28.ダンスの練習
「うん、これなら踊りやすそう」
鏡の前に立ちワンピースの裾を掴んで呟く。
実家から持って来た亜麻色のワンピースは大人しい色だけど素材はよく、触り心地も良いものだ。
そして髪はダンスの練習がしやすいように後ろにひとまとめにしている。
「エスト、ダンスホールは確か一階の東側の部屋よね?」
「はい、おっしゃる通りです」
エストに場所を確認すると肯定の言葉が返ってくる。
練習場所はランドベル公爵邸にあるダンスホールでそこで奏者の演奏を聞きながら練習予定となっている。
「奥様は使用するのは初めてですよね。ご案内いたします」
「ありがとう」
ダンスホールまでエストに案内してもらいながら一階に下りていく。
王家主催の夜会では部屋で軽くダンスの練習をしていたくらいなので、エストの言う通り公爵邸のダンスホールを使用するのは初めてだ。
「こちらです。開けますね」
「ええ」
公爵家のダンスホールはさすがで、実家の伯爵家のダンスホールより断然広い。
見上げたシャンデリアは光輝いていて、その価値は当然一流の品物だと分かるし繊細な模様をしている。
しかもこれが練習用だと言う。夜会などで使用するダンスホールも別に所有しているのですごいと思う。
そして、約束の時間前というのに既にダンスホールにはシルヴェスター様と従者であるレナルドが待機していて、何やら書類を持ちながら会話をしている。また仕事の話だろうか。
「アリシア」
入室してきた音に気付いたシルヴェスター様とレナルドが私を見るのでカーテシーをする。
「お待たせして申し訳ございません、シルヴェスター様。お仕事の話でしょうか?」
「そうだが、急ぎじゃないから気にしなくていい」
「そうですか」
仕事でも急ぎの内容ではないらしい。それならよかった。
そしてそっとシルヴェスター様を観察する。うん、やっぱりよく似合っている。
王宮に出仕する時と違い、屋敷内ということもあり服装はシンプルだけど、相変わらずよく似合っていると思う。
正装でも似合うし、シンプルな服装でもよく似合っていて令嬢たちが騒ぐ理由が分かる気がする。
「アリシア?」
「はい。なんでしょうか?」
疑問を含んで呼ぶシルヴェスター様に微笑んで返事をすると、いや、と小さく首を振って否定する。
「何もない。それじゃあ練習をしようか」
「はい」
頷くとレナルドに書類を預けてホールの中央へと進んでいくので私もついていく。
「踊れる曲は?」
「踊れるのは『夜明けの空』と『渡り鳥の蒼き湖』の二曲です」
問いかけに思い出しながら答える。どちらもメデェイン王国発祥の有名な曲でどちらも一応踊ることができる。
「どっちも有名な曲だな。確かその二つと『綺羅星』という曲が選曲に選ばれていたな」
「何が流れるかもう分かっているのですか?」
「仮だが決まっているからほしいのならあとで曲名を書いて渡そうか?」
「それならお願いします」
既に選曲させているのならほしい。週末はシルヴェスター様がダンスに付き合ってくれるけど、自主的に練習したい。
「ならあとで渡そう。それとダンスだが、メデェイン王国の主なダンスは記憶しているから踊りながら指導するから分からないことは聞いてくれ」
「はい」
「まずは踊れない『綺羅星』から練習しよう。一番練習する必要があるだろう」
「分かりました」
同意して頷く。他の二曲と違って踊ることができないからその分練習に費やす時間が多くなるだろうから。
そしてシルヴェスター様が合図をすると、ピアノ奏者とヴァイオリン奏者が演奏を始める。
「──アリシア、手を」
「よろしくお願いいたします」
小さく一礼をして差し出された手にそっと自分の手を重ねる。
手を握り合うと距離が近付いて二つの楽器の音色に合わせて踊っていく。
「ここでターン、次にステップ」
リードをしながらシルヴェスター様がコツや流れを的確に教えてくれる。
陛下主催の夜会で一度踊った時も思ったけど、やっぱりシルヴェスター様はダンスが上手だと思う。
「お上手ですね」
「そうか? あまり実感は湧かないが」
「いいえ。ご指導は分かりやすく、踊りやすいです」
自覚はないらしいけど上手だと思う。今だって初めての曲なのに踊りやすい。
それなのに夜会では男性陣とばかり話していて令嬢たちのダンスの視線を無視していた。その理由はやっぱり──。
「いつもご令嬢に囲まれていたのに踊らなかったのは面倒だったからですか?」
「……ああ。下手に一人の要求に応じたら次は自分だと言うだろう? だから一律全員断っていたんだ」
「やはりそうなのですね」
肩を竦めて呟くシルヴェスター様に納得する。
確かに一人の誘いに応じてダンスを踊ったら次は私と踊ってほしい、と言われるだろう。
だから全員断っていた、と。シルヴェスター様らしいと言えばらしいと思う。
『綺羅星』に引き続き、流れる予定の残りの二曲も練習していく。
既に知っている二曲もシルヴェスター様にコツを教えてもらって踊っていく。
「ずっと練習していても足がしんどいだろう。そろそろ休憩するか」
「はい」
練習とはいえ、そこそこの高さのヒールを履く私に気を遣ってくれたのかシルヴェスター様が提案してくれ頷く。ずっと踊っていても足が痛くなるのは事実だし休憩を挟んだ方がいいだろう。
奏者たちに休憩を告げ、シルヴェスター様と一緒に移動して椅子に腰がけると、エストが果実水を差し出す。
「旦那様、奥様。冷たいブドウの果実水をご用意しましたのでお召し上がりください」
「ありがとう、エスト」
「ああ、ありがとう」
エストからグラスを受け取って口に含む。
エストの言う通り、ブドウの果実水は冷えていて練習の後に飲むと一段とおいしく感じる。
「冷たくておいしい」
「それはよかったです。まだありますので言ってください」
「ええ」
エストからの報告に頬を緩めるとレナルドが穏やかな笑みで話しかけてくる。
「アリシア様、お上手でしたよ。これならすぐに習得できますよ」
「ありがとう。でもシルヴェスター様のリードが上手だからよ」
「シルヴェスター様のリードもあると思いますがアリシア様もダンスの飲み込み早いですよ」
穏やかな笑みでレナルドが褒めてくれる。そう言ってもらえると嬉しくなる。
シルヴェスター様がダンスに付き合ってくれたおかげで躍りや回転のタイミングを掴むことができた。あとは今日の感覚を忘れないように平日も一人練習しようと思う。
「明日も付き合うから他の曲も練習しよう」
「よろしいのですか? お忙しいのでは……」
「ロバートにサマンサに仕事しすぎるなと言われている。どうやら仕事中毒と思われているらしい」
さらりと告げる。注意されたようだけど、シルヴェスター様。私が来る前、レナルドと仕事の話していませんでしたか?
「実際シルヴェスター様は仕事中毒ですよ。ね、エストさん?」
「非常に、非常に不本意ですが珍しく貴方と解釈が一致しますね」
指摘したくてもしにくい内容をレナルドが鋭く指摘してくれ、エストも本当に不本意そうだけど同意して大きく首を振って頷く。やっぱり私もそう思う。
レナルドとエストの反応にシルヴェスター様が少しだけ眉間に皺を寄せて弁解する。
「仕方ないだろう。仕事が増えて来るのだから」
「シルヴェスター様が有能だからというのは分かっています。ですが休憩もしてください。王宮でも昼食以外ずっと仕事ばかりなんですから。おかげで従者の僕も休みにくいんですから」
「お前は好きに休めばいいだろう?」
「主人が働いているのに休むのは忍びないですよ」
呆れたようにレナルドがシルヴェスター様に告げる。申し訳ないですがシルヴェスター様、それは確かに仕事中毒です。
「休める時に休まないと。アリシア様もおっしゃっていたでしょう?」
そして唐突に私の名前が上がり、シルヴェスター様の視線が私へ移動する。
深い、深海のような青い瞳が私を捉えて私も見つめ返してしまう。……ここは私もレナルドの肩を持った良いのだろう。リカルド様もシルヴェスター様が無理しないように気にかけて声をかけてほしいって言っていたのだから。
口角を上げて微笑みを作って口を開く。
「シルヴェスター様が責任感が強いのは存じています。ですが、どうかご無理はしないでくださいね。先日も申しましたがシルヴェスター様を必要としている方はたくさんおられるのですから」
「……そうだな。気を付ける」
先日の会話を思い出したのか、シルヴェスター様が頷く。これで少しは意識してくれたら嬉しい。
「そろそろ再開するか。明日もやるからあと一時間だけ練習しよう」
「はい」
時計を見て再開を告げるシルヴェスター様に頷くと、先に立ち上がったシルヴェスター様が私に手を差し出してくる。
その私より大きな手に重ねながら再びダンスホールの中央へと歩いていった。




