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誇れ

 ケイトは月の下、静かな空に立っている。

 空中に立っている原理は分からない。だが、そんなことは重要では無いのだとケイトの頭は断ずる。


 見下ろす先では、角を生やした悪魔のような男がユラユラと立っている。その紫紺の体躯に傷は無く、先程の一撃もほとんど効いていないのだろう。

 男は視線こそケイトに向けてはいるが、その実、どこでもない場所を見ているようにも感じられる。


「魔法ではない……まさか……」

「来ないのか?」


 ケイトは男を挑発する。その感情は不思議と凪いでいるが、男に対する純粋な敵意だけは静かに燃えていた。


「……ふふふ」


 男が笑みをこぼす。それは今までとは違い、本物の笑顔であるとケイトの本能が告げる。その不可解にケイトは身構える。


「そう睨みつけないでください。私は嬉しいのです」

「嬉しいだと? 随分と余裕そうだな」

「そうですね。今のあなたに殺されることはなさそうなので――」


 ケイトは瞬きする間に男との距離を詰め、その胴体に拳を繰り出す。

 烈風が吹き荒れ、巨大な破裂音が周囲の空間に響き渡る。風圧で建物は粉々に粉砕され、辺りは更地と化す。


 しかし、男はそのケイトの渾身の一撃を片手でいとも容易く受け止める。


「どうやらハッタリじゃねぇみたいだな」

「嘘は()きますけどね」


 男は空いている手に闇を生成し、ケイトに向けて放つ。ケイトは素早く後ろに跳ぶことでそれを回避する。


「背中ががら空きですよ」


 男はいつの間にかケイトの背後に回っており、黒に侵食された腕をケイトに振り下ろしている。

 ケイトは着地と同時に体を捻り、男の手刀を避けながらその勢いのまま後ろ回し蹴りを放つ。その蹴りは男の胴体を分断し――


「言ったでしょう、嘘は吐くと」

「なっ!?」


 背後の男は霞のように消え、ケイトの前方にいる男が超高密度の闇を連射する。

 ピィィと甲高い音を鳴らして飛んでくる闇に向け、ケイトは力いっぱいに拳を振るう。


 しかし、闇の初弾を弾くと同時に、拳も強く後方に弾かれてしまう。


 捌ききれねぇ……!


 受け切れず残った闇の連撃が炸裂音を響かせ、地面を抉り、砂埃を巻き上げながらケイトを襲う――


「もちろん、この程度だとは思っていませんよ」

「くっ……!」


 ケイトは砂埃に紛れ、男の背後に回り込んで拳を放ったが、男は振り向きもせず、頭を少し傾けるだけで簡単に避けてしまう。


「うまく砂煙をあげて見失ったところを背後から叩く。とてもいい作戦だと思いますよ。相手が悪かっただけです」


 男は頭を掠めたケイトの腕を掴む。

 ケイトは反射的にそれを振り払うが、男はケイトの注意が逸れた所へもう片方の手で後ろ手に闇を放つ。

 ケイトはそれを避けることができず、派手に吹き飛ばされて夜の闇を舞う。


 男は間髪入れずに振り返ると、小さなクレーターができるほど地面を強く蹴り、ケイトに飛びかかる。


「肉弾戦の方がお得意なようなので、そちらでお相手してさしあげましょう」


 男が漆黒を纏った拳を打つ。ケイトは瞬時に腕を引き戻してその一撃を受ける。

 しかし、空間ごと叩きつけられているかのような重い一撃により、ケイトは為す術なく地面に叩きつけられる。


「うぐっ……」

「本気できてください。あなたの底が知りたいのです」


 ケイトの頭上から男が拳を引きながら降りてくる。

 人知を遥かに超えた力を披露したその男は、月明かりの逆光に象られることで、ケイトの意識の中で、得体の知れない暗黒の存在へと昇華されてしまった。


 その光景は恐怖以外の何物でもなかった。

 未知のものに対する根源的な、逃れられぬ恐怖がケイトの心に根を張った。


「うっ……!」


 ケイトは本能でその暗黒の拳を避ける。男の拳は地面に激突し、極大の激突音とともに地面に巨大な亀裂を生じさせる。

 ケイトは男から距離をとり、震える体を押さえつけながら呼吸を整えることに専念する。


「……拍子抜けですね。一撃を食らった時は楽しめると思ったのですが」


 男はケイトに殴られた箇所をさすりながら残念そうな顔をする。ケイトは、先程までに比べて男の感情の幅が広がっていると感じる。

 もしこれが感情の喚起でなく、感情の獲得なのだとしたら。そこまで考えたところで、そんなことは忘れてしまいたくて、ケイトは頭を振る。


「……もう終わりにしましょう。デイアト」


 男は手のひらを空高くへ向ける。地震が起こり、小石がカタカタと震える。

 だが、それは男によるエネルギー収束の影響に過ぎない。男の手のひらには空の闇が集まっていき、極小の、それでいて極大のエネルギーを放つ闇の塊を形づくっている。


「認めましょう、あなたは強い。数千年生きてきて、あなたほどの人間は数えるほどしか見てきませんでした。なので、私の最高の技でその命を終わらせてあげましょう」


 藍色の髪が徐々に黒く染まり、地面につくほどの長さまで伸びる。それに伴って紫の肌が鱗のように剥がれ落ちていき、その下から漆黒の体が現れる。

 月に照らされているはずの男の体は一切の光を反射せず、ただ全てを呑み込むようにそこに在った。


「第二形態があるなら先に言っとけよな……!」

「これは私の本来の姿です。力が強すぎて制御するのが難しいのですよ。ですが、今はする必要が無さそうですので」


 男はニィッと笑う。その嗜虐的な表情はケイトの恐怖を増幅させる。


「私は魔王軍第二幹部『深淵』のフォルトゥス。冥土の土産です」


 闇が巨大化していく。空間が捻じ曲がる。時間が振動する。歪曲し、中空で途絶した月光が暗黒を強調して絶望を知らしめる。


「誇ってください、私の至高の一撃で葬り去られることを」

「……悪いけど、俺は戦士じゃねぇんだ。死に誇りは抱けねぇ」

「それはなんとも……」


 フォルトゥスは神妙な面持ちで闇を落とす。

 闇は周囲の光すらも飲み込んで、世界をひしゃげさせながらケイトに襲いかかる。

 ケイトは両手でその巨大質量を受け止める。しかし、その圧倒的な推進力の前に、ケイトはどんどん圧し潰されていく。

 地面は捲れ、大気は割れ、空は裂け、世界は壊れる。

 闇はそれら破片を吸収し続け、さらに肥大化していく。まだ数秒しか経っていないが、その大きさは既に村一つを飲み込むくらいにまで膨張している。



「なんだよ、結局死ぬのかよ」


 ケイトの肌が裂け、至る所から出血する。


「でも、俺は変われたんだ」


 皮が溶け、肉が千切れ、骨が砕ける。


「なりたい自分になれたんだ」


 目が焼ける、臓器が潰れる。


「悔いはない」



 ――お父さんを……助けて……!



「――勝手に諦めてんじゃねぇぞ、俺!! 自分を信じろ!!」


 ケイトは雄叫びをあげ、闇を押し留めている両腕に全霊の力を込める。

 絶対的な破壊をもたらすはずであった力は、終ぞケイトの心を打ち砕くことはできず、空の彼方へと弾き飛ばされ消えて行った。

 結果、世界の矛盾は露と消え、月明かりが満遍なく大地に降り注ぐ。


「はぁ……はぁ……」


 全身がひび割れるように痛い。実際、砕け散って死んだのかもしれない。

 服は至るところがビリビリに裂け、ローブはもはやローブだったということが信じられない程に千々に切れている。

 だが、ケイトは今、まっさらな大地に両の足で立っている。それは紛れもない事実だ。


 ケイトは周囲を見回す。村と呼べるものはそこにはなく、巨大なクレーターのようなものの中心に立っていることを認識する。


「何故生きている……?」


 フォルトゥスが驚愕しながらケイトを見下ろす。ケイトはそれを黙って見上げる。


「目立った外傷もない。与えたダメージが回復している……?」

「フゥ……ブツブツ言ってねぇでかかってこいよ。それとも、怖いのか?」

「……いいえ、私は嬉しいのですよ。あなたは誇りもなく死んでいくには惜しい人間ですからね」


 フォルトゥスの顔が狂気的な笑顔に歪む。しかし、それを前にしても、ケイトは至って冷静な気持ちを保っていた。


「誇り……か」

「ええ。生きるのに使命が必要なように、死ぬのには誇りが必要なのですよ。誇りなき死は、使命なき生と同じようにくだらないものです」


 「誇り」という単語がケイトの脳内で反芻される。


「よく分かんねぇな。だけど、一つだけ言える」


 ケイトは軋む体に鞭打ち、戦闘態勢をとる。フォルトゥスはそれに気づくと、ほんの少しだけ驚いたような顔をする。


「誇りとか使命とか、どうだっていい。ただなあ、諦めんのだけはクソダセェんだよ!!」


 ケイトは一瞬にしてフォルトゥスの眼前まで跳び上がる。その瞳には、どんな恐怖でもかき消せない、不滅の炎が赫々と燃え盛っていた。

 フォルトゥスはそれを確認すると、その覚悟にうち震え、狂喜を浮かべる。


「嗚呼! それを誇りと呼ばずして何と呼ぶ! 嗚呼! 誇りを得たあなたを殺せることを、私は光栄に思う!」


 二人の拳が交差し、互いの顔面を殴り合う。

 その余波で空間が爆ぜた後、そのまま二人は逆方向に吹き飛び、破裂するほど強く地面に激突する。


 ケイトがパッと起き上がるが、フォルトゥスは既に立ち上がっており、両手を天に向けて広げている。


「さあ死合(しあい)を始めよう! 勝つのは月か陽か! 魔族か人間か! 私か貴様か!!」


 その顔は恍惚に歪んでいる。その声は悦楽の絶頂を感じさせる。その一挙手一投足は、ケイトとの勝負以外の何もかもを考えることができないと語っている。

 フォルトゥスはこの瞬間、史上最高の愉悦を味わっているのだ。


「そんな崇高なもんじゃねぇよ」


 ケイトの思いがけない反論に、フォルトゥスの表情が変わる。ケイトはゆっくりとフォルトゥスに近づいていき、わずか数センチまで近づいて停止する。


「これは野蛮で泥臭くて汚らしい喧嘩だ」


 フォルトゥスは納得がいっていないようだ。それに対してケイトはニヤリと嗤う。


「決めようぜ、どっちがよりみっともないか」

「……いいだろう。勝った方が正義だ!」


 二つの異なる感情を孕んだ視線が、同じ意志をもって交錯する。今ここで勝つという意志を。


「俺が勝つ!!」

「私が勝つ!!」


 拳が交わる。

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