第17話 木の根の向こう側
それは新月の真夜中だった。
異世界に行くため、僕たちは神社にある大木を目指していた。
神社は家から徒歩5分ほどの距離にある。
さらに僕たちは、追われている。
後ろを振り返ったわけではないので、正体を直接目撃したわけではない。
しかし、そいつから逃げている全員がその正体を理解した。
異世界にいるべき存在であり、この世界にはいるはずのないもの。
そいつが放つ圧倒的な気配から逃れるために、僕たちは走っている。
『ラビィさん! これは良くないです!』
『なにが?!』
アンが走りながら話しかけてくる。
『あのアプリスト、光にぜんぜんつられていないです!』
そういえば、ルアはアプリストについて光に誘導されると言っていた。
この世界にも街灯や家の明かりがあるのに、一切つられる様子がない。
まっすぐ僕たちを追いかけてくる。
すると前方に神社の敷地が見えてきた。
『ほら、神社はすぐそこだよ!』
『大木の場所は案内します! ついてきてください!』
鳥居をくぐって神社の敷地に入る直前、背後の気配が二倍になったのを感じた。
どうやらもう一体アプリストが増えたようだ。
状況はさらに最悪になった。
その重圧から、自分の足が鉛のように重く感じる。
それでも必死に走る。
石畳の道を走っていると、アン達は神社の建物の裏側へと走って行った。
僕も兎たちに引き離されないように必死に走る。
先の方から声が聞こえた。
『あった! みんな入るよ!』
一番先頭を走っていた兎が大木に着いたようだ。
何とか追いつくと、その大木は樹齢数百年といわれても納得できるほど大きく立派な木で、しめ縄がまかれていた。
その下の方を見ると、太い根が複雑に、そして立体的に絡み合っているのがわかる。
そして、そこには人一人が入れるほどの空間があるようだ。
木の根で作られた洞窟のようなもの。
そこに向かって、どんどん兎たちが飛び込んでいく。
『ラビィさん! こんな風に飛び込んで!』
そういってアンは木の根の空洞に飛んでいった。
僕がその根の部分にたどり着いたころには、その空洞の中には兎は一羽も見当たらなかった。
ただ、水面があることだけはわかった。
とても透き通っていた。
しかし、そんなことに躊躇している暇なんてなかった。
背後の気配はまっすぐこちらに向かってくる。
僕は、頭から水面に飛び込んだ。
その瞬間、顔いっぱいに電流が走ったような感覚がした。
その水に触れた感覚だった。
外から見れば、その空間は本当に狭いものだっただろう。
それでも僕は、さらに水の奥の方へと吸い込まれていく。
目を開けると、視界いっぱいに暗闇が広がっており、小さな光がいくつも散らばっていた。
綺麗ではあったが、そこは奈落への穴のようでもあった。
あの木の根の下は、永遠に続く穴。
天地が逆転してしまい、すべてのものが宇宙空間に放り出されるような。
待っているのは、あまりにも広大で、人の手では逆らうこともできない偉大さ。
そして、また天地が逆転する。
星空が上にあり、ちゃんと地面が下にある。
少し冷たい手触りがある。
見回すと、立派な庭のようだ。
十二羽の兎たちも周りで倒れている。
空を見上げると月がある。
横を見回すと、立派な城のような、豪邸のようなものがある。
石レンガ造りで、中世ヨーロッパという雰囲気。
転移は成功したのか?
ここは、異世界なのか?
なんか、頭が痛くなってきた。
目の奥がズキズキしてくる。
うぅ。
僕はその場に倒れこんだ。
気を休めるために目の前にいる兎を撫でる。
『大丈夫?』
『ラビィさん……。大丈夫です……。ちょっとだけ横に……』
ほかの兎たちも同じようだった。
一回目の時はこんなことなかったのに。
いや、最初は転移直後に馬車にはねられて失神したんだっけ。
でも、一回目の転移と出てくる場所は違っているみたいだ。
元の世界にもどったときは(だいたい)同じ場所だったのに。
『俺も気持ち悪いー……』
『ラビィー……』
兎たちが集まってきた。
一二羽の兎に囲まれて倒れている様子、他から見たらだいぶ不思議な光景なんだろうな。
さく、さく、さく。
ん、誰かが歩いてくる音が聞こえる。
ここは庭だから、そこに生えている草を踏んでくる音が聞こえる。
「あれ、家の方ではないようですね。どちら様ですか? 不審者だったり許可のない侵入者でしたら、とらえて地下牢に連れて行きますよ」
女性の声が聞こえてきた。
そちらの方を見ると、メイド服を着ており、その身長や顔立ちは日本人のそれとは少し異なっていた。
どうやら、ちゃんと異世界に転移できたようだ。
どこかで見たことあるような人だ。
誰だろう。
顔は覚えていないんだけど、見覚えがある。
あ、あの人だ。
ルアの薬屋で一緒にいたシエナさんに似ているんだ。
口調というか、声色というか。
「シエナさん……?」
「シエナのことを……? 関係者ですか?」
「いや、関係者ではないんですけど」
そのメイドは僕の様子を見て、何か考えているようだった。
そういえば服ってどうなっているんだ?
一回目の転移の時は気づいた時にはルアに着替えさせられていた。
元の世界に帰った時は、なぜか異世界への転移前と全く同じ格好をしていた。
今回は……。
転移前と同じ服を着ていた。
僕の私服だ。
リュックもある。
怪しまれたかな。
「そうですか。でも、倒れている様子から見て、何か事情があるのでしょう。私の部屋に連れて行きます」
「え?」
「私の部屋に連れて行きます」
「いや、聞こえなかったんじゃなくて、部屋に連れて行くんですか?」
「はい」
よくわからないが、なるべく面倒なことにならないように逆らわないようにしよう。
ただ、このメイドさんがすごく見てくるのが気になる。
そんなに変な恰好をしているのだろうか。
それとも、兎たち?
「この兎たちは?」
「なんでしょうね。じゃなくて、一緒に暮らしているんです。僕が帰ってこなくて、心配して探しに来てくれたんでしょう」
「なるほど。でも兎まで私の部屋に入れるつもりはありませんよ」
「え、どうしよう」
「このフォルタート家の外には出した方がいいでしょうね」
「わかりました。……今、フォルタート家って言いました」
「はい、もちろん。ここは、フォルタート家のお屋敷ですので」
「そうなんですか……?」
「はい」
どうやら、既にめんどくさい状況になってしまっているようだ。
今いるこの場所がフォルタート家のお屋敷だとは。
フォルタート家って、このイートアの街の領主で、街を魔力の霧で閉鎖している張本人だよね。
悩み事はそれだけではない。
兎たちをどうしようか。
『ねえ、アン、今の話聞いてた?』
『はい。聞いていました。みんなにはフォルタート家のなかでうまく隠れるように言います。フォルタートのお屋敷はあまりにも広すぎるうえに、門と壁に囲われているので、私たちだけでは地下のトンネルを掘るか人に紛れてでるしかないでしょう。その機会が来るまでは、隠れながら過ごしています。機会が着たら、ラビィさんに一声かけます。無事に出られたら、このことをニータさんに伝えますね』
『ごめん。それでよろしくね』
アンの頭の回転の速さには驚かされた。
元の世界でサークル活動を行うときなんかは、僕が一から指示しないとやってくれない人が多かったから、すごく助かる。
「わかりました。では、あなたの部屋に……連れて行ってください」
「……はい。行きましょう」
そこで兎たちと離れて、そのメイドさんについていくことになった。
そのメイドさんは黒髪で後ろの下の方で髪を留めており、ほどけば肩までの長さだろう。
身長は高い。
そこで思い出したが、僕は異世界に来ると外見が少し変わるんだった。
それで僕の髪も少し伸びており、背も小さくなっているんだった。
実際に背が縮んでいるのかはわからないが、僕の周りの大人がほとんど僕より背が高いのだから、僕の背は縮んでいるに違いない。そうに違いない。
そして、体つき。
元の世界でも「女装させたら絶対似合う」とか言われたことがあったが、この世界での髪の長さや顔つきなら、女装するまでもなく女性と間違われるかもしれない。
「あの、あなたのことはなんて呼べばいいですか?」
「私はサキアと申します。フォルタート邸二番メイドでございます」
「二番メイド?」
「はい。あなたが先ほどお話していたシエナは、同じくフォルタート邸の四番メイドです」
そうなのか。
そういえばシエナはお手伝いとしてルアの薬屋にいると言っていたが、本業はこっちなのか。
あの時、シエナはあまり本業のことを言わないようにという感じだったけれども、それほどまでにフォルタート家に使えるということの意味は大きいのだろうか。
サキアについていくと、裏口のようなところから屋敷に入って行った。
僕もそれについていく。
「僕が一緒にいて大丈夫なんですか?」
「あまり見られない方がいいですね。これから私の部屋に行きますが、基本はそこから出ないように」
「わかりました」
このお屋敷は外観もそうだったが、中もだいぶ華やかだった。
高そうな花瓶やら照明やらがあちこちにある。
長く大きな廊下を歩いていると、男性が向こうから歩いてきた。
青い服に身を包んでいるのだが、金色の紐などの細かな装飾がされている。
イートアの街で見た人々は着てなさそうな服だ。
その男性は容姿端麗で、二十代から三十代あたりか。
髪も男性にしては長い方だろう、僕よりは短いが。
身長も高い。
「おや、サキア。そこにいる方は新しいメイドさんかな? 随分若そうだけれど。シラくらいか」
「は……、はい。そうです。新しいメイドです。ほら、自己紹介なさい」
サキアは一瞬戸惑いながらも不自然にならないように取り繕い答えた。
「え、あ……。初めまして、ラテニア・ビーラトルと申します。未熟者ですが、これからお世話になります。皆様の足手まといにならないように努力します。よろしくお願いします」
「ラテニアか……。ラビィと呼ぼう。これからよろしく頼むよ。サキア、面倒を見るように」
「承知しました」
サキアは頭を下げている。
位の高い人なのだろう。
僕も頭を下げる。
「それにしても、よくラビィを見つけられたな。こんなに容姿が良いものは、すぐに名が広がってしまうか、既に私のメイドにしていたのに。特に、このフォルタート領ではね」
「それが……」
サキアが回答に困っている。
ここは、これまでの設定を使おう。
「実は僕、人さらいにあったんです。それでこの近くに来て」
「そうかそうか、普段ならメイドにする前に身分を確認しておくものだが、君は特別に深入りしないでおこうか」
「あ、ありがとうございます!」
「私からも、ありがとうございます」
「ふむ」
その男性は歩いて行った。
彼が見えなくなった辺りでサキアが説明してくれた。
「彼はイカノスティア・フォルタートです。現領主エクセート・フォルタートの御子息で、次期領主候補の一人です」
「そうなんですか。質問があるのですが、このフォルタート領から外に出られなくなったのっていつからなんですか?」
「フォルタート領の出入りの管理は初代フォルタートの頃からですが、特に厳しくなったのは、私が子供のころからだったと思います」
「その理由は?」
「私も存じ上げません。子供の頃からの常識でしたので。それでも、今回の事と言い他にも様々あるメリットの方が大きいので、不満を持つ人は少数派でしょう」
「今回の事?」
「それはあなたのような方が……いえ、何でもありません」
それはどういう意味なのだろうか。
というか、さっきの会話で僕が新しいメイドと言っていたけれども、まさかそのままメイドになるなんてことは……。
まあ、その場合はメイドではなくボーイとかサーバントというのが正しいのだろうけれども。
さらに廊下を歩き階段を上ると、扉が他の部屋よりも狭い感覚で並んでいる廊下があった。
「ここが、私たちメイドの部屋になります。さらに奥からはその他の使用人や上の階は執事の部屋です」
その空間では、扉の度に何やら文字が書かれている。
まだ読めない単語も多いが、大体名前だということがわかる。
そこにシエナと書かれた扉を見つけた。
「シエナさんは今日はいませんよ」
サキアはそう言って違う扉を開けた。
恐らくサキアの部屋だろう。
「どうぞ入ってください」
「失礼します」
サキアの部屋は良い匂いだった。
ルアの部屋とは違い、香水とかの匂いだ。
職場が職場だから、こういうところまで気を回さなければならないのだろう。
「今日はもう夜が更けてしまっています。ここでおやすみになってください」
そういってサキアは自室のベッドで寝るように促している。
「いえ、でも」
「あ、服は脱いでもかまいませんよ」
「いや、そういう問題じゃなくて」
「じゃあ寝てください」
「……わかりました」
まあお風呂は家を出る前に入ってきたし。
上着を脱いでベッドに入った。
「あ、それと明日からは先ほどの話の通りメイドとして働いてもらいますので」
「……はい」
一応、不法侵入をしたのは僕の方だから、とりあえず条件は飲むしかない。
サキアはランプの明かりの元で何かしている。
あのランプの光は懐かしい。
元の世界とは光り方が全然違う、魔石特有の光り方。
その光と慣れていない甘い匂いに包まれて目をつむる。




