22.親友のお見舞い
ベナード侯爵と令嬢が帰宅した後、シルヴェスター様から執務室に来てほしいと言われた。
初めて入室するシルヴェスター様の執務室は非常にシンプルで必要な物しか置いていなくて、無駄な物は置かないというシルヴェスター様の人間性を表しているように見えた。
「ベナード侯爵とは和解すると同時に警告したからもう大丈夫だろう。令嬢の処遇は侯爵に任せたが格上の公爵夫人に手を挙げたんだ、相応の処遇を下すはずだ」
「そうですか……」
シルヴェスター様の言葉を聞きながらベナード侯爵父娘を考える。
彼らとシルヴェスター様がどんな会話をしたのか知らないけど、無事和解はできたようだ。
これで侯爵家は大丈夫だろう。多少損害を負ったものの、ランドベル公爵家に潰されることはないはずだ。
「本当に、何から何までありがとうございます」
「これくらい気にしなくていい。むしろ、政争に巻き込んで申し訳ない」
「そんな、シルヴェスター様が謝る必要は……」
堅い口調で謝罪するシルヴェスター様に否定する。シルヴェスター様が謝る必要はどこにもないのに。
確かに私は政争に巻き込まれた。だけど、それを言うならシルヴェスター様も当てはまると思う。
エレオノーラ様を未だに忘れられないのに政治を安定するために政略結婚することになったのだから私だけが被害者ではないと思う。
一人そう考え事をしていると、シルヴェスター様が立ち上がって私の頬を見つめる。
「腫れはまだ消えないか?」
「はい、まだ……。もう少しガーゼを付けていると思います。すみません」
「謝らなくていい。自然治癒はどうしようもない。それより、腫れが引くまで家政の仕事はしなくていいんだぞ」
「ありがとうございます。ですが、大怪我ではないので大丈夫です」
私の怪我を案じてくれてそんなことを言ってくれるが、骨が折れたなどそんな大怪我ないので自分の仕事はきちんとしようと思う。
大丈夫だと告げるとそうか、と短く答えて一通の手紙を私に差し出す。
「これを」
「……それは?」
「決めるのはアリシアだ。君の好きにしたらいい」
シルヴェスター様から受け取った手紙の送り主は私の知っている人間で、中身を見るためにペーパーナイフで封を開けて中身を見たのだった。
***
ベナード侯爵父娘の訪問から四日後の昼下がり。
公爵家の表門にエストと共に佇んでいると一台の馬車が止まり、中からよく知る友人が現れた。
「いらっしゃい、シャーリー」
「アリシア。こんにちは」
互いに貴族の夫人と令嬢らしく微笑み、挨拶を交わすと私の後ろにいたロバートとサマンサとエスト、シャーリーの後ろにいた侍女が礼をする。
「私の部屋に案内するわ。エスト、お茶の用意してくれる?」
「かしこまりました」
エストに指示を出すと、案内は私がするとロバートとサマンサに告げてシャーリーと二人で回廊を歩いていく。
するとロバートたちがいなくなったことでシャーリーが侯爵令嬢の微笑みを剥がして話しかけてくる。
「よかったわ。閣下に確認の手紙を出したけど許可が貰えて」
「シルヴェスター様から貰った時は驚いたわ。どうして?」
「だって公爵夫人が怪我したのよ? それなのに会いたいと言うのはどうかなって思って。だから先に閣下に許可を得ようと思って」
「別にいいのに」
「ダメよ。ちゃんと家主に許可を貰わないと」
別に友人なのだから私に送ってもいいのにと思うけど、シャーリーの立場を考えるとシルヴェスター様に先に聞いた方がいいのかもしれないとも思うのでそれ以上は何も言わない。
「それにしてもさすがランドベル公爵家のお屋敷ね。外観はもちろんだけど内観も素敵ね」
「私も初めは驚いちゃった。頑丈な造りになっていて耐久性もあるみたい」
「へぇ、そうなのね」
感心したようにシャーリーが返事する。
王都の公爵邸は頑丈な造りとなっていて耐久性を持ち合わせているとロバートから教えてもらった。
そして公爵領にある本邸は王都の公爵邸よりさらに立派で広い屋敷だそうだ。
「そうだ。これ、アリシアが好きなレアチーズケーキ持ってきたのよ。一緒に食べましょう?」
「わぁ……! ありがとう、シャーリー!」
シャーリーが私が好きなケーキ屋の箱を見せて笑い、私も笑みが零れる。
きっとエストの淹れてくれたお茶と飲んだらおいしいだろう。
部屋にたどり着くとドアノブを回転して入室するように促す。
「どうぞ座って」
「それじゃあ失礼するわ」
部屋へ案内してシャーリーの向かいのソファーに私も座るとじっ、と私の顔を見てくる。
「シャーリー?」
シャーリーの様子に首を傾げてしまう。どうしたのだろう。
「どうかした?」
「んー? 確認。よかった、頬はもう大丈夫そうね」
「もう一週間経ったもの。痕も消えたから安心して」
「そのようね。もし傷や痕になっていたら本当にやり返してやろうと思ったわ」
ふふん、と笑うシャーリーに逆にこちらは苦笑してしまう。
ベナード侯爵令嬢に扇で叩かれた痕はすっかりなくなった。
だけどまだあの騒動から経っていないため、夜会には参加せず屋敷でのんびりと過ごしているという状況だ。
そんな時に届いたのがシャーリーからの手紙で、手紙に公爵邸に行ってもいいかと書かれていた。
親友のシャーリーなら、という気持ちときっと社交界の話題を持ってくるはずだと判断し、シルヴェスター様に尋ねてみると私がいいのならと言ってくれたので、了承の手紙を書いて今に至る。
「伯爵家からはまだ手紙は来てるの?」
「両親はもう来ていないわ。ベルンだけは来ているけど」
「あー。ベルン君、お姉様大好きっ子だからね。すごく心配したんじゃない?」
「そうね。文字からその様子が感じ取れるくらいには」
反抗期を迎えていないこと、そして十も離れていることからベルンはすごく甘えん坊だ。
だからこの突然の結婚も最後まで納得せず、ずっと不機嫌だったと思い出す。
ただ、それを大衆の前で見せてはいけないのは知っているようで、結婚式では微笑んでいた。まだ小さいのによく分かっていると思う。
「かわいいよねー、年が離れていると。私なんて年が近いからなぁ。羨ましい」
「ふふ。でも本当はかわいいって思ってるでしょう?」
「そりゃあ妹だもの」
シャーリーと笑いながら互いの弟妹の話をしていたらドアをノックしてエストが入ってくる。
「失礼します。奥様、お茶をお持ちしました」
「ありがとう、エスト。そうだ、ナイフはある? ケーキを切りたいのだけど」
「こちらにございますので切りますね」
お茶を置くとエストが素早い動きでケーキを等分に切っていく。見事なバランスだ。完璧だと思う。
「ありがとう。久しぶりに二人で過ごしたいからもういいわ」
「かしこまりました。それでは失礼いたします」
切り終わるとエストが退室したので部屋には私とシャーリーの二人きりになる。
エストが去ったのを見てシャーリーが口を開く。
「あの侍女、私のお茶会の時にもいたわよね?」
「ええ。エストっていって代々公爵家に仕えているの」
「へぇ、使用人一族ね。だからかしら、無駄な動きがないというか」
「私の護衛も兼ねているみたい。だからそう思うのかもね」
「護衛!? さすが公爵家の使用人ね」
驚愕の顔を浮かべながら感心するシャーリー。そんなシャーリーを横目に見ながらケーキを一口食べる。
ひんやりと冷えた酸味のあるレアチーズが口の中に広がっておいしくて頬が緩んでしまう。
エストが淹れてくれたお茶は香りがよくてさっぱりとしていて、二つの味を楽しみながら様々な話題を上げていく。
人気急上昇の観劇にお菓子。今年の天候による物価の変動と貴族令嬢がよく語らう話題から貴族の男性が話す話題の内容もしてケーキを堪能する。
そして一通りそれらの話題が終了すると、今度は社交界の話へと移動する。
「──って感じで、今後は派手なドレスより繊細な花模様のドレスが人気で流行りそうなのよね」
「その方がいいな。私、派手なドレス似合わないし」
「普通に似合うわよ。ただ露出の少ない方がよりアリシアの魅力が引き出るけどね」
「そんなこと言っても何も出ないわよ」
「あら、本当のことを言っているだけよ?」
褒めてくれるシャーリーに苦笑しながらお茶を飲む。喜怒哀楽がはっきりとしていて一緒にいて気が楽だ。
楽しい時間を過ごしている。だけど、シャーリーはあの騒動について口を開く気配が一向にしない。
もしかして当事者の私を気遣っているのかもしれない。シャーリーは優しくて面倒見がいいお姉さん気質だから。
あれから社交に出ていないので情報は知りたい。だから自分から切り出す。
「シャーリー、どう? 私の話はもう消えた?」
まだ日は浅いけど社交界は色んな情報が流れてくる。少しは私の話題も下火になっていると思いたい。
しかし、それは違ったようで、ピタリと止まるや否やシャーリーがおかしな奇声を上げ始めた。
「ふ、ふふふ……あのぼかkgdげぎゃynaぐへげびらッaytwey!!!」
「し、しゃ、シャーリー!!?」
シャーリーの奇声に若干引きながら名前を呼ぶ。
嘘だ。若干どころじゃない。初めて見るため大きく引いて困惑してしまう。
どうしよう、シャーリーが壊れてしまった。