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怒りの林檎  作者: 排他的生活領域
ドゥワローズ王国編
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炎熱地獄

 (にお)いが強くなっていく。

 今まで嗅いだことのない悪臭に鼻をつまむ。しかし、どれだけ拒否しても僅かな隙間からしつこく入り込んでくる。

 もうこれ以上近づきたくない。もうこんな臭い嗅ぎたくない。そう本心では思っているが、なけなしの正義感が前に進む足を止めてくれない。


「っ……!」


 肌が熱を感じる。幻覚ではなかったのだと心が軋む。いや、臭いの時点で勘づいてはいたが、それを現実とは認めたくなかったのだ。


 次々に浮かび上がる悪感情を見ないようにしてひた走る。

 ここで足を止めてしまったらもう動けないことを知っているから。

 何も変わらないと分かっていても走ることをやめる理由にはならないから。


 一歩進むごとに熱は増していく。一歩進むごとに心は重くなっていく。それでも進む理由があるのだと、理想の自分を追跡する。


「うっ……!」


 大地を侵食していく地獄の境界線で、ケイトはついに立ち止まる。

 ここから先は炎熱地獄。生身の人間が立ち入って良い場所ではない。もしいたずらに足を踏み入れれば、命の保証など何処にもない。


「うおっ!?」


 前に進むのを躊躇していると、頭上から水が降り注いでくる。一瞬戸惑ったが、すぐにセスナの仕業だと理解して振り返る。覚悟の決まった表情をしているセスナと視線がぶつかる。


「……よし。モコロとラスロットはここに残れ。ここから先は俺たちだけで行く」


 ケイトはラスロットから剣を奪い、慣れた手つきで背負う。


「ハァ!? そんなこと――」

「オッケー! 気をつけてね!」


 モコロはラスロットを抱きかかえ、どこかへ走っていく。恐らく、情報を集めに行ったのだろう。

 残された二人は顔を見合せ、一緒に境界線を踏み越える。瞬間、空気が変わる。先程まで肌を灼いていた熱気とはまるで違う、紛れもない炎が襲いかかってくる。

 炎は水のベールを一枚いちまい剥がしていき、ケイトという存在全てを灼き尽くそうとする。しかし、それは許さないとセスナが水をふり撒き続ける。


 時間が無い。ケイトは走り出す。セスナの魔力が切れるまでにこの地獄から脱しなければ皆揃って灰になる。


「それまでにできる最大限をする……!」


 なんて莫迦なのだろう。これほどの高温、高熱に巻かれていながら生きている人間などいるはずがない。

 これはただの自己満足だ。自分に助けられる命は既に無かったと証明するための莫迦な行為だ。そんなことをしなくても誰にも責められないのに、そうしなければ自分が許せなくなってしまうのだ。


「着いたっ……」


 やっと町の外縁にたどり着く。町をモンスターから守るための石の外壁は炎上し、とても近寄り難いオーラを醸し出している。

 門は開きっぱなしで衛兵の姿は無い。ここに来るまで死体なども見なかったため、きっと逃げ出せたのだろうと安堵する。


「行くぞ……!」


 炎の門を潜り抜ける。見た事のある町並みが炎に包まれている。先程までとは違う、何かが焦げたような臭いが充満しており、その耐え難さに顔を歪める。


「セスナ! 後どのくらい()つ!」

「何も無ければ10分くらい!」

「了解!」


 二人は燃え盛る火の海を走る。どんなに微かな情報も逃さないよう目を凝らし、耳を澄ます。だが、どれだけ探しても目には緋色しか映らず、耳には弾ける火の粉と遠くで倒壊する建物の音しか聞こえない。やはりきっと、この炎の中で生き残っている人間などいないのだろう。

 残る時間はあと5分ほど。そろそろ町を出ないと炎の勢力圏から脱出するのは厳しい。


「ケイト」

「……ああ、そろそろこの町から出て――」


 何かが飛んでくる。ものすごいスピードだ。このままだと一秒もしないうちにセスナに直撃する。


「セスナ!」

「きゃっ!」


 ケイトはセスナを抱き寄せる。飛んできたそれはセスナの背中をギリギリ掠め、外壁に激突する。


「あ、ありがとう」

「ああ。一体何が……」


 目を疑った。人間だ。一人の男性が弾丸のように吹き飛んできたのだ。


「な……」

「チッ……厄介な力を使うものだ」


 その男性はゆっくりと立ち上がる。この大火の中で生きていることも、凄まじい勢いで石壁に激突しておきながら立ち上がれることも驚きなのだが、さらに驚いたことにその顔には見覚えがあった。


「グ、グラントさん!?」

「セスナ……!? どうしてここに――いや、今すぐここから逃げろ!!」


 グラントが鬼気迫る表情で叫ぶ。その瞬間、炎の蛇がグラントに襲いかかる。


「なっ!?」

「おっと、この炎の中で動ける者がまだいたのか」


 グラントとは別の声がして振り向く。そこには30代くらいの白髪の男が立っていた。男は腕に女性を抱きかかえて――


「メイ!!」

「セス……ナ……?」

「知り合いか? それなら殺すか。ゼヒュオ・べノ」


 男の手の先からさっきグラントを襲った炎の蛇が現れる。


「はあっ!」


 ケイトは炎の蛇を斬る。男はそれに驚いた表情を見せる。


「なんだ? お前、()()()()()()()()()?」

「何を――」

「ケイト!」


 セスナがケイトから剣を奪って投げ捨てる。直後、剣が激しく燃え上がる。そして、地面に落ちた時には剣はもう原型を留めていなかった。


「ほう、そっちの嬢ちゃんは冒険者のようだな。炎魔法との相手の仕方をよく分かってる」

「炎魔法……!」


 具体的なことは何も分からないが、どうやら触れたらアウトらしいことだけは分かる。


「炎王おおおおお!!」


 ついさっき炎の蛇に襲われていたグラントはいつの間にか男の背後に回り込んでおり、男の首を刎ねるように剣を振り抜く。


「うるさいな。叫ぶ必要なんて無いだろ」

「あがっ……!」


 信じられない。男の動きが全く目で追えなかった。グラントが剣を振り抜く0.1秒の間に、男はグラントの背後に回り込んでその脇腹に踵蹴りを食らわせていた。


「まったく、存外にタフだ。光魔法っていうのも中々面倒だな」

「メイを……返せ……!」

「返すわけないだろ。人質なんだから――」


 完全に男の顔面を捉えたはずのケイトの拳は虚空を撃ち抜いた。


「……なんだお前?」


 男はケイトから距離を取って尋ねる。その顔には不可解の色が浮かんでいる。ケイトは拳を構え、目の前の敵を見据える。


「メイは返してもらうぞ」

「質問に答えない馬鹿ほど癇に障るものはないな」


 迫り来る炎の中を駆ける。

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