8.王家からの招待状1
「──王宮の夜会ですか?」
「ああ。陛下主催の夜会に夫婦として招待された」
「まぁ……」
陛下。シルヴェスター様の幼馴染であり、友人でもあり、仕える主君。そして──私たちに政略結婚を命じた張本人。
その陛下が、王宮で夜会を主催するらしい。
「分かっているだろうが対立しているとはいえ、継戦派を招待しないわけにはいかない。継戦派も役職に就いている人間がいるからな」
「はい、分かっております」
政治に関わっていない私でも分かる。政治は自分の味方だけで成り立っているわけではない。
継戦派の一部の貴族は王宮の中で発言権を持っている人もいる。そんな彼らをあからさまに蔑ろにしたら反乱の種になる。
今は国境で小さな衝突で済んでいるけど、それもいつまで続くか分からない中で国内に兵力を大量に投入できない。
だから水面下で互いの勢力を削ぎ落す戦いをしているのが現状だ。
「陛下主催の夜会のため国王派に中立派、そして継戦派も参加する。……婚姻後にこの夜会を開催する理由は分かるか?」
「継戦派への牽制、ですか?」
「そうだ」
シルヴェスター様に肯定されて改めて自分の立場を理解する。
私は国王派に所属する貴族令嬢。そして、陛下の腹心である宰相閣下に仕える宰相補佐官の娘で、この結婚は国王派の結束を強める婚姻だ。
「国王派の結束力を高めると同時に中立派をこちらへと傾けさせるのが今回の夜会の目的だろう。だから二人で参加しないといけない」
「そうですね。夜会はいつですか?」
「一週間後だ。大規模だから結構な数の貴族たちが参加する」
「では参加者リストをいただいてもよろしいでしょうか? 全ての貴族の派閥を把握しているわけではないので」
大貴族や大臣など主だった貴族の派閥は父から聞いていて多少は分かるが他の貴族は曖昧だ。できたらリストを貰って頭に入れたい。
「分かった。ロバート、どれくらいで用意できる?」
「一日お時間があれば可能かと」
「そうか。それでいいか?」
「はい」
要望が通ってほっとする。よし、リストを見て覚えよう。
限られた時間で覚えないといけないので公爵家の勉強は控えて貴族の派閥の方を頭に入れるべきだろう。
「覚える家が多いだろうから要注意人物と大事な貴族は別のリストを作成しよう。ロバート、頼めるか?」
「かしこまりました」
「ありがとうございます」
要注意人物と大事な人物を重点的に取り上げてくれるのなら安心だ。まずはその人物たちを覚えて次は他の貴族としよう。
その後も来週の夜会について幾つか質問したりして事務的な会話をしていく。
今回、ランドベル公爵家側は私たちだけでシルヴェスター様の弟は不参加らしい。
一方の私の両親は二人共参加するようで両親と一緒にいてもいいと言われたので母と一緒にいるつもりだ。
「あとはドレスだな。色の希望はあるか?」
「いいえ。ただ、どちらかの髪の色か瞳の色が世間一般的ですので瞳の色である青か紫のドレスを考えています」
尋ねられて意見を述べる。
結婚して一ヵ月も経っていない私たちは世間一般的に見ると“新婚”だ。
新婚の貴族は夫婦どちらかの髪の色か瞳の色の服や宝石を用いる。気持ちのない政略結婚としてもどちらかの色のドレスを纏った方がいいだろうと考える。
特に私は公爵家に嫁いでの初めての夜会だ。ランドベル公爵夫人の座を狙っていた令嬢たちに注目されるのは目に見えているので落ち着いた青か紫のドレスが着たいと思う。
「なら青色のドレスにして装飾はアメジストにするか」
「いいと思います」
シルヴェスター様の提案に頷く。
互いの瞳の色を使用しているなら不仲というイメージは起きないので賛成だ。
王命による政略結婚だと分かりきっていても粗探しをしようとする人間はいくらでもいる。気を付けるに越したことはないので一般的な組み合わせで行こう。
「それとドレスだが、マダム・フェリスに仕立ててもらおう」
「いいのですか?」
シルヴェスター様の言葉に目を丸める。
マダム・フェリスとは大人気の女性ドレスデザイナーだ。彼女のドレスを持っていないと流行に遅れていると言われるくらい社交界で影響力を持つ女性だ。
「公爵家に来て初の夜会だろう。彼女のドレスで臨んだ方がアリシアにとってもいいだろう」
「……ありがとうございます」
「気にしなくていい。突然の婚姻で何かと外野がうるさいだろうからな。良好な様子を見せないといけない」
「そうですね」
不仲より良好な様子を見せた方がいいに決まっているのでここは協力すべきだろう。そう思いながら頷く。
「マダム・フェリスには連絡を入れたから明日の午前に採寸でやってくるだろう。時間を空けといてくれ」
「分かりました」
明日のスケジュールを思い浮かべながら返事する。
それにしても、さすが公爵家というべきか。社交界に影響力を持つ一流デザイナーを呼ぶなんて。
明日の午前には来るというがどれくらい時間がかかるのだろうと思いながら夕食を摂るためにシルヴェスター様と一緒に歩いた。
***
シルヴェスター様から聞いた翌日からは忙しかった。
採寸にドレスの形をサマンサやエストと相談しながら決めてからはロバートに渡された参加者リストを暗記する日々を送る。
参加者リストはただ暗記するだけではない。その人物と関係のある貴族や人も把握する必要がある。
私の場合は同性の夫人や令嬢がその対象だ。もちろん、大臣や大貴族の名前と顔は一致していないといけないが女性である私は同性の方をより覚えないといけない。
社交界は男性だけで成り立つわけではない。影響力のある夫人たちの趣味や好みを把握して友好的な関係を築く必要がある。
そして限られた時間の中でどうにか覚えて迎えた夜会当日。
「さぁ、奥様。ドレスを着ましょうか」
「ええ」
前日に届けられた青いドレスを見る。
シルヴェスター様の瞳の色である深い青いドレスは光沢もあって遠目からでも近くから見ても美しく見える。
生地も最高級のシルクを使用していて、触り心地もよく、一目で一級品だと窺える。
肌の露出を抑えるように希望したドレスは袖を通すとぴったりでよく短期間で作ったと思う。
そしてサマンサが慣れた手つきでメイクを、エストが髪を結っていく。
「できましたよ、奥様」
「ありがとう」
着替えが終わり二人に礼を言って鏡を見る。
深い、青いドレスを着た自分はいつもより大人っぽく見える。
「よく似合っています、奥様」
「本当? おかしくない?」
「はい、大変よくお似合いです」
「お美しいです、どうか自信を持ってください」
サマンサが初めに発して続いてエストが褒めてくれる。二人に言われると安心する。
「ではネックレスを着けましょう。こちらです」
そう言ってサマンサが取り出したのは大きなアメジストのネックレスで、シャンデリアの光に反射して輝く美しさに息を零す。
「きれい……」
「旦那様からのプレゼントです。失礼いたします」
サマンサがアメジストのネックレスを手に取ってそっと私の首につけてくれる。
鏡に映るアメジストのネックレスは青いドレスとよく似合っている。
「……シルヴェスター様にお礼を言わないとね」
この短期間で用意してくれたのだ。お礼を言わないと失礼だ。
「シルヴェスター様は?」
「旦那様は先ほどご準備が終わったとレナルドから連絡が来ました」
サマンサがシルヴェスター様について教えてくれる。どうやら既に準備が終わったらしい。なら私も向かおう。
「それじゃあ行ってくるわね」
「はい。あまり緊張なさらずに楽しんでくださいませ」
「ありがとう」
サマンサの言葉に返事をすると、エストを連れてエントランスホールへと向かう。
エントランスホールにはシルヴェスター様にレナルドとロバートがいて声をかける。
「シルヴェスター様」
「アリシア」
名前を呼ぶとシルヴェスター様がこちらへと目を向ける。
落ち着いた黒に近い紺碧の正装を纏い、装飾具は私のネックレスと同じアメジストのカフスボタンを使用している。
端整な顔立ちだからかよく似合っているなと思う。なんだろう、まるで人じゃなくて芸術品のようで感嘆の声が零れそうになる。
しかし、それはいけないので何もないようにお礼を伝える。
「ドレスとネックレス、ありがとうございます」
「気にしなくていい。似合っている」
「ありがとうございます」
「では行こうか」
「はい」
淡々とやり取りをしてシルヴェスター様に手を重ねる。
馬車は公爵家らしく大きく、シルヴェスター様に手を引かれながら進んでいく。
「…………」
これから公爵夫人として初の夜会に参加するからか、緊張する。
覚えないといけないものは覚えた。家名・派閥・当主に夫人たちの趣味に好みも全て頭に叩き込んだ。
それでも緊張するのは、私の行動が一挙手一投足と注目されるからだろうか。
ぎゅっとシルヴェスター様と手を重ねていない方の手を握り締めてそっと息を吐いて気持ちを落ち着かせる。
「緊張するか?」
「!」
突然の指摘に肩を揺らしてシルヴェスター様を見上げる。
見上げると深海のような青い瞳がまっすぐと私を見つめていて、言葉に詰まる。
「肩に力が入っている。大丈夫か?」
「……申し訳ございません。少し、緊張していたようです」
ようやく出た声で返すも目線は下を向いてしまう。……気付かれていたなんて。
迷惑かけたくないのに、迷惑をかけてしまい嫌になる。
「奥様……」
「大丈夫よ。王宮に着くまでに落ち着かせるから。すみません、立ち止まらせてしまって」
エストの心配するような声が後ろからして振り向いて微笑む。エストやシルヴェスター様たちに心配かけさせるわけにはいかない。
そう思いながら再び歩こうとすると後ろから呼び止められる。
「──アリシア様、僭越ながら一つよろしいでしょうか?」
「レナルド?」
呼び止めるレナルドに小さく首を傾げるといつも通りのにこやかな笑みを浮かべて話し出す。
「どうか気を抜いてください。今日はランドベル公爵夫妻の顔見せですから。うるさい人は右から左へスルーしたらいいですよ」
「……えっと」
そしてにこやかな笑みのままレナルドがそう助言する。いや、それはどうだろうと考える。
困惑する私を助けるようにエストがぎろりとレナルドを睨み付ける。
「レナルド、奥様を困らせないでください。奥様、この者の言葉を無視してください。気を張りつめ過ぎずに微笑んでいたらよろしいかと」
「そうですよ。シルヴェスター様の隣で微笑んでいたら大丈夫ですから」
「貴方は黙ってください。先ほどからなんですか? 以前から思っていましたが奥様を名前で呼んで無礼ですよ」
「あははは。婚約中の頃からそう呼んでいたのでつい」
「つい、ではありません。そもそも、貴方という人は──」
そして突然の事態にぽかんとする。普段、エストはここまで饒舌でなければ感情を顔に出さない。
それが今は饒舌にレナルドに毒を吐いて噛みついている。表情も無表情じゃなくて不愉快を顔にはっきりと出している。
一方のレナルドはレナルドでエストから毒を吐かれているのにニコニコとしていて目を丸めてしまう。
レナルドはシルヴェスター様の従者だから今までも顔を合わせていたけど、こんな光景は初めてだ。
「ふ、二人共……」
「ほっといていい。いつものことだからな」
「そうなのですか?」
止めようかと思っていたらシルヴェスター様にそう言われたてまた目を丸める。これがいつもの光景?
「公爵家では見慣れた光景だ。レナルドから仕掛けてエストがそれに応酬する。何、そのうち慣れるさ」
慣れるって。それじゃあ私が知らないところでもこの二人はずっとこんなことを……。
「それでどうだ? 落ち着いたか?」
「え? あ……」
未だ困惑しているとシルヴェスター様に指摘されて緊張が消えていることに気付く。どうやら二人のやり取りに驚いているうちに緊張が消えたみたいだ。
「……もう大丈夫なようです」
「そうか。なら二人には感謝しないとな」
エストを見ると未だに不機嫌に何やら言い募っていて、対するレナルドは変わらず対応している。……もしかしてレナルドは私の気持ちを紛らわせようとしてくれたのかもしれない。
察しが早いレナルドのことだ。十分あり得るし、あのにこやかな笑みがだんだんそう見えてくる。
「さて、行くか」
「は、はい」
私たちが歩き始めるとエストとレナルドが瞬時に口を閉じて見送るために馬車の前までついてくる。
馬車に乗り込むと、ふと伝えたくなり、窓を開ける。
「エスト」
「奥様?」
いつもの無表情が消えて黄緑色の瞳が私を見つめる。
間もなく馬車が出発する。だから急いで伝える。
「さっきはありがとう。行ってくるわ」
「──はい、奥様」
微笑みながら感謝を伝えるとエストも口角を上げて微笑んで返してくれる。
そして、次にレナルドに視線を向ける。
「レナルドもありがとう。あとね、今更だからアリシアのままでいいわ。気にしないから」
「ではこれからもアリシア様と呼ばせていただきます。いってらっしゃいませ」
「ええ。ロバートも行ってきます」
「はい、いってらっしゃいませ」
三人に挨拶をして窓を閉めると馬車が動き出して王宮のある方向へ進んでいく。
そして移り変わる景色を静かに眺めていると、静寂な空間をシルヴェスター様が破る。
「──アリシア」
「はい」
シルヴェスター様の呼びかけに反応して目を向けると深い、深海のような青い瞳とぶつかる。
「レナルドの言う通り、アリシアは隣で微笑んでいたらいい。この夜会は私たちの婚姻を知らしめる目的だ。何か面倒なこと言われたら私が対処する」
「……ありがとうございます」
シルヴェスター様が改めて伝える。できるだけ自分で対処したいけど、そう言ってくれると安心だ。
「堂々と構えていたらいい。──誰がなんと言おうと君が公爵夫人だ」
「シルヴェスター様……」
まっすぐと目を見て宣言され、ふっと心が軽くなる。
……どうしてだろう。エストやレナルドにも励ましてもらったのに。
シルヴェスター様に言われてひどく安心するのは、彼が公爵家の当主だからだろうか。
「……はい」
聞こえるようにはっきりと返事する。そうだ、堂々と前を向いて微笑まないと。
狼狽えてはいけない。──この夜会には、きっと彼女も参加しているから。
「シルヴェスター様」
「どうした?」
名前を呼ぶと美しい青い瞳が私を捉える。
政略結婚とはいえ、シルヴェスター様の隣に立つのだ。侮られてはいけない。
「改善する必要がある点はあとではっきりと言ってください。今後の改善点として理解しておきたいので」
「──ああ、分かった」
「お願いしますね」
そして微笑んで王宮へと向かった。




