18.波乱の夜会2
声をかけてきた令嬢たちはいずれも私より少し年下で、グラスを近くのテーブルに置いてニコリと微笑む。
「こんばんは。ベナード侯爵令嬢、ダリヤン侯爵令嬢、スペンス子爵令嬢」
令嬢たちの名前を呼んで返事する。全員、中立派のご令嬢だ。
中央に構えているのはナディア・フォン・ベナード侯爵令嬢。今年成人になった十六歳の侯爵家の少女だ。
そのベナード侯爵令嬢の左右にいるのは友人なのだろう。侯爵家の令嬢と子爵家の令嬢の姿を一瞥しながら彼女たちの生家を簡単に思い出す。
ダリヤン侯爵家は家柄だけは同じ侯爵家だけど、その立場は真逆だ。確か現当主が投資で失敗して近くに領地を持つベナード侯爵家から援助を受けているはず。
そしてスペンス子爵家は先の戦争で被害に遭っていてこちらもベナード侯爵家の援助を受けていたはずだ。
……そう考えると家の繋がりの友人だと表現する方が正しい。
確か陛下主催の夜会では裕福なベナード侯爵令嬢だけ参加していたな、と頭の中で思い出す。
そんなベナード侯爵令嬢たちは視線を上から下へと移して、私の顔を見てくすりと笑う。
「どうしたの?」
「ああ、ごめんなさい。つい、ね?」
挑発的な視線で三人にしか分からないような空気を出して笑ってくる。内心、面倒な子に絡まれたなと思いながらも微笑みを維持する。
「ねぇ、公爵夫人。シルヴェスター様がかわいそうだと思いませんか?」
「何がかわいそうなのかしら?」
扇で口許を隠すも、悪意のある笑みは隠さずに問いかけるベナード侯爵令嬢に変わらずに微笑んだまま問い返す。
「だって、病弱な婚約者の次は伯爵家の女が妻ですよ? そんな格下の女を迎えることになるなんて。ねぇ、そう思いませんか?」
「…………」
侮蔑と嘲笑を含んだ声でそう告げる。左右の二人も同じような視線を向けてくるので見つめ返す。
ああ、やはりこれはあれだ。シャーリーが言っていた人間だと推測する。
中央にいるベナード侯爵令嬢は私に敵意ありありの目をしていて、随分と嫌われているのが窺える。
身に覚えがあるのは──シルヴェスター様との結婚だ。
ベナード侯爵令嬢は年下でデビュタントを迎えたばかりの令嬢で接点は皆無だ。なのにこんなに嫌われている。
その理由が、シルヴェスター様関連なら納得できる。
というか、シルヴェスター様と結婚したことで何人かの令嬢たちにきっと恨まれていると思う。
シルヴェスター様は冷たい顔立ちをしているが端整な顔をしている。そして名門で財力に権勢も誇る公爵家の当主。そんなシルヴェスター様に令嬢たちが群がるのは当然のことだ。
公爵家の当主なんて伯爵家の私にとって雲の上の存在だったから近付かなかったけど、令嬢たちには大人気だったのは覚えている。
きっと互いに牽制していたはずだ。そんな中、突然公爵夫人の座を掴んだのが伯爵家の私。気に入らなくて当然だと思う。
そんな風に考えながら無言でいると好き勝手に口を開いて言ってくる。
「由緒正しき公爵家の女主人の座をたかが伯爵家の分際でなるなんて。ああ、本当にシルヴェスター様がかわいそうでなりませんわ。愛していない女を妻に迎えて。ねぇ、教えてくれます? どうやって手に入れたんですか?」
「本当ですわ。ぜひご教授していただきたいわ」
「でも生意気にも程がありますわね。身分もあって美しいナディア様を差し置いて」
ベナード侯爵令嬢に続いてダリヤン侯爵令嬢とスペンス子爵令嬢がベナード侯爵令嬢を持ち上げてわざわざ中傷してくるが……彼女たちは分かっているのだろうか。
たかが伯爵家、というが伯爵家は決して貶められる爵位ではない。
伯爵家は侯爵家と辺境伯家より下だけど立派な爵位だ。それをたかが呼ばわり……伯爵家を敵に回すようなことを発しているのが分からないのだろうか。
それだけではない。ベナード侯爵令嬢と共にいるスペンス子爵令嬢はともかく、子爵家や男爵家も敵に回る発言しているのを理解しているのだろうか。
それをよりにもよって夜会でそんな発言をするとは。
ダンスの時間で音楽が流れているけど、全員が全員、踊っているわけではない。現に異変に気付いて遠目でこちらを眺めている人がいる。それに気付いていないなんて致命的だと思う。
「ふふ、だんまり? どうやら公爵夫人は口がないのですね。まぁ、仕方ありませんわね。事実で身の上に合わないことしたのだから」
「そうかしら? 特別珍しいことではないと思うのだけど。数は多くはないけれど伯爵家から公爵家へ嫁ぐこともあればその逆もあるわ」
笑みを崩さずに切り返す。無視してもいいけど、今度は伯爵家ごときが無視なんて生意気だとか言ってきそうだから返事する。
実際、伯爵家から公爵家へ嫁ぐことはある。ただ、公爵家や侯爵家、辺境伯家と比べると少ないだけだ。
それをわざわざ三人でやって来て嫌味を言うなんて。
事実を指摘するとベナード侯爵令嬢が驚いたかのように目を見開いて声を零す。
「なっ……!」
「それに、ベナード侯爵令嬢も知っているだろうけど、この結婚は王命だもの。政略結婚なら十分あり得る例だと思うのだけど?」
追加で追撃をする。毅然とした態度でこちらも微笑む。
これで言い返すことができないはずだ。なぜならここで何か批判したら陛下の考えに意を唱えるようなものだから。
そう伝えたらベナード侯爵令嬢がぎりっと音を鳴らして唇を噛み締める。
どうやら私が言い返すとは思わなかったらしい。……まぁ、見た目は大人しく見える私だ。多人数で押せるという算段だったのだろう。
守ってくれそうなシルヴェスター様も今日はいない。だから思う存分嫌味を吐いてやろうと考えたのかもしれないけれど……陰険だと思う。
きっと、シルヴェスター様を恋慕っていたのは本当だ。
継戦派の貴族ならシルヴェスター様に想いを寄せていても結婚するのは難しい。
だけど、中立派なら話は違う。影響力のある中立派貴族なら婚姻で国王派に引き入れることができる。
当主であるベナード侯爵は王宮に出仕していないけど、長い歴史を持ち、財力もランドベル公爵家には及ばないが多い方だと思う。
ベナード侯爵令嬢のこの様子から婚姻の申し込みをしていたと考えるのが容易だ。
しかし、上手くいかず、いきなり私と結婚して納得していないのが現状だろう。
「それでもどうして伯爵家の貴女なの!? 他の、それこそ侯爵家でもいいじゃない!」
「色々な事を考慮して選ばれたんじゃないかしら? 今の政治状況はなんとなくでも把握しているでしょう?」
ベナード侯爵令嬢の怒りに対して淡々と告げていく。実際、政治争いで成立した婚姻だから嘘ではない。
それにしても、なんとしても“伯爵家なのに”と私を貶めたいらしい。どうやら墓穴を掘っていることに気付いていないようだ。
爵位が上にいけばいくほどにその家は少なくなる。あまり下の爵位を貶めるのは如何なものかと思う。
またしても私が言い返したことに不満なのか、ベナード侯爵令嬢が鋭く睨み付けてくる。
「まぐれのくせに偉そうに……! 侯爵令嬢のわたくしに口答えするつもり!?」
「ベナード侯爵令嬢。そんなつもりはないけれど、伯爵家は決して貶められる爵位ではないわ。この夜会の主催者も伯爵よ」
本当は生家が幾ら伯爵家でも現在公爵夫人になっている私に侯爵令嬢がこんな口を叩くのはあり得ない。
なのにこうして強気で出てくるのは、いくら私に言ってもシルヴェスター様が出てこないと判断しているからだろう。
──なぜなら私は、最愛のエレオノーラ様ではないから。
「侯爵令嬢のわたくしに文句言うつもり!?」
「ベナード侯爵令嬢、私は事実を言ったまでよ」
眉を少し顰めて高圧的に言ってくるベナード侯爵令嬢に淡々と答える。そろそろ逃げたい。
それにしても、まだ社交界デビューしたばかりと言っても、嫌味を言うのが直接的すぎだし、感情的すぎだ。
彼女がシルヴェスター様との結婚を断られたのはやっぱりこの恋慕のせいだと考えてしまう。
だって、自分はエレオノーラ様を想っているのに妻になる令嬢が自分に恋愛感情を持っていたら困るだろう。
ベナード侯爵令嬢を観察していると私の薬指にある指輪を見て目尻を上げる。
「その指輪も、本当はわたくしの物だったのに……!! さっきから何様よ……! わたくしはね、一年前にシルヴェスター様と偶然会ってからずっと恋慕っていたの。それなのにぽっと出の貴女がその座るなんて……! おかしいわよ!」
「──ベナード侯爵令嬢はシルヴェスター様と婚約していたの?」
「申し込みしていたのよ! それを途中で割り込んできて……!! 一体どう国王陛下に頼んだのよ!」
「……さっきも言った通り、この結婚は王命による結婚で私が頼んだわけではないわ」
感情的に叫ぶように怒鳴るベナード侯爵令嬢に淡々と返す。……なんだろう、さっきから同じこと言っている気がする。
溜め息が出そうになるのを堪えて口を開く。
「もし婚約が決まっていたならかわいそうだったけど、申し込みなら断られることもあるわ」
「わたくしが断られたと言うの!?」
「侯爵家からの縁談と王命なら王命を取るに決まっているでしょう?」
そろそろ面倒になりながら応答する。仮に侯爵家から婚約の打診が来ても王命に従うだろう。
シルヴェスター様の方が公爵家で格上なのだ。正式に婚約を結んでいないのなら断るのは可能なのだから。
指摘するとベナード侯爵令嬢がぎろりと睨んでくる。
「本当に生意気ね……! 伯爵はどんな教育をしているのかしら? 前の婚約者もそうよ、さっさと婚約を解消したらいいのに我儘を言ってシルヴェスター様を縛り付けて。二人共、身の程知らずって分からないの!?」
ぴくり、と僅かに眉を動かす。
確かに私は伯爵家出身だ。だから格下と批判するのも分かる。
でも、エレオノーラ様はベナード侯爵令嬢と同じ侯爵家出身だ。それなのにこのように批判するなんて。
「ナ、ナディア様っ……」
「前の婚約者のことは……」
「何よ! 貴女たちはどっちの味方なの!?」
騒ぐベナード侯爵令嬢に周りの人々が声を潜めて囁いているが、当の本人は頭に血が昇っているのか気付いていない。
「婚約の継続は両家が話し合って決めたことよ。誤解を招く言い方はしない方がいいわ。それに、身の程知らずだと言うけれど、エレオノーラ様は侯爵家出身よ。彼女がダメなら……ベナード侯爵令嬢、貴女も無理なのだけれど?」
「──!!」
落ち着いて再度指摘すると何を思ったのか、ベナード侯爵令嬢が顔を赤く染め、腕を振り上げた。