第7話 新月の怪物
今日は新月の日。
この街には、月が三つある。
一つは、明るく、その街では太陽のような役割を果たしている。
実際の明るさは太陽の半分ほど。その月が昇り始めた時から、沈み再び昇り始めるまでの時間は、前の世界の一日の長さと等しい。
その月は、ヘリオスと呼ばれている。
一つは、僕が元居た世界にあった月と同じ大きさ、同じ明るさの月だ。
その月は、四カ月間空に昇り、二日間のみ沈む。
その沈んでいる期間は、ヘリオスも空に昇らない。
その期間は、新月と呼ばれている。
その月は、セレネと呼ばれている。
一つは、三つの月の中で一番小さな月だ。
一番小さな月は常に沈んでいるが、前の世界でのうるう年に当たる感覚で一日だけ昇る日がある。
その一番小さな月が昇る日は、泡の月夜と呼ばれている。
その月は、ヒュードルと呼ばれている。
この世界では、月はそれぞれ、時計と暦の役割を果たしている。
それが意図されたものなのか、偶然なのかは、この街を『夜の街』にした張本人である魔術師にしか知りえない。
そして、新月にのみ怪物が現れるということも、魔術師によるものなのか、偶然の産物なのか。
その日の前日、ルアはいつもよりも早い時間に薬屋を閉めた。
ルアはただ一言。
「今日はいつもより早く店を閉めるね」
そう言っていただけだった。
普段と様子が異なっていたのはルアだけではなく、街全体だった。
街中を歩く人が少なくなってゆく時間帯は、夜になってから、つまり空に昇る月が二つから一つになってから、それがいつものパターンだった。
今日は月が沈む前から明らかに人通りが少なくなっていた。
ルアが店を閉めたのも、ヘリオスが沈む前。
「どうしたの、今日は何かあるの? 街のみんなもいつもよりずっと少ないみたいだけど」
「明日に備えないといけないからね。明日は新月でしょ? 新月にはね、オバケが出るんだよー!」
「……そう」
「ちょっとラビィ、反応薄くない? もっと怖がってくれないと、面白くないんだけどなぁ」
「僕で遊ばないでください」
「えー……」
「で、どうなの?」
「まあ、帰ったら教えてあげるね。今言ったらラビィが怖がっちゃって家まで歩いて帰れなくなるからね……ん? それもいいかもしれない……」
ルアが後半言っていたことは、ほぼほぼ無視していたが、どうやら怖いことでもあるらしい。
ルアと家へと帰るが、家でもルアの様子はいつもと異なっていた。
家にあるすべての窓を布で覆っていく。
僕とニータが家にいることを確認すると、すべての扉を閉めて鍵をかける。
月が沈む前にお風呂を沸かして入り、夕食を食べる。
夕食はルアが作ったもので、いつも通り美味しかったが、いつもよりずっと多く作っていた。
普段は鍋の半分くらいなのだが、今日は溢れるくらい作っている。
「ルア、そろそろ教えてくれない? 何があるの?」
「んー、まだだめ。寝る前に教えてあげるから」
ここまで聞いても教えてくれないなら、これ以上言っても無駄なことは予想がついた。
「じゃあ、この料理の量は?」
「それは、明日も食べるからね」
「明日も?」
これまで意図的に食事を作り置きすることはほとんどなかった。
食べきれないことは何度かあり、その際は保存用の薬草を入れる。
ほかにも保存用として干し肉を置いてある部屋があることや、ジャムなども置いてあることは知っている。
けれども、あえてこの量で作っていることは何か意味があるのだろうか。
明日は忙しいのかな?
だから今日は早めに寝て、料理も作り置きしているのかもしれない。
食後に温かい紅茶も飲み、一息つくと、寝室の暖炉以外のすべての火を消した。
その様子は手馴れていたが、僕にとっては明らかに異様に感じた。
軽く部屋の片づけも済ませ、ニータを抱えて三人で寝室に入ることになった。
これまで意識してみていなかったが、この部屋には外につながる扉も窓もない。
別の部屋につながっている窓はあるが、今日は布で覆っているため、完全に真っ暗な状態だった。
部屋に入るとすぐにルアが暖炉に火をつけようとしている。
ニータを僕たちが寝ているベッドの上にのせると、暖炉に宿った火が部屋を薄暗く照らしている。
火が安定すると、ルアは僕を暖炉の方へと促す。
ニータはベッドの上でだいぶ眠そうに丸まっている。
「ラビィ、じゃあ、教えてあげる。なんで今日はいつもと違うのか」
急に改まって話をされると緊張する。
やっぱり、何か重要なことなのだろうか。
「ちょっと怯えた顔になってるよ、ラビィ。でも、大丈夫だよ、私がいるからね」
「ちょっと、怖がらせているのはルアじゃないの?」
「そっかそっか、でも、結構あぶないことだから、軽い感じで話すのはあまりよくないかなって」
そうなのかー。
危ないことなのか。
雲の話とか、魔物がいるとか、そういう話を聞いているから命にかかわることだと覚悟してしまう。
怖い話の担当はニータって勝手に考えていたけど。
「今日の夜はね、いつも沈まない月も沈んじゃうの。次に月が昇るのは明後日、それまでの間は外は真っ暗になるの。まもなく月が二つとも沈むけど、それから明後日までは、みんな外に出ちゃいけないよ」
あ、新月ってことなのかな。
真っ暗って言ってもこの世界には魔力もあって、街灯も灯せばなんとかなりそうだと思うんだけど。
前の世界だと別に気にしたこともなかったし、まあ、白夜の逆バージョンって感じかな。
別にあぶなくは、ないよね。
「新月ってことだよね。それは、外が暗くなって危ないから外に出ちゃいけないってこと?」
「ううん、危ないのは、夜の暗さじゃなくて、新月にこの街に現れる悪霊のこと」
「悪霊がいるの?」
悪霊とは?
魔法とか魔術とは別なのか?それとも同じようなものなのか。
「そう、アプリストって言われているんだけど、真っ黒で人の形をしているんだけど、大人二人分の高さをしているの。街頭で照らされていても、アプリストは空間が切り取られているみたいに黒いんだって。聞いた話だけど……」
話だけ聞くと大分怖そうな感じがする、けれども、なんかフワッともしている。
情報が少なすぎない? 高くて、黒い。
「それは……怖いね……?」
「怖いのは、今から話すことだよ。アプリストはね、こことは違う世界の住人なの。新月の時だけ、アプリストは自分の世界とこの世界の境がわからなくなって、やってくるの。それでね、アプリストはこの世界の気に入った人間のことを自分たちの世界に連れて行ってしまうの」
「確かに怖いかも」
僕がアプリストについて気になったことは、ここの世界とは違う住人だということだ。
僕も一応、ここの世界とは違う住人なのだから。
「でしょ? そういうわけで、これから新月が終わるまでの間は家にこもるの」
「へ~、家の中に入ってきたりはしないの?」
「アプリストは物を壊したりはしないの。ただ、明かりに寄ってくるから、アプリストの道しるべとして街灯はついているんだよ。それで、逆に家からは明かりが漏れないようにするの」
「なるほど」
ここでアプリストについての予想をすることができた。
一、アプリストは、実際は魔物かなにかのここの世界の住人で、伝承として異世界の住人と考えられている場合。
二、アプリストは本当にここの世界とは違う世界の住人で、僕がもともといた世界とも違う世界の存在である場合。
もし本当にそうなら、僕が元の世界へと戻ることはさらに難しくなるかもしれない。
他にも無数の異世界があるならば、その中から元の世界を特定することは難しいだろうし、そもそも戻り方すら検討がついていない。
三、アプリストは、僕と同じ世界から来た、同じような転移者または転生者であるという場合。
これなら心強いかもしれない。
新月の度に現れるというのなら、元の世界への戻り方も知っているのだろう。
ただ、気に入った人間を連れて行くという部分は引っかかる。
もしかしたら、僕のような異世界への転移は度々起こることで、それについて把握して研究している団体などが、例えば極秘政府機関なんかが、転移者をもとの世界へと戻してくれているのかもしれない。
元の世界でも『神隠し』とか人が突然消える現象の都市伝説があったし、アプリストが気に入った人間というのが転移者を特定しているということかもしれない。
まあ、この線は希望的観測に過ぎないが。
「それで、新月の間は基本この寝室で過ごすってこと?」
「そう」
ちょっと怖い感じがするけど、アプリストが着たら少し覗いてみようかな。
もしかしたら、元の世界の人かもしれない。
そう考えてきたら、ニータが話しかけてきた。
『ちなみにアプリストに見られたら、頭を下げて、決して上げてはいけないよ』
『そうすれば、連れて行かれないの?』
『だいたいはそうだね。アプリストと顔を合わせたら連れて行かれるから、見られてると思ったらすぐ頭を下げるんだよ』
『わかった』
やっぱり怖いことはニータが話すことが多い。
一体アプリストが何なのかということは、怖そうなモノとしかわからないが、この新月の期間は注意して過ごそう。
ニータが続けて言う。
『ちなみに噂では、アプリストの正体はこの夜の街を作った魔術師だっていう話もあるよ。』
『へ~……』
町中に鐘の音が鳴り響く。
「この鐘の音はね、新月が始まるまであと一時間っていう合図だよ」
「あと一時間……なんか不安になってきたんだけど、大丈夫だよね?」
「大丈夫だよ。もう私は何度も経験しているけど、一回も連れて行かれたことはないよ」
「そう……」
町に住む他の人もとっくに慣れているのかもしれないが、やはり恐ろしくなってきた。
本格的なバケモノだったらどうしよう。
家の中に現れたりしたら終わりじゃないか。
どうかアプリストは前の世界からの転移者でありますように……。
不安を抱えながら、僕はルアとともに部屋の8割を占める大きなベッドで横になる。
ルアはいつも通りだ。
特に緊張している様子はない。
一方で僕は、鐘が鳴ったあたりからあまり喋らなくなった。
「ルア、ほんとに家に籠っていれば安全なんだよね……?」
「大丈夫だって……ラビィ、不安なの?」
ルアは僕が不安そうにしているのを見てニヤニヤしている。
「そりゃ、連れ去られるとか怖いよ。この街に来たばかりで何にも知らないのに」
「そっかそっか~、ほら、怖いならぎゅーってしてあげるよ」
「ん~…………して」
僕がルアに近づこうとしたその時、ふと、何か違和感があった。
体の中に、余計なものが入ってきたような感覚。
家の中に、他人が入り込んでくるような感覚。
「月が、沈んだみたいだね、ラビィ……」
この街に、アプリストが現れた。
実際に月が沈んだのを見たわけでもない。
実際にアプリストの姿を見たわけでもない。
しかし、僕とルアには、この街に異変が入り込んできたという共通認識があった。
そして恐らく、この共通認識は僕とルアだけでなく、街全体に及ぶものだろう。
これは、アプリストを見に行こうと気軽に考えていた過去の自分がとても馬鹿らしい。
そう考えている僕と違って、ルアは落ち着いた様子で、少しリラックスしているようにも見えた。
「今日はもう寝ようか。トイレとか、この部屋を出る際は必ず私に言ってね」
「わ、わかった。……明日、ちょっと外覗いてみてもいい?」
「だめ。絶対にだめ! ラビィはトイレ以外、この部屋を出ちゃだめだからね」
「……うん。わかったよ」
ルアにここまでハッキリ意見を言われたのは初めてだったので、少し驚いた。
「ラビィが異世界に連れて行かれるの、私は嫌だからね。ラビィもちゃんと自分を大切にしないとだめだよ。…………じゃあ、さっきの続き、おいで」
僕はルアに寄り添い、そのまま眠りについた。
眠りに落ちる前も、アプリストのことを考えていた。
アプリストを見に行くのなら、本当に異世界の住人だった場合のリスクと、前の世界の転移者だった場合のメリット、それを考慮しなければならない。
明日は少し外を見てみようか、それとも部屋に籠っていようか。




