78.正反対の候補者
シルヴェスター様を見送ってマリアンヌと落ち合うため、別れた場所へ向かう。
「どうしようかしら……」
歩きながらポツリとひとりごとが零れる。
悩んでいるのはシャーリーとカティアのことだ。マリアンヌは大丈夫だけど、二人を広い会場の中から見つけられるだろうか。
なんとか二人を見つけ出せないかと頭を捻らせながら考える。
いい方法が見つからないまま、約束していた場所の近くまでたどり着く。
別れたところには既にマリアンヌがいて──その隣にシャーリーとカティアの姿も見えて目を丸める。……どうしてここに?
驚く私と対照的に、こちらに気付いた二人が笑顔を向けてくる。
「あ、アリシア様!」
「来たわね」
「カティア? シャーリーもどうしたの?」
合流して二人に尋ねる。ハンカチを作るとは聞いていなかったけど、もしかして二人も誰かに渡しに来たのだろうか。
尋ねるとシャーリーが答える。
「開会宣言の後にアリシアたちがこっちに向かうの見つけたからカティアと一緒に追いかけたのよ。そうしたら二人共、ハンカチを渡しに行ったから待っていたってこと」
「ああ……なるほど」
説明されて納得する。なるほど、それでここにいたのか。
しかし、会場にはたくさん人がいたのによく見つけたなと思う。どうやらシャーリーは視力がいいらしい。
「マリアンヌの方が早かったんですね。ハンカチは渡せましたか?」
「はい、渡したらとても喜んでくれて。今度は早いですがゆっくりとマフラーでも作ろうかと思っています」
「まぁ、ふふ」
先に戻っていたマリアンヌに聞くと嬉しそうに報告して私も笑みが零れる。幸せそうで何よりだ。
ハンカチの言い伝えは有名なのか、周辺を見渡すと私たちと同じようにハンカチを渡す令嬢や夫人の姿が複数見受けられる。
「でも閣下のところに陛下が来てびっくりしたわ。やっぱり閣下の優勝を期待している感じなの?」
「どうかしら。怪我をしないように言っていたけど、優勝するようにとは命じていなかったけど」
質問してくるシャーリーに曖昧に答える。陛下の真意は分からないから無闇に言わない方がいい。
「まぁ、陛下が話しかけていたのは閣下だけじゃないから分からないわね」
「それに、優勝候補の情報は私よりシャーリーの方が詳しいでしょう?」
微笑みながら尋ねる。明るくて社交的で、お茶会や夜会に参加する頻度が多いから私より優勝候補のことも詳しいはずだ。
問いかけるとシャーリーが口角を上げて微笑む。
「もちろん。候補は複数人いるけど……やっぱりヴィンセント様が有力ね」
「ヴィンセント様……。それって、トリュシュタイン公爵家の?」
「ええ、陛下もヴィンセント様を見つけて親しそうに声をかけていたわね」
「はとこだもの」
「そうね。ああ、ほら噂をすれば。あそこにいるわ」
言われて視線を追うと、美しい銀髪が印象的な中性的な顔立ちの青年が令嬢たちに囲まれている様子が窺える。
遠くから見ても凛々しく、絵物語の騎士が出てきたような雰囲気を与えるその人の瞳の色は──王族に多く現れる黄金の色だ。
王族特有の瞳を持つのはヴィンセント・フォン・トリュシュタイン様。二十歳になる、武家の名門として知られるトリュシュタイン公爵家の嫡男だ。
トリュシュタイン公爵家はランドベル公爵家と同じく建国時から存在する名家で、代々王家の守護や国防を担っていたことから別名「守護のトリュシュタイン」と呼ばれている。
政治には深く関わらないものの、その長い歴史と王家への深い忠義から信頼は厚く、度々王家と婚姻が結ばれている一族だ。
そして、ヴィンセント様の祖母も王家からの降嫁してきた王女で、陛下とははとこに当たる関係だ。
父親の公爵は王家の血を引きながら近衛師団の副師団長を担い、今回の狩猟大会では陛下の護衛を務め、後継ぎのヴィンセント様も西部を守護する西方軍に所属する軍人だ。
「前回は未成年で今回が初参加だけど、あのトリュシュタイン家で軍人だから最有力候補って囁かれているわね」
「そうなのね」
令嬢に囲まれたヴィンセント様を見る。
王家の象徴を色濃く有するヴィンセント様は未だ婚約者がいない。そのため、同じく婚約者のいない令嬢たちに人気の貴公子の一人だ。
普段は西部に駐屯しているから王都の夜会で見ることは殆どないけれど、ここにいるということはヴィンセント様も陛下に参加してほしいと言われたのかもしれない。
そんなことぼんやりと考えながら眺めていると、遠くから黄色い声が聞こえて肩を跳ねる。一体、なんだ。
騒がしい方向を見ると背の高い、明るい茶髪を一つ結びした男性が見える。──ラウレンツ様だ。
ラウレンツ様の周りには華やかな雰囲気の令嬢がたくさんいて、その手にはハンカチがある。
それをラウレンツ様に渡すと甘い笑みを見せて何かを呟いてまた騒がしくなる。……あれから訪問がないなと思っていたけど、どうやら諦めてくれていたようだ。
「ラウレンツ様じゃない。本当、なんであんな女たらしが人気なのかしら」
「ははは……」
隣にいるシャーリーから辛辣な発言が聞こえて苦笑する。声からして不機嫌なのが窺える。
「わぁ……、ラウレンツ様ってすごいですね。キラキラしていてなんだか発光しているみたいです」
「発光……」
呟くカティアに思わず復唱する。無意識だろうけど、中々言うと思う。
「ラウレンツ様自身、華やかな顔立ちで女性との噂は多いから」
「有名ですよね。色んな人と噂になっていますよね」
マリアンヌとカティアがそれぞれ感想を零す。確かに二人の言う通り、ラウレンツ様の周りにいる令嬢はみんな華やかな印象の化粧にドレスだなと思う。
「ラウレンツ様も有力なの?」
「そうね。前回の狩猟大会にも参加しているからその点、有利だと思われているわ。ラウレンツ様も今回の優勝候補の一人よ」
どうやらラウレンツ様も優勝候補の一人らしい。ラウレンツ様の実家も武家の名門だからそこも関係するのだろう。
ヴィンセント様とラウレンツ様を交互に見る。どちらも令嬢に囲まれて優勝候補と囁かれているけど、立ち振る舞いはもちろん、纏う雰囲気も正反対だなと思う。
内心でそんな感想を持っていると、シャーリーが小さく溜め息をつく。
「陛下の護衛をするくらいだもの。優秀なのは知っているけど……やっぱり私は苦手よ。ああいう女たらしはね、一度痛い目を見ないと反省しないわよ」
「っ、ゴホッゴホッ」
「アリシア様!?」
「やだ、急にどうしたの? 大丈夫?」
「だ、大丈夫っ……」
突然咳き込む私にカティアたちが心配そうに見る。なので平気だと告げる。
ゆっくりと深呼吸して呼吸を整える。……ラウレンツ様の名誉のために黙っておくけど、刃傷沙汰になってもぶれていなかったからそれは難しいと思う。
「アリシア様、水でも持って参りましょうか?」
「いえ、もう大丈夫です。お気遣いありがとうございます、マリアンヌ」
水を取りに行こうとするマリアンヌを止める。呼吸を整えたら落ち着いたので平気だ。
そして、ラウレンツ様の話題はもうやめようと心に決める。
「ねぇ、シャーリー。他の候補者たちも聞きたいわ」
「他の? そうね……あとは閣下も有力よ。外交官だけど武術にも優れているから」
「シルヴェスター様も?」
「ええ。ごめんね、継戦派の方は分からないけどあとは中立派に二人いて──」
平静を装ってお願いし、シャーリーの説明に耳を傾ける。……どうやらシルヴェスター様を始め、候補が五人もいるようだ。これは誰が優勝するか分からない状態だなと思う。
「候補者が複数いて未知の領域ね」
「私も誰が優勝するか分からないわ」
呟くとシャーリーも同意する。複数の武家一族が候補に挙がっているから分からない状態だ。
そんな風に優勝候補者について話していると女性たちが移動し始める。おそらくお茶会の場へ移動するのだろう。
「私たちの方もそろそろ移動しましょうか。お話の続きは、宮廷の菓子職人のお菓子を添えてしましょう?」
移動に気付いたシャーリーが茶目っ気たっぷりな笑顔で提案する。その明るい笑顔につられて私も微笑む。
「いいわね。テレーゼ様は……」
頷いて王妃様の姿を探す。王妃様はどこだろう。
そしてしばらく会場を見渡すと、ようやく王妃様を見つける。
その隣には陛下がいて、中立派の高位貴族の人と話している。盛り上がっているのか、陛下も相手も楽しそうに笑って話しているのが読み取れる。
「あの雰囲気だとすぐには難しそうね」
「そうね」
シャーリーも同じこと思ったのか呟く。盛り上がっているし、あの様子だと王妃様と合流するのは難しそうだ。
「それでは先に向かいませんか? まだお話しする人がいるかもしれませんから」
王妃様たちの様子を見てマリアンヌが提案する。確かに今の人物が最後とは限らないから移動した方がいいだろう。
「じゃあ移動する?」
「ええ」
「はい、いいと思います」
「あ、あの……! その、お茶会の席のことでご相談があるのですが……」
「カティア?」
確認に頷き、先に観覧席へ向かう方向で話を進めているとカティアが声を上げる。
名前を呼んで続きを促すと、カティアが続きを話し始める。
「実は出発前に以前参加した伯母様から庭園の花がたくさん見れる席を教えてもらって。そちらに座りませんか?」
「へぇ。ならそこで待ちましょうか」
「そうね。マリアンヌもいいですか?」
「もちろんです。カティア、案内できる?」
「はい!」
マリアンヌに問われてカティアが嬉しそうに返事する。
そして四人で楽しく話しながらカティアが教えてもらったという席へ向かっていると、前方から数人の女性たちが観覧席とは真逆のこちらへやって来る。
同時に、そこにいる人物の存在にカティアの足が止まる。
しかし、相手はそんなことにまるで気にしていない様子で距離を詰め──やがて立ち止まると、中心に立つ鮮やかな赤い髪の女性がゆっくりと口を開く。
「──ごきげんよう、アリシア様」
扇を広げながら投げかけられるその声に唇を引き締める。……結婚してから名前を呼ばれたこともなければ、今まで関わって来なかったのに一体、どういう風の吹き回しだろう。
豊かで、鮮やかな赤い髪が太陽の光に反射する。
目の前に現れたのは継戦派筆頭の令嬢であるオルデア公爵家のクラーラ様と、同じく継戦派に所属する数人の令嬢。
そしてニッコリと微笑み──意思の強い青い瞳が、捕食者の目で私を射貫いた。




