7.公爵家の歴史
初めは実家と違って広大な公爵邸に驚かされたけど、過ごしていくうちに少しずつ馴染んできた。
シルヴェスター様は約束通り朝食と夕食を共に摂ってくれていて、夕食はあまり多くないけど会話もしたりしている。
主に公爵邸の生活に慣れたか、困ったことはないか、結婚祝いの手紙の返信ありがとう、などが多いけど気にかけてくれているのは確かだ。
侍女のラウラを始めとした使用人たちとも回廊ですれ違うと挨拶して良好な関係を築いている。
特にエストは私専属侍女ということで共にいる時間が長いからか結構打ち解けてきたと思う。微笑む姿をよく見るようになった。
エストは無表情に見えるけど実は顔に出にくいだけで仕事は丁寧で後輩の面倒見もよいというのは過ごして分かった。
「いってらっしゃいませ」
「ああ、行ってくる」
シルヴェスター様を見送った後、屋敷に戻ってロバートに話しかける。
「ロバート、それじゃあ授業いいかしら」
「はい、もちろんです。ではお待ちください。すぐに参ります」
「お願いね」
エストから受け取ったノートとペンを持って移動する。
向かうは公爵邸にある部屋の一つの勉強部屋だ。
入室して授業まで時間が少しあったので持ってきた本を捲りながらゆっくりとした姿勢で待機する。
そうして過ごしているとコンコンコンコン、とノックする音が響いた。
「はい」
「奥様、お待たせしました」
「待っていないから気にしないで」
入室してきたロバートにそう返して向かい合ってと互いに一礼する。
「今日もよろしくお願いします」
「はい。では授業を始めましょう」
一週間も経過したら結婚祝いの手紙と贈り物は落ち着いてきたので、次に公爵家の歴史について学ぶことにした。
政略結婚であれ、公爵家に嫁いだからには公爵家について学ばなければならない。
知らないと自分が恥をかくことになるし、それだけではなく公爵家にも迷惑をかけることになるのでしっかりと勉強する必要がある。
そしてロバートに相談すると教えてくれると言ってくれたので二日に一度、時間をいただき教えを乞いている。
「では奥様。前回教えたことについて教えてください。ランドベル公爵家はいつできましたか?」
「ウェステリア王国建国時と同時にできたわ。初代ランドベル公爵ブライト・フォン・ランドベルが初代ウェステリア国王ハーノル・フォン・ウェステリアの友人で王国建国に尽力したことで爵位を賜ったのよね?」
「その通りです。では、初代公爵様の主な政策は?」
「近隣諸国との交流と同盟と当時、大アルベル帝国が一番学問が進んでいるということで使節団を派遣したことね。目的は学問だけではなく文化交流も含まれていて、使節団にはブライト・フォン・ランドベルの三男のイーヴェル・フォン・ランドベルもいたわ。あと、晩年は絹織物に関する通商条約を締結しているわよね」
「はい、その通りです」
ロバートから正解だと言われてほっとする。ちゃんと勉強しておいてよかった。
王国の歴史は学院で学ぶけど、公爵家がどのような政策を行っていたかなんて事細かく説明されない。
そんなところを習うのがこの講義だ。
ロバートの家も代々ランドベル公爵家に仕える使用人一族のため、公爵家の歴史に詳しく細かく教えてくれる。
「ランドベル公爵家は代々外交を担う家です。官僚や軍人なども輩出していますが、一番多いのは外交官で、過去には何人も外務大臣も輩出しております」
ロバートが教えてくれる公爵家の特徴・歴史をノートに書いていく。
ロバートが丁寧に公爵家の歴史や行った政策を教えてくれるから分かりやすく、すんなりと頭に入ってくる。
「外交官、外務大臣を輩出してきたランドベル公爵家ですが、特に大きな功績はウェステリア王国暦八十二年のアウル戦線の──」
そして新しく教えてくれる内容を私も丁寧にノートに書き込んだのだった。
***
「では、本日はここまでとしましょう」
「ありがとう、ロバート」
時間が来たためノートとペンを片付ける。
「奥様は理解が早いですね」
「ロバートのおかげよ。私のペースに合わせて教えてくれているおかげね」
「いえいえ。失礼ながらも旦那様の弟……リカルド様は勉強が苦手でしたので大変でした」
「そうなの?」
「はい。本など苦手で勉強より体を動かす方が好きな方でして」
「へぇ、そうなのね」
ロバートが話すリカルドという青年は、シルヴェスター様の弟の名前だ。
結婚式にも参列していたのを思い出す。
シルヴェスター様に紹介されて挨拶したけど、シルヴェスター様とはあまり似ていないなと思った。
「そうだ。ロバート、覚えておいた方がいい言語ってある?」
「どうかしましたか?」
私の突然の問いかけにロバートが少し不思議そうに尋ね返してくるので理由を答える。
「シルヴェスター様から夜会は好きにしていいけど外交パーティーには参加してもらうって言われていて。外交パーティーでよく使う言語って何かなって。時間もあるし、語学の勉強もしようと思ってこれから図書室に行くつもりなの」
「なるほど」
ロバートが顎に手を置いて考える仕草をする。
外交パーティーは他国の王族や使者、外交官が来るため複数の言語を使いこなす必要がある。すぐには外交パーティーはないけど時間があるうちに勉強して覚えないと自分が恥をかくし、シルヴェスター様に迷惑かける。
学院でも語学の勉強は好きで得意だったため、時間に余裕があれば日常生活レベルまで使えるようになると思うのでぜひ勉強したい。
「そうですね。奥様は何語を使えますか?」
「周辺諸国の言語なら大体使えるわ。ルナン語にソヴュール語に帝国語ね。どれも日常レベルで使用できるわ」
「ルナン語にソヴュール語に帝国語ですか。ならメデェイン語も覚えた方がいいでしょう。メデェイン王国は同盟国ですから優先的に覚えてください。図書室にメデェイン王国に関する文化と言語、歴史の本がありますので管理人に尋ねるといいでしょう」
「メデェイン語ね。分かったわ」
ロバートの助言に頷く。まずは言語と文化に関する本を図書室から借りようと考える。
「しかし、ルナン語も使えるのですね。彼の国とは貿易していますが距離があって言語は独特の発音で難しいのに」
感心した物言いでロバートが呟く。その発言に口許を緩める。
「父方の曾祖母がルナン公国出身なの。私が小さい頃に亡くなったけど、幼い頃はひいおばあ様にルナン公国の言語と街並みや文化を教えてもらっていたのよ」
「なんと。そうなのですか?」
どうやら知らなかったらしい。まぁ、曾祖母だから仕方ないかもしれないけど。
「ええ、私が語学を好きになったのもひいおばあ様の影響なの。単語を覚えて話せたら褒めてくれて嬉しくて。ひいおばあ様の話から外国に興味持ったの」
まさか公爵家でひいおばあ様の話に公国の話をする機会があるとは思わなくて嬉しくて笑って話してしまう。
ひいおばあ様が公国から嫁ぐ際に持ってきたという書物や公国に伝わる音楽はウェステリア王国と異なり、将来は公国に行ってみたいと思っていたくらいだ。
そのひいおばあ様もベルンが生まれる前に亡くなったけど、私が語学好きになったきっかけを与えてくれた人だ。
「そうだったのですね」
「そうなの。だから学院ではよく語学の講義を受講しててね。……戦争がなければ旅行に行って観光したかったわ」
「奥様……」
ロバートの元気のない声が聞こえて苦笑する。
色んな地域に旅行に行ってその国の文化や歴史、街並みを目に収めたかったという気持ちもあるけど……本音を言うと、外交官になりたかった。
女性外交官は少ないものの存在し、外交官になるには帝国語と他の外国語を使いこなすことが条件だったから学院では帝国語とソヴュール語を学習していた。
世界に興味があったから、将来は外交官になって世界中を飛び回りたいと思っていたけど、それは戦争によって壊された。
戦争になって父が世界中を飛び回り、時には「人質」になる外交官になるのを反対したからだ。
「…………」
ぼぅっとノートの表紙を見つめる。
戦争は多くの人の人生を変える。それは学院という安全地帯にいても実感した。
変わる戦況、教師の話、父の話、グロチェスター王国側に領地を賜っている同級生の様子から、新聞の記事から戦争の被害を知った。
だからこそ、早く国が安定してほしいと心から願う。
「長話ごめんなさい。それじゃあ図書室に行ってくるわ」
「はい、いってらっしゃいませ」
「ええ」
明るく笑って勉強部屋から出ると、一度部屋に戻ってノートなどを置いてエストを連れて図書室に向かう。
ロバートに案内されてから早速来たけど、改めて見ると図書室にはたくさんの本が保管されていて思わず声が出る。
「改めて見るとやっぱりすごいわね」
「公爵家の自慢の一つなんです。歴代の当主の中にはここを憩いの場にしていた人もいたようです」
「ふふ、確かに本好きならここは憩いの場ね」
かつて本好きの当主が国内や他国の本を収集した図書室には様々なジャンルの本があり、珍しい本がずらりと並んでいる。
その中から語学や外国文化が並ぶ本棚を探して目的の本を探す。
「えっと……あ、あった。メデェイン語の本はこれね」
手が届く場所は自分で、高いところはエストに脚立で登って取ってもらう。
「とりあえず、今日はこれくらいでいいかな」
数冊手に取って呟く。あまりたくさん借りて読むと大変だ。中には分厚めの本があるからこれくらいでいい。
自主学習に必要な本を取るとエストと共に図書室から出る。
「勉強するのはいいのですが無理はしないでくださいね。まだ来たばかりなので焦る必要はないのですから」
「ありがとう。でも大丈夫よ。勉強は好きな方だから」
新しい知識を身に付けるのは自分のためになる。積極的になるのは当然だ。少しずつ勉強しようと思う。
「奥様は本がお好きですか?」
「そうね。色々な本を読むのが好きで幼い頃は伯爵家の図書室に入り浸ってたわ」
趣味の一つが読書の私は嫁ぐ際にもお気に入りの図鑑や恋愛小説を持ってきて、それらの本は自分の部屋に置いている。
ラウラを始めとした仲良くなった若い侍女から教えてもらった新しい恋愛小説も部屋にあるので夕食後にでも読もうと考える。
「それよりエスト、重くない?」
「問題ありません。奥様こそ大丈夫ですか?」
「平気よ、私が借りた本なのにエストに全部持たせられないわ」
借りた本をエストが全部持つと言ったけど半分は私が持って図書室を出る。エストが全部運べる言っても私が借りた本なので自分も半分運ぶと言って聞かせた。
そして部屋に戻るとエストが淹れてくれたお茶を飲みながら本を開いた。
***
「ただいま」
「おかえりなさいませ」
シルヴェスター様の帰宅の知らせを聞いて下りて挨拶を交わす。
先日のやり取り以来、シルヴェスター様が帰宅する時は出迎えるようにしている。
「アリシア、これを」
外套を脱いだシルヴェスター様から一通の手紙を渡されて目を丸める。
「これは?」
「招待状だ」
受け取った手紙の封蝋の紋章を確認し、目を見開く。
金色の獅子に王冠、そして剣が記された紋章。それは、王家だけが使用できる紋章。
「陛下から直接渡された。──王家から夜会の招待状だ」
驚く私にシルヴェスター様が静かにそう告げた。