35.身勝手な依頼
ヴィオレッタ妃たちが向かったのは近くのバルコニーで、バルコニーには人がいなかったのか、そこで立ち止まる。
そんな二人に気付かれないように気配を消して壁の端に佇みながらそっと観察して耳を傾ける。
……本当は聞き耳立てるなんてよくないって分かっている。
だけど相手が継戦派となるとどうしても警戒してしまう。
問題なく会談が進んで見送りの夜会のタイミングでヴィオレッタ妃に近付く継戦派。何やら妨害して貿易案が破棄になるのを狙っている可能性もある。
陛下を始め、シルヴェスター様や外務大臣、他の外交官が頑張ってきた努力を水の泡にはしたくない。だからそれだけは阻止しないと。
まずは様子を窺う。相手は敵対している派閥の貴族で介入して逆にこちらが危険な可能性もあるので様子見が最善だ。
「……それでビエルド伯爵。大事なお話とは?」
くるりと振り返るヴィオレッタ妃が深紫の瞳でまっすぐと相手を見つめて淡々と問いかける。
ヴィオレッタ妃をここまで誘い出したのは継戦派に属するパルメル・フォン・ビエルド伯爵。シルヴェスター様よりほんの少し年上の二十八歳になるビエルド伯爵家の当主だ。
問いかけられたビエルド伯爵が話し出す気配を感じ取る。
「実は、王太子妃殿下にお願いがございまして」
「……わたくしにお願いですか」
「はい」
一拍置いて復唱するヴィオレッタ妃にビエルド伯爵が即座に返事をすると再び口を開いて語り出す。
「私がこうして王太子妃殿下にお声がけしたのはルビーの貿易についてです。以前はメデェイン王国の子爵家に我が領地のルビーを買い取ってもらい、子爵家が加工して王家に献上していたと思われます」
「……そうですね」
ビエルド伯爵の話にヴィオレッタ妃が感情を感じ取らせない声で淡々と答える。どんな関係だと思っていたけど、貿易関係のようだ。
ビエルド伯爵領はルビーの鉱山があるが、そのルビーをメデェイン王家に献上していたそうだ。
「ですが、子爵家が汚職を犯したことで取り潰しになり、貿易関係のあった我が家も取引が中止になって買い手を失いまして……。そこで、今度は間に人を挟まず直接王家と貿易を行いたくお声がけいたしました」
「…………」
切実に語るビエルド伯爵の提案にヴィオレッタ妃が無言で耳を傾ける。……ビエルド伯爵が必死になるのは分かる。
ビエルド伯爵領はルビーの鉱山を保有していて代々ルビーを採掘することで富を得ていた。
しかし、父親である先代のビエルド伯爵の趣味が賭け事というのは有名で借金を抱えているという噂があった。
きっと彼が爵位を受け継いだ時点で借金はルビーの収入では補えきれないほど膨大となっていたのだろう。
それでも借金を返すためにルビーを採掘して返済していた中で取引先の子爵家の汚職が発覚し、買い手を失ったのだと推測する。
例の子爵家が取り潰しになって貿易が中止になった後、他の貴族や商人に取引をしたはずだ。
しかし、商人は目敏い。歴史はあるものの多額の借金を持つ貴族ということで例の子爵家との取引より安い値段を提案されたため断ったんだと思う。
そして他のメデェイン貴族に交渉するも、商人や風の噂から聞いたビエルド伯爵の財政状況から同じように軽んじられたのだろう。
ビエルド伯爵からしたら取引相手の巻き添えで収入は激減し、そのせいで借金は嵩むばかりでこのままでは爵位を返上しなければならなくなる。そして、それだけは回避したい。
──だからこそ考えたのだろう。間に人を介することなく、直接王家にルビーを売り出したらいいのだ、と。
「メデェイン王家はルビーを王家の象徴として大切にしているのは存じています。そして、これまでの献上したものからご存知でしょうが、我が領地のルビーは品質が良いものばかりです。ですのでぜひ、今後は直接王家と取引をして王家お抱えの宝石加工職人にお好きなデザインで加工していただければと思っております」
ビエルド伯爵が必死に売り込む。ビエルド伯爵からしたら自身の貴族としての生活に関わるため必死になるのも窺える。
しかし、そうは言ってもヴィオレッタ妃がどう思うか、だ。
「……確かに我が王家が伯爵の領地で産出したルビーを加工した装飾品を買い取っていたのは知っています。ですが、その件は夫が既に断りの言葉を申していたと思われますが?」
「……!?」
ヴィオレッタ妃の言葉に目を見開く。既に断れていた……?
それなら、なぜビエルド伯爵はまたこうしてヴィオレッタ妃に頼み込んでいるの?
「……まさか」
ポツリと言葉が零れる。
二人の会話を整理すると一つの答えへと導かれる。これは、もしかして──。
「確かに手紙で申したところ断られました。ですが、王太子殿下の寵愛を受ける王太子妃殿下が口添えをいたしてくれましたら王太子殿下も考え直してくれるかと思いまして。どうかお力添えをいただけませんでしょうか?」
そして予想通りの発言に眉を顰める。他国の来賓である王太子妃になんという依頼をしているのだろうと思ってしまう。
イーサン王太子が断ったからって代わりにヴィオレッタ妃に取次ぎを頼むのは無礼ではないだろうか。
それはヴィオレッタ妃も同じだったようで首を横に振る。
「いいえ、わたくしが夫に言っても夫は首を縦に振りませんわ。そしてわたくしは夫と議会の判断に従うまでです」
「そこを王太子妃殿下のお力でなんとか! 祖父の代から三代続けてメデェイン王家と貿易していたのを私の代で終わらせたくないのです!」
なお食い下がるビエルド伯爵にヴィオレッタ妃が深紫の瞳を細めて僅かに眉間に皺を寄せる。……これは、ヴィオレッタ妃のためにも助け舟を出した方がいいだろう。
近くにいる使用人に声をかけてグラスを預け、顎を引いて背筋を伸ばして張りのある声を意識的に紡ぎ出す。
「──王太子妃殿下、探しました」
「……ランドベル公爵夫人?」
私の乱入により二人の視線が私に降り注ぐ。だけどそんなことを気にせずにニコリと張り付けた微笑みでヴィオレッタ妃に近付く。
「テリス夫人たちが探していました。さぁ、王太子妃殿下。大広間へ戻りましょう」
そしてビエルド伯爵から守るようにヴィオレッタ妃に寄り添って大広間に戻るように伝える。
ちなみに、テリス夫人が探していたなんて嘘だ。だけど、ヴィオレッタ妃が逃げ出す理由としてテリス夫人は使える。
テリス夫人は王族の血を引く侯爵夫人。そんな人をいつまでも待たせるわけにはいかないからこれでヴィオレッタ妃とビエルド伯爵を引き離す。
円満に会談が終了したのにビエルド伯爵の身勝手な依頼でウェステリア王国への印象を悪く持ってほしくない。敵対派閥だけど、もし財政難を改善したいのなら別の方法で行ってほしいと思う。
寄り添う私にヴィオレッタ妃が混乱したような目で見る。その目を見るといつもの大人っぽさが薄れて少し親近感を感じてくる。
『王太子妃殿下。テリス夫人の元までご案内いたしますのでどうかそのまま話を合わせてくださいませ』
『……! ランドベル公爵夫人、その言語は……』
ビエルド伯爵に聞き取られないように小声でかつ、ルナン語で話しかけるとヴィオレッタ妃が驚いた顔をして私を見る。なのでニコリと微笑む。
そしてヴィオレッタ妃を大広間へ誘導しようとすると私たちの前にビエルド伯爵が立ち塞がる。
「待っていただきたい、ランドベル夫人。今は大事なお話をしているのです」
そして険しい顔をしながらビエルド伯爵が私に告げる。国王派の私が来て居心地が悪いのが窺える。
しかし、そんなビエルド伯爵の様子を無視して驚いたような声を上げる。
「まぁ、そうなのですか? ですが、いくら人目が少ないと言っても王太子妃殿下とバルコニーでお話しは……。あらぬ誤解を生んでしまうかと」
「っ、それは……」
完全な密室で密談と言うわけではないけど、他国の王太子妃と人目が少ないバルコニーに長時間いるのはよくない。それはビエルド伯爵も分かっているはずだけど……滞在中、ヴィオレッタ妃と面会ができる機会がなかったからこのような場で交渉したのだろう。
指摘するとビエルド伯爵が気まずそうな顔をする。ヴィオレッタ妃との交渉は失敗したのだから諦めてほしいと思う。
しかし、ビエルド伯爵は諦めきれないのか、再度私の後ろに隠れるヴィオレッタ妃に懇願する。
「王太子妃殿下! どうかお願いいたします!」
「申し訳ございません、わたくしからは進言はできません。どうしても、とおっしゃるのなら夫へお願いします」
ビエルド伯爵の懇願にヴィオレッタ妃がきっぱりと拒絶する。
イーサン王太子が断った理由がただ単に汚職に手を染めた貴族と関係があったという理由なのか、それともビエルド伯爵が陛下と敵対している継戦派に所属しているからか分からない。
だけど、もし後者の理由もあるのならヴィオレッタ妃の独断でビエルド伯爵の頼みを受け入れるわけにはいかないため、断るのは分かる。
これ以上ヴィオレッタ妃に迷惑をかけるわけにはいかないのでこの場から離れるべきだ。
「そろそろテリス夫人が心配します。なので失礼させていただきます」
背筋を伸ばしてビエルド伯爵に宣言して歩き出す。早く去る方がいいのは明らかだ。
「夫人、貴女には関係ない話だ! 少し離れてくれないか!」
しかし、立ち去ろうとする私たちにいらついたのか、こちらに手を伸ばす。
「ランドベル公爵夫人!」
同時に、後ろからヴィオレッタ妃の声が響く。
男性が既婚女性の身体に無断で触れるのはよくない。なのでその手を躱そうとすると──間に入った人物がビエルド伯爵の手を掴む。
ビエルド伯爵の手を掴んだのは漆黒の正装の男性で、見慣れるようになった紺碧の髪が私の視界を染め、重低音な声が私の耳を通る。
「……何やら騒がしいと思えば。──これはどういうことでしょうか。ビエルド伯爵」
間に入ったシルヴェスター様の冷たい声が、ビエルド伯爵を突き刺した。




