恩寵の真実
ケイトは花畑の真ん中を歩いている。いまいち実感が湧いてこない状況であったが、一歩踏みしめる度にこれは夢などではないという考えが確固たるものとなっていく。
「死んだ……わけじゃないもんな。とすると、ここがメイさんが言ってた花畑なのか……?」
一面を埋め尽くす花畑は、なぜか全く生物の気配がしない。それどころか、今見ている花が花であるのかすら怪しく思えてしまう。
「何とも思えない……いや、何も無いとしか思えない。何も無い場所に無理やり花畑の絵を貼り付けてるみたいな……」
嗅げば優しい香りがする。触れれば柔らかい感触がする。それなのに、ここには何も無い。一切の感動が無い。一抹の喜びが無い。だだっ広い虚無だけが眼前に広がっているようである。
これほどまでに美しい景色がここまで無意味に感じるのは、感性が完全に壊れてしまったからなのだろうか。それとも、ここがこの世界に存在してはいけない場所なのだろうか。
「……わからない。何も理解できない……」
花を手折る。だからなんだ。花弁をちぎる。だからなんだ。蕾を握る。だからなんだ。花園を踏み荒らす。だからなんだ。
何をしても何も返ってこない。罪悪感も快楽も、およそ感情と呼べるようなものが湧いてこない。それは最早、何もしていないのと同義なのではないだろうか。
「……やめよう」
ケイトはまた歩き始める。世界にぽっかりと空いたこの薄気味悪い空白を埋めようと心の底から思う。そうしなければ、自身の存在すらあやふやになってしまうような気がしてならなかった。自分が自分でなくなってしまうような気がしてならなかった。
「……ん?」
何かないかと辺りを見渡していたところ、遠方に小さい人工物のらしきものを発見する。
「これは……?」
近づいてみると、小さな石の台のようなものを中心に円形に荒れ果てている場所があった。あまりにも異質であるはずのその場所は、ケイトには寧ろしっくりくる景色であった。
「森といい花畑といい、気味が悪いな。自然と呼ぶにはあまりにも不自然すぎる……」
「此処は天に近い場所なのでしょう」
「なっ!?」
ケイトの目の前にいつの間にかヒトが立っている。男性なのか女性なのかは分からない。判別できないという意味ではない。判別しようという気が起きないのである。だが、その声には確かに聞き覚えがあった。
「あなたはもしかして……」
「今迄はか細い糸を辿って貴方に語り掛けていましたが、此処ならばその必要も無いようです」
声に抑揚はなく、淡々と必要なことだけを伝えているような話し方だ。
「これから貴方が為すべきことを伝えます。まずは――」
「ま、待ってくれ! なんで俺なんだ? なんで俺にこんな力が宿ってるんだ?」
「沈黙」
「じゃあ、今までほど力が出せなくなったのはなんでだ? エ……エティナさんのことが関係あるのか……?」
「沈黙」
一向に質問に答えないソレに、ケイトは内心イライラする。
「まず貴方が為すべきことは――」
「やめろ! 俺のことは俺が決める! どこの誰かも分からないやつの指図なんか受けない!」
「私は天です。まず貴方は――」
「どこの誰だか分かればいいって訳じゃ……」
ケイトは硬直する。なぜなら、ケイトにとってその答えはあまりにも意味不明だったからだ。
「空と言った方が分かり易いですか? 先程言った通り、此処は天に近い場所。だからこうして貴方と話すことが出来るのです」
「違う、そんなことに驚いているんじゃない。天が自我を持っていることに驚いてるんだ」
「……理解、貴方はこの世界の人間ではないのですね」
自称天の発言に、ケイトはまたしても面食らう。
「この世界の人間じゃないって……お前が俺をこの世界に呼んだんじゃないのかよ!」
「否定。私は貴方を見つけただけです」
「見つけたって……じゃあなんで俺がこの世界の人間じゃないって知らなかったのに俺に恩寵を与えんたんだよ!」
「根本から否定。恩寵は私の力ではありません」
「は……?」
ケイトの今までの認識が瓦解していくのを感じる。
「貴方をこの世界に呼び出したのも恩寵を与えたのも大地の意思です。私はそんな貴方を発見したに過ぎません。ですので、貴方がどうしてこの世界に呼ばれ、恩寵を与えられたのか、恩寵とはどのようなものなのか、というのは私には分かりかねます」
そこで初めて気づく。自称天はケイトの質問に答えなかったのではなく、答えられなかったのだ。
「また、現在生存している他の10名には語り掛けることも不可能であったため、何故貴方だけに干渉出来たかというのも不明です」
「ちょ、ちょっと待ってくれ! 10名って言ったか? 恩寵を持ったやつがこの世界に俺の他に10人いるってことか?!」
「肯定。冒険者として活躍する者も居れば、犯罪者として名を轟かせる者も居ます」
「そいつらと俺との共通点って何かあったりしないか? 例えば、全員俺みたいに違う世界から来たとか」
「沈黙。私には恩寵を手に入れた後のことしか分からず、また、一人ひとりの性格はかけ離れているように感じられます」
「つまり、恩寵のことが知りたかったら本人に直接話を聞かなきゃいけないってことか……」
なぜ鳴橋啓人は異世界転移したのか。なぜ恩寵という力を手に入れたのか。そんな今まで謎に包まれていた真実がもうすぐ手の届きそうな場所まで来ていると感じる。
「その10人のことを教えてくれないか! 名前だけじゃなくて出来れば所属とかも……」
「残念ですが、時間のようです」
自称天の返答を聞いた途端、有り得ないほどにまぶたが重くなる。
「な、なんだ……これ……!」
「やはり、普通の人間はこの場所に長くは居られないようですね」
「待て……まだ聞きたいことが……!」
ケイトはその場に突っ伏す。思考がおぼつかず、呂律も回らなくなってくる。
そうして意識が暗闇に消える直前、自称天の言葉が耳に入った。
「まずはアトラス王国王都ミヤへ行ってください」
頭に響くその声は、なぜか少し悲しそうに思えた。




