第2話 温かい家のいい匂い
僕はとある住宅街の道端に横たわっていた。
道端の水たまりの上に。
夜なのだろう、周りは暗く、オレンジ色の街頭がある。
その道はだいぶゴツゴツしていた。
周りの建物は、日本のような建物ではなかったことだけはわかる。
よく見ていなかった、というより周りを見渡している暇はなかった。
その要因は、僕の視界の先にある光景だった。
実は僕が横たわっていた時、顔は道の中央を向いていた。
その道は石畳だったが、とても長い間使われていたためか、それとも雨が降っていたためか、滑らかな道だった。
道の中央には、白い毛皮のような玉があった。
その玉はほんの少し膨らんで、ほんの少ししぼむ。
どうやらそれは生き物で、呼吸をしているようだった。
そして、すぐそばの道は赤黒くなっていた。
つまり、そういうことなのだろう。
道の真ん中に小動物、車との事故だろう。
まだ息があるようだが、瀕死なのではないか。
自分の状態も周りの状態も確認せずに、僕は体を起こしてその小動物近づいて行った。
その小動物は、兎だった。
血は体の左側から出ているようだったが、量は多くなく、少なくとも頭に外傷はなかった。
もしかしたら、助かるかもしれない。
近くに動物病院はあったか?
服のポケットにしまったはずのスマホを探す。
その時にやっと自分の状況を思い出した。
そもそも駅にいたはずなのに、なぜ外にいるのか。
実はあの通路は駅の裏口的なものに通じる道で、外に出てしまっている可能性はある。
そういえば通路は暗かった。
きっと前をちゃんと見ていなかった従業員か誰かに後ろからぶつかられ、そのまま勢いで外にでも出てしまったのかもしれない。
避難誘導の標識はただの設置ミスを放置していただけで、避難口から外に出てしまったのかも。
とりあえず、ポケットからスマホを取り出し、地図アプリをひらく。
すると、さっきまでいた駅の地図が画面の中心にある。
ただ、「現在位置の精度が低いです」と出ている。
まあ、駅内にいるとみて間違いないだろう。続いて近くにある動物病院を――。
左側、とても大きな衝撃。
先ほどの事といい、悪運が強いのやら。
僕は車にぶつかられた。
体はもうきっとズタズタとなったことだろう。
あの兎のように自分も道に倒れたとしても、助かるのだろうか。
あー、バイトやばいな。
僕のバイト先は常に二人体制だから、遅刻とか来れなかったら返金処理も店舗締めの精算もできないんだよなー。
怒られるかな。
リュックに入れてたPCとか壊れてないといいけど。
なんてことを考えることもできない一瞬の間で僕の視界は暗転した。
……ベッド……体中が痛いというか重い…
……眠い、もうちょっと寝よ……
「……うぅ……」
寝たいけど、体が痛くて寝れない。
今日は何曜日だっけ?
目覚まし鳴ってないってことは、一コマからではないか。
何か、大切なことを、忘れている気がする。
「起きたの? 大丈夫?」
え、誰?? 寝たふりしとこ。
誰かが顔をのぞき込んでいるのを感じる。
「起きてるの?」
……
「寝言かしら」
声からして、女の人の声だ。
聞いたことのない声だった。
え、ここ家じゃないのか?
大学?
大学で寝ちゃってたのか?
いや、でもここベッドだよね。
おかしすぎる。
一番最後の記憶はなんだったっけ。
頑張って思い出してみる。
確か、大学からは帰ったはずだ。
家に着いて、はいない。
駅だ、駅で変な通路に入ったんだっけ。
それで、どうなったんだっけ。
あ、外に出たんだっけか。
駅の外の道で(なぜか)倒れてて、ケガした兎を見つけて。
あと覚えているのは衝撃。そういえば、左半身全体の鈍い痛みを感じる。
車にはねられたんだ。
ここまで記憶整理すると、自分がいる場所を想像できる。
ここは、病院だ。
恐らく間違いはない。
車で僕をはねた人か、野次馬でも集まったのか。
それでも幸運なことに、僕は病院に運ばれてベッドで寝かされている。
だとすると、問題は重症かどうか。
それは後でわかるとして、病院だったらこの女の人は別に怪しい人じゃないだろうな。
これ以上心配かけても仕事が増えて大変だろうし、目を覚ましておくかな。
「おはようございます……」
「え?! あ……、おはよう」
声を出すと体が痛い。
彼女は僕の声にだいぶびっくりしたようだった。
「お体は大丈夫?」
「だいぶ痛みはありますが、なんとか自力で起きれるくらいだと思います」
……え?
いや、待て待て待て、ここ病院じゃないじゃん。
見た感じ、誰かの家だろう。
全体的に暖色系の明かりがあり、温かみを感じる家。
恐らくは彼女の家。
そして彼女は、看護師の恰好ではない。
手錠とかでベッドにつながれてたりしてないだろうな……服とか脱がされたりしてないだろうな……。
……大丈夫でした。
ただ、なぜか女の人が着るような服を着させられている。
これについてはあとで、まずは状況を把握しなければならない。
「ここはどこです――」
ギギギ……
質問を言い出す前に、ベッドで横になっている僕に対して、彼女は馬乗りになってきた。
安心できる人だったらこのシチュエーションは最高だったのに、相手が相手なので怖い。
そう思っていると、彼女はその手を僕の顔の方に伸ばしてくる。
少しおびえたような表情をしてしまい(普段自分の感情は出さないようにしている)、すると彼女は慈愛に満ちたような、もしくは歪んだ愛に満ちたような目をして、僕の頬を撫でてくる。
僕は二十歳にもなろうとしているのに。
子供でもないのに。
「子供が一人、外で倒れていたから、思わず家に運んできたのよ」
そうですか。
確かに自分は身長も特に高くなく、筋トレとかもしてないし、童顔とも言われたことは何度もあったが。
ちゃんと大人用のコートは来てましたよ。
身長は170あったらいいなと思っている。
別に高望みじゃない程度だと思うんだけど。
では次にこの服装のことについて聞くか。
女の人が着るような上着と、長めのスカートのようなものを着せられている。
「質問してもいいですか?」
「兎さんの事?あなたのそばで倒れていたから一緒に連れてきたけど、お夕飯のおつかいとか?」
ん?
兎を夕飯にするのかこの人は。
まさか、すでに捌いたとかいうんじゃないだろうな。
「いえ、生まれた時から一緒の家族なのですが」
とっさに嘘をついた。
「あ、そうなのね! まだ捌かなくておいてよかったわ! 兎の肉のシチューは病人にいいから、あなたがもうちょっと目が覚めるのが遅かったら危なかったよ。あ! じゃあ、野菜のシチューでも作ってくるわね」
そう言って彼女はどこかに行ってしまった。
少なくとも、犯罪者とか何か悪いことをするような人じゃないといいけど。
兎は無事なようだ。
でもこのご時世に兎をシチューにするなどやっぱりやばい人なのかもしれない。
結局、服装についても聞けなかった。
十中八九、女の人だと思われているのかもしれない。
そうですか。
確かに自分はさっきの特徴に加えてなで肩だし、首は細いし、なぜか若干腰骨の上がくびれていたりもするが。
ちゃんと男の人っぽいように髪型と色々試行錯誤しているんですよ。
そう思いながら自分の髪を撫でてみる。
あれ、髪長くない?
肩のあたりまで髪が伸びていた。しかもちょっとしっとりサラサラしている。
えー、なんで?
状況を整理しよう。
駅から出た道路で車にはねられて、倒れたところを知らない女性に助けられ(?)、自宅まで運ばれた。
僕と一緒に倒れていた兎も同様に彼女に連れられこの家へ。
服は着替えさせられている。
さっきまで着ていた服はそばに畳んで置いてあった。
ベッドも木製で年季が感じられるが、結構良いにおいがする。
まわりの壁はレンガでできているようだ。
そして木で棚などがつけられており、病院のような明るさではないが、ろうそくの火の照明と合わさってとても味のある家だった。
その棚をよく見ると、海外風の、恐らくイギリス系の瓶などの装飾品がある。
そういえば彼女も海外の人っぽい顔だったと思う。
今思うと金髪で綺麗な人だったと思う。
もしかしたら日本人とイギリス人のハーフとかかもしれない。
イギリスの田舎とかの出身で、兎のシチューを食べていた経験があったのだとすれば、さっきのような言動も納得いく。
外国人はすぐにハグとかしそうだし、ボディタッチが多いイメージがある。
別に変な人じゃないなら、助けてくれたことにはちゃんと感謝を示さないといけないかな。
そう考えていると、彼女はスープを運んできた。
湯気を立たせながらおいしそうな香りを漂わせるそのスープを見て、空腹を感じた。
いつもなら寝起きの時はぜんぜんおなかは減らないのにな。
彼女は木でできた器とスプーンを両手に持っている。
ベッドの横についているサイドテーブルに置いてくれるのかな、と思っていたら彼女はベッドに座り込んできた。
ちょっと近いんですが。
「はーい、スープ持ってきたよ。食べさせてあげるよー」
「ありがとうございます。でも、自分で食べられますよ」
猫舌だから、熱いものを他人に食べさせられるのは結構な恐怖なんだよな。
まあ、美女にあーんしてもらえるという神的な状況は素晴らしいのだが。
それでも、だからこそ、熱くて思わず口から出しちゃうなんて申し訳ないことはできないのだ。
「そうねー。あーんしてあげるよ。ふー、ふー」
この人はあれか、人の話を聞かない感じか。
一応もう一回言ってみる。
「僕、猫舌なんですよ。だから自分で食べますよ」
「そうなの? かわいい。じゃあもっとふーふーしないとね」
あー、……どうやら決定事項みたいですね。
すると彼女はスプーン一杯に取り、冷ましたスープの三分の一ほどを口に含んだ。
自分で食べるんかい。
「ん、このくらいなら大丈夫かな。はい、口開けて、あーん」
彼女はそう言って、少しスープが減ってしまったスプーンを僕の口元に差し出してきた。
「あ、ん、おいしいです」
温かいスープは口に入れると、程よい塩味と野菜の甘味が舌を包みこむ。
おいしい。
僕がスープを飲み込んだのを確認すると、少し僕の方に寄ってきた。
だから近いんですが。
「はぁ、ふー、ふー、はい、あーん」
すかさず二杯目がきた。
あむ。
気のせいかもしれないが、彼女の声はだんだん吐息交じりになってる。
頬も赤みがかっている。風邪かな。
そういうことにしておこう。