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政略結婚から始まる公爵夫人  作者: 水瀬
第1章 始まりを告げる鐘

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15.義弟の襲来1

 それは午後の時間のある日のことだった。

 公爵家にある図書室から本を借りて読書をしていたらドアをノックされた。


「奥様、入ってもよろしいでしょうか?」

「サマンサ?」


 サマンサの声に顔を上げる。読書をするとは伝えていたけど、何か起きたのだろうか。


「ええ、どうぞ」

「失礼します」


 入室してきたサマンサは珍しく困っていて不思議な表情を浮かべてしまう。


「どうしたの?」

「実はリカルド様が屋敷に帰ってこられたのですが、奥様とお茶を飲みながらお話しをしたいと申しておりまして」

「……リカルド様が?」


 サマンサの言葉を理解するのに数秒ほどかかった。

 そしてその人物の名前と用件になぜ、という気持ちがよぎる。


 リカルド・フォン・ランドベル。シルヴェスター様の弟で、ランドベル公爵家の次男で王都周辺を守る中央軍に所属して大尉の階級に属する軍人だ。

 そんなリカルド様は普段は中央軍の寮に住んでいるけど……私とお話し?

 

「如何なさいますか?」


 サマンサがどうするか尋ねる。

 リカルド様が私に面会を求める理由は全く分からない。

 だけど相手は軍人。今日は非番なのか会いに来たけど普段は忙しいはず。それを断るのは悪いだろう。


「……そうね、会うわ。少しお待ちください、と伝えてくれる?」

「かしこまりました」


 サマンサに言付けを頼んで部屋を去るのを見送って本を閉じる。

 内容は分からないけど応じるべきなのでエストを連れて歩きながらリカルド様がいる場所まで歩いていく。


 そしてリビングへ行くと二人の人間を確認する。

 片方はロバート。もう一人はロバートと話す鮮やかな金髪の青年だ。


「義姉上!」


 青い瞳と目が合った瞬間、ぱぁっと明るい笑みを浮かべて金髪の青年が立ち上がってこちらへとやってくるので礼をする。


「お久しぶりです、リカルド様」


 挨拶をすると、深海のような青い瞳が嬉しそうに細められ、ころころと笑う。


「そんな堅苦しくしなくていいよ、義姉上。リカルドって呼んで」

「いえ、義姉ですが私の方が()()なので敬称を付けるのは当然です」


 下手に出ながらもはっきりと言い切っておく。

 そう、リカルド様は義弟だけど私より年上だ。

 年齢は三つ上の二十一歳。シルヴェスター様のように夜空を溶かしたような黒みのかかった紺碧の髪と対照的な、黄金の稲穂のような鮮やかな金髪を持っている。

 しかし、瞳はシルヴェスター様と同じ深い深海のような青い瞳をしていて、兄弟なのだと思い知らされる。


「でも義姉上は兄上の妻だし、敬語じゃなくても気にしないよ?」

「シルヴェスター様の妻の前に私はリカルド様より年下です。とても呼び捨てなどできません」

「えっー。義姉上、固くない?」

「いいえ」


 謎の攻防戦を繰り広げている自覚はある。だけど、友人でもない年上のリカルド様を呼び捨てにするのはどうかと思う。

 なのでここは引かない。折れないという意思表示をきちんと示す。


「どうか、ご容赦を」


 短くそれだけ言って頭を下げると、頭上から狼狽えた声が耳を通る。


「え、ちょ、義姉上!? やめてってそんなの!」

「いえ、頼んでいる身ですから当然です」

「うっ……。わ、分かった! 分かったから頭を上げてって!」


 慌てた声で許可を得るとゆっくりと頭を上げる。言質は取った。

 顔を上げたらリカルド様が困ったように笑っていた。


「分かったよ、義姉上がそこまで言うならいいよ」

「ありがとうございます」

「ううん」


 礼を述べると笑って許してくれる。結婚式では挨拶しかしなかったけど、こうして見るとシルヴェスター様とやっぱり話し方や雰囲気、印象が大分違う。

 シルヴェスター様が硬質な雰囲気を持つ月の印象なら、リカルド様は明るく元気な太陽のような印象だ。

 

「あ! ごめん、ずっと立たせて! 座って」

「ありがとうございます」


 リカルド様が椅子を引いてくれるのでお礼を言って椅子に座る。

 座ると同時にサマンサがお茶を出してくれるので一口含む。


「ごめんね、突然来て」

「大丈夫です。今日はお休みですか?」

「うん。ここでの生活はどう? もう慣れた?」

「はい。シルヴェスター様にエストたちも親切で」

「そっか。それならよかった」


 肯定するとほっと安心した表情を浮かべる。どうやら気にかけてくれていたらしい。


「もしかしてそれで来てくれたのですか?」

「それもあるけど、目的は別にあるんだ」

「別、ですか?」


 尋ねながら本題に対して身構える。一体、なんだろう。

 じっ、とリカルド様の次の動きに注視する。


「今日来たのはね──義姉上と仲良くなるためさ! 別名『義姉上と仲良くなろう大作戦』さ!」

「…………はい?」


 リカルド様の発言に瞠目する。予想外の言葉に理解するのにこれまた十秒ほど時間かかったのは許してほしい。

 瞠目する私を見て、リカルド様が苦笑する。 


「義姉上たちの結婚が王命だって分かってるよ。でも、せっかく家族になったんだから仲良くなりたいって思ってたんだ」

「リカルド様……」


 ポツリと言葉が零れる。……七年前のリカルド様は十四歳。エレオノーラ様のことも知っているはずだ。

 それでも私と仲良くしたいと言ってくれて今もこうして友好的に接してくれて優しい人だなと思う。


「……ありがとうございます」

「ううん。で、いつ行こうかなーって思ってすぐにでも行こうかなって思ったけど、すぐ行ったら義姉上も困るからって兄上に言われて少し待ってたんだ」


 確かに結婚早々に来たらもっと驚いていただろう。先手打ってくれてありがとうございます、シルヴェスター様。

 しかし、今日来るとは聞いていないのだが。


「あの、今日の訪問はシルヴェスター様には伝えましたか?」

「伝えてないよ?」

「…………」


 どうやらいきなり来たようだ。帰ってきてシルヴェスター様が知ったらどうなることやら。


「リカルド様、それならそれで先にご連絡を。奥様がいなかったらどうしたのですか?」


 ロバートが指摘して同意する。そうだ、もしいなかったらどうしたんだろうと思う。

 リカルド様の実家であるのは変わりないから待っていたのだろうか。


「ふふーん、安心しなよ、ロバート。僕の勘では義姉上は今日は屋敷にいるって告げていたのさ。義姉上、僕ね結構勘が当たるんだよ?」

「まぁ、そうなのですね」


 やっぱりシルヴェスター様と対照的な人だと結論付ける。

 ロバートが呆れた顔をするもリカルド様は気にせずに話を振ってくる。


「義姉上は何していたの?」

「私ですか? 部屋で読書をしていました」

「読書? それなら邪魔しちゃったね」

「いいえ、読書はあとでもできますから」


 すかさず否定して気にしなくていいと伝える。今はまだ社交に時間を使っていないため時間は十分あるから気にしないでほしい。


「義姉上は本が好きなんだ?」

「そうですね。好きですよ」

「へぇ、じゃあここの図書室も行ったことある?」

「はい。膨大な数の本があっていいですね」

「うへぇー、義姉上すごいなぁ。僕、本とか無理だから尊敬するよ」


 感心したようにリカルド様が告げる。そういえば、ロバートが勉強が苦手だって言っていたなと思い出す。


「図書室には色んな本があって面白いですよ?」

「色んな本があるのは知ってるけど読むと眠たくなってくるんだよね。ほら、分厚い本で文字が細かくてぎっしり並んでいると目が疲れない?」

「それは少し疲れますよね」


 確かに長時間読んでいると目が疲れる。眠たくならないけど疲れるのは同意する。


「ですが、士官学校でも座学はありましたよね?」


 疑問が頭に浮かんで尋ねてみる。

 若くして兵士を束ねる士官になるには必ず士官学校に通わないといけない。リカルド様は士官学校出身で戦術を学ぶ座学が必ずあったはずだ。どう乗り越えたのだろう。


「ああ、その時は試験の時だけ寝る間も惜しんで勉強して落第を回避してたなぁ。実技はよかったけど座学がいつも危なくてヒヤヒヤものだったなー」

「…………」


 あははは、と笑いながらさらりと答えるリカルド様に無言になる。

 士官学校は王立学院と同じ四年制の学校だ。

 笑いながら教えてくれるけど……どうやらロバートの言う通り、座学は苦手だったようだ。


「そうだったんですね」

「そうそう。だから次男でよかったよ。外交官って複数の言語を使いこなして会談やら条約の締結とか成功させないといけないでしょう? そんな難しいのなんてやってられないからさ。本当、兄上がいてよかったなって思ってるんだ」


 ははは、と笑うリカルド様が笑いながら懐かしむように話し続ける。


「兄上は昔から賢くて子どもの頃から難しい本を読んでてね。語学が堪能で剣の才能もあってすごいんだよ。それに、あまり感情を出さないけど面倒見もよくて優しいんだ」


 リカルド様が大絶賛してシルヴェスター様を褒める。

 シルヴェスター様のことを話しているリカルド様は本当に嬉しそうで、その様子から慕っているのが伝わってくる。


「シルヴェスター様が大好きなのですね」

「うん。頭が悪い僕の勉強を見てくれて、軍人になることも尊重してくれて……。兄上には感謝しても感謝しきれないくらい助けてもらってるよ」


 頬を掻きながら少し気恥ずかしそうな様子を見せるも私の言葉に肯定する。その内容から弟思いなのが読み取れる。


「だから兄上の力になりたいんだ。兄上の外交官は責任の重い仕事で大変なのは父上やお祖父様を見ていて知ってるから。何か役に立てたらいいなって思ってるんだ」

「リカルド様……」


 ……確かに外交官は責任の重い仕事だ。

 交渉に会談、友好条約に軍事同盟、同盟強化に情報収集と自国の平和と国益に尽力する必要がある。


 五年前のグロチェスター王国との戦争ではまず近隣諸国と軍事同盟を結び、同盟国である帝国と王妃様の国などから様々な支援を約束してもらうために外交官たちが奔走していたのは父から聞いている。

 本当に、責任の重い仕事だと思う。


「私も何か役に立てたらいいのですが……」

「……それなら兄上が無理しないように声をかけてくれる?」

「そんなのでいいのですか?」

「うん。気にかけてくれているって知ったら兄上も無理する可能性が減ると思うしさ。僕は普段は寮暮らしだし中々言えないからさ。義姉上、お願いできる?」


 リカルド様が目を細めて頼み込んでくる。

 外交官に憧れていたけど、実際に外交官ではないから詳しい仕事は分からない。だからその仕事を手伝うことはできない。

 だけど、心配することはできる。

 

「……分かりました。やってみます」

「……! ありがとう、義姉上」

 

 頷いて返事をするとリカルド様がぱぁっと明るい人懐っこい笑みで返してくれた。

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