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清々しい、最悪の朝

 青年は目を覚ました。


 どこまでも青く広がる空の上で、橙の太陽が燦然と、青年を焦がすかのように照りつけている。

 滔々と流れる小鳥たちのさえずりは、まるで青年のための賛美歌のように心地よく耳に入り込んでくる。

 そんな、これ以上ないほど清々しいはずの朝は、たった一つの、絶望的な現実によって最悪のものへと変貌する。


「……どこ、ここ」



 青年の名前は鳴橋啓人(なるはしけいと)、目を覚ましたらどこかも分からない平原にほっぽり出されていた哀れな日本人である。

 その見た目に特筆すべき特徴はない。短めの黒髪に平均より少し高い身長、体格も少し筋肉がついてはいるが至って普通の18歳男性である。


 高校を中退してからは土木作業員として働いており、唯一の趣味は休日にライトノベルを読み漁ることであった。

 そんな何の変哲もない生活を送っていたがために、啓人はなぜ、今自分がこの平原にいるのか皆目見当もつかなかった。


「作業着じゃないってことは、俺は一回家に帰ってから寝たってことでいいよな……? でも靴を履いてるってことは……どういうことだ?」


 啓人は置かれている状況に混乱しながらも、何か情報がないかと周囲を見回す。

 啓人の見える範囲には村や人どころか、動物すらも存在しておらず、地平線まで延々と平原が広がっている。

 耳をすましても、柔らかな風で草木が擦れる音や川のせせらぎ、小鳥の鳴き声がするだけでそれ以上の情報を得ることができない。


「これは大分……いや、かなりまずいんじゃないか……?」


 啓人の心臓が跳ねる。

 落ち着いてこの有り得ない状況に対処しようとはするが、この状況を打開し得る手段が全く思い浮かばない。

 それでも何とか正気を保っていられたのは、日頃から異世界に飛ばされた妄想をしていたからであろうか。


「……とりあえず歩いてみるか。意外と近いところに村とかあるかもしれないし」


 どこかで得た、地平線までの距離はおよそ4キロメートルという記憶が啓人の脳の片隅から掘り出される。

 つまり、最低でも4キロメートルは歩かなければならないことが確定した。


「キツすぎだろ……。肉体的というか精神的に……。まあでも、さすがにそこまで広すぎることはないだろうし、長くても3時間くらい歩けばどっかにはたどり着けるだろ」


 啓人は未来に希望を見出して前進する。というよりも、希望を見出さなければ前進などできなかった。


 ――しかし、現実はそう甘くはなかった。



「……嘘だろ。こんなに歩いて成果なしかよ」


 4、5時間程度、地平線の彼方へ向かって歩き続けた啓人だったが、似たような景色が延々と広がっているのみで、人も動物も何一つ見当たらない。


「さすがに休むか」


 啓人は座り込む。自身ではかなり疲れている気になっていたが、意外とそこまで疲れ切っているわけではなかった。

 それでも、起きてから4、5時間何も食べていないとなるとさすがに腹が減ってくる。

 啓人は周りを見渡すと、近くにリンゴの木を見つける。


「リンゴの木がそこら中にあるから当分の間飢えは凌げる。だけど、リンゴだけってのも飽きてくるし、早いところ他に何らかの食材を見つけたいところだな……」


 そこまで考えて啓人は頭を振る。


「いや、なんで順応してんだよ俺! この状況は明らかにおかしいだろ! 家の近くにこんな場所はないし、今の日本にこんなただ広いだけの場所があるか? あるとしたら北海道とかか? 北海道って野生のリンゴあるのか?」


 思考が脇道に逸れながらも頭を回転させ続ける。だが何も分からない。啓人の脳はマップアプリをインストールしていなければ、インターネットに接続してもいない。


「……結局、歩くしかないのか」


 啓人は信じられないほど重くなった腰を上げる。


「人に会えたら万々歳、村があれば最高だな」


 悪い可能性を考えないようにして、小鳥のさえずりに背中を押されるように歩き始める。


「というか、人間がいないのはこの際いいけど、動物すら見当たらないのはどういうことなんだ? リンゴがあるから生きられないってことはないだろうし……」


 いくら考えても分からないものは分からない。

 啓人は現実から逃げようと空を見上げる。そこには変わらず雲ひとつない果てしない青空が広がっており、小鳥のさえずりが耳を打つ。


「……は?」


 啓人は有り得ない状況に気がつく。

 焦りながら周囲を見回し、その考えが正しくないことを証明しようとする。

 しかし、そうして啓人の瞳が映し出した光景は、その状況がまさしく現実であることの決定的な証拠となってしまった。


「どこにも……どこにも鳥なんていないじゃねぇか……!」


 啓人の耳には確かに、一定の音量で鳴り続ける小鳥のさえずりが聞こえる。しかし、それらしき姿はどこにも視認することができない。


「なんなんだこの音は……どこから……いや、どうして……なんでこんな音が……!」


 明らかな異常を前に、啓人の思考が堂々巡りする。

 呼吸が荒くなる。額から汗が滴る。鼓動が頭にうるさく響く。


「……そうだ、これは夢だ! 起きたら知らない場所にいるなんて異世界転移モノじゃあるまいし! 俺はずっと夢の中で歩き回ってただけなんだ! な、なーんだ! 現実の俺が目を覚ますのを待てばいいだけだ! 何も心配することなんて無い!」


 啓人は目の前の非現実を無理やり説明し、大きな声で自分に言い聞かせる。

 それでも脳は理解を拒み続け、啓人の頭は痛くなるばかりであった。


「なぜここにいる」

「っ!?」


 背後から低い声が聞こえる。啓人は驚いて声の聞こえた方へ振り向く。

 そこには顔色の悪い男が立っていた。否、顔色どころか肌の色が全身紫である。


 男は歴史の教科書に載っている貴族のような服装をしており、額からは二本の大きさの違う角のようなものが生えている。

 髪は全ての光を吸い込んでいるかのように黒く長く、啓人を見つめる黄色の重瞳からは生を感じられない。むしろ、啓人から生命を吸い取っているかのような、そんな気さえする。


「お、お前は……い、一体……」

「なるほど、貴様が最後の実か」


 男は啓人の質問に答えず、誰に話しかけるでもなく一言呟くと啓人の目の前から姿を消してしまう。



 気がつくと、啓人は地面に寝転がっていた。


「なっ……!?」


 啓人は勢いよく上半身を起こし、辺りを見渡す。そこには見覚えのある草原が広がり、見覚えのない動物が走り回っている。

 小鳥のさえずりが聞こえ、恐怖を感じながら振り返ると、木の上で数羽の小鳥たちが何かを語らい合っている。


「これは夢……? それとも――」


 柔らかな風が現実を伝えるように啓人の背中をなぞる。

 啓人の理解が追いつかず、ぼうっとしていると、何かが啓人の手に触れる。


「リンゴ……」


 近くにリンゴの木はない。先程の風が運んできたのだろうか。

 普段なら何の感情も抱かない。しかし、啓人はなぜかそのリンゴが無性に気になり、手に取って立ち上がる。


「……行くか」


 啓人はリンゴをかじる。

 そこまで甘くはない。

 だが、いい香りだ。

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