第20話 泡風呂
僕はフォルタート邸で使用人として働きだした。
その生活は結局メイドがするものと同じようなものだった。
そして、間もなく初日が終わろうとしている。
僕たちは使用人用の食堂で夕食をとり終わった。
フォルタート家の人たちの夕食が終わり、その片付けが終われば、ほとんどの使用人の仕事は終わりだと言う。
僕たちはフォルタート家の人たちが食事が終わり、彼らが団欒室で楽しそうな会話をしていたり、自室兼書斎で仕事をするようになったのを確認して、夕食の片づけを行う。
彼らの食事後のテーブルの上を見ると、いかに彼らの食事マナーが礼儀正しいかを、その残された食器のみで知ることができる。
料理は一つも残さず食べられており、テーブルクロスの上に料理のソースなどが散らされている様子もない。
それどころか、使った食器はナプキンで先を包んで皿の上に置いている。
食事を片付ける人のことを思いやってくれているのだろうか。
シラに聞くと、いつもこのようにされているという。
昇降機を使い、食器類を調理場に送り洗う。
この世界では食器を洗う洗剤も薬屋から調達したものだという。
一般的な家庭でも洗剤は使うがここにあるものは特に贅沢な品らしい。
食器洗いを終えた僕たちの残された仕事は、大食堂の掃除。
毎日一つ一つ細かなところまで掃除する必要があると教えられた。
それもこれほどまでに大きなお屋敷だから、自分が掃除するべきところやその方法など覚えるのが特に大変だった。
フォルタート家の人々の食事が終わり大食堂の掃除を終えると、一日の仕事も終わり。
メイドたちは自室に戻る。
僕たちはサキアの部屋に行く。
部屋に入り扉を閉めた途端に、僕が忘れていてほしいと思っていたことをサキアが口にしていた。
「ラビィ、では、着替えを持って大浴槽に行きましょう」
「本当に行くんですか?」
「ええ」
やっぱり行くことになるのか。
あっちまで行ってトラブルになるより、ここで言ってしまうか。
どうか、地下牢送りにはなりませんように……。
「あの、サキア。実はその前に言わなければならないことがあるのですか」
「はい、なんでしょうか」
「実は、その……僕は」
実際に口にする瞬間になると恐ろしくなった。
頼むから、ひどい目には合わせないでくれ。
「僕は、女の子じゃないんです」
「はい、そうですね」
「え?」
なんか、思っていた反応と違うのだが。
サキアは顔色も声色も変えず、それまでと変わらない様子だった。
「女の子じゃないんです」
「何回言うんですか」
「だって、僕、男ですよ」
「存じ上げております」
「え?」
「どうして先ほどからわかりきっていることを何度もおっしゃるんですか? ほら、行きますよ。あなたは私に逆らえないのですから。そんなことは言い訳になりませんよ」
サキアは僕を部屋から大浴槽の方へ引っ張っていく。
僕は大浴槽に着くまでにできるだけ抵抗をしていた。
「僕、メイド服着せられているではないですか。でも、男なんですよ」
「はい。私がメイド服を渡しましたので」
まさか。
この人、最初から僕が男と知ったうえでそのような仕打ちをしていたのか?
いまだに納得できていない。
僕がお風呂が嫌で、嘘か何かだと思っているのか?
とうとう、大浴槽前の脱衣所までついてしまった。
「待ってください。本当に待ってください!」
「はいはい」
サキアは僕の言うことに全く注目せずに服を脱いでいく。
「いや……」
「だめです。もたもたしていると、他のメイドが入ってきますよ」
「そんな場合じゃ、って……」
その時には既にサキアはすべての服を脱ぎ終わっていた。
「ほら、何しているんですか? 一人だと着替えもできないんですか。しょうがないですね、私がしてあげますよ」
「い、いや、来ないで」
僕は部屋の角まで逃げたが、サキアは躊躇する様子もなく僕に触れてくる。
「わっ!」
あっという間にサキアに服を脱がされた。
これは公開処刑なんてものではない。
恥ずかしすぎる。
しかも、服を脱がされるときに全力で逆らったのに、サキアに力負けしていた。
「ほら、そんな隅っこで座り込んでいないで、お風呂に行きますよ」
「……だめ」
「だめじゃないでしょう」
「いや」
「はぁ……地下牢」
「うっ……」
「今地下牢に囚人はいません。つまり、あなたが地下牢に送られれば、たった一人で寒くて暗いところに鎖でつながれるんですよ? 常人なら、3日で精神を病むでしょう」
「うぅ……」
僕は涙目になりながらサキアについて行った。
サキアは僕の体を見ても、顔色一つ変えていない。
どうやら本当に僕が男だと知っていたようだ。
浴槽に入る前に体を洗う必要がある。
サキアは僕の後ろに回り込んできた。
「ほら、私が洗ってあげますから」
サキアは僕の髪を濡らして、シャンプーと手に付け泡立てて、わしゃわしゃと洗ってくれている。
「……本当に、綺麗な髪ですね。女の子みたいです、体つきも」
「いつから男だって知っていたんですか?」
「昨日ですよ。ラビィが寝てから」
「ラビィのことは、数日前にシエナから聞いた時から会ってみたいと思っていたんです」
サキアはサキアはお湯がちょうどいい温度になっているのを確かめてから、髪を洗ってくれる。
「シエナから、ラビィというとてもかわいらしい人がルアさんの薬屋にいると聞いていたんです」
今度はタオルで石鹸をこすり、泡立てて体を洗ってくれる。
「シエナがラビィについて話している時、すごく幸せそうな顔をしていたんですよ。それを聞いていて、私もそのラビィという人に会いたいと思うようになったんです」
サキアは僕の全身を洗おうとしている。
他人にここまで体を触られたことがない、僕は抵抗することもあったが、サキアの力で結局はされるがままになっていた。
「昨日はなんとなく眠れない夜で、庭を散歩していたら、知らない人が倒れていたんです。侵入者かと思って近づいてみれば、その人はとてもかわいらしい人でした。顔や髪だけではなく、その体つき、手足の長さと太さ、兎に囲まれている様子。それはまるで、異世界からでも突如現れたようでした」
僕は一瞬ドキッとした。
サキアは僕が異世界から来たことを知っているのだろうか。
しかし、その口調からして、別に深い意味はないようだった。
「これは好機だと思いました。この人を侵入者と脅してしまえば、私のものにできるのだと。私が自分の欲望に素直に従ったのは、これが初めてかもしれません」
僕は全身泡だらけになっていた。
それが異世界の石鹸だからなのか、サキアの腕前なのかはわからない。
「自分でも驚きました。これほどまでに私に行動力があるとは。しかしそれは、フォルタート家二番メイドであるからこその行動力だったのかもしれません」
サキアは僕を包んでいる泡を桶に入れたお湯で流している。
「そして、アイク様と会った時に、あなたがラテニアと名乗った時に思い出したのです。シエナはラビィという人の本名はラテニア・ビーラトルだと言っていたことを」
この世界の石鹸の匂いは元の世界のそれとは異なっていたものの、良い匂いに変わりはなかった。
すっかりサキアに全身を洗われ、僕はなぜか幸せという感情と温かさとさっぱりした感覚に包まれている。
「私はあなたのことを手放したくはない。……それでも、今話していて気がつきました。あなたがここに来るまでに暮らしていたのはルアさんの家ですよね。シエナから、ルアさんもラビィのことを大切に思っているということも聞き及んでいました。きっとルアさんも私と同じように、いや、私以上にあなたと事を思っているんでしょうね」
僕の体を洗い終わったサキアは浴槽の椅子に座り込んでそのように話している。
「私は、あなたを自分のものにする事はできないのでしょう」
「僕は誰かの物になるつもりはありませんよ。ただ、僕は一緒にいたいと思った人のそばにいるだけです」
僕もサキアと同じように手にシャンプーをとり、泡立てて、サキアの髪を洗う。
「最初はサキアさんのことは少し怖かったです。……今も怖いですが、でも、少なくとも地下牢に送られるよりはサキアさんのものになっていたほうがいいと僕は思っていたようですよ」
サキアは苦笑いをしている。
「今日サキアさんと一緒にいた時に、怖いという感情以外にも、幸せや安心という感情を感じていました。それは今もです」
サキアの髪をお湯で流す。
「第一、僕は自分のことを可愛がってくれる人のことは好きです。その気持ちが強すぎる人は多すぎると思いますが、それでも悪いことではないでしょう」
タオルを石鹸で泡立てて、サキアの体を洗う。
「僕が元々いた世界……じゃなくて元々暮らしていた地域では、サキアさんのように感情をかたちとして外側に出す人は多くありません。自分が他人から大切に思われているのか、それを確かめることってとっても難しいんです。どうやら人というものは十分に生きられる状況となれば、承認欲求を満たそうとするようです」
人は物理的欲求が満たされれば、次に精神的欲求を満たそうとする。
それについて五段階で説明していた心理学者がいた。
「だから、この、イートアの街やフォルタート邸に来てからは戸惑うこともありました。でも、それと同時に幸せという感情もありました。自分が他人から愛されていると感じることができたからです」
先ほどの僕みたいにはならなかったが、サキアも多少泡だらけになった。
サキアの泡をお湯で流す。
「僕も元々暮らしていたところのカタチが抜けなくて、自分の気持ちを素直に表現することはなかなか難しいです。それでも、僕はこれから、それができるように努力しますよ」
僕は後ろからサキアに抱きつく。
その時に思ったこと。
やっぱりこの世界の人々は身長が高いようだ。
決して僕が低いわけではない。
サキアの温かさが伝わってくる。
「どうですか? これで伝わっているんですかね」
「……はい。伝わっていますよ。ありがとう、ラビィ」
「ずっとこのままだと冷えてしまいますよ。ラビィ、お風呂に入りましょう」
「そうですね」
お風呂に入ってからは、ルアと一緒に暮らしていたころの話を聞かれたので、そのことについて話していた。
ニータが以前教えてもらった、僕がイートアの街の外から来たという設定をもとに、時には本当のことを話し、時には嘘をつきながら話した。
お風呂は泡風呂だったから、目のやり場にはなんとか困らなかった。
ちゃんと目を見て話した。
お風呂で話している時は、それまでと違ってサキアは少し優しくなった感じがした。
これは、僕の気持ちがちゃんと伝わったということで良いだろう。
この世界は、慣れればとても良いものかもしれない。
「良い感情を表に出すように、そうでない感情も抑えなくても良いんですからね」
「そうでない感情?」
「今日の朝、アイク様にベッドの中に引きずり込まれていたでしょう。その時は、嫌だと言って抵抗してもいいんですよ」
「そんなことして大丈夫なんですか? 雇い主ですよね」
「雇い主だからこそ、私たちはより感情を表現しなくてはならないのです。何が良くて何が悪いのか。そしてそれはフォルタート家の人たちから私たちに対しても同じようにされています。その表現は、呼吸をすることと同じように、生きるために必要なものと考える人もいるらしいです。私はそこまでとは思いませんが、いずれにせよ、なくてはならないものでしょう」
「でも、そうしているとうまくいかないこともあったりしないんですか」
「うまくいかなかったら、そこから出ていけばいい。それができないなら、自分をだまして嘘をついたり我慢したりする必要もあるでしょう。大切なのは、何が正しくて何が間違っているかではなく、どれくらい正直に生きて、どれくらい嘘をついていく必要があるのか、その程度を間違えないようにすることでしょうね」
二者択一ではなく、その間のちょうど良い場所を自分で見つける必要があるということかな。
この内容を踏まえれば、生活の中で息苦しさを感じるときは、その正直さと嘘のバランスが合っていないときなのかもしれない。
そんなことを思っていたら、ドンと音が聞こえた。
大浴槽への扉が開けられた音だ。
「シラ? ちょっと何しているの?」
サキアがそう言っていた。
どうやらシラが入ってきたらしい。
どうしよう。
シラは僕が男だと知らないだろう。
「もうすぐで上がるから、もう少し自室で待っていてくれない?」
「えー、もういいでしょ。それに、ラビィもいるじゃん!」
「ちょっと、待ちなさい!」
シラはサキアの警告を受けずに浴槽に飛び込んできた。




