虫が甲高い羽音を立てて威嚇し、黒い異形がぬるりと首を傾げる。


咲の心臓はドクンドクンと早鐘のように鳴っていた。


「こい……っ!」


そして──


──沈黙。


咲の目の前で、2体はただそこに立ち、ピクリとも動かない。


「あれ……?」


想定していた展開とは、あまりに違う空気に、咲が戸惑う。


異形たちは──お互い攻撃を乱打するのではなく、咲をサクッとやっちまうため、慎重に狙いを定めていた。


「……え?」


その視線の重みに、咲の笑顔がひきつった。


「ちょ、ちょっと待って?話が違うじゃん? そっちとそっちで……なんで連携とるの!? ねぇ!? 敵対してよ!? ねぇ!? そこは!?」


だが返答はなく、2体の異形は、無言で──同時に動き出した。


「う、うわああああああああああッ!!?!?!?」


作戦、大失敗である


「もうダメッ!!」


咲は叫んだ。全身の震えを押し殺しながら、後ろにいるナノハたちを振り返らずに言う。


「ごめん!逃げて!」


覚悟を決めて、咲は目をぎゅっと閉じた。


目の前にいるのは、虫の異形。やつは攻撃が逸れないよう確実に照準を合わせ、まっすぐに咲に向かってきていた。攻撃の軌道は、どう見ても避けようのない死角からの一撃。


聞こえてくるのは、ナノハたちの悲鳴。

(せっかく、みんなと仲良くなれたのにな……)

(ごめんね……)


サクは小さく息を吐いた。まるで懺悔のように。


──その瞬間。


「サ……く……? あ、アァアあぶない!!」


信じられない声が、家の中から響いた。


黒い異形──咲たちが恐れていた、“家の中の化け物”が突如として動き出したのだ。ゴリッと音を立て、背中の皮膚を自ら引き裂き、その中から一本の巨大な剣を取り出す。


それは鉄塊とも思える重厚な剣。だが、剣先がゆっくりと虫の異形に向けられると、ズズズ……と空気が震え、低く唸る音がした。


──ブゥゥン。


光が、奔った。


大剣の先から放たれた閃光が虫の異形を貫き、その巨体はまるで塵のように朽ち果てて崩れていった。


「え……?」


咲はその場に立ち尽くし、呆然と家の異形を見つめる。


「どういうこと……助けて、くれたの?」


異形はしばらく口を動かさなかったが、ゆっくりと──


「あぁアァ、ぶなカッタヌェ……」


どこか安心したような声でそう答えた。


その声を聞いた瞬間、咲の胸の奥がざわついた。

怖いはずなのに、何か、懐かしい。

その言葉の端々に──やさしさがあるような気がした。


(まさか……)


咲は一歩近づき、そして問う。


「もしかして……あなた、お父さんの、ブレイブ?」


黒い異形は、ぐるんと大きな体を揺らし、喜んでいるような声を上げた。


「ンォコォお!! おぉぉオ!」


確信が走る。咲の記憶にあるブレイブカード──人型の大きな剣士、頼もしい姿、いつも父と一緒に戦っていた。


「あなた……《ダウンソードナイト》?」


その名を口にした瞬間、黒い異形の雰囲気がふっと変わった。


「……ありがとう、サク。思い出してくれたんだね」


「やっぱり……!」


咲の目に、涙が浮かぶ。


「ごめんなさい……ずっとそばにいてくれたのに、ずっと守ってくれてたのに……私、忘れてて……!」


「気にすることはないさ。私は、君のお父さんに“この家を守るよう”設計されたブレイブだ。君を守ることが、私の存在理由だよ」


その言葉を聞いた瞬間、咲は膝が崩れそうになる。


「でも、なんで……そんな姿に……?」


「……名前を、忘れられたから。かな」


「え……?」


「一度、忘れ去られたブレイブは、こうして“異形”になってしまう。もう、元の姿には戻れない……。今こうして、君と普通に話せるのも、きっとこれが最後だ」


「……!」


咲の心が、締めつけられる。


「そんな……そんなの、あんまりだよ……!」


「……泣かないで、サク。異形となっても、私はずっと君を見守っているから。そして君には……」


そう言って、ダウンソードナイトはゆっくりと目線を咲の後ろに向けた。


「君には、あの子たちがいる。君のブレイブたちが、心の支えになってくれるだろう」


「ブ……レイブ?」


咲は驚きに目を見開く。


「今、ナノハたちのこと……“ブレイブ”って言った……?だって、私には…」


「うアアぁぁ、さ……サク……も……モう……も……あハ……」


その言葉を最後に、ダウンソードナイトの言葉は濁り、また異形のうわごとのような喋り方へと戻ってしまった。


「えっ!?ちょっと!?マジで!?このタイミングで!?今、いいとこだったよ!?」


──けれど、咲は聞いた。


ナノハたちは、ブレイブ。

つまり──咲が生み出した、特別な存在。


ブレイブとは、人間の想いを具現化し、さまざまな分野で活躍する思念体。

戦闘競技、医学、美術、建築……数え切れない分野で人間を支えてきた存在。


それを生み出し、カードの形に吹き込むのが、「Emエムクリエイター」と呼ばれる特別な素質を持つ者たち。


咲の父はその一人であり、かつて──ブレイブを競わせる競技《RE:brave Column》のチャンピオンだった。


「じゃあ……わたしにも、Emクリエイターの素質があったってこと……?」


咲は、目を閉じて思い返す。


──ナノハが咲いた時のこと。

──ヨマリとヒメが現れた時の感触。


それは、確かに「願い」と「想い」が交差した瞬間だった。


「……そっか」


咲はぽつりと呟く。


「私……本当に、あの子たちを……“咲かせた”んだ」


まるで、自分の名前のように。



「……サク?」


背後から、小さく震える声が聞こえた。

振り返ると、ナノハがいた。顔を強張らせながら、今にも泣きそうな目で咲を見ていた。


「……うん。ナノハ、心配かけて、ごめんね」


静かに頭を下げる咲に、ナノハはプルプルと肩を揺らしたかと思うと──


「ほんとだよ……!」


ぽろり、と。


大粒の涙がナノハの頬を伝って、次々に地面へと落ちていった。


「何あれ!? “策がある”とか言ってさぁ!いきなり虫とお化けの間に立って!何してるのかと思ったら、めちゃくちゃ挑発してるし!バカじゃないの!?本っ当にバカだよ!!」


怒っている。けれど、それ以上に泣いていた。

感情がぐちゃぐちゃになって、うまく言葉にならないのだ。


咲は胸が、苦しくなった。

自分が無茶をしたせいで、ナノハにこんな思いをさせてしまった。


「……ヨマリとヒメは?」


「……グス……あの2人、サクが……死んじゃったと思って……ショックで気絶しちゃったよ……」


「……あぁ……」


咲はぐっと唇を噛み、膝を折るようにして頭を下げた。


「ほんとうに、ごめんなさい!!もう二度と無茶はしない!ナノハたちを……絶対に泣かせたりしないから!!」


思わず声が震えた。


その姿を見て、ナノハはゆっくりと頷いた。


「……うん。約束、だよ。サク」


言葉は短くても、その瞳はしっかりと、咲の決意を受け止めてくれていた。


──こうして、長い長い一日は終わった。


遊んで、泣いて、戦って、また泣いて……

身体はもう、限界だった。


咲とナノハは、気絶したヨマリとヒメを抱えて寝室へ向かう。

寝室には狭い一人用ベッドが一つ。


「……ぐっ、……っせ……せっっめぇなぁ……」


思わず文句が口をついて出た咲だったが、誰も返事をしない。

ナノハは、スピスピと穏やかな寝息を立てていた。

ヨマリとヒメも、まだ眠ったままだ。


その静けさに、ふと笑みがこぼれる。


(でも……)


(……なんか、心地いいや)


どこまでも窮屈で、でもどこまでもあたたかい。

ここが、私の居場所なんだ──


そう思いながら、咲はそっと目を閉じた。


遠ざかる意識の中で、

“名前を呼ばれるたび、誰かが自分を必要としてくれている”

そんなあたりまえの奇跡が、じんわりと胸に染み渡っていた。


──たとえこの世界が変わってしまっても。

──たとえもう、昔には戻れなくても。


ここは、わたしの“領域”。


わたしが、わたしの大切な花たちと、生きる場所。




第四章「空」





朝の光が差し込む中──

最初に目を覚ましたのは、ひときわ元気なあの子だった。


「おい!起きろ!起きる時間だ!今日はたくさん遊ぶ約束だっただろ!」


寝ぼけ眼のまま、咲たちはベッドからズルズルと引き摺りおろされる。


「よし起きたな!私に続けぇ!目的地は花畑だ!」


キリッとした無表情で張り切った声を響かせ、ヨマリは一目散に玄関へ。


だが──


「ぎゃーーーーーーーッ!!」


「んんヌェえええ……か、かカカ、ヵわいイヌェーーーー!!」


「ぎゃーーーーーーーーッ!!!」


大音量の絶叫とともに階段をドタバタと駆け上がってくるヨマリ。


「なぜついてこない?!」

「なぜついていくと、、、」


珍しく焦りを浮かべたその顔に、咲はつい笑ってしまいそうになる。


そしてこの日常をもっとこの子達と過ごしていきたい。


(……そのためにも、また昨日みたいな目に遭うのだけは絶対に避けたい)


だからこそ、今、自分がやるべきことがある。


「……えー、こほん。皆さん、ちょっと集まってください!」


咲の呼びかけに、3人がぽてぽてと集まってくる。


「お、なんだなんだ?」

「どうしたのサク?」

「ご飯の時間かな……?」


「ぶぶーっ!違います!」


「そうか!違うのか!よっしゃ、来週もまた見てねぇ〜!」


「待てぇい!!」


ノリのいいボケにしっかりツッコミを入れてから、咲は真剣な表情で話し始めた。


「みんなが一生、昨日みたいに危ない目に遭わずに、ずっとずっと遊べる方法を思いついたんだ」


「な、なんだって?!そういうことは早く言えー!」


目を輝かせるヨマリに、ナノハも興味津々。


「それは確かに気になる!」


「ちゃんとご飯が食べれるなら、どこへでもついてく」


咲は頷き、みんなを家から少し離れた場所にある広場へと連れて行く。


「……なんだなんだ?ただの原っぱじゃないか!まぁ遊べるなら文句はないけど、引っ張った割には地味だぞ〜」


「ふふ、まぁまぁ、見てなって」


そう言って咲は、目を閉じ、静かに深呼吸をした。

想いを、集中させる。


(……私はEmクリエイターの素質がある……)


そう自分に言い聞かせると咲は父の声を思い出す。


『展開せよ。フィールドアーツ『ルームエクスパンド』』


(おとーさんはいつも私のために何度も、家のあらゆる空間を拡張してくれた。

 だったら、今度は私が……)


「大丈夫、わたしの……みんなを守りたいっていう思い。今ここに、ありったけ……!」


その途端、咲の体から光の粒子が溢れ出す。

その粒子が空気を震わせ、地面に魔法陣のような模様が走る。


咲は高らかに宣言した。


「展開せよ!フィールドアーツ《ナノハナ分布域》!!」


その瞬間、大地の一部がぐわりと捲れ上がり──

まるで天に昇るように、空中へと持ち上がっていく。


「おおおおおおおぉぉぉッッ!!」


「地面が!地面が浮かんでいくぅぅぅぅ!!!」


「なるほど。私たち、悪者のいない空で暮らすのね」


「──御名答!!」


やがて浮島は、ゆっくりと浮上しながら草原、花畑、小川まで形造り始めていた


“ナノハナ分布域”。

それは、咲が作り出した「誰も傷つかない世界」だった。


そのとき、ふと聞こえた声。


「ア……うア……き、キきをつ……けてヌェえ〜〜ン……!」


島の端から下を覗くと、地上で手を振っているのは──異形の姿に戻ったダウンソードナイトだった。


「お前もお元気でぬぇーーーん!」


「真似せんでいい」パシッ


「いたっ」


ナノハの軽口にツッコミを入れながら、咲は大きな声で叫ぶ。


「ダウンソードナイトーーー!!いろいろありがとうーーー!また、会いに行くからぁ!!」


異形は、何かを言いたげに、ただ頷いた。


その姿が小さくなっていくのを見届けながら、

咲は、ようやく肩の力を抜いた。


風が気持ちいい。空が高い。


ここから、私たちの新しい毎日が始まる──。


EP.0「根」〜FIN〜


みなさん、ここまで読んでくれて本当にありがとうございます!


作者のSleePです!


私、生まれてこの方小説など書いたこともなく、文を書くことも得意ではなかったのですが、この度、どうしても自分がやりたい大型連動企画のため、拙い手で筆を走らせる運びとなりました。


……道理で、気づいたらブレイブは空を飛び、虫はしゃべり、ナノハはラリアットを決め、咲はサクッとキまらず──

あれ、これは一体なんのお話だったんでしょうか?(笑)


でも、ひとつだけ言えるのは、

この世界は、「守りたいと思った誰かの気持ち」から始まっているということ。


わたしの大切な子たちが、わたしの大好きな“遊び”の中で、少しずつ形になっていくのを見守るのは、本当に幸せな時間でした。


今回のEP.0は、この世界の「始まり」であり「序章」。

けれどこれは、物語の本当のすべてではありません。

もっと笑える日々も、もっと不思議な出来事も──そして、もしかしたら。


……あっ、いけないいけない。

それは内緒です。


というわけで、次回からのEP.1では!

ギャグ!ギャグ!たまにエモ!な、ゆるゆる日常回をお届けします!

新キャラも出ます!テンションも上がります!サクッと決まることもあるでしょう!


少しでも、「おもしろかったよ!」とか「この子好きかも!」って思っていただけたら、

それが何よりのご褒美です。

よければ感想や応援もいただけると、私が泣いて喜びます。本当に。


それではまた次回、空の上でお会いしましょう!

──花咲くその日まで。


SleePより



補足説明


◇ ブレイブとは?


ブレイブとは、Emクリエイターの「想い」や「願い」から生まれた存在です。

誰かの強い気持ちが形になって、この世界に「命」として現れる──

そんな、ちょっと不思議で、ちょっと尊い“想像から生まれた生き物”たち。


EP.0以前の世界では、ブレイブたちはカードの姿に封じられ、必要なときに呼び出せるようになっていました。

また、ブレイブだけでなく、「現象」や「概念」を閉じ込めた《アーツカード》、

「空間」や「地形」を変化させる《フィールドアーツカード》も同じくカード化され、

Emクリエイターはそれらを駆使して、さまざまな職業に就いていたのです。


たとえば──

•《水を噴き出すアーツカード》を使って消防隊として活躍する人

•《建設現場に仮設足場を展開するフィールドアーツ》を用いて土木作業に従事する人

•《超パワー系ブレイブ》とともに、災害救助にあたるレスキューチーム


まさに、“能力を活かしたお仕事”という形で、社会に根づいていたのですね。


なお、**Emクリエイター同士がカードを使って戦う競技《RE:brave Column》**も一定の人気を誇っていました。

ただしこれは、特殊な素質を持つ人にしか扱えない世界。

「誰でも参加できる」というものではなかったため、競技人口自体はそれほど多くはなかったのです。


とはいえ、派手で華やかな技の応酬に、観客として胸を躍らせる人は少なくありませんでした。



◇ Emクリエイターとは?


Emクリエイターとは、「想いをカードとして具現化できる能力」を持った人のことです。

この力を持つことで、アーツカード、フィールドアーツカード、そしてブレイブカードを生み出し、

自在に使いこなすことができるようになります。


注意すべきは、この力、努力で習得することはできません!

完全に「運」です。宝くじより確率が低いとも言われています。


ちなみに、サクさんはEP.0以前の世界では、測定装置で**「可能性ゼロ」**と判定されていました。

しかしなぜか、今では巨大な空中領域(浮島)を生み出していたり……

明らかに常識外れな何かをやらかしているのですが……


まあ、本人はそのへんまったく気づいていませんし、

今後も気づくことはないんじゃないかなと思ってます。


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