6.夫の人柄
「これで本日の分は最後ね」
「はい、お疲れ様です」
本日最後の結婚祝いの返信を終えて体を伸ばす。
手首は少し痛いけど、無事本日の分が終わって安心した。
届いた贈り物はエストたち侍女のみんなが片付けてくれ、エストが返信用の手紙をロバートに届けに手紙をまとめるのを眺める。
「奥様、夕食までまだお時間がありますが軽食でもお持ちしましょうか?」
「軽食?」
提案され、時計を見ると昼食から結構時間が経っていることに気付く。集中していて気付かなかった。
提案してくれるけどここはお茶だけで十分だと考えて首を振る。
「ううん、平気。お茶だけでいいわ」
「分かりました。では手紙を渡した後にお茶を淹れてきます」
「ええ。私は部屋に戻るから部屋に持ってきてくれる?」
「かしこまりました」
エストに他の侍女も消えたのを確認してペンを片付けて部屋に戻ってソファーに座る。ふわふわのソファーは柔らかくて気持ちがいい。
「それにしても多かったな……」
贈り物は予想より多く、手紙が大量で大変だった。
これがあと二日間続くと思うと少し憂鬱だ。
しかし、憂鬱だけど分かっていたことだ。放置しても量は減らないのだから早急に返信した方が賢明だ。
柔らかいソファーに凭れながら疲れた手首を軽く揉んでいると、ロバートに渡し終えてお茶を淹れたエストがドアをノックする。
「奥様、お茶をお淹れしました」
「入って」
姿勢を正して入室するように伝えるとティーカートを押しながらエストが静かに入室してくる。
そして素早くカップにお茶を淹れると私の前に差し出す。
「おいしい……」
「それはよかったです」
一口飲んでほぅっと息を吐く。
仕事の後だからか、とてもおいしく感じる。もちろん、エストの腕がいいのと公爵家のお茶というのもあるだろうけど、疲れが少しだけ消えて楽になる。
「エストはお茶を淹れるのが上手ね。ありがとう」
「勿体ないお言葉です」
お礼を言うと淡々と言葉を返すも表情と雰囲気は柔らかくなって喜んでいるのが窺える。
そして瞼を閉じて風味と匂いを味わいながらお茶を楽しんだ。
***
そうして三十分ほど過ごしていると再びノックする音が聞こえた。
「はい」
「お、奥様、ラウラです」
ラウラ。確か侍女の一人だったなと思い出して返事する。
「どうぞ。入って」
「し、失礼します!」
緊張しているのか見ていて微笑ましくなる。
ラウラは私より年下の十六歳で二年前から公爵家で侍女をしていると聞いている。
「どうしたの?」
カップを置いてラウラに問いかけて話を聞く姿勢に入る。
「はい。そ、その。旦那様がお帰りになりました!」
「シルヴェスター様が?」
ラウラに言われて窓に目を向けると外は薄暗くなっていた。意外と早い。もっと遅い時間に帰ってくると思っていたのに。
「普段はもっと遅いんですよ。私、早くてびっくりしちゃいました!」
「ラウラ、奥様の前よ。静かにしなさい」
「はっ……! す、すみません……!!」
「ふふ、別にいいわよ」
嬉しそうにはしゃぐラウラにエストが注意するが別に気にしない。
しかし、私の考え通り普段はもっと遅いようだ。
多分、帰りが早いのは私が食事は一緒に摂りたいと言ったからだと思う。
問題は出迎えていいかだ。迷惑にならないだろうか。
だけど家主に挨拶しないのもどうかと考える。
「…………」
「奥様?」
「ラウラ、静かに」
エストがラウラに注意する。
少し迷うも今日は初日だ。様子を窺うためにも出迎えてみよう。
それでもし迷惑そうなら明日からやめたらいいだけの話だ。
「ありがとう、ラウラ。エスト、出迎えに行くわ」
「かしこまりました」
ラウラにお礼を言い、エストを連れてエントランスホールへ向かう。
エントランスホールには既にロバートとサマンサが出迎えていて、シルヴェスター様の後ろにレナルドが控えていた。
よく見てみるとシルヴェスター様とロバートが話している。どうやら仕事の話をしているらしい。
どうしようか、と考えていたらこちらに気付いたレナルドが声を上げた。
「アリシア様」
その瞬間、全員の視線がこちらへ向かう。……視線が集まって気まずい。
だけどそれを顔には出さずに階段から下りて出迎える。
「連絡を受けて下りてきました。おかえりなさいませ」
「ああ、出迎えてくれたのか」
「はい」
シルヴェスター様に挨拶して問いに答える。相変わらずの無表情だ。
「そうか。出迎えはいらないから不要だ」
「……分かりました。では、私はこれで失礼します」
即座に出迎えはいらないという言葉に少し遅れて返事を返して礼をしてそっと立ち去る。
立ち去ると仕事の続きだろうか、後ろからシルヴェスター様の声が聞こえてきて、歩きながら先ほど言われた言葉を思い出す。
『出迎えはいらない』
「…………」
どうやら出迎えは必要ないらしい。よし、なら明日からは自由にしよう。
悲しくないか?と聞かれたら全くだ。この程度で悲しむ私ではない。
シルヴェスター様は忙しい方だし、なんなら結婚式だった日も仕事をする仕事人間だった。ならすぐ仕事できるように邪魔しない方がいいだろう。
歩きながら夕食の時間までそれまでどう過ごそうか考える。
「読書でもしようかしら」
「……奥さ──」
「アリシア様!」
「……レナルド?」
夕食までどうしようかと考えていたらレナルドに大声で呼ばれて振り返る。
その顔は穏やかな表情ではなく、なぜか焦った表情を浮かべていて不思議に思う。一体、どうしたのだろう。
「どうしたの?」
「先ほどのシルヴェスター様の発言についてお話ししたくて。どうか、誤解しないでください」
「……誤解?」
「はい」
誤解。別に誤解はしていないと思うけど話を聞いてみないと分からないため、レナルドの次の言葉を待つ。
「先ほどのシルヴェスター様の発言ですが……あれは決して出迎えるなという意味ではありません。アリシア様も帰宅時間に予定や出迎えができない時があるだろうから無理をしなくてよい、という意味でおっしゃったのです」
「……ええっと?」
突然のレナルドの言い分に戸惑う。……つまり、先ほどのあの発言は私のことを考えて言ったと?
困惑している私を見てレナルドが苦笑する。
「戸惑う気持ちは分かります。シルヴェスター様は少々簡潔に話すところがありますからね。ですが、先ほどの発言は決して拒絶しているわけではなくアリシア様のことを考えた上の発言だとご理解いただければと存じます」
レナルドが懇切丁寧に説明してくれる。どうやら私を気にしてくれているようだ。実際はこの通り平気だけど。
しかし、必死に説明するレナルドに安心してもらうため平気だという意味を込めて笑う。
「ふふ、大丈夫よ。シルヴェスター様が私に気を遣ってくれているのは知っているから」
実際、シルヴェスター様は気遣ってくれていると思う。
私が公爵家での生活に早く馴染めるようにと調度品に庭園も好きにしていいと言ってくれ、気にかけてくれている。
政略結婚と分かって結婚しているので愛されないからって悲しまない。私はそんな柔ではない。
「でも、ありがとう。気にしてくれて」
目を細めて小さく笑う。
シルヴェスター様を始め、ここの人たちは優しい人が多いと思う。
私が誤解していないと感じ取ったのか、レナルドがほっとした表情をしていつもの穏やかな笑みを見せる。
「いいえ……。……こちらこそ、突然のお引き留め、申し訳ございません」
「いいのよ。それじゃあね」
レナルドと別れて自室へと向かう途中にエストに話しかける。
「ねぇ、エスト。もしかしてエストも同じことを言おうとしたの?」
「……はい。旦那様の発言はレナルドの言った通りなので」
「屋敷のみんなは分かるのね。じゃあ私も勉強しないとね」
気にしなかったけど、誤解が起きないように理解した方が良さそうだと思いながら廊下を歩く。
部屋へ戻ると実家から持ってきた小説を読んで夕食まで時間を過ごすと、侍女から夕食ができたと伝えられ、食堂へ向かう。
食堂へ行くと既にシルヴェスター様が座っていて目が合ったため、会釈する。
食事の挨拶をして運ばれてくる食事をゆっくりと食べていく。朝食も昼食もおいしかったけど、やっぱり夕食もおいしいなと思いながら味わっていく。
「……アリシア」
「はい、なんでしょう」
あ、これ好きな味だ。おいしいな、と思っていたらシルヴェスター様に声をかけられて食事を中断する。
向かいにいるシルヴェスター様が気まずそうに私を見る。
「……すまない。言葉足らずだったが、先ほどの出迎えなくていいは無理にという意味だ。来るなと意味ではない」
驚いてシルヴェスター様を見る。どうやらこちらも誤解を解いておこうとしているらしい。
ふと、使用人の方を見るとサマンサが鋭い目でシルヴェスター様を見ている。恐らくサマンサが何か言ったのだろう。
とりあえず、こちらも返事するべきだ。
「分かっています。お気遣い、ありがとうございます」
「いや、いい。こちらこそ言葉足らずで悪かった」
「いいえ」
別に使用人に咎められたからって素直に謝る必要はないのに謝ってきてシルヴェスター様は使用人の言葉にしっかりと耳を傾いて真面目な人だと思う。
生活を通じて、少しずつシルヴェスター様の人柄が分かってくる。
そして謝罪を受け入れると、屋敷の案内を受けたか、今日は何していたのかと会話をしながら初めて一緒に夕食を摂った。