第22話 うさぎとなって帰宅する
アイク様から、一晩にして四つの街が滅ぼされたという恐ろしい話を聞いた。
それはとある生き物によって行われたという。
その生き物は異世界における理に反し、巨大な体と膨大な魔力を秘めていると考えられている。
その生き物は、伝説上の生き物から名前をもらい、ドラゴンと名付けられた。
アイク様が訪ねていた中央商会の会合で、そのような話があった。
にわかには信じがたい話だ。
しかし、ほら話として処理してしまうにはあまりにも大きなリスクがある。
だからこそ、中央商会のおじ様方も数時間かけてその話をしていたのだろう。
この話に、アイク様も頭を抱えている。
「さて、どうしたものか。そのドラゴンとやらがフォルタート領に来た場合、俺たちは住人を守ることができるのだろうか」
「そもそもフォルタート領を取り囲む霧は、初代フォルタートさまが外部から民を守るために設けたものではないのですか」
「確かにそうだ。しかし、それはあくまで人間からの襲来に備えて作られたものだ。多少人間よりも魔力密度が高い生き物であっても霧は効果を発揮するが、イェタンを始めとして微精霊には効果がない。小さなネズミ程度の生き物なら半分は生きて通ることができるだろう。人間の十倍から五十倍の魔力密度を持つドラゴンなら、霧の効果は期待できまい」
「それでは、新たに対策を講じなければなりませんね」
「ああ、そして、その無理難題が私に押し付けられたということだ。一体どうすればよいのか……」
「それに、被害があったカジア四地方は、ここから距離も遠いわけではありません。早急でなければならないでしょう」
「新たな防御魔法の構築なんて、そんな簡単じゃないんだ……」
「まずは、御夕食をとられてください。長い会合でお疲れでしょう。すぐに解決ができない問題でしたら、現時点からずっと思い悩んでいても時間の無駄です。御夕食をとられて、入浴されてからでも、まだ間に合いますよ」
「……そうだな、サキア。ありがとう。その通りにするよ」
「はい」
アイク様はそのまま大食堂へと向かって行った。
「ラビィ、これは緊急事態かもしれませんね。もしもドラゴンがこのフォルタート領に侵入してきたとしたら、ルアさんのところにまっすぐに行くべきです」
「サキアさん……ありがとうござます」
ルア、大丈夫だろうか。
確か、僕が元の世界に転移する前のルアは、だいぶ精神的に安定しているとは言えない状態だった。
それから僕が突然消えたようになっているだろう。
アンはどうなっただろうか、無事にフォルタート邸から出ることはできたのだろうか、ニータに会うことができたのだろうか。
「いえ、やはり実際に侵入したころでは遅すぎるかもしれません。今日、アイク様が夕食を終え、お風呂を終えたことから、私たちの今日の仕事も終わりです。そしたら、ルアさんのところへ向かいなさい」
「サキアさん……」
「大丈夫です、その間のことは私が何とかします」
「はい! ありがとうございます」
これは、ルアの元に行くしかない。
そしてニータの元にも。
明日からはまた、このフォルタート邸で使用人として働きに戻らなくてはならないが、それでも、ルアとニータに会いたい。
アイク様の夕食が終わり、お風呂も上がったところだった。
このフォルタート邸では、フォルタート家の人びとが夕食を終え、お風呂に入り終わったタイミングで、使用人たちの一日の仕事も終わりとなる。
僕はメイド服から元の服に着替える。
前の世界から持ってきたリュックを背負う。
「サキアさん、いってきます」
「はい、いってらっしゃい」
サキアさんとハグをして、僕はフォルタート邸を出る。
正門には衛兵がいる。
そのため、庭を通り塀をよじ登ってルアの家へ向かう。
『アン! いる? ここを出るよ!』
『……ラビィさん?!』
アンの声が聞こえた。
『どこ?』
『ここです!』
念話であっても、大体どこから語り掛けられているのかは感じることができる。
感覚を頼りに向かうと、十二匹の兎たちがいた。
『ずっとここにいたの?』
『はい! 他の人から食べ物をいっぱいもらえたりしたので、出るよりここにいた方がいいかなって』
『じゃあ、どうする? このままここにいる?』
『はい。意外と出るのも簡単そうだったので』
どうやらアン達はこのフォルタート邸で暮らすことを選んだようだ。
兎たちにとってここは居心地が良いらしい。
『そう。じゃあ僕はちょっとだけ外に行ってくるね』
『わかりました!』
このフォルタート邸を脱出する上で課題となるのは高い塀だ。
僕は塀を超えなければならない。
高さは二、三メートルと言ったところか。
どうしよう。
ここまでは来てみたものの、どのように塀を超えるか考えていなかった。
『ラビィさん? どうしましたか』
塀の前で立ち尽くしていたら、アンが来てくれた。
『どうやって塀を超えよう……』
『いい魔法や魔術はないんですか?』
『魔法?』
『はい、人間は体は大きいのに魔力密度は高いじゃないですか』
魔力密度、アイク様もそんなことを言っていた。
『僕、魔法の使い方がわからないんだ』
『では、イメージしてみてください。私たち兎の体にあなたがなっていくことを』
『兎の体?』
『そうです、あなたが兎になった感覚で、目を瞑ってイメージしてください』
『わかった、やってみるよ』
僕が兎になったイメージ。
僕がこの世界に来てちゃんと見た魔法は、ルアが光を灯していた時くらいだろうか。
そもそも、異世界から来た僕に魔法が使えるのだろうか。
可能性に賭けてみる。
兎の姿のイメージ。
兎の足を持って、その脚力で塀を飛び越えるイメージ。
『……そしたら、こう唱えてください……』
アンは何か言っていたが、僕は集中して聞いていなかった。
兎の姿……。
塀を超える……。
ただただ、自分が兎の姿となるイメージを持つことに全力を尽くす。
兎。
うさぎ。
超える。
目を開けると、視界がいつもよりも低くなっていた。
地面すれすれの視界だった。
しかし、それについて気づくことはなかった。
目の前の壁だけをただひたすらに見つめる。
一瞬、塀が低くなった感覚があった。
一メートルほどに低くなったような。
僕はその瞬間を見逃さなかった。
全力で走った。
全力で走って、力いっぱいに飛んだ。
ドン!
体の前面に衝撃を感じた。
周囲を確認すると、僕は塀の上に手をついていた。
なんとかそこからぶら下がっている状態だった。
僕は懸垂の要領で体全体を塀の上まで持ち上げた。
どうやら、先ほどの衝撃は体が塀にぶつかった衝撃のようだ。
かろうじて手だけは塀の上まで届いたので、そこから持ち上げることができた。
塀の上まで飛びつくことができたのだ。
魔法をうまく使えたのか?
汎用的な使い方には程遠いだろうが、今回はこれができただけでも十分だ。
『ラビィさん、やればできるじゃないですか! どんな魔法使ったんでしょうか』
アンは嬉しそうにそこら辺を駆け回っている。
『ありがとう、アン! 君のアドバイスのおかげだよ。じゃあ、僕は行ってくるよ』
そう言って僕は塀を下りて、ルアの家に向かって走って行った。
フォルタート邸に来たのは初めてだったが、イートアの街の明かりを目指して走って行った。
ずっと走った。
走っている間も、先ほどの魔法の効果が続いてるようだった。
驚くほど足が速い。
先ほどの魔法がどのような魔法だったのかはわからないが、恐らく、うさぎに変身する系の魔法だろう。
そういえば、さっきは詠唱なんかしたのだろうか。
ルアの魔法を見た時は、詠唱をしていた。
さっき自分が何か言っていたのかは一切覚えていない。
でも、アンが何か言っていた気がする。
無意識の中で詠唱していたのか、それともアンが代わりに詠唱してくれていたのだろうか。
そんなことを考えながら、イートアの街まで走って行った。
一体、何十分走ったのだろうか、それとも何時間だったのだろうか。
僕は汗だらけで、息もほぼ過呼吸の状態で、イートアの街に着いた。
そこからも、ルアの家を目指して走って行った。
夜のイートアの街は、何人か歩いている人はいた。
もともとフォルタート領は霧に囲まれており、太陽の代わりに月が二つあるので昼も夜もほとんど景色は変わらないが。
そんな街を走って行った。
そして、ルアの家の前までついた。
その扉の前で考える。
ルアは怒っているだろうか。
この前、ちょっと外に行っていただけのときもルアに怒られた。
あの時、僕はもうしないと言った。
ルア、すごく怒るかな。
そう考えると、扉を開けるのが少し怖くなった。
それでも僕は、ルアに会いたい。
僕は決意して、扉を開けた。
鍵は開いていた。
「ただいま……ルア」
走ってくる音が聞こえる。
部屋の向こうから、ルアが飛び出してきた。
「ルア……」
ルアの髪は前と変わらず綺麗だった。
けれども、ルアの顔つきは少し変わっていたかもしれない。
ルアは僕のそばに寄ってくる。
ルアに叩かれるのを覚悟していた。
しかし、ルアは僕を叩いたりしなかった。
力強く抱きしめてくれた。
「ずっと待っていたんだよ、ラビィ……。おかえりなさい」
僕も抱きしめ返した。
ルアの声は震えていた。
僕は涙を流していた。
二人とも膝から崩れ落ちた。
「ごめんなさい」
僕の声は震えていた。
ルアは僕の頬にある涙をぬぐった。
「本当に、どれだけ心配したと思っているの?」
ルアは涙を流しているが、優しい笑顔だった。
足に温かい感触があった。
ふわふわの、小動物のぬくもり。
そこには、ニータがいた。
「ニータ!」
『おかえり、ラビィ』
「ニータもラビィの事ずっと待っていたのよ。この前勝手にいなくなったときも起こったのに、今度は七日もいなくなるなんて。本当にどれだけ苦しかったか……」
「え? 7日?」
「まあ、詳しくこれから聞くわ。その前に温かいところに行きましょう」
僕はルアに連れられ、寝室に向かった。
ルアの寝室はこれまでと変わりなかった。
ルアの匂いがする。
部屋いっぱいのベッドに、火のついた暖炉。
この空間にいるだけでも幸せ。
「ん? すんすん」
「え?! な、なにルア?」
ルアは僕の首元の匂いを嗅いできている。
「すごくラビィの匂いがする。あとちょっと、女の匂いがする」
「走ってきたからかな。色々話すけど……まずはお風呂を……」
「まって、あと一回だけ嗅がせて……すんすん」
「ね、ねえ、もういいでしょ」
「まってまって、お腹の匂いも……すんすん」
ルアは僕の服をめくってお腹の匂いを嗅いでいる。
「あー、もうお風呂行くよ?!」
「……わかった」
僕はルアの家のお風呂に入った。
フォルタート邸の大浴槽も良かったけれども、ハーブやら花やらがあるルアのお風呂には勝てないなと思った。
お風呂を上がると、服が置いてあった。
僕が元の世界に転移してしまう前に来ていた服だ。
やっぱり転移の仕組みがいまいち理解できない。
元の世界で着ていた服は転移してもそのままだったが、この世界から元の世界に転移した時は服は引き継がれない。
それに、ルアは七日間僕が帰ってこなかったと言っていた。
僕がフォルタート邸で過ごしたのは二日間。
合わない。
しかし、元の世界にいた期間は、五日間だった。
これを足すと、つじつまが合う。
けれど以前、元の世界に帰ってきたときはこの世界で過ごしていた時間と連動していなかった。
いわば、僕がこの世界にいる間は元の世界は時間が止まっているようなことだ。
しかし、この「七日間」の計算が正しければ、元の世界で過ごした時間はこの世界でも反映されることになる。
元の世界から見れば時間は連動していないが、この世界から見れば時間は連動している?
それはおかしすぎる。
いくら考えても腑に落ちなかった。
お風呂からあがり、寝室に向かう。
暖炉の前でルアと一緒にベッドに寄っかかる。
そのすぐ横でニータは丸まっている。
ニータを撫でる。
ニータの撫で心地は他の兎たちと違う。
なんというか、毛並みが柔らかい。
すると、ルアが抱き着いてきた。
「ねぇ、私も寂しかったんだよ」
僕はルアに抱き着き返す。
暖炉で火がはじける音が聞こえた。
「ラビィがいなくなった時、確か水を汲みに行った時だったよね。誰かが転んだような音がして、ラビィが転んだのかなって思ったの。でも行ってみたら割れたグラスと水だけあって、ラビィの姿はなかった。ニータはその場所でずっと匂いを嗅いでいたんだよ。まるでそこにラビィがいるみたいに」
ルアが話しているのは、僕がこの世界から元の世界に転移した時の話だろう。
「外にでも行ったのかなと思ったこともあったけれど、玄関のカギはかかっていた。ラビィは家のカギを持っていないから、外に出て鍵をかけなおすなんてことはできないよね。窓もそう。鍵は内側だけど、ぜんぶ掛かっていた。ニータにラビィはどこって聞いても、その水の場所にずっと留まっていた」
ルアは興奮しているのか、とても早口で話している。
僕はルアに目を合わせて、相槌をうつ。
するとルアは少し落ち着いたようで、僕の頭を撫でながらゆっくり続きを話す。
「……それでね、私はラビィが誰かの魔法で連れ去られてしまったと思ったの。私のラビィが誰かに取られたなんて思ったら……」
ルアはそう言ってさらに強く抱きしめてくれた。
幸せ。
ルアの匂いがする。
柔らかい。
「……で、実際はどうだったの?」
なんて答えよう。
フォルタート邸に召喚されたなんて言ったら、フォルタート家の評価が下がってしまう。
ルアの薬屋はフォルタート家のお得意さんだと聞いた。
ここはちょっと工夫して話さないと。
「僕が召喚されたのは、人がいっぱいいるところだった。色々な商品が置いてある場所で、交易の場所みたいだった。そこで、知らない人に売り飛ばされそうになったんだ。それをイカノスティア・フォルタート様が僕を買い取ってくれて、メイドとして雇ってくれたんだ」
ここでは、悪役を中央商会にさせてもらった。
ルアやアイク様から聞いた話だと、おおまか中央商会とはそんな場所だろう。
人が多ければ犯人が特定できず、誰かが悪役とはされないだろう。
「そうだったの、ほんとに危なかったのね。アイク様でよかったわ。……犯人は恐らくティスね。人さらいを経由して人身売買しているから」
しまった、特定の人が出てきてしまった。
まあいいか。知らない人だし。




