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政略結婚から始まる公爵夫人  作者: 水瀬
第1章 始まりを告げる鐘
19/82

19.波乱の夜会3

 ──パァンと叩く音がホールに鳴り響いた。

 扇で叩かれたと気付いたのは頬に熱が走ったからで、じわりと痛みが広がる。

  

「……っ」


 どうやらありのままを話した内容が彼女の気に障ったようだ。結構な力で叩かれて痛くて思わず手で抑える。

 抑えたまま前を見ると、ベナード侯爵令嬢が荒い息で鋭く睨んでくる。逆に、両隣にいる令嬢二人が顔面蒼白となっている。

 ……当然だ。公衆の面前で公爵夫人に手を挙げたのだから。

 しん、と音楽が止まり、ホール全体が静寂に包まれる。

 その静けさにようやくベナード侯爵令嬢は己のした失態に気付いたようだ。

 

「あ……」

「……手を上げてもいい。それがベナード侯爵家の認識なのですね」

「あっ、その……」


 声を低めて告げて弁明しようとするベナード侯爵令嬢を見つめると、びくっと肩を大きく震わせる。

 言葉で中傷するのも問題だが、彼女はしてはいけないことをしてしまった。

 爵位も下で、爵位を継いでもいない侯爵令嬢が公爵夫人を公衆の面前で叩く。それは、ベナード侯爵家はランドベル公爵家を下に見ていることになる。

 ここまでしてしまうともう誤魔化すことはできない。私と彼女だけの問題ではなくなり、家を巻き込む大問題だ。


「ち……違っ……」


 冷ややかな目でひそひそと小さく囁く周囲の様子に弁明しようとするけど、がたがたと口が震えて声になっていない。

 その様子に小さく息を吐いてホールを見渡すと、主催者のレルツ伯爵が顔面蒼白の状態で駆け寄ってくるのが見えた。


「ランドベル公爵夫人!!」

「……レルツ伯爵。楽しい場に水を指して申し訳ございません」


 カーテシーをして主催者のレルツ伯爵に謝罪する。ちくりと頬に痛みが走るのを堪える。


「そんな! 大丈夫ですか!?」

「そのことですけれど、冷やしたいので氷をいただけないでしょうか?」

「もちろんです! 休憩室までご案内いたします! 至急、氷の準備と医者を!」


 レルツ伯爵がすぐさま頷いて使用人に氷と医者の手配を指示してくれる。助かる。早く冷やした方がいいだろうから。


「ありがとうございます。このお詫びは後日いたします」

「そんな、構いません!」

「いいえ。父の友人であるレルツ伯爵とは()()()()()仲良くしたいと思っているので」


 痛みが走るのを我慢して“これからも”のところを強調してニコリと微笑む。これでレルツ伯爵の名誉を守れるだろう。

 レルツ伯爵と友好的でいたいのにこれで険悪になっては水の泡だ。あとで伯爵には色々しないといけないけど、今はこれでいいだろう。


「……! わ、分かりました……」

「ありがとうございます」


 私の「これからも仲良くしたい」の意味を理解したようで伯爵が引いてくれる。よかった。


「それと、馬車に侍女が待機しています。呼んでいただけませんか?」

「分かりました!」


 伯爵に馬車で待機している侍女のエストを呼んでほしいと頼み、一歩前に進む。

 前に進むと、対照的にベナード侯爵令嬢たちが震えて下がる。……今は治療に専念しよう。

 すれ違い様に一瞬、ベナード侯爵令嬢と目が合うもレルツ伯爵の案内の元、休憩室まで歩いたのだった。




 ***




「この度は、この度は誠に申し訳ございませんでした……!!」

「本当に……本当に申し訳ございません……!!」

「頭をお上げください。レルツ伯爵、夫人」


 氷で冷やし、医師に診てもらった後、休憩室で何度も頭を下げるレルツ伯爵夫妻に微笑みながら優しい声音で告げる。

 自分の夜会でランドベル公爵夫人が怪我をしたのはレルツ伯爵夫妻にとって非常に困ることだろう。だからこそ、気にしないでほしいとしっかりと伝える。


「公爵夫人……」

「お二人に非がないのは明白ですから。それに、私も隙があったのは確かですから」


 伯爵夫妻に伝えながら反省する。

 嫌味が飛んでくるのは予測していたけど、まさか叩かれるとは思わなかった。油断していた私も悪い。


「奥様、まだ痛みますか?」

「大丈夫よ。大分よくなったから気にしないで」


 伯爵家の使用人に呼ばれたエストが心配そうに顔を覗き込む。まだ少し痛むけどあまり心配させたくないので微笑んでそう告げる。


「……気にしないでいられません。まさか奥様にこのような暴挙を働くなんて」


 そう言うエストの目は鋭い。エストの怒りを見るのはこれで二回目だ。


「ベナード侯爵家ですか。ランドベル公爵家にこんな仕打ちするとは命が惜しくないのでしょうか」

「エスト? 不穏な言葉が聞こえた気が……」

「奥様が気に留める必要ありません」


 いや、そう言ってもなんか不穏な気配がするんだけど……。気のせいだと思いたい。


「それと……ランドベル公爵夫人。ベナード侯爵が謝りたいと申しておりますが……」

「侯爵が?」


 レルツ伯爵がおずおずと報告してくれる。どうやら侯爵が謝りたいと面会希望しているようだ。

 まぁ、娘が公衆の面前で格上の公爵夫人に手を挙げたのだから至急謝りたいのは分かる。

 会おうかどうかと考えていると隣にいたエストが小さく首を振る。


「エスト?」

「無視しましょう。娘の暴挙を無視した侯爵の罰です。謝罪は()()()()受け入れたらよろしいかと」

「そう……?」

「はい。これは令嬢が暴挙に出る前に止めなかった侯爵の責任ですから」


 エストの強い進言に私も思うところがあるからか少し黙ってしまう。……確かに、それはそうだと思う。


「……分かったわ」

「……では入り口までご案内いたします。こちらです」

「ありがとうございます、レルツ伯爵」


 そしてレルツ伯爵に挨拶するとエストと共に公爵家の馬車に乗り、ゆっくりと公爵邸へと進んでいく。

 馬車に乗って人目が減ると急に力が抜けて後ろに凭れてしまう。


「…………疲れた」

「トラブルもありましたから。休みますか? 到着しましたらお声かけいたしますよ」

「うん……。そうしようかな……」


 エストの言う通り、色々とありすぎて疲れたのかもしれない。瞼が重い。

 瞼を閉じてしばらくすると意識は消えて眠りについたのだった。




 ***




 そうして意識を落として数十分。

 エストに起こされて一緒に公爵邸に入ると予想より早い私の帰宅、そして私の怪我を見たロバートが驚いて何があったのかと尋ねてきた。

 隠していてもあの場にはたくさんの人がいた。エストも知っているし、どうせ隠しても明日には今日のことは広がっているだろうと思い、事のあらましを簡略ながらも話した。

 一応、エレオノーラ様のことも話しておく。これもどうせ明日には広がると思うから。

 話していくとロバートの顔がどんどん険しくなり、話し終えるとこれ以上ないほどの険しい顔となっていた。


「そのような事が……。……奥様、エレオノーラ様の件、ありがとうございます」

「感謝されることしてないわ。誤解を招くような発言を注意しただけよ」

「それでもありがとうございます。ご存じの通り、エレオノーラ様は婚約後に難病を発病し若くしてお亡くなりました。……それをそんな風に言い、奥様に対してなんてこと言うのでしょう」


 ロバートの背後から冷たい吹雪が見える。これは、かなり怒っているのが窺える。


「奥様、もう一度冷やしましょう」

「え。伯爵邸で冷やしたから平気よ?」


 ロバートの提案に瞠目する。すぐに冷やしたからもう大丈夫なのに。


「念のためです。サマンサも聞いたら心配するでしょう。奥様、どうかお願いいたします」

「うっ……」


 嫁いでから色々と助けてもらっているロバートに頼まれると断りにくい。サマンサの名前も出てさらに断りにくい。


「……分かったわ。じゃあもう一回冷やすわ」

「はい。サマンサには私から伝えておきます」

「ええ」


 渋々了承してリビングに行ってほしいに頼まれ、エストと共に行く。

 私の早い帰宅、そして雰囲気がただ事ではないと気付いた使用人たちがそっと様子を見に来る。

 しばらく待つと話を聞いたサマンサが駆け付けて伯爵邸でしてもらったように再び冷やしてもらい、冷やしてから新しくガーゼを貼ってもらう。


「ロバートから聞いて驚きました……。どうですか、奥様。まだ熱はありますか」

「平気よ。伯爵邸で冷やしたから引いているわ」


 サマンサに微笑んで返事する。手つきは丁寧だが、表情は不機嫌で眉間に皺が寄っている。


「しかし、ベナード侯爵は何していたのでしょう? 共に参加しているのに娘が叩くまで気付かないとは」

「さぁ……。談笑かビリヤードでもしていたんじゃないかしら」


 サマンサの問いに曖昧に答える。私も侯爵が何をしていたのかは知らないためそんな答えしかない。

 しかし、侯爵からしたら娘のしたことは予想外だっただろう。婚約の打診を断られたからと言ってもまさか公爵夫人に手を出すとは思うまい。

 ベナード侯爵令嬢、そして両隣にいたダリヤン侯爵令嬢とスペンス子爵令嬢は今後大変だろうと推測する。

 あの行動と言動は高位貴族のみならず、下位貴族の不興も買ったはずだ。

 手当てが終わるとロバートが一歩前に出て私に申し出る。


「奥様、色々あって疲れたでしょう。もうお休みください」


 私に気遣ってロバートがそう言い、隣にいるサマンサとエストも同意するかのように頷く。

 三人のその意見に苦笑する。申し出は嬉しいけど、まだやることがある。


「その前にレルツ伯爵にお詫びしないと。父の友人で国王派の人だもの。手紙とプレゼントを用意しなきゃ」

「ではプレゼントは私が手配いたします。何かありますか?」

「そうね……。伯爵はワインが好きだからワインをプレゼントしようかしら」

「ではそのお名前を。すぐに手配いたします」


 ロバートに品名を教えてほしいと言われ、産地と名前を告げると早速手配するために退室する。行動が早い。

 きっと仕事の早いロバートのことだ。素早く手配してくれるだろう。


「それにしてもひどいです! 奥様を扇で叩くなんて!」

「本当よ! 八つ当たりして!」

「やっていいことと悪いことがあるわ!」


 手当ての最中にエストから聞いた話にラウラを始めとした侍女たちが興奮して怒りながら言い合う。

 中には「夜会でバナナの皮で滑って恥をかけ!」「そこから頭に落ちちゃえ!」となんとも言えない内容まで発展している。

 しかし一つ言いたい。そもそも、夜会にバナナの皮はない。


「みんな、落ち着きなさい」

「エストさん! でも!」


 怒るラウラたちを咎めるようにエストが注意する。よかった、エストが注意すれば収まるだろう。


「それは私も同意するわ。でも甘いわ。そんなの生易しいくらいよ」

「…………」


 ダメだ、エストじゃ収められない。誰か止めてほしい。


「エストさん……!!」

「気持ちは分かるけど奥様の前よ。今は控えなさい」

「は、はいぃぃっ!」


 そしてラウラたちに同意したかと思えば鋭い視線を送ってラウラたちを震撼させる。

 その様子にくすくすと笑ってしまう。

 ロバートにサマンサ、エストにラウラたちがベナード侯爵令嬢の行いには憤慨しているのを見て、場違いにも少し嬉しくなった。

 みんなが私のこと思って怒ってくれてくすぐったいのは内緒だ。


「心配かけてごめんね。サマンサ、お詫びの手紙だけ書いたら休むから許してくれる?」

「分かりました。では手紙の準備をいたします」


 サマンサから了承を得て、公爵夫人用の執務室でレルツ伯爵にお詫びの手紙を書く。

 手紙には謝罪と伯爵とはこれからも仲良くしたいと伝えて、明日の朝にワインと共に渡してほしいと頼む。

 書き終えると軽く湯船に入り、休憩してベッドに入った。

 

「疲れた……」


 小さく息を吐く。

 馬車の中で少し眠ったけどまだ体が重い。早く休もう。

 公爵夫人になってまだ慣れない夜会は緊張していたのか、瞼を閉じるとあっという間に意識を落としたのだった。

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