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政略結婚から始まる公爵夫人  作者: 水瀬
第2章 外交と王族

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幕間3.内憂外患

 同時刻、ヒューバートがポツリと呟いた。


「惜しいな」


 小さく零したヒューバートに、シルヴェスターとラウレンツが目を向ける。


「それってアリシアちゃんのことですかー?」

「ああ」


 ラウレンツの問いに短く答えると、ヒューバートが柔らかそうな一人用のソファーに背中を凭れて姿勢を崩す。


「さすがは宰相補佐官の娘というべきか。十八という年の割には落ち着いていて複数の言語を使いこなして政治にも明るい。学院時代の成績も優秀だったし、女性外交官になったら十分活躍できただろうな」

「……そうですね」


 ヒューバートの語る内容にシルヴェスターがゆっくりと肯定する。


 アリシアが政治に明るいのはこれまで彼女と政治に関する内容を話して分かっている。

 冷静に現在の政治状況を正確に理解し、自身の立場も正確に把握していてヒューバートの言う通り、年齢の割には大人びていると思う。

 同時に語学にも堪能で主君の言う通り、女性外交官になっていたら活躍していたはずだ。


(外交官を目指していたくらいだ。得意分野だったのだろうな)


 嫁いでから学習し始めたメデェイン語も流暢に使いこなし、初めての外交パーティーでも相手に緊張を悟らせずに夫人たちと会話を繰り広げて親交を深めていて、肝も据わっていると思う。


「確かに外交官になっていたら活躍していたことでしょうね」

「そうだな。ああ、そう思うと余計惜しく感じるな。才女なのに勿体ない」

「評価高いですねぇ」

「俺は優秀な奴は誰でも好きだぞ。活躍するのに男や女は関係ないからな」

「そぉうへすねぇ(そうですね)。へいかぁはじつひょくしゅぎへすからねぇ(陛下は実力主義ですからねぇ)」

「ラウレンツ、食べるか話すかどちらかにしろ」

「ちぇっ」


 茶菓子を食べながら話すもう一人の幼馴染にシルヴェスターが呆れの表情を見せながら注意する。


「彼女以外にもそんな人間が他にもいると勿体ないな。……それもこれもグロチェスター王のせいで」

「…………」


 後半の部分を侮蔑の感情を乗せて呟くヒューバートを無言で観察する。

 長年の付き合いの主君の黄金の瞳には苛立ちや侮蔑、怒りなど様々な感情が入り混じっているのが読み取れる。


「まったく、戦争は多くの人々の未来を狂わせるな」

「ほんとですね」

「……おっしゃる通りです」


 吐き捨てるように告げるヒューバートにラウレンツと共に頷く。


 突如侵攻して始まったグロチェスター王国との戦争はウェステリア王国に多くの損害を生み出した。

 グロチェスター王国に面する領土の一部は焦土化し、田畑は荒れて国内の農産物の生産量は低下して物価が上昇して様々な変化が生じた。

 その中でも最も大きな損害を受けたのは国境を守っていた西の辺境伯領と西方軍で、突然の侵攻で多くの人命が失った。


「特に被害の大きかった辺境伯領を始めとした地域の復興速度が芳しくない。早く復興しなければならないと言うのに」

「グロチェスター側は未だに拒否を?」

「そうだな。まぁ、終盤はあっちが劣勢になっていたからな。和平を結べば負けとなって多額の賠償金が発生するからな。こちらとしては早く降伏してほしいんだが」


 溜め息を吐くヒューバートの表情から苛立ちが募っているのが見て取れる。


(本当に、戦争は色んな人間に大きな影響を与える)


 戦争が起きなければ西部に住む人々は命を落とすことはなく、農産物が不安定になることはなかっただろう。

 そして、現在発生している政争も起きなかったはずだ。

 事の発端は戦争を終結させたい国王派と戦争を続行して鉱山を手にしたい継戦派が対立したことで発生したのだから。


(それこそ、アリシアも外交官の夢を諦めることはなかっただろうに)


 心の中で呟きながら紫色の瞳が印象的な妻を思い出す。

 アリシアは外交官になりたくて目指していたが、戦争によって彼女の身を案じた父親が反対し、父親の地位とその語学力を買われてこうして自分と縁が繋がった。

 平和だったら、きっと夢の外交官になって世界中を飛び回って活躍していたことだろう。


(……それが、たった一人の人間のせいで何千、何万人の人生が変わろうとは)


 この場合は突如戦争を仕掛けてきたグロチェスター王だ。の王が戦争を仕掛けてこなければ今も西部の領土は荒れることなく領主に領民、軍人に兵士は生きて平穏な一日を過ごしていたはずなのだから。

 たった一人のせいで両国の人間の多くが亡くなり、土地は荒れて複雑な気持ちとなる。


「ここ二年は特に慌ただしかったな。若造だからと見くびってくる奴はいるし、我が身かわいさに国を裏切った貴族を処罰する必要があるし、国内の安定を図ろうとすれば継戦派が生まれて戦争続行を叫ぶとやらと、うんざりだ」

「だからと言って敵を増やすのは得策ではありません」

「ビエルドのことか? はっ、そんなの二年前の例の処罰よりかはかわいいものだろう?」

「それはそうですが」


 指摘するもあっけらかんとした返事を返すヒューバートに、シルヴェスターは溜め息を抑えて代わりにこめかみを抑える。


 二年前、ヒューバートの父親である先代国王が崩御した直後、即位の準備で慌ただしくなりグロチェスター王国のさらなる侵攻を警戒していたがグロチェスター王国側も一部の地域で反乱などが起きて戦争は膠着状態となった。

 その間に即位したヒューバートが最初に行ったのは戦場になった地域への支援と我が身かわいさにグロチェスター王国へ寝返った貴族への処罰だ。


 寝返った数家は早期に降伏するだけではなく、グロチェスター軍に積極的に衣食住や武器を提供したこともあり、領地と爵位剥奪のみならず国を裏切った罪人として刑を科された。

 そして、没収した土地を領地経営できる親戚筋や功労者に褒賞として譲って爵位を与えた。


(国にあだを成す裏切り者を処罰し、後任者に恩を与えて、裏切らないように仕向ける。……見た目と違い、冷酷な判断する方だ)


 主君は社交的で頭の回転も速い。生来の明るさから好意的に見る人が多いが、国に仇を成す人間にはどこまでも冷酷になれる人だ。

 二年前の処遇もそうだ。裏切り者を消すと同時に褒賞を与え、功労者には忠誠心を持たせた。

 そして親戚筋には裏切ったら例の当主のように爵位剥奪だけではなく罪人として裁かれると匂わせて早々に国王派へと引き込んだその手腕はさすがと言えるべきだろう。


「まぁ、多少強引に決めた気持ちはあるがあのまま継戦派に資金源を与える気にはなれなかったしな。──なんたって、敵は継戦派だけではないんだ」

「……おっしゃりたいことは分かります」


 主君の言い分に少し間を空けながら応答する。

 言いたいことは分かる。戦争継続を唱えるのは貴族だけではなく、平民の中にもいるからだ。


(しかもそれを発しているのが、グロチェスター王国との戦況を大きくひっくり返した平民出身の英雄だから厄介だ)


 貴族のように財力は持たずとも、奪われた土地を奪還した彼らは主に侵略された土地に住んでいた平民たちからの支持が厚く、潰すのが難しい。

 国を運営するのは王族や貴族だが国の成立を維持するには平民の力は必要不可欠だ。簡単に例の平民出身の英雄を処罰したらどうなることやら。

 

(幸いなのは、平民の彼らが継戦派と敵対していることだろうな)


 戦争続行を唱えているが彼らは平民を数字として見ている継戦派貴族を嫌っている。だからこそ、両者が手を結ぶことはないのが救いだろうか。

 混沌とした国内を治める主君の立場を考えると頭が痛い内容だろうと考える。

 幼馴染である主君とは物心がつく前から仕える存在として共に過ごして育ったが、国と民を思う気持ちを持つと同時に微笑みながら冷酷な指示をすることができる面を有する。

 

(だが、それがなければ継戦派と渡り合えないのも事実だ)


 優しさだけでは国を守ることもできない。だからその面を否定しようとは思わない。

 継戦派とヒューバートの関係は良好とは言えない。継戦派は操り人形にならないヒューバートを厄介だと思っていて、ヒューバートの方はというと操り人形にしようとする継戦派を疎ましく思っている。


「継戦派筆頭であるオルデアの力を失墜できたらいいんだが如何せん。隙がないから困りものだ」

「……無闇矢鱈に名を発するのはやめた方がいいですよ」

「お前たちの前だからに決まってるだろう? 俺はお前たちを信頼しているんだ」

「それは嬉しいですねぇ」

「……はぁ」


 忠告するも逆にそう返され、今度こそ溜め息を吐く。

 溜め息を吐くとその隣からもう一人の幼馴染から「幸せが逃げるぞー?」と指摘されるも無視を決め込む。


「俺が古狸たちと対立できるのは二人がいるからだ。──だから期待しているぞ?」


 ヒューバートが勝気な黄金の瞳でシルヴェスターとラウレンツを見てニヤリと不敵に笑う。

 幼い頃から見る不敵な笑みに自身は臣下の礼を取り、ラウレンツは歯を見せて笑う。


「もちろんです。ランドベル公爵家は最後まで陛下の忠臣としてあり続けましょう」

「俺もですよ。近衛兵(これ)になった時から陛下を守り通すと決めてますから安心してくださいよ」

「なんだ。それなら安心だな」


 明るく笑うラウレンツにヒューバートも笑い、シルヴェスターも口許を引き締める。


(そうだ、物心がついた頃から誓ったことだ。この御方を支え続ける、と)


 同じ年に生まれ、家柄も問題ないことから将来の側近候補として物心がつく前から交流があったが、支え続けると誓ったのは家のしがらみでもなんでもなく、自分自身で決めたことだ。

 かけがえのない友人だからこそ、最後まで味方となって支え続けると誓っている。


「オルデア公爵領はメデェイン側にある。だから余計なことはしないと思ったがビエルドが騒いだ時は肝が冷えたな。継戦派のせいでうちとメデェインの間に亀裂が走ったら堪ったものじゃないからな」

「下手したら公国とも関係悪化するところでしたので幸いでした」

「そうだな。最悪な展開だけは回避できてよかったよ」


 やれやれ、と言葉を零しながらヒューバートが呟く。

 ルナン公国は小国ながらも上質な岩塩と観光資源に恵まれ、ウェステリア王国は国内の塩の一部をルナンに頼っている。

 関係悪化をしてルナンとの貿易が滞ると市場に大きな影響を与えるのは明白だ。


「だからこそ夫人が間に入ってくれて助かったよ。上手くヴィオレッタ妃をこちら側に引き込めることができたしな」

「そうですね」


 ヒューバートの言葉にシルヴェスターも頷く。

 今回の騒動で継戦派は糾弾され、継戦派の発言力が低下している。

 それに加え、アリシアがヴィオレッタと親しくなって結果的にいい方向へ転がった。


(王妃殿下だけではなく他国の王太子妃とも親しいと見せた方がアリシアのためになるだろう)


 少々トラブルはあったものの、無事に丸く収まったことに安堵しながら、外務大臣に提出する書類を捲って読んでいく。


「それにしてもアリシアちゃんってかわいいですよねぇ」

「どうした? お前は華やかな女性が好みじゃなかったか?」


 隣でわいわいと賑わうも長年見てきた光景なので無視して書類を捲っていく。


「いやー、華やかな子もいいんですけど、ああいう可憐で儚げな子もいいと思いましたよ。迫ってきょとんと見上げて来る顔なんて特にかわいいんですよ?」

「──は?」


 しかし、賑わっていたのも束の間、シルヴェスターの一言で室内がしんと一気に静まり返る。

 その変化を肌で猛烈に感じ取ったラウレンツがぎぎぎっと音を立てながら首をシルヴェスターの方向へ向ける。


「し、シルヴェスター……さん?」

「お前、アリシアに何したんだ?」

「な、何したって……ちょっと迫っただけというか……」

「お前、何遊んでるんだ?」


 重低音の声はひどく冷たく、凍えるような声がラウレンツに鋭く突き刺さると、口許を引きつらせる。


「悪かったって! ほんのちょっと揶揄っただけだって! かわいいねって口説いても『何言ってんだコイツ?』って目で切り返されたから安心しろって!」

「うるさい。アリシアは真面目なんだ。揶揄って迷惑かけるな」

「分かったからその冷たい目やめろよな! お前のその目マジで怖いんだよ! 陛下助けてくださいよ!!」

「お前が悪いんだろう。だがシルヴェスター、そこら辺にしてやれ」


 ジトリと睨み続けるも、ヒューバートに命じられ睨むのを止める。

 代わりに溜め息を吐きながら立ち上がる。


「どこへ行くんだ?」

「この書類を外務大臣に提出してアリシアの元へ。王妃殿下と約束した一時間になりましたので」

「おっ、もうそんな時間か」


 シルヴェスターの指摘にヒューバートが時計に目を向ける。

 時計の長い針は一周しており、既に一時間経過していることを指し示す。


「お前たちと話していると早く感じるな。迎えに行って屋敷へ帰らせるのか?」

「そうですが」

「お前、仕事がまだあるのか?」

「いいえ、今日の分はもう終わりましたが」

「ふむ」


 頷きながら思案するヒューバートにシルヴェスターは無表情で観察する。


「よし、お前はもう帰れ」

「……は?」

「お前はほっておいたら仕事中毒(ワーカホリック)になるからな。今日は夫人と一緒にもう帰れ。仕事は認めん」

「誰の権限で言っているんですか」

「俺と言って国王命令と呼ぶ」


 そう簡単に王命は乱用してはいけないはずだが当のヒューバートは気にする素振りもなく宣言する。


「ここ最近は忙しかっただろう。お前に倒れられたら困るからな。優しい幼馴染が言っていることに素直に従え」

「ご自分で優しいと発するのは如何なものかと」

「あー、聞こえなーい。ほら、早く屋敷へ帰って眠れ~眠れ~」

「……承知しました」


 言い方は雑だがその言葉は確かに自身の体調を案じているのが感じ取れるので返事する。


「では、失礼いたします」

「ああ」

「また明日なー」


 そして幼馴染二人の声を聞きながら執務室を後にした。

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