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怒りの林檎  作者: 排他的生活領域
新世界編
37/58

弱い自分

 空が重くのしかかってくる。

 細かい砂粒が大気に漂い、呼吸するごとにむせてしまう。

 微温(ぬる)い風が体にまとわりつき、雁字搦めになってしまう。


 こんな気分はあの日以来だろうか。

 死ぬ容易さを知ったあの日。生きる困難さを知ったあの日。

 自分に常識を超えた力があることを知ったあの日。それでも全てを守ることはできなかったあの日。


 あの日よりは幾許か気持ちは楽なのだろうが、それは決して嬉しいことではない。

 今の俺に眼前の怪物を倒す力は無い。今の俺に眼前の化物を留める術は無い。

 あまりにも非力、あまりにも無力。


 悔しい。歯痒い。情けない。

 あの日世界を救ったはずの男は、今、劣弱な現状に喘いでいる。

 あの日多くの人々を守ったはずの男は、今、誰一人として守れないでいる。


 下らない。気色悪い。反吐が出る。

 俺の出る幕はここには無い。なのに、俺はここに立っている。無様を晒して立っている。


 嗚呼、俺は一体何なのだろう。



〜〜~〜〜~



 アムヌラの咆哮が天を割る。

 只人であるケイトは、その如何(いかん)ともし難い暴力の証明に、その場で縮こまってしまいたくなる。

 だがそれではいけないのだと、折れかかる心を奮い立たせてアムヌラを見上げる。


 アムヌラはケイトのことを見てはいない。それどころか、ほとんどの冒険者の存在を意にも介していない。

 アムヌラが見ているのは唯二人、エティナとセスナである。


 エティナの攻撃はアムヌラの行動を阻害する障害物。セスナの攻撃はアムヌラの命を奪い去るギロチンの刃。それ以外はアムヌラにとって些事ですらないのだろう。


「くそっ……」


 相手にされない悔しさと、相手にならない虚しさがケイトの心をぐちゃぐちゃにかき混ぜる。


 もしも今自由に恩寵の力が使えたら。

 そんな願いとも現実逃避とも分からない思いを抱えては、仮定など無意味だと心の中で誰かが嘲弄する。


 今できることを精一杯するしかないと頭では理解している。だが、力を出し切れない自分にどうしようもなく腹が立つ。


「ああああああ!!」


 ケイトは邪魔な感情を全て撥ね除けるように、大声を上げながらアムヌラに斬り掛かる。

 それでもやはり、その堅硬な体躯には傷一つ負わせることもできなかった。


 アムヌラはズシンと一つ足踏みをする。

 それは地面を破裂させ、近くの冒険者たちを弾き飛ばす。

 ケイトもそれに巻き込まれ、アムヌラから少し離れた場所で地面に背中を打ち付ける。


「カハッ……!」


 強い痛みを覚えながらも立ち上がり、再びアムヌラへと向かう。


 なんで何もできないのに走ってるんだろう。


 ふとそう思った。何をしても目的に一歩も、1ミリも進まないのなら、ここでわざわざ命を懸ける理由なんて無いはずだと。


 最悪な気付きだった。

 ケイトの足は止まり、目は伏され、心は白ける。

 動力源であった狂気が消え去り、ケイトの体は永遠の停滞を余儀なくされる。


 そんなケイトを誰も気に留めない。

 皆、ただひたすらに前へと走り、後ろを振り返ることなど無かった。


 そして、さらに最悪なことに、戦況は全く変わらなかった。

 アムヌラはペースを変えずにゆっくりと歩を進め、冒険者たちを幾度も蹴散らしていく。


 それは無力の証明であった。ケイトの力が今まで何の役にも立っていなかったことの紛れもない証左であった。


「ッ……」


 ケイトは完全に沈黙した。

 諦めた訳ではない。しかし、足が動かなかった。

 負けた訳ではない。しかし、勝てるとは思えなかった。


「ケイトッ!!」


 エティナの叫び声に顔を上げる。

 すると、目と鼻の先にアムヌラの巨体が立ち塞がっていた。

 アムヌラはケイトのことに気づかず、ただ進むために足を踏み出そうとする。

 その事実に、ケイトは乾いた笑いを零してしまいそうになる。

 笑えない事実を笑い飛ばしてしまいたかった。


 そんなケイトの葛藤を知る由もなく、アムヌラは世界を踏みしだく――


「――空貫(そらぬき)


 アムヌラの巨躯が押し返される。

 エティナの全霊の攻撃でようやくふらつく程の超重量が、たった一撃で十数メートルも押し返されたのだ。


「ごめんね、みんな。招集の連絡に気づかなくて遅れちゃった」


 ケイトの背後に一人の女性がいた。

 女性は、ピンクのポニーテールを揺らしながら、つかつかとケイトの横まで歩いてくる。


「も、モコロさん……!」

「さっきぶり、ケイトさん! 元気……じゃあんまりなさそうだね」


 モコロは辺り一帯を見回して状況を把握すると、何も言わずにアムヌラを見据える。

 アムヌラは体勢を立て直し、喉を鳴らしながらモコロを見下す。


「ほら立って。行くよ、ケイトさん。私が来たからにはあんなやつチャチャッと――」

「無理なんだ」


 ケイトの発言にモコロは驚いたように振り向く。


「無理なんだよ……」

「なんで? 確かにあいつ強いけど、みんなで戦えば――」

「そうじゃない。……もう、足が動かないんだ」


 足が竦んでいるわけではない。膝が笑っているわけではない。

 足を動かす意味を見失ったのだ。前へ進む理由が見つからないのだ。


 何をしたところで無意味となる現状に、ケイトは絶望に似た何かによって押さえつけられているのだ。


「……俺は弱いんだ。だから、俺のことは気にしないで――」

「ヤダ!」

「……え……?」


 モコロが頬を膨らませて睨んでくる。


「ケイトさんとは昨日会ったばっかりだけど、でも、ケイトさんならこんなのには負けないって私知ってるもん!」


 モコロの真っ直ぐな視線がケイトを向く。


「ケイトさんは絶望なんかに負けない! ケイトさんは勝てないって諦めない! ケイトさんは弱くなんかない!!」


 モコロの力強い言葉がケイトの心に染み渡っていく。

 だが、そんな妄言とも取れなくもない言葉では、まだケイトは自分のことを信じるには至れない。


「……はっ、そんな根拠の無いことを言われたって俺は――」

「根拠ならある!」

「あるわけがない! 俺のことは俺がよく分かってる! 俺はそんな人間じゃ――」

「ケイトさんのことを傍で見てきた人はそうは思ってないよ」

「は……」


 モコロの強い心の前には、どんな言葉も薄っぺらくなるような気がして、ケイトは何も言えなくなる。


「冒険者の人たちも、セスナさんも、なんか……あそこの……金髪の空飛んでる人も!」


 空気が一瞬緩みかけるが、ギリギリでなんとか持ちこたえる。


「みんな、ケイトさんが強いことを知ってる。みんな、ケイトさんなら立ち上がるって信じてる!」

「そ、そんなの……」

「本当だよ。私には分かる」


 ケイトを見つめる優しい瞳は、決して嘘をついていたりするような人の眼ではなかった。


「どれだけ時間がかかってもいいよ。私たちはケイトが立ち直るまでいくらでも時間を稼ぐから」


 モコロはそう言って、アムヌラへと目線を向ける。

 アムヌラは再びケイトたちの目の前まで迫ってきていた。


「私は、ギルド『新世界』が協力者、モコロ! ギルドからの令で君を打ち倒す! 悪く思わないでね」

「オオオオオオオ!」


 アムヌラは咆哮とともに、いい加減にケイトたちを踏みつけんとする。


「――本当はこんなにたくさんの人の前でこの姿になっちゃダメなんだけど……緊急事態だししょうがないよね!」


 モコロはネックレスを外す。

 そこへ容赦なくアムヌラの巨大な足が踏みつけられる。

 常人ならば粉々に粉砕するほどの一撃。しかしながら、ケイトたちはかすり傷ひとつない。

 その理由は、ケイトの目の前に堂々と佇んでいた。


「モコロさん……!」

「これが私の覚悟。みんなを守るためなら、私はこの姿を見せることも厭わない!」


 モコロは獣人化し、アムヌラの踏みつけを両手で防いでいる。

 その人ならざる姿を見たケイトとセスナ以外の冒険者たちは、皆動揺を隠しきれない。


 だが、その中でも一人、すぐに状況を飲み込んだ者がいた。


「ゼフォロ・シヴィオ!」


 雷の槍がアムヌラの側方から胴体に直撃する。

 アムヌラはふらつき、モコロの頭上から足がどけられる。

 そこへエティナの声が飛ぶ。


「話し込むつもりは無い! あなたは味方ってことでいいんだよね!」

「その認識で問題ないよ!」

「助かる!」


 それだけ話すと、エティナとモコロはすぐにアムヌラへと向き直り、攻撃を始める。

 その様子を、ケイトはただ呆然と眺めることしかできなかった。


「俺が強い? 俺なら立ち上がれる? 馬鹿も休み休み言ってくれ。俺は弱いから何もできない。そんなだからこうして動けなくなってる」


 モコロが参戦したことで、今までよりもアムヌラを足止めできるようになっている。

 それでも、再びセスナが魔法を放つ時間が稼げるのかどうかは微妙なラインだろう。

 だからといって、ケイトが助けに行ったところで1秒の時間稼ぎにもならない。いや、それどころか0.1、0.01秒も稼げるか怪しい。


 ケイトが顔を上げると、アムヌラが着実に迫ってきているのが見える。このままでいれば、あと十数秒もすればケイトは踏み潰されて死ぬだろう。

 死ぬのは嫌だ。だが、今逃げたとしても結局いつか、そうしない内に死ぬのだろう。


 生きるのを諦めたいわけじゃない。倒すのを諦めたいわけじゃない。そのどちらも、ケイトの求める理想として心の中に存在しているのだ。

 それならば、何故動けないのだろう。

 そう考え続けているうちに、なんとなくその理由に察しがついた。


 ――「強さ」を知ってしまったからだ。

 人間は自分よりも強いものは正確には測れない。その尺度を測る定規を持っていないからだ。

 自分よりも強いものはただ漠然と強いと認識するだけに留まり、その差がどれほど決定的なものなのかは理解が及ばない。


 だが、ケイトは「強さ」を知っている。

 この世界に来てから初めて戦った、底知れぬ強さを持った敵、フォルトゥス。ケイトはそれを撃退できてしまった。

 だからこそ分かる。アムヌラの強さは恐らく、フォルトゥスの10分の1にも満たない。

 そして、今のケイトの力は、そのさらに100分の1にも満たない。つまり、今のケイトがどれだけ頑張ろうが、その影響は誤差でしかないのだ。


 アムヌラに勝つには少なくとも恩寵の力が必要になる。そう思い、何度も恩寵を発動させようとしてきた。

 だが、ダメだった。今まで息をするように使ってきたはずの力は、ただの外付けのパワードスーツだった。

 それを取り外した今、どれだけ足掻いてもあの時の力には届かない。どれだけ願っても着ることは叶わない。


「だったらもう、できることなんか何もねぇじゃねぇか……!」


 ケイトの頬を一筋の涙が流れる。

 目線の先ではアムヌラが今にもケイトを踏み潰さんとしていた。

 エティナもモコロもセスナも、もう誰も間に合わない。



「――信じてください……」


 どこからともなくあの声が聞こえてきた。

 周囲はいつの間にか真っ白い世界へと変貌している。


「……もう遅ぇよ。俺はもう、俺を信じられねぇ」

「信じてください……」


 気分が悪い。今までどれだけ願っても現れなかったクセに、いざ死にそうになったら口を出してくる。なんて自己中心的な恩寵なのだろう。


「信じてください……」

「何を信じればいいんだよ」


「信じてください……」

「質問に答えろよ」


「信じてください……」

「答えろッ! 俺は何を――」

「信じてください――貴方の弱さを」


 ケイトの目の前に男が現れる。

 男は白い装束を身にまとい、短めの黒髪に平均より少し高い身長、体格も少し筋肉がついてはいるが至って普通の見た目をしている。それはまるで――、


「お……れ……?」

「信じてください――(貴方)は決して強くなどない……(貴方)は決して――誰にも負けない」



 ――アムヌラは運命の歯車である。

 全てを蹂躙し、この世界を終わらせる運命を背負わされている。

 ちょっとやそっとの力では覆せない、世界の運命を担う存在である。

 その存在(運命)が、()()()()()()()


「ケイ……ト……?」


 周囲の人間の視線は、それを為した唯一人の男に注がれる。

 男の存在はアムヌラに較べて華奢で、か細くて、極小で、矮小だ。

 だが、その背に背負わされている運命は、アムヌラよりもはるかに(おお)きい。


「俺は強くない。強くあってはいけない」


 起き上がったアムヌラの警戒をくぐり抜け、男はアムヌラの真下に立っていた。


「俺は弱い。弱いからこそ這い上がれる。どこまでも上が存在する」


 アムヌラが再び吹き飛ばされる。さすがに慣れてきたのか、今度はアムヌラもしっかりと着地し、男に最大の注意を向ける。


「悔しい。歯痒い。情けない。……あの日世界を救ったはずの男は、今、劣弱な現状に喘いでいる。……あの日多くの人々を守ったはずの男は、今、誰一人として守れないでいる」


 アムヌラの前足が男を踏みつける。

 しかし、男の姿は既にそこにはなく、アムヌラの横から胴体を蹴り飛ばしていた。


「下らない。気色悪い。反吐が出る。……俺の出る幕はここには無い。……なのに、俺はここに立っている。無様を晒して立っている」


 アムヌラは背から翼を生やし、空高く飛び上がって男に向けて急降下する。

 巨大隕石にも匹敵する威力、小さな島一つ消滅してもおかしくないほどの破壊力である。


「……どうやらそれが俺らしい。全ての逆境を一身に背負って、全ての理不尽を一身に受けて……それでも立ち上がって、這い上がって、最期まで生き抜くのが俺らしい」


 男は拳を握りしめ、降り注ぐアムヌラへと繰り出す。

 何の変哲もない一撃だ。全力を込めたわけでも、適当に放ったわけでもない、ただの何気ない一撃。

 しかし、それで十分だった。


 男の拳に衝突したアムヌラは、その瞬間に爆ぜた。男に向かっていた膨大なエネルギーの全てが行き場を失い、アムヌラの体を四散させた。

 降り注ぐ大量の血液と泥が、戦場をさらに混沌へと染め上げていく。


「まったく、最悪な人生(運命)を背負わされたもんだ。必ず一回どん底に落ちなきゃいけねぇなんて……だけど――」


 男は振り返る。そこには、3人の女が笑顔で立っていた。


「それこそが、ケイト・ナルハシの生き様なのかもな」


 ケイトは笑っていた。

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