第8話 貪欲な隣人
目覚めても、部屋がいつものように明るくなることはなかった。
前の世界では、太陽という偉大な存在があったからこの世界の月だけの生活は明るさが足りず、前の世界が恋しくなったり、もどかしい気持ちになったりしたが、今ではその月の明るささえ恋しい。
薄暗い部屋には、暖炉の炎の揺らぎのみが僕たちを照らしており、静かな空間には燃えている木がはじけている音がたまに響く。
深夜に目覚めてしまった感覚がする。
僕は前の世界から睡眠には命を懸けていると言っていいほど、寝ることを重要視していた。
人や蚊に眠りを妨げられると、人が変わるように暴れる。
深夜に目覚めてしまったら、不快な気持ちになることがある。
その感覚を、僕は今、現在進行形で味わっている。
けれども、本当に深夜なのか、もう朝の時間帯なのか、判断することはできない。
ルアは横で眠っている。
ニータは、起きていた。
『ニータ……おはよう?』
『おはよう。今日は、静かだね』
『静か? うん、確かにいつもよりは静かだね』
『外の様子もだけど、魔力の流れも、静かだ』
ニータは目を細めて、鼻をぴくぴくさせている。
動物はこういうことに敏感なイメージがあるけど、やはりそうなのだろうか。
『それは、アプリストのせい?』
『どうだろうね、あまり深く考えたことはなかったよ』
『そう……』
魔力の流れ、特に感じることはない、と思っていたけれども、確かにニータが言っていることが少しわかる、ような気がする。
これまでは魔力の流れとか、魔術とか、さっぱり感じることはなかった。
けれども、昨日の夜、アプリストが現れたときに異変を感じた際から、とても弱いが、それに近い感覚がある、ような気がする。
まだニータに指摘されるまでは全然気が付かなかったが、なんとなく、ほとんど気のせいに近いと思うが、魔力の流れと言われているものがわかる、かもしれない。
『ところで、今は夜? 朝になった?』
『今は……昼あたり』
『えぇっ……めっちゃ寝てた……』
もう半日以上寝てたってこと?
何か、大切なことを見逃しているような気がする。
それと、お腹減った。
『ルアもずっと寝ているの?』
『ルアは朝に一回目を覚ましていたよ。ラビィもそのとき起きてたけど……』
『え……起きてたんだっけ? 全然記憶がないんだけど……』
『朝にルアが起きて、隣の部屋から鍋を持ってきていたのが最初だったね。その後にラビィが起きて、二人でご飯を食べていた』
食べていた?
うーん……。
本当に記憶がない。全然思い出せない。
『それから、何かあった?』
『え~っと……確か、ルアがラビィに薬を飲ませてたね』
『薬?』
『うん、水に瓶の中身を少し混ぜてたけど』
『あー……なるほど、うん。もういいや』
ルアの事だから、変な薬を入れていたに違いない。
記憶がないことは、ある意味幸運だったのかも。
で、ルアはまだ寝てると。
……外には、アプリストがいるのだろうか。
すべての窓が布で覆われているが、隙間からチラっと見ることはできるのでは。
この部屋には外につながる窓がないため、部屋を出る必要があるけど。
ルアに言っても、止められそうな気がするし、今、見に行ってみようか。
『ニータ、隙間から、見てみても大丈夫かな?』
『おすすめはしないよ。命がかかっているからね。この街では新月に外を除くということは、禁忌に近い扱いだからね』
『そう、だよね……』
『どうしても見たい理由でもあるの?』
最初は話さない方がいいと思ったが、ニータは僕が違う世界から来たことを知っていた。
この世界での、唯一の相談者だ。ニータがどの程度、世界の違いについて知っているのかはわからないが。
だから、自分が異世界からの転移者であることを話そう。
『この前、ニータは僕がここと違う世界から来たって言ってくれたよね。そうなんだ。僕は、意図したわけではないけど、異世界から転移してきた。だから、アプリストが僕と同じ転移者の可能性もあるんじゃないかと思って……』
『……絶対にラビィと同じ世界の住人だとは思えない。あいつらは、人じゃないから。それでも、一番困るのはラビィが勝手に見に行ってしまうことだよ。だから、ラビィが自分で決めて。絶対に外を覗かないか、僕と一緒に外を覗くか』
『ニータと一緒に?』
『ボクも本当にこの部屋を出たくないけど、ラビィが一人で覗いたら、連れて行かれる可能性がすごく高い。だったら、ボクが一緒に行った方がまだリスクは小さく済む』
ニータの顔の変化はとてもわかりずらい。
けれど、僕たちは念話という形で意思の疎通を行っている。
人との会話でも声の震えとかで感情がある程度わかるように、念話では心に近いためなおさら、相手の感情が伝わってくる。
ニータはすごくアプリストを恐れている。
この世界にとってアプリストとは、僕たちの世界でいうテケテケのような立ち位置なのかもしれない。
しかもそれが、実際に存在しているという共通認識があるのだ。
覗くか、覗かないか。
なかなか結論に至ることができない。
「ラビィ……おはよう、そろそろご飯食べる?」
「ルア?!」
いつの間にかルアが目を覚ましていた。
ニータとの念話はルアには届かないはずだから、いつもの感じで話している。
「うん、じゃあ、食べようかな」
……。
『ニータ、やっぱり、覗くのはやめるよ』
『それがいいと思うよ』
結局、アプリストの姿を覗くことはしないと決めた。
自分のために、ニータを危険にさらしたり、ルアを悲しませることは良くない。
ただ、今度ルアにアプリストについての情報を聞いたり、関連する本を読ませてもらおう。
ルアは寝室の暖炉で鍋を温めなおしている。
その様子を見ながら、これまでのことを思い出す。
ルアがなかなかアプリストについて教えてくれなかったこと、いつも通りフワフワした様子だったこと。
これらは、初めて新月を迎える僕に不安を与えないようにしてくれたのかもしれない。
それに対して、僕が不用心にアプリストを覗いて連れ去られたとなれば、ルアをとても悲しませることになったかもしれない。
そして、ニータが絶対的に止めずに僕に判断をゆだねたことも、そのような事態を避けるためだったのかもしれない。
これからは、自分の事だけでなく、ほかの人の思いも尊重しなければならない。
「ルア……」
鍋の様子を見ているルアを後ろからハグする。
「ラビィ?! ラビィからなんて珍しいね。どうしたの? 欲求不満?」
「僕がこの街に来てから、初めて出会ったのがルアでよかったなって、そう思っただけ……」
「え~~、急にかわいいこと言い出してどうしたの? やっぱり欲求不満?」
「今はこれでいいの」
そう言ってルアに抱きついて、鍋が温まるのを待つ。
体がとても温かくなったのは、暖炉のせいか、ルアの体温のせいか、心が満たされたせいなのか、その全てかもしれない。
『ニータ、おいで』
『……うん』
ニータが僕たちのそばに近寄ってくる。
「あら、ニータも、珍しいね。普段あまり私たちに寄ってこないのに」
「ニータと僕は普段から仲がいいよ」
「ずるい」
ニータの温かさも加わった。
『ニータも、ありがとうね』
『ボクもラビィがいてくれてよかったとおもっているよ。あの時、ラビィがボクの事をルアに家族って言ってくれなければ、シチューにされていたかもしれないからね』
『今考えると、だいぶ怖いね』
『恐怖そのものだよ』
そんなこんなで、世界も違う、種類が異なっているけれども、互いの温かさを知ることができた。
この機会を与えてくれた新月とアプリストには、感謝しなければならないかもしれない。
鍋が温まってきたら、そのポトフのようなものを木の器によそって、二人で食べる。
ニータには生野菜。
外では恐ろしい光景かもしれないが、今この寝室はとても幸せな空間。
ごはんを食べ終わると、少しルアと談笑する。
ニータの通訳としてもルアと会話をした。
『まずは、ボクをシチューにしないという確約がほしい』
ルアにそう伝える。
「大丈夫、もうシチューにするつもりはないわ。だって、ラビィが大切にしているもの」
そのことを伝えると、ニータは少し安心したようだが、僕がいなくなったら突然シチューにすると言い出すかもしれない、と結局怖がっていた。
それでも、前よりはニータもルアの近くに寄り添うようになっていた。
「ラビィ、聞いてもいい? あなたのことをもう少し詳しく。あなたは、人さらいに会うまではどのように過ごしていたの?」
まだ、ルアに異世界から来たとは言えない。
これまでもずっとそう考えてきたが、この街でアプリストという別の異世界の住人のことを怖がっている様子からして、伝えない方がいいかもしれない。
『ニータ、どうしよう。異世界から来たことは伝えたくないんだよね』
『うーん……オキシナっていう外れの島に住んでて、大学園に通おうとしたら人さらいにあったってことにしたら? ラビィくらいから大学園に通う人もいるからね』
『大学園?』
『魔術師や魔法使いとして生活したいと考える人とか研究をしたい人が、それらについて学ぶ場所だよ』
『なるほど』
元の世界の大学みたいなものか。
「僕は、オキシナっていう大陸の外れにある島に住んでいたんだ。最近になって、魔術師として学んでみたいと思って、大学園に通おうと考えていたんだ。それで、引っ越しのためにいろいろなものを積んだ船で向かっていたら、人さらいにあったんだ。多分、その時に僕の財産とかは盗られただろうね。」
「そうだったの、ほんとに大変だったんだね」
「でも、ルアとニータのおかげで、すべて悪くなったわけではないよ。ありがとう」
ルアとニータと会話をしているうちに、段々と眠気を感じるようになった。
外から異様の気配は相変わらずしているが。
「眠くなってきた」
「そろそろ寝ようか。きっと次に目を覚ました時には、次が昇っていると思うよ」
ここで寝てしまうと、新月は終わってしまうのか。
怖い出来事のはずなのに、少し名残惜し感覚もある。
そして、この機会を逃してしまえば、再びアプリストを直接確認する機会がしばらく訪れないということでもある。
でも、そのことについては自分の中で区切りをつけた。
もう少し、この世界で生活していこうという決意もした。
元の世界に戻りたくないわけではなく、元の世界の家族が嫌いなわけでもない。
自分のことを大切に思ってくれている。
けれども、それはこの世界のルアとニータも同じだ。
元の世界の家族を大切に思っていることと同じように、ルアとニータの事を大切に思いたい。
そう、心の中で決めたのだ。
やがて、僕たちはベッドで横になり、眠りについた。
その後。
僕は、目を覚ました。
窓は布で覆っているため、相変わらず部屋は暗い。
唯一の明かりである暖房は、パチパチと音を立てながら、小さな光を揺らしている。
寝ぼけた頭で、考える。
あぁ、もう朝か。
新月が終わって、いつも通りに戻るのか。
これから、この世界ではどのようなことが僕たちを待っているのだろうか。
アプリスト、イト、魔術師、どれも前の世界ではありえないようなことが起こっている。
静寂……。
ベッドの上へと目を移すと、ニータもルアも、まだ眠っている。
パチッ
燃えている木がはじける音がする。
暖炉の向こうは、イートアの街の大通り。
その瞬間。
背後から、冷たく、長く、太い釘を刺されたような感覚に陥る。
全身が固まった。
全身の血の気が引いていく。
動けない。
大きなものに見つめられている。
次の瞬間。
頭に、衝撃。
柔らかく、温かいものが頭にぶつかった感覚がした。
『ラビィ……! 頭を下げて!』
その声が耳に入ると、顔に血が再び通いはじめる。
かろうじて、頭を下げることができた。
その先には、とてつもない魔力を感じた。
頭を下げて、一分か、十分か、それとも十秒だったのか。
気が付いた時には、その存在はいなくなっていたようだ。
『ニータ、これって……これが?』
ニータから、恐怖の感情が流れ込んでくる。
『まだ、月は昇っていないよ……。あれが、アプリスト……』