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怒りの林檎  作者: 排他的生活領域
新世界編
44/58

 風が吹き荒ぶ。雨足は徐々に強くなり、石畳を打つ音が街に反響する。辺りには濃い霧が立ち込め、ぼんやりと浮かぶ明かりが街の輪郭を怪しく映し出している。

 そんな無人の夜の街を、ひとつの影が走っていく。


「はぁっはぁっはぁっ……」


 弾丸のような雨を一身に受けながら、ただどこかへ向けて走っている。それかもしくはどこへも向かっていないのかもしれない。

 脳に酸素が回らない。意識があるのかも分からないままに走り続ける。人生で初めての経験だ。それかもしくは初めてではないのかもしれない。


 世界が彼方で溶け合って、黒い何かが此岸に残る。

 ソレが何なのか知っている気がする。知っていて思い出せないような気がする。

 ずっと脳裏につきまとっていた違和感。なぜこの世界に来る前後の記憶が曖昧なのか。なぜこの現実をすんなりと受け入れることができたのか。

 その答えがあと少し目を凝らせば見えてきそうに思える。


 ……いや、そんなことなどどうでもいい。今必要なのは罰だけだ。

 風が肌を切り裂く。雨が脳天を貫く。闇が心を食い荒らす。

 それらはきっと現実ではない。だが、そうと思わずにいられないほどの痛みが絶えず襲ってくる。

 それでもまだ足りない。足りなかった。

 俺の受けるべき罰はこの程度では決してない――



 そうして心身ともにズタズタになりながら走っていたら、僅かな段差に躓いて倒れる。反射的に起き上がろうとしたが、起き上がる意味がないと思うと全ての気力を失った。


「はぁ……はぁ…………っ!」


 ダメだ。


 息が整っていく。その事実に気づいたとき、どうしようもない恐怖に駆られ、すぐに飛び起きて走り出す。


 ダメだ。ダメだ。ダメだ。ダメだ。


 足を止めてはならない。意味を求めてはならない。罪を忘れてはならない。罰を受けねばならない。そんな強迫観念めいた思考が頭の中を埋め尽くす。


 ――あなたの人生、間違えきってて羨ましい。


 脳を焼き切るかのような幻聴。 知らない声のはずなのに、なぜかひどく心が締め付けられる。


 やめないでくれ(やめてくれ)


 走る。走る。走る。消えゆく罪から離れぬように。

 走る。走る。走る。満ちる慈愛から逃れるように。

 罪過には罰が必要なのだ。罪咎には罰が必定なのだ。


 責め立ててくれ(もう赦してくれ)


 生きた理由は何処にある。進んだ理由は何処にある。振り返ったところで何も残っていないのならば、前に進むのはただの独りよがりではないのか。


 全て喪ってしまいたい(もう何も失いたくない)


 壊れゆく心を自覚しながら、それが最も自分に相応しいと安堵する。

 視界はいつやら真黒な世界に飲み込まれ、雨音すらも聞こえなくなった。


 ……俺らしい終わりだ。

 そう自嘲して、張り詰めた糸はぷつりと切れた。


〜〜~〜〜~


 目が覚めると白い天井が見えた。

 少し経ってここがベッドの上だと分かると、生き残ってしまったのかと肩を落とす。

 すぐさまに体を起こすと、服に付着したピンクの毛をつまんで落とす。


「ケイト!!」


 甲高い声が頭に響く。そしてそのまま為す術もなくベッドに押し倒される。


「こんなあっさり……もうどこにも行かせないから! このままゆっくり休んでて!」


 構っている暇はない。しかし、そうは思っても体が押さえつけられていて動くことができない。


「……放せ」

「放さない!」

「放せって!!」

「絶対に放さない!!」

「やめろ!!」


 消えていく。罰が、報いが、お前は悪くないと言うかのように消えていく。


 行くな。消えるな。選択を間違えた俺に断罪を下してくれ。


 手を伸ばしても届かない。俺は()()贖罪の果てにたどり着けない。


「嫌だ……俺はもう――」


 不意に口を塞がれた。それは柔らかく、少し湿っていた。


「な……」

「やっとこっち見てくれた」


 そこには、ほんのりと頬を赤らめたセスナが座っていた。


「……ケイトは、自分のせいでたくさんの人を死なせてしまったって思ってるかもしれない」


 呆然とするケイトに、セスナは優しく語りかける。


「もっとたくさんの人を助けられたかもしれないって」

「そうだ……。俺の力が足りなかったから――」

「それは違うよ。ケイトはもっとたくさんの人たちの命を守ったんだよ」


 セスナは微笑みながらケイトを見つめる。


「ケイトがいなかったら、私もモコロさんも、もしかしたらこの街ごと全部なくなってたかもしれない。私たちが今、こうしてここにいるのはケイトのおかげなんだよ」


 ケイトの心を何かが包み込んでいく。


「だからみんなケイトに感謝してる。責めるようなことなんか絶対にしない。私たちはケイトのおかげで今を生きれてるんだから」


 心地良いはずのそれを、それでもまだケイトは拒み続けていたかった。拒むのをやめてしまったら、この辛さをいつか忘れてしまうような気がしてならなかった。


「……ここまで言ってもまだ自分のせいだと思ってるんでしょ。ケイトは優しいから。……それなら、私にも半分背負わせてよ」

「え……」

「私の力不足も問題にあるだろうし、私にも背負う権利はあるでしょ。それとも何? 私が背負っちゃダメな理由でもあるの?」


 ケイトが返答に困っていると、セスナは「じゃあ決まり」と言って立ち上がる。


「困ったことがあったらなんでも言ってよね。私はケイトの先輩冒険者なんだから」


 セスナはそう言い残し、部屋を出ていく。

 一人残されたケイトは立ち上がろうとしたが、セスナの顔を思い出すと、どうにもそんな気分になれなかった。


「なんだよ……こういう時ばっかり先輩面しやがって……」


 視線をふらりと動かすと、ベッドのすぐ横にデコボコにカットされたリンゴが置かれていることに気づく。


「……ヘタクソだな」


 そのうちのひとつを手に取り、一口に頬張る。

 おいしくはなかった。だが、満足だった。


〜〜~〜〜~


 数日後の朝、ケイトとセスナは決意を胸に、ギルドの受付の前に立っていた。


「本当にいいんですか?」

「はい、よく考えて決めたことなので」

「……わかりました。それなら何も言うことはありません」

「ありがとうございます」


 シエラは書類をまとめると、全てシュレッダーにかける。


「それでは冒険者カードを」

「はい」

「……確かに。これでお二人はもう冒険者ではなくなりました」


 ふたりは冒険者をやめることにしたのだった。なんのしがらみもなく、この世界を見て回りたいと思ったのだ。


「今までありがとうございました」

「こちらのセリフです。この街を守っていただき、ありがとうございました」


 ケイトは愛想笑いを返す。その様子に思うところがあったのか、シエラは紙切れに何かを書いてケイトに渡す。


「本当にどうしようもなくなったらそれを使ってください」

「ありがとうございます」

「いいですか? 本当にどうしようもなくなったらですよ?」

「は、はい」


 ケイトは紙切れをカバンの奥底にしまう。


「それではお元気で」

「はい。ありがとうございました」


 ふたりは丁寧にお辞儀をしてギルドを出る。

 ふと振り返って建物を見上げてみると、短い期間だったとはいえ、少し寂しいような気持ちになってくる。


「それで、どこに行きたいとかあるの?」

「いや、特には」

「それならいいところがあるよ! ドゥワローズの辺境なんだけど――」

「もしかしてイールフッド?」

「そうそう……ってモコロさん!?」


 いつの間にか話に交じっていたモコロに、セスナは肩を跳ね上げる。


「すごい海がキレイなところだよね! たしかデートスポットとして人気――」

「わぁぁぁぁあ!!」


 セスナは大声を出してモコロの声をかき消す。モコロはその様子を楽しんでいるようだ。


「そうだ、モコロさんも一緒に来ませんか?」

「もちろん! 誘われなくてもこっそりついて行ってたよ! こんなに面白そうなの見逃せないしね!」

「うぐっ……」


 セスナが苦しそうな表情を見せていると、馬車がやってくる。


「なんだ、準備万端だったんじゃん」

「うううるさい! 早く乗って!」


 セスナがケイトとモコロを馬車に押し込む。

 馬車が発進すると、言い合うふたりを尻目に、ケイトは遠ざかる街を見つめる。


 初めてここに来たときはエティナさんと一緒だったな。


 今はもう懐かしい思い出に浸ろうとしていたところ、モコロが突然腕を掴んできた。


「助けてケイトさん! セスナさんが暴力を振るってくるー!」

「だから胸を押し付けるのをやめろってずっと言ってるでしょ!!」


 そんな、あの時とは全く違う光景に、ケイトは思わず吹き出す。


「何笑ってんの! 馬車から追い出して走って来させるよ!」

「だって、ケイトさん。一緒に歩いて行く?」

「それは絶対ダメ!」

「矛盾してんじゃねぇか」

「うるさぁぁぁぁぁい!!」


 笑い声が草原に響く。

これにて、第一章・新世界編完結です。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

第二章も遅筆なりに頑張って書きますので、気長に待ってもらえればと思います。

作品の評価や感想などいただければ作者の励みになりますので、是非よろしくお願いいたします。

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