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政略結婚から始まる公爵夫人  作者: 水瀬
第4章 巡る季節と王都

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幕間5.閉じられた瞳

 船を漕いで眠気に襲われているのは、見るからに明らかだった。


「眠いのか?」

「……少し」


 声も案の定、眠気を含んでいて眠気を堪えているのが読み取れるが、耐えようとする姿は真面目だと思う。

 だから、手が伸びてしまった。


「なら眠ればいい。──大丈夫だ、屋敷につけば教えるから」


 安心させるように声音を意識して告げる。ゆっくりと走らせていて屋敷まで時間がかかるから、それまで眠ってほしくて。

 引き寄せると間もなく意識を落としたのか、一気に身体を預ける。だが、不快にならない。

 眠るアリシアの姿に無意識に青い瞳を細めて安堵する。


(……間に合って本当によかった)


 シルヴェスターがその知らせを受けたのは突然だった。


 数刻前、王宮にある自身専用の執務室で書類仕事をしていると、王都の治安を管理する中央軍所属の憲兵隊の若い士官が訪れた。



「中央軍憲兵隊所属のハイノ・ネーヴェルと申します。突然の訪問、お許しください」



 そして彼から報告を聞いた時、思考が停止しそうになった。

 王国の中で一番治安に警備も万全な王都で起きた此度の暴漢事件。その被害者が、妻であるアリシアと聞いた時は最悪な出来事が脳をよぎった。


 ──同時に脳裏に浮かんだのは、棺の中で眠る長年ずっと隣にいた亡き婚約者の姿だ。


 幸い、侍女兼護衛役のエストが荒くれ者たちを制圧して今は王都の駐屯所で保護されていると聞いたが、それでも心配なのは変わりなかった。

 急ぎ馬車を手配し、その間に外務大臣に早退の旨を伝えて王宮を後にしたが、駐屯所へ向かう間も胸の不安はなくならなかった。


 それがようやく安心したのは彼女──アリシアの姿を捉えてからだ。

 事前に知らせてきた憲兵から怪我はないと聞いていた。だが自身の目で確かめないと安心できず、実際にアリシアの姿を見たことで胸の中にあった不安が消失した。


「…………」


 静かに眠るアリシアの顔を見つめる。

 元々色白だったが気を張っていたからか、肩に頭を乗せて眠るアリシアの顔色は青白く、数刻前に体験したのがよほど恐怖だったのが窺える。


「──エスト、怪我はないか」

「問題ありません。申し訳ございません、奥様を不安にさせてしまい……」

「あまり自分を責めるな。それより、よく守ってくれた」

「護衛として当然のことです」


 謝罪するエストに自分を責めないように投げかけるが難しいだろう。

 現に、拳を握り締めて自責の念に駆られているのが窺える。


「誰に依頼されたか言っていたか?」

「拘束した男に質問しましたが女性に金銭を対価に依頼されたとしか申しませんでした。──ですが、奥様を襲うように指示していたのは確かかと」

「……何?」


 告げられた内容に片眉を上げる。自身の声色に冷気が宿るのが分かるが、制御することができない。


「どういうことだ?」 

「どうやら依頼人の女性はプラチナブロンドで紫の瞳の貴族女性を襲えと申していたようです。……紫の瞳を持つ女性は国内に多くおりません。識別するために奥様の特徴を荒くれ者たちに告げたのだと思われます」

 

 紫の瞳は、ルナン公国の人間に多く現れる色だ。

 ウェステリア王国と離れているルナン公国の人間は殆どいない。

 だが、アリシアの曾祖母はルナン人で彼女や弟、父親は紫の瞳を持っている。


 髪色は珍しい色ではない。それなら瞳の色を伝えたら確実だ。それは、つまり──。


「この事件は、アリシアを狙ったものか」

「はい。恐れ入りますが、旦那様は犯人に検討が付いていますか?」

「……いや、候補が多すぎて判別がつかないな」


 エストの問いにシルヴェスターが目線だけ動かし、外の景色に目を向ける。


(アリシアを狙ったということは首謀者はアリシアを邪魔だと思っている人間だ。継戦派貴族か、俺の後妻を狙う令嬢のどちらかと考えるのが妥当だろう)


 アリシアは去年のメデェイン王国の使節団の来訪で、王太子妃であるヴィオレッタ妃を継戦派貴族から助けている。

 加えて王太子妃が婚姻前はルナン公国の公女だったこともあり、彼女に気に入られ、おおやけの場で友人と表明され、その影響で一気に存在感が強まった。

 さらに王妃であるテレーゼを支えながらゆっくりと、だが着実に社交界で基盤を築き始めているのは継戦派も気付いているはずだ。


(縁談は多かった。令嬢の線ならアリシアが亡くなればランドベル公爵家の後妻に入って贅沢ができる。継戦派ならアリシアを亡き者にすることでメデェイン王国と国王派の距離を薄めることができて影響力を消すことができる。……そして――)


 窓から視線を動かして、アリシアの生家を思い出す。

 アリシアの父であるエインズワーズ伯爵は、国王派の重鎮・宰相であるフォーネス侯爵の右腕で優秀な宰相補佐官だ。

 

 己とアリシアが結婚したことで一時は脆弱した国王派の結束力を強めたが――もし、彼女が亡くなれば?

 アリシアを勧めたのは宰相であるフォーネス侯爵だ。侯爵がアリシアを勧めなければ娘は政争に巻きまれなかった、と父親のエインズワーズ伯爵が思っても仕方ない。


(そうなれば侯爵と伯爵の間に亀裂が生じるのは必然だ。そこに継戦派が囁けば──)


 エインズワーズ伯爵は宰相であるフォーネス侯爵に信頼されていて優秀な人物だ。簡単に継戦派に乗り換えないだろう。

 だが、弱っているところに囁けば──状況は変わる可能性がある。 

 継戦派は古くから続く古参貴族が多い。中でも、筆頭のオルデア公爵家は建国時からあり、特に現当主は権謀術数の類いに長けている人物だ。


(誰が首謀者か分からない。……だが、いずれにしても継戦派にとって得な形となるな)


 仮に令嬢でも継戦派からしたら他国の王太子妃に気に入られているアリシアが消えるのだから願ったり叶ったりだろうと推測する。


「…………」


 眠るアリシアをじっと見つめる。

 結婚して一年。その間、様々な彼女の姿を見てきた。

 真面目で思慮深い。訪れた公爵領では領地の特産を始め、領民の生活を理解しようする姿勢が好ましいと思った。

 政治の分野にも明るくて、夜会で見てきた多くの令嬢たちと違うと感じた。


(──だが、彼女も年相応の、他の令嬢と同じ部分がある)


 婚約期間中、アリシアと会うことは顔合わせの一回のみだった。

 だが、共に同じ屋敷で生活するうちに少しずつ彼女について知っていった。

 語学に興味関心が高く、聡明で勉強熱心だが、令嬢が好きそうな本や菓子も好むのだと過ごしていくうちに気付いた。

 十九歳で年齢より大人びているように見えるも貴族の娘だ。軍隊に入隊していなければ護身術を身につけていないからさぞ怖かったはずだ。


 その証拠に駐屯所にいるにも関わらず表情が強張っていたことは、駆け付けた時にすぐに分かった。

 そんな彼女がこうして安心したように眠っているのを見ると、信頼されているように見えて僅かに口角を和らげる。

 

 やがて減速していき屋敷へ到着すると、エストが先に降りる。

 屋敷の前には家令のロバートと侍女長のサマンサ、侍女のメラニーと代々公爵家に仕える使用人たちがいて視線が集まるのが感じる。


「シルヴェスター様、アリシア様は?」

「眠っている。気を張っていたからだろうな」


 もう一台の馬車に乗っていたレナルドからの問いかけに答えてアリシアに目を向ける。

 美しい紫の瞳は未だ瞼の内側に隠れ、ゆっくりと規則正しい呼吸を繰り返し、眠っているのが読み取れる。


「そうなのですね。如何なさいますか、なんなら僕がアリシア様を抱えて運びますが」


 レナルドが主人であるシルヴェスターに提案し、判断を仰ぐ。

 黒い瞳を見る。長年、自分に仕える従者は政略結婚した彼女をきちんと屋敷の女主人として敬っている。だから、命じたら彼女を丁重に運ぶだろう。

 だが、その役目を命じたくないと思うのはなぜだろう。


「──いや、俺が運ぶ」

「え」


 レナルドが驚きの言葉を零すも無視して、彼女の背中と膝に手を回して横抱きにして歩いていく。


「ロバート、あとで執務室に来てくれ。話がある。レナルドも執務室へ来るように」

「かしこまりました」

「は、はい」


 ロバートとレナルドの返事を聞いて、続いて指示を出す。


「サマンサ、医者の手配を。エストとメラニー、アリシアを部屋へ運ぶからついてきてくれ。出迎えご苦労、他の者は各自持ち場へ戻ってくれ」


 的確に各使用人たちに指示や労りの言葉をかけ、アリシアを抱えて邸宅内へ進んでいく。

 屋敷の中で働く若い使用人たちが慌ただしい様子に不安そうにこちらを見ているが、一瞥するのみで長い回廊を渡る。

 そして眠るアリシアを抱えて彼女の部屋へ入室すると、静かに彼女を下ろす。


「時期に目を覚ますだろうから今はそのまま寝かしてくれ。メラニー、アリシアの側にいてくれないか」

「かしこまりました」

「そしてエスト、怪我はなくても念のために医者に診てもらうように。それが終わればメラニーと途中で交代してアリシアの側にいてくれ」

「もちろんです。かしこまりました」


 命ずるとそれぞれ大きく頷き、再び眠る妻に目を向ける。

 呼吸は安定している。だが、美しい紫の瞳は相変わらず閉じていて、その瞳は見ることができない。

 その瞳を見ることができないことに些か落胆するも、彼女の柔らかい髪に触れる。


「……ここは安全だ。だから、ゆっくりと休んでくれ」


 眠っていると分かっている。聞こえていないと分かっている。

 それでも伝えたくて、閉じられた瞳の、美しい紫の瞳を思い浮かべながら囁く。

 そして眠るアリシアをメラニーに任せると彼女の部屋から退室し、エストへ医務室へ行くように告げ、執務室へ向かう。


 執務室の前には既にロバートとレナルドがいて、シルヴェスターの姿を認めると深く一礼する。


「旦那様、今回の件はどのように対応しますか?」


 共に執務室へ入室するや否や、ロバートが静かに問いかけ、シルヴェスターが青い瞳を細める。

 その瞳は、冷たい海底を漂わせる冷え切った色合いしていて、ゆっくりと口を開く。

 

「首謀者は不明だ。だが、明確にアリシアを狙っての犯行だと分かっている」

「アリシア様を……」

「ああ」


 主人の発言にレナルドが復唱し、ロバートは主人の発言を待ちながら静かに佇む。


「徹底的にだ。ロバート、レナルド、徹底的に調べ上げろ」


 そして、先ほどアリシアへ向けた案じる声とは違う、冷え切った声で二人に命じた。

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