23.騒動の結末
「ごめんなさいね、アリシアさん。わたくしったらつい……。今のは忘れてくださいまし」
ふぅ、と小さく憂いのある息を吐き、頬に手を添えて淑女らしい困った表情を浮かべるのは学院時代からの親友であるシャーリー。
こうして見ると美しい淑女に見え、つい二分ほど前までは奇声を上げていたとは到底思えない。
侯爵家の跡取り娘として教育されてきたシャーリーは外では完璧な令嬢を演じられるけど、本当の姿はこんな感じなので猫を被るのが本当に上手いと思う。
「ええ、忘れるわ」
演技のかかったシャーリーのお願いに即答で頷く。
私も大切な親友が変人認定されるのは嫌だ。万が一、エストたちに見られたら危ない。シャーリーの名誉のためにそれだけは阻止しないといけない。
頷くとそれまでしおらしい演技を脱ぎ捨てていつもの、素の態度に戻る。
「あ、本当? まぁ、忘れなくてもいいけど他言無用でお願いね」
人差し指を口許に立ててしっー、と内緒だと告げるシャーリー。ころころと表情が変わるけど、私はそんな表情豊かで明るいシャーリーが好きだ。
「ええ、約束は守るわ。私は、何も見ていないわ」
「うふふ、ありがとう」
見ていないと強調して告げると感情豊かなシャーリーが笑っていつもの雰囲気に戻る。
それにしても、シャーリーの暴走を見るにどうやら私の話はまだ消えていないのが窺える。
「その様子だと、まだ私の話は消えていないのね」
「いいえ、騒動の方は薄まったわよ。ただ、腹立つことがあってね」
「……? どういうこと?」
シャーリーの発言がよく分からず聞き返すと、ふんっ、と荒げる。
「本当、思い出すだけでもムカムカするわ。端的に話すとね、あの三人の令嬢、領地へ帰ったのよ」
「領地に帰った?」
「そうよ」
ぱちくりと瞠目して、思わずシャーリーに聞き返す。
一方のシャーリーは左手で頬杖をしながら右手でティーカップの中に入っているティースプーンをカラカラと掻き回す。シャーリーの機嫌が悪い時の癖だ。
「関わったベナード侯爵家、ダリヤン侯爵家、スペンス子爵家の令嬢全員ね。当主から無期限の謹慎処分を受けたみたい。それで令嬢はもちろん、当主に奥方に兄弟姉妹とみーんな領地に戻ったわ」
「ああ……なるほど」
むすっとした表情でシャーリーが教えてくれるけど、理由が理由なので納得する。
謹慎処分。無期限というのは少し驚いたけど、今回の騒動の処罰として考えるのならそれが妥当だろう。
ただ、目の前にいるシャーリーは納得していないようだけど。
でも、その方が彼女たちにとってもよかったと思う。王都に残ってても苦しいのは彼女たちの方だ。
だって、残っていてもここぞとばかりに他の令嬢や夫人が笑い者に仕立てあげるだろうから。
社交界は華やかな場だけど、同時に怖い場所でもある。一歩間違えたら危険な場所で、彼女たちを守るには領地に帰らせるのが一番いい判断だ。
お茶に口を付けて喉を潤していると、シャーリーが不機嫌な表情を隠さずに呟く。
「まったく、自分たちの方が分が悪いからって逃げるなんて。それなら最初から仕掛けるなってーの!」
「シャーリー、口が悪いわ」
「別にいいわよ。今はアリシアと二人だもの」
注意すると即座に返される。確かに今は二人きりだけど侯爵令嬢なのにそれはどうかと思う。
「それにしても話を聞けば聞くほど腹立つわ。聞いたわよ? 三対一で退路塞いで罵って来たんでしょう? 陰湿なことね」
「そうだけど、女の戦いは基本集団戦でしょう?」
シャーリーの発言に苦笑しながらも事実を述べる。
社交界の女性の戦いは基本的に集団戦だ。友人や派閥を連れて口喧嘩する姿を夜会やお茶会で幾度も見てきた。
私は今まではそんな目に遭ったこともなければ首を突っ込んだこともないけど、今後はあるかもしれないと思うと気が重くなる。
「知ってるわ。だけどそれは両者互いに集団だったらの話よ。こっちが一人なら相手も一人で来るべきよ!! それを三対一なんて!」
「シャーリー、落ち着いて」
「あああもう!! 私がいたらベナード侯爵令嬢もダリヤン侯爵令嬢もスペンス子爵令嬢もコテンパンにしてやったのに!!」
「それって物理的じゃないよね?」
「仮に物理的にやってきたらその十倍の威力で叩き返してやったわよ!」
そんなことしたら相手の令嬢たちが大泣きしそうな気がする。
口から炎でも吐きそうな勢いのシャーリーをどうどうと宥めるも、シャーリーは目を吊り上げたまま怒り狂っている。
艶のある美しい黒髪を逆立てたその姿はまるで怒った黒猫のようだ。
「私もそう思ったけど、全員が全員、シャーリーと同じ考えじゃないでしょう?」
「分かってるわよ。それでも腹立つのよ。アリシアは平気なの?」
むすっと不満そうな表情でシャーリーがじっと私を見て尋ねてくる。平気なのか、か。
その表情に再び苦笑いを浮かべる。
「もちろん、嫌だったわ。でも、こうしてシャーリーが私の分まで怒ってくれるから溜飲が下がるわ」
笑いながらもう一度お茶を一口含んでシャーリーに告げると、シャーリーがぽかんとした表情を浮かべる。
「アリシア……。……はぁ、本当、人たらしね」
「人たらし? 私は本当のことを言っただけよ?」
人たらしというシャーリーに首を傾げる。どこが人たらしなんだろう。正直なことを言っただけなのに。
ベナード侯爵令嬢たちの言動は確かに嫌だったけど、こうしてまるで自分のことのように怒ってくれるシャーリーを見ると溜飲が下がるので別にいい。
初めて出会った時からシャーリーは正義感が強く、人一倍友達思いで、私はいい親友を持ったと思う。
「それに私だってやられぱなっしじゃないわ。色々言ってきたけど、全部切り返したもの」
「知ってるわ。まぁ、自業自得とはいえ今回の騒動で婚約も難しくなるでしょうね。……バスカル侯爵家も今回のことは不快と抗議して今やベナード家は針のむしろ状態になっているわ」
シャーリーが少しの間を空けながらその家名を告げる。
バスカル侯爵家。その家は、亡くなったエレオノーラ様の生家の名だ。
中立派に属するバスカル侯爵家の当主はエレオノーラ様のご両親で、闘病の末に亡くなった娘のことを悪く言われたらそれは怒るだろうなと思う。
「バスカル侯爵家からは今回の件でお礼の手紙が来たわ。娘を庇ってくれてありがとう、って」
「バスカル侯爵家から?」
「うん。侯爵夫妻には会っていないけどね」
一応あちらはかつて婚約者の生家で私は妻。気まずいからか会うことはなかったけど持って来た家令には感謝されたし、侯爵夫妻の手紙も感謝の言葉が何度も綴られていた。
「そう。それと、もうベナード侯爵家は今回騒動で中立派内の発言力は失墜したと考えていいと思うわ。例の令嬢はアリシアともう二度と関わってこないはずよ」
「ええ、そうでしょうね」
シャーリーの言葉に頷きながら考える。恐らく、もう二度と関わるなと父親の侯爵に厳命されているはずだ。
きっと、感情的な彼女はシルヴェスター様と結婚していても上手くいかなかっただろう。
自分は好きでも相手は今はいない女性を想っている。──それは、とても辛いはずだ。
「アリシア、もしまたされたら言ってね。今度は私が味方で暴れてやるんだから!」
「ふふ、ありがとう」
「もう。いーい、本当に頼るのよ? アリシアったら一人で解決しようとするんだから」
「はい、分かりました」
シャーリーの力強い発言に笑って返事する。同時に、前回のお茶会でも言われたのを思い出す。
それでも、私のこと思ってくれての言葉と思うと嬉しくなる。シャーリーが味方なら心強い。
本音を言うと、二度と遭遇したくないし経験したくないけれど。
「でも、まずは起きないことを願うのみよ」
「そうよね。あ、でも今回のこれで国王派と中立派は大丈夫だと思うわ。なんたって閣下が出てきたんだから」
「シルヴェスター様が?」
シャーリーに目を向けて尋ねるとええ、と首を縦に振って大きく頷く。
「アリシアが被害者の件に閣下が出てきたんだもの。閣下がアリシアを公爵夫人として重んじている証拠で今はそっちの方が話題になってるわ」
「……ああ、政略結婚でお飾りの妻だと思っていたのに、って?」
なるほど。忙しいシルヴェスター様が政治絡みで結婚した妻のためにわざわざ出てくるとは思わなかった、ということか。
「言い方は悪いけどそうでしょうね。さすがにランドベル公爵家を敵に回そうと思う国王派と中立派はいないわ」
「まぁ、ランドベル公爵家は大貴族だものね」
「でしょう? 国の中でも五指に入る公爵家に張り合える家なんて殆どないでしょう? 敵対しても潰されるのが落ちよ」
シャーリーの言う通り、大貴族であるランドベル公爵家に張り合える家は殆どいない。
真正面で戦っても、裏で画策しても潰される確率の方が高い。
だから国王派、中立派共に内心不満を抱えていても表向きは見せないはずだ。
だけど──。
「でも、継戦派は例外よね」
「そうよねぇ。継戦派だけは例外よね」
私の言葉にシャーリーが腕を組みながら頷く。
継戦派だけは気を付けた方がいいだろう。彼らはいつもランドベル公爵家が失墜するのを窺っている。
それこそ、失墜するためなら何かしら仕掛けてくる可能性もあるから警戒するに越したことない。
「継戦派と鉢合わせするのはそう多くはないけど気を付けるわ」
「そうね。その方がいいわ。いい? 警戒を怠らないでね」
「分かっているわ」
シャーリーを落ち着かせるとそれ以上社交界の話は触れずに、おいしいチーズケーキの店の話など色々な話をして楽しいひとときを過ごした。
そしてシャーリーの家の馬車が到着したと連絡を受け、見送るために表門までついていく。
馬車の前でシャーリーが振り返ると、明るい笑みを見せてくれる。
「じゃあね、アリシア。今日は会えてよかったわ」
「私も会えてよかったわ。ケーキもありがとう」
「喜んでくれてよかったわ。またね」
「ええ。今度は私がお茶会に招待するわ」
「なら楽しみにしてるわ。暑いから体調には気を付けてよね」
「シャーリーもね」
互いに手を振り、馬車が出発するのを見送る。
見送りを終え、屋敷へと向くとふわりと夏の香りがする風が吹いて髪が風と共に揺れる。
そして、ふと、空を見上げる。
「…………」
見上げた空は美しい程に澄んだ青で、真っ白な入道雲が浮かんでいて、風の匂いから夏を感じて目を細めたのだった。