12.招待状の嵐と白百合
陛下主催の夜会から数日。
いつも通り、シルヴェスター様と共に朝食を摂ってエントランスホールまで歩いて見送る。
「行ってくる」
「はい、いってらっしゃいませ」
シルヴェスター様に挨拶をして、シルヴェスター様の後ろに控えるレナルドにも目を向ける。
「レナルドもいってらっしゃい」
「はい。行ってきます、アリシア様」
そして二人が馬車に乗って出発するのを見送り、屋敷に戻る。
「さて、ロバート。今日も招待状、来ているでしょう?」
連日大量に来ているので分かっているが一応尋ねる。
陛下主催の夜会が終わってから、日々膨大な量の夜会とお茶会の招待状が来て悔しいけどシャーリーの予言通りとなった。
結婚祝いの返信は一度したら終わりだけど、これは違う。一度断ったら終わりではないので大変だ。
「届いておりますが朗報です。本日は昨日よりやや少なめですよ」
「それは嬉しい話ね。エスト、ロバートのお手伝いお願い。私は先に執務室に向かうわ」
「かしこまりました」
すれ違う使用人に挨拶を交わしながらまっすぐと一直線に執務室へ進んでいく。
そしてドアを開いて椅子に座り、ロバートたちが来るまで別の書類などに目を通す。
数分ほど待っているとドアがノックされ、どうぞと呼び掛けると、ロバートとエストが手紙の束を持ってきて執務机に置く。相変わらず多い。
「それが今日の分?」
「はい」
確かに昨日より少ないけどそれでも十分多い分類だと思う。溜め息が出そうになる。
「本当、公爵家宛の招待状ってすごいわね。こんなに多いなんて」
一番上のある招待状を手に取ってつい呟いてしまう。
実家も父が宰相補佐官だから仕事関係者からよく夜会の招待状が届いていたけど、ここまでではなかった。
「新婚というのもありますが、ランドベル公爵家は国王陛下に仕える忠臣中の忠臣で建国時からある公爵家ですから。あらゆる場に顔が利き、旦那様は陛下とご友人で信頼も厚く、影響力が大きいので繋がりたいと思う貴族は多いのです」
「それは分かるわ」
嘆く私にロバートが懇切丁寧に解説してくれる。確かにそうだろうなと感じる。
陛下は先代から仕えている忠臣と自身がよく知る人間を特に大切にしている傾向だ。
シルヴェスター様は陛下のご友人で信頼も厚い。親しくなりたい人間は多いだろうなと考える。
「招待状ね……」
宛先人を確認しながらポツリと呟く。
主に来ているのは国王派だ。中立派も国王派ほどではないけれど来ているから量は多く、それを一通一通ごと確認して返信しないといけない。
だけど無視という考えはない。そんなことしたらどうなることやら。
「社交は苦手ですか?」
「うーん……。苦手じゃないけど得意でもないわ。友人だけのお茶会なら気が楽なんだけど」
苦笑しながらエストの質問に答える。華やかな場所は得意とは言えない。
それでも戦時中は多くはないけどお茶会や夜会に参加していた。
理由は簡単。情報収集するためだ。
デビュタントを迎えてしばらくしてから戦争は膠着状態になっているけど、戦況がいつ変化するか分からない。
そのため、情報収集するためにできるだけ参加するようにしていた。
父が宰相補佐官のため、比較的食事の席でも話を聞く機会はあったけど、それでも情勢が気になって自分でもできるだけ情報収集をしていた。
戦場の状態を知ることは難しくても国内の状況や行商人から聞いた使用人たちからの話なども大切にして今の状況を知るようにした。
領地に被害はなくても戦況によっては経済や流通にも影響が出る。ベルンがいるから家は継ぐことはないけど気になるものは気になる。
そういう情報を仕入れるためにも社交界には参加していた。
特に夜会は比較的そんな話を入手しやすかったから参加するようにしていた。
「旦那様から継戦派主催のパーティー以外は奥様に一任すると言付かっております。まずはお知り合いやご友人の招待状を優先しては如何でしょうか?」
「そうね。まずは実家と公爵家、どちらにも繋がりのある家の夜会に参加しようかしら」
「はい、それがいいかと」
私の意見にロバートが肯定する。社交は自由にさせてくれるのでありがたい。
情報収集は大切だから必要な夜会だけ押さえておいてあとは考えようと決める。
「さてと。やりましょうか」
そして自分に言い聞かせるように宣言して取り掛かった。
***
最後の一通に返信をして隣に置くとエストが声をかけてくる。
「お疲れ様です、奥様」
「ありがとう」
量は多くてもここ連日返信ばかりしているので慣れて一通にかける時間は短くなり、本日最後の分を終わらせてエストに微笑む。
そして、執務室にかけてある時計に目を向ける。
「まだ時間があるわね」
時計を見るとまだまだお昼の時間でこの後どう過ごすか考える。
「外出でもしますか? もしそれならご準備いたしますが」
「外出……」
エストの提案に思案する。外出。いいかもしれない。
そういえば公爵家に来てから外出したのは陛下主催の夜会だけだったなと今更ながらに気付く。
でも今は社交シーズンなので貴族が王都に集まっている。誰かにランドベル公爵夫人だと気付かれたら困るのが本音だ。
「それもいいけど今日は屋敷でゆっくりと過ごすわ。誰かに会ったら大変だし」
外出したい気分だけど見知らぬ貴族に会うのもなぁと思うので、屋敷の中で過ごそうと考える。
屋敷にいながら外の空気を吸える場所は、と考えていると花瓶に目が留まった。
「……庭園にでも行こうかしら」
庭園なら公爵邸内なので他の貴族に会うことがない。そして外の空気が吸える。一石二鳥だ。
それに公爵邸の庭園は美しいので疲れた目を癒してくれるだろう。
ポツリと独り言を発したけど、時間が経つほどいい案だと思えてくる。
「うん、いいかも。エスト、部屋に新しい花も飾りたいから庭園に行ってもいいかしら?」
「では日傘を準備いたします。少々お待ちください」
「分かったわ」
そして少し待ってエストから日傘を受け取って散歩しながらゆっくりと庭園を散策する。
庭園には赤・白・薄紫・橙・ピンクと相変わらず色んな色の花が咲き誇っていて心が楽しむ。
そして最近見慣れるようになった後ろ姿を見つけて声をかける。
「こんにちは、モーリス」
「これはこれは奥様。こんにちは」
私の声に反応し、ゆっくりと振り向いたのは庭師のモーリス。六十を迎えた温厚な老爺だ。
「どうかしました?」
「部屋に新しい花を飾りたくて。少しいただいてもいいかしら?」
「もちろんです。どのような花をお望みでしょうか?」
「そうね……、それなら色とりどりにしてもらおうかしら。色んな花を見て楽しみたいから」
「かしこまりました。では少々お待ちください」
頷くとモーリスは早速ハサミを取り出して手際よく色のバランスを考えながら花を切っていく。
「突然来たから急がなくていいわ。花を見ていてもいいかしら?」
「どうぞ。今はどの花も開花していてきれいですよ」
「そうね」
モーリスの言葉に返事して庭園に咲く色とりどりの花を眺める。
名門公爵家はやはり庭園も広大で季節ごとに様々な花が育てられていて、いつ見ても息を呑むくらい美しい。
きっと他の季節でもきれいな花がたくさん咲いているのだろうと考える。
「いつ見てもきれいね」
「奥様にそう言ってもらえて感激です」
思わず呟くとモーリスがニコリと優しい笑みを浮かべる。
今の時期はバラ・ユリ・アジサイ・マリーゴールドと夏の花が咲いている。
そんな花を育てているのがモーリスで、見習いや手伝いはいてもほぼ一人で管理していると聞いた時は驚いた。
「そういえばトーマスは?」
「トーマスは邸内の花を替えに行きましたよ」
「そうなのね」
なるほど、だからいないのかと納得する。どこの階の花瓶を替えているのか分からないけど部屋に戻る時に会うかもしれない。
トーマスはモーリスの孫で六十を迎えたモーリスの手伝いをしながら庭師として修業中だ。
ゆらゆらと風に揺られる花を眺めて、懐かしい故郷の光景を脳裏に浮かべながら目を閉じるとモーリスから声をかけられる。
「奥様、量はこれくらいで如何ですか?」
「……ええ、これくらいでいいわ。ありがとう」
「いいえ。花も喜ぶでしょう」
「それならいいんだけど」
ぼぅっとしていたけど、モーリスは気付かなかったのかそのまま話しかける。
エストが受け取ってくれた花束を眺める。色とりどりでかわいい。この花の一部は栞にしてもいいかもしれない。
「奥様の好きな花があればお教えください。ぜひ植えますので」
「ありがとう。考えてみるわ」
「はい」
そしてモーリスと別れて公爵邸内へ戻っていき、邸内を歩いていく。
「奥様、大丈夫ですか? 昨夜はあまり眠れませんでしたか?」
エストがじっ、とこちらを見て問いかけてくる。どうやらエストは気付いていたようだ。鋭い。
大したことではないけれど、心配させるわけにはいかないので否定する。
「ううん。ちゃんと寝れたわ。ただ、実家の庭園を思い出して」
「ご実家の?」
「ええ。正確には領地の方ね」
エストに問われて正直に話す。
伯爵領は南部に位置していて、温暖な気候の影響でカントリーハウスにはそれはそれはたくさんの花が咲いていた。
だからつい伯爵領を思い出してしまった。
「伯爵領の屋敷にも花がたくさん咲いていてね。懐かしくてつい思い出しちゃって。だから別に疲れているとかじゃないのよ?」
エストに心配かけないようにきちんと告げておく。本当のことだからだ。
笑いながら話すとエストも納得したのか、ほっとした顔をする。
「そうですか……。それならよかったです」
「ごめんね、心配かけて」
「いいえ、大丈夫です」
安心した顔を見せるエストに笑って見せる。
「さっ、戻りましょう。部屋で小説でも読もうかしら」
「はい。本日の予定はもうないのでゆっくり過ごしましょう」
外の空気を少し吸って気分転換して邸内に入る。
そして廊下を歩いていたらモーリスの孫で庭師見習いのトーマスが花を替えていたので声をかけた。
「あら、トーマス。こんにちは」
「奥様。こんにちは!」
名前を呼ぶとぱぁっと明るく笑って挨拶を返してくれる。
そばかすがあって屈託ない笑みを浮かべるのは先ほど別れたモーリスの孫のトーマス。まだ十五歳で明るくて人懐こくて、素直でいい子だ。
ラウラもそうだけどトーマスも年下で素直だからか、かわいらしく感じる。
「花を替えているの?」
「はい! 今日は白百合を飾ろうと!」
「きれいね。トーマスが育てたの?」
「はい!」
庭師見習いというが丁寧に育てたのだろう、白百合が元気に咲いているのが分かる。
そういえば、一昨日も違う花で白かったな、と思い出す。もしかして白い花が好きなのかもしれない。
「白百合ね、いいわね。白い花、私も好きよ。トーマスも?」
「はい! 僕も好きだったし、エレオノーラ様も好きだったので!」
「──トーマスっ!!」
突然のエストの通る声にびくり、と肩を揺らしてしまう。
呼ばれたトーマスもびくり、と肩を震わせると、あ、と声を零す。
エストの声に驚くも、トーマスが発した名前が頭の中で反芻する。
エレオノーラ。それは、シルヴェスター様が五年経っても忘れられない亡き婚約者の名前だ。
エストの叱責により見る見るうちにトーマスの顔が青くなる。
エストの方を見るといつも見る無表情が嘘のように感情を露にして、張り詰めた様子に凝視する。
そんな私の視線に気付いたエストが、はっ、とした顔をすると頭を下げる。
「すみません、奥様。大声を出してしまい申し訳ございません」
「あ、お、奥様! も、申し訳ございませんっ!!」
続けてトーマスも勢いよく私に謝罪する。顔は青白く、見ているこっちが心配になるくらい震えている。……きっと、かつての婚約者の名を出してしまったからだろう。
ここはどうするべきかと僅かに考えながらもニコリと何もなかったのかのように振る舞って微笑む。
「いいのよ、気にしないで。トーマス、花瓶には気を付けるのよ。割ったら怪我するからね」
「は、はいっ……」
「じゃあ頑張ってね」
あまり無理に気にしないでくれとは言わない方がいいだろうとトーマスの顔色から察したため、それだけ言うとその場を後にする。
「奥様……申し訳ございません」
「いいのよ。別に気にしてないから」
歩くとエストが再び謝るので少し笑いながら明るく告げる。
これは王命による双方断ることができなかった政略結婚。それは分かっている。
でも、少し驚いたのは事実で。
だって誰も、それこそ、シルヴェスター様も彼女の名前を紡ぐことはなかったから。
誰も、私に気を遣って意図的に呼ばないようにしていたのかもしれない。
だからこそ、ふと、その名前をこの屋敷に来て初めて聞いて思ってしまった。
シルヴェスター様が愛した――エレオノーラ・フォン・バスカルという人はどんな女性だったのだろう、と。