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政略結婚から始まる公爵夫人  作者: 水瀬
第1章 始まりを告げる鐘
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21.微笑み

 シルヴェスター様はロバートから昨夜の出来事を聞いているようで、エントランスホールへまで歩いていく。

 十中八九、騒動を聞いて帰ってきたと考えるべきだろう。会うのが気まずい。

 しかし、このまま逃げていても仕方ない。ならば回りくどいことはせずに素直に謝るのが筋だろう。


 エントランスホールに着くとロバートから話を聞いていたシルヴェスター様とレナルドが私を見る。

 二人の視線がガーゼを貼った頬に集中しているのが感じるけど知らないふりをして挨拶をする。


「おかえりなさいませ」

「……その怪我は昨夜のか?」

「……はい」


 頬のことを聞かれて少し間が空くも正直に答える。どうせ、嘘ついても意味がないのだから。

 シルヴェスター様がじっと私の頬を注視していて居たたまれず、頭を下げる。

 

「シルヴェスター様。この度は私の不注意でご迷惑をかけて申し訳ございませんでした」


 言い訳など並べずに謝罪する。

 仮に許してくれても今回の騒動で迷惑をかけてしまったのは明白だ。

 私が上手く立ち回っていたらここまで大きくなることはなかったはず。

 そう考えると、やっぱり昨夜の自分の考えの甘さに悔やまれる。


「…………」


 謝罪することおよそ十秒。シルヴェスター様の言葉を待つも反応がない。

 

 これはもしかして怒っているのかもしれない。ロバートはああ言ったけど忙しい時に手を煩わせることしたのだから。

 そう考えていると、シルヴェスター様の声が頭に落ちてきた。


「アリシア、顔を上げてくれ」

「……? は、い……?」


 やっと声をかけられ顔を上げるも、声が裏返ってしまう。

 理由はシルヴェスター様が思っていたよりも近くにいたから。どうやら、考え事に集中している間に近くに来ていたらしい。

 シルヴェスター様の深海のような青い瞳と目が合う。こんな近距離、陛下の夜会以来だと思うと少し戸惑ってしまう。

 

「シルヴェスター様……?」

「……まだ痛むか?」

「え?」

「まだ痛むか、と聞いている」


 ガーゼに触れるか触れないかの微妙な距離まで私の頬に手を伸ばしながらそう問いかける。


「少しだけ痛みますが……すぐに冷やしたのでよくなりました」

「……そうか。大変だっただろう、面倒なのに絡まれて」


 表情はいつも通り無表情だけど、声はまるで私を案じているように聞こえるのは気のせいだろうか。


「少し大変でしたが……、上手く対処できなかった私の責任ですから。申し訳ございません、上手く対処すると言ったのに」


 再び謝罪する。これを伝えるために下りてきたのだからきちんと伝えないと。


「いいんだ。俺もまさかこんな暴挙に出るは思わなかったから驚いているくらいだ」

「そうですよね」


 淡々とシルヴェスター様が答える。どうやらシルヴェスター様も予想外だったようだ。

 侯爵令嬢が公爵夫人を(おおやけ)の場で手を出したからか、眉間に皺が寄っている。

 ベナード侯爵令嬢は私に喧嘩を売ったと思っているのかもしれないが、これはもう私個人だけではすまされない。

 あんな大勢の場でしたのだ。侯爵家が公爵家に喧嘩を売ったと同義だ。

 だからシルヴェスター様も不快に思っているのだろう。侮られたということだから。


「ベナード侯爵家から婚約の申し込みは来ていたんですね」

「来ていたが申し込んでくる家が多くて一々覚えていない。今朝、名前を聞いて婚約の打診があったのを思い出したくらいだ」


 どうやら忘れていたらしい。公爵家に婚約の申し込みをしていた家はたくさんあっただろうから仕方ないのかもしれないけど。


「あの場にいた友人に聞いたが随分と貶められたんだろう?」

「ご存じで? ……伯爵家から公爵家に嫁いだのが気に食わなかったみたいで。応戦したのがダメでしたね」


 居たたまれなくて苦笑いを浮かべる。あの場にシルヴェスター様の友人がいたとは。

 苦笑いするも、一方のシルヴェスター様は腕を組んで真顔だ。


「応戦して当然だ。伯爵家は貶められるような身分じゃない。仮に反撃しなかったら他の奴らも追随して侮ってくる。伯爵家以下からは反撃しないアリシアに失望をして派閥の結束力が緩くなり、継戦派はこれ幸いにとこちらの派閥を引っ掻き回そうとしただろうな」

「…………」


 淡々とシルヴェスター様に指摘されてさぁっと顔から血が引く。自分の失態ばかりに気を取られていて指摘されて初めてそれに気付く。

 国王派にも男爵家や子爵家、伯爵家はたくさんいる。

 あの時はただ単にベナード侯爵令嬢の発言が不快で切り返したけど、よく考えたら継戦派にとっていい話題として利用されていた可能性がある。


「……申し訳ございません、そこまで把握していませんでした」

「後継ぎでもない令嬢が即座にそこまで考えるのは難しいだろう。今回のこれは継戦派のいいネタになるくらいなら反撃して侯爵家とトラブルになった方がまだましだ」


 何度目かの謝罪をするとそう返される。どうやら最悪の展開は回避できたらしい。

 国王派の結束を強めるための結婚なのに逆に緩くなったら意味がないからよかったと思う。


「……今は国王派と継戦派が水面下で争い、権謀術数が蠢いている。国王派筆頭の我が家は特にそれが多い傾向だ。今回は中立派の侯爵令嬢だったが、継戦派は国王派筆頭の我が家や宰相が失墜する機会を常に窺っている状態だ」


 国王派の筆頭はシルヴェスター様の言った通り、陛下の幼馴染であるランドベル公爵家だ。

 そのランドベル公爵家と同等に影響力を持つのが、父が宰相補佐官として仕えるフォーネス侯爵だ。

 国王派の中でも影響力が強いこの二つの家は政敵の継戦派にとって目の上の(こぶ)だろう。潰せるのなら潰したいに決まっている。

 シルヴェスター様の言う通り、気を付けるに越したことはない。もう、私はただの伯爵令嬢じゃないのだから。

 政争渦巻く世界へ来てしまったのだ。気を引き締めないといけない。


「おっしゃる通りですね。以後、気を付けます」

「ああ。頭の片隅に留めておいてくれ」

「はい」

 

 シルヴェスター様に返事する。特に継戦派とのトラブルなんて今回以上に厄介に決まっているから注意しよう。


「政争の話はこれくらいにしよう。……アリシア」

「……? はい」


 名前を呼ばれてシルヴェスター様の見ると深い青い瞳とぶつかる。


「エレオノーラのことは聞いている。──ありがとう、庇ってくれて」

「────」


 シルヴェスター様の口から初めてエレオノーラ様の名前が出て息を呑む。

 そして私も意識を切り替えて返事する。


「いいえ。本当のことを言っただけですから」

「ああ、分かっている。その上で感謝しているんだ。ロバートから聞いたが以前、トーマスがエレオノーラのことを話したが、その時も咎めることはしなかったようだな」


 シルヴェスター様の突然の話にロバートに目を向ける。

 しかし、ロバートはどこ吹く風だ。裏切ったな、ロバート。


「……なぜエレオノーラを庇ったんだ? エレオノーラとは面識がないと思っていたが」


 シルヴェスター様が疑問を含ませながら尋ねてくる。……どうして、か。

 確かに、私とエレオノーラ様は会ったこともなければ話したこともない。家同士の関わりもない。

 何一つ接点がない。それなのに庇ったのは──。


「……おっしゃる通り、私はエレオノーラ様と面識はありません。ですが、シルヴェスター様がエレオノーラ様を大切に思っているのは存じています。きっと、知ったら嫌な思いをすると思ったので彼女の発言を訂正しただけです」


 淡々と事実を答える。

 婚約者はいなかったけど、大切な人を失う痛みは分かる。

 辛い。悲しい。忘れられない。そんな様々な感情が溢れては簡単には消えてくれない。

 だから口を挟んだだけ。大切な人が悪く言われたら嫌だろうと思ったから。


「私も大切な人が悪く言われたら嫌なので訂正しただけです。それだけです」

「……そうか」


 伝えると、憂いの含んだ声が返ってくる。

 その声から、シルヴェスター様にとってやはりエレオノーラ様は大切な人だったのは容易に読み取れる。


「ありがとう。──君が、妻でよかった」

「──っ」


 目を細めて小さく微笑んで紡ぐ姿に息を呑むのを忘れそうになる。

 彫刻のように整った人だと思っていたけど、こんな柔らかい表情できるとは思わなかった。

 優しい微笑みに思わず見とれてしまいそうになるけど、いつまでも無言でいるわけにはいかない。なので何事もなかったかのように微笑んで返事する。


「ありがとうございます。そう言ってもらえて光栄です」

「謙遜しなくていい。サマンサ、治るまでどれくらいかかる?」


 返事をするとじっと私の頬を見たまま控えていたサマンサに問いかける。

 一応ガーゼを貼っているけど、触らなければ痛みが走ることはない状態だ。


「痛みは触れなければ大丈夫です。ですが、結構腫れているので、跡が消えるのは三、四日かかるかと」

「そうか。アリシア、今の状態で夜会に参加しても好奇の視線浴びるだけだから欠席した方がいい」

「はい。私もわざわざ話のネタになりたい趣味はないのでそのつもりです」


 私の言葉にシルヴェスター様がそうだなと呟く。

 今は社交シーズンで貴族と遭遇しやすい。誰かと会ったらどうなるか目に見えている。そんなものにわざわざ飛び込む必要はない。

 それより、貿易案が気になるのでシルヴェスター様に尋ねてみる。


「あの、貿易案は大丈夫ですか? 私のせいでお時間を割いてしまったのでは……」

「貿易案? 問題ない。無事に終了した」

「それならよかったです」


 どうやら問題なく貿易案は終わったようだ。ほっと一安心する。


「……侯爵家の対応だが、当主同士で対応した方がいい案件だから俺がしよう」

「すみません。では、お願いしてもよろしいですか?」

「ああ。疲れただろう、悪いがしばらくは屋敷でゆっくりしてくれ」

「分かりました」


 その後はいつものように淡々とやり取りをする。

 互いの状態を考えて、必要な話だけして他は時間がある時に話そうという形となった。

 

「長話悪いな」

「いいえ。こちらこそ申し訳ございません」


 気にしなくていいという意味で微笑むとシルヴェスター様が声を上げる。


「庭園なら散歩してくれて構わない。ロバート、さっきの話の続きをしたいから執務室へ来てくれ」

「分かりました」


 シルヴェスター様とロバートが話しながら執務室へと向かうのを確認して、レナルドに目を向ける。

 

「レナルドもお疲れ様。貿易案まとまってよかったわ」

「はい。それより、アリシア様。お怪我は大丈夫ですか?」


 レナルドが眉を下げて心配そうに尋ねてくるので安心させるために微笑む。


「ええ、大丈夫よ。みんなが心配しすぎなくらいよ」

「当然ですよ。アリシア様は公爵夫人で女主人なのですから。主人が侮辱されたら誰だって腹が立ちます。僕だって今朝聞いて腹が立ちましたから」

「ふふ、ありがとう」


 怒ってくれるレナルドに大丈夫だと伝える。どうやらレナルドにも心配させてしまったようだ。


「それと、アリシア様。エレオノーラ様のこと、ありがとうございました。侯爵家はお任せください。しっかりとやり返しますから」

「えっと、普通にね?」

 

 エレオノーラ様の件で感謝されると同時にベナード侯爵家のことを話す。微笑んでいるけど、黒いオーラが感じるのは気のせいだと思いたい。


「レナルド」

「はい。それでは失礼します、アリシア様」

「ええ」


 シルヴェスター様に呼ばれてレナルドが追いかけるのを確認して今度こそ部屋へ戻ったのだった。




 ***




 シルヴェスター様の突然の帰宅から早三日、私は公爵夫人用の執務室で家政に関する書類仕事をしていた。

 黙々と仕事をしながらカチコチ、と静寂な空間に響く針の音にペンを持つ右手を止めて時計を眺める。


「奥様?」

「ああ、ごめんなさい。今頃、話しているのかなって思って」


 エストの問いに苦笑して告げると納得したように頷く。


「ご安心を。旦那様がきっちりと対応しているはずですから」

「ええ、そうね」


 エストの言葉に同意して返事する。

 今日はベナード侯爵家の当主と令嬢が私への暴力に対して公爵邸に謝罪に来ている。


 その話が伝えられたのは一昨日の夕食で、私も同席するか尋ねられたが断った。

 令嬢が反省しているとしても言葉の数々が不快だったのは消えぬ事実で、今は会いたくないのが本音だからだ。

 そのため同席はいいと伝えると、分かったとすんなりと受け入れてくれた。

 例え、私が会わなくともベナード侯爵令嬢が父親の侯爵と共に公爵家に行って謝罪したのは数日中に広がるだろう。それで二人の名誉は守られるはずだ。

 大事なのは侯爵家が公爵家へ訪れて謝罪したということ。それで侯爵家は多少痛手を食らっても大きな被害はないはずだ。


「…………」


 王命とは言え、シルヴェスター様にとって不本意な結婚だったはずなのに、彼は私に気遣って、尊重してくれている。

 だから私もその分を返したいと思っている。

 

「だから頑張らないとね」

「奥様、何か?」

「ううん」


 聞き返すエストに笑って誤魔化す。

 政略結婚から始まった公爵夫人生活だけど、私なりにシルヴェスター様の力になりたいなと思う。


「さて、侯爵家のことはシルヴェスター様に任せて仕事しないとね」

「無理のない範囲でお願いいたします」

「分かっているわ」


 エストにそう告げて書類仕事に戻る。

 資料に目を通して時折ペンを走らせて片付けていく。

 静かな執務室には紙が捲れる音とペンが走る音しか響かない。

 そうして過ごしていると、ドアをノックする音が聞こえて返事する。


「はい」

「失礼します、奥様。花を替えに来ました」

「どうぞ。入って」

「はい、失礼します」


 そしてドアが開いて入ってきた少年こと、トーマスに目を向ける。


「ありがとう。今日はどんなお花?」

「今日はオレンジのバラです! きれいに咲いたのでぜひ奥様の執務室に飾りたくて!」

「本当、きれいね」


 トーマスが持ってきたオレンジ色のバラは派手な色合いではなく、温かみが感じられるきれいな色で飾ると執務室が少し明るくなった気がする。

 エレオノーラ様の件で私に少し気まずい様子だったけど、いつも通りの態度で接し続けていたら最初の頃のように明るく戻ってくれたのでよかったと思う。


「私の部屋にも飾れる?」

「はい! では後ほど飾りますね」

「ええ。お願いね」


 そしてトーマスが退室し、オレンジ色のバラを少し眺めて再び書類仕事に取り掛かった。

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