第16話 新月まで
あと三日。
兎から聞いた話では、新月に神社にある大木の根をくぐれば兎たちの故郷に帰れるということだった。
そしてその故郷とは恐らく異世界のこと。
なぜ僕がこれまで二回、世界間を転移できたのかは相変わらずわからないが、とりあえず異世界に戻れそうであるのだから、それは後ででもゆっくり考えよう。
さて、これから異世界で暮らしていくにあたって、この世界でなにかやり残しているものはないかを探し、それらを解消していく。
どうやら異世界で過ごしている時間とこの世界で流れている時間は連動していないみたいなので、ここの世界の人間に変な心配などをかけてしまう不安はない。
異世界とこの世界では姿も少しだけ変わるし、異世界にいる間に年を取ってしまったり浦島太郎状態になったりする心配もない。
ただ、残りの三日間、家族で過ごす時間は大切にしよう。
まず家で飼っている猫を撫でまわす。
写真を撮りまくる。
異世界にスマホは持っていけるけど、バッテリーがなくなったら終わり。
外で印刷用紙とアルバムを買ってきて、スマホに保存されている様々な画像を収める。
この頃、アルバムを使っている人はいるのだろうか。
僕自身、親のアルバムだったり自分の小さいころのアルバムはあるけれども、スマホが出てきたあたりから新しいアルバムは卒アル以外見たことがない。
まあ、このアルバムは持っていこう。
そんな作業をしていたら、学校に行く時間になってしまった。
リュックに必要なものを入れて学校に向かう。
もう三日で異世界に行くなら学校に行く必要もないかもしれないが、大学はそれほど嫌な場所でもないし、和真にも会っておきたいから行く。
大学で授業のある教室で座っていると、和真が隣の席に座ってきた。
「なあ、そういえば記憶の雨って知ってる?」
「ん? なにそれ、映画とか?」
急に和真がそんな言葉を放ってきた。
和真はゲームとか映画が好きということを聞いたことはあったけど。
なんか、そういう名前のものは似合わない。
「いや、その名前の通り雨なんだけどさ。これ」
そう言って和真はスマホの画像を見せてきた。
和真が見せてくれた画像には、鉱物のようなものでありガラス細工のようなものでもあった。
透明感がありながらも、青やオレンジ、赤など鮮やかさと繊細さがあった。
そして見覚えのあるものでもあった。
それは、琥珀糖ではないのか。
「ん? これは琥珀糖?」
「違うよ。たぶん。それって確かお菓子だよな。そうじゃなくって、この宝石みたいなのが空から降ってきたらしいんだよ」
「空から?」
「おん」
「……え?」
和真は何かおかしなことを言っているようだ。
どう見てもこれは空から降ってくるようなものではないだろう。
「ニュース見てないのかよ」
「ニュース?」
「テレビだけじゃなくてネットニュースでもしてるよ」
さらに和真はスマホを捜査して動画配信サイトにあるニュース動画を見せてきた。
その動画では、夜に空から塊が降ってきたという内容を取り上げており、それが先ほど和真が見せてきた画像にあった琥珀糖のようなものだった。
記者はその塊を手に持って状況を説明している。
「これほんとに空から降ってきたの?」
「そうなんよ、昨日の夜に一部地域だけ降ってきたらしいよ」
「石? これ」
「さー」
動画に目を戻すと記者は、石のような見た目をしているけど軽いと言っている。
この見た目、琥珀糖以外にも見覚えがある。
異世界でミーニと呼ばれていたものも、そういえばこんな感じだった。
なにかつながりがあるのだろうか。
それでも、これだけでは情報量が少なすぎる。
例えば、味とか……。
「で、これが記憶の涙なの?」
「そうそう。Wでもみんなそう言っているんよ」
Wとは世界的なSNSの一つであり、様々な人が日常的なつぶやきを行っている。
自分でも調べてみると、確かに『記憶の涙』というワードが流行しているようだ。
そして多くの人がその『記憶の涙』の画像や動画もあげられている。
どれもやはり琥珀糖のようで、実際にそういう指摘もされている。
食べた、ということを言っていた人もいた。
シャリシャリしていて甘いというものだった。
温かいという表現があれば、ミーニと特徴が一致する。
以前異世界でミーニを食べた時、なぜか中心に行くほどほんのり温かいという不思議な感覚だった。
これがミーニではないとしても異常なことではあるが、ミーニだったとしてもおかしい。
「ちなみに、これ売っているらしいよ」
そういって和真はさらにショッピングアプリも見せてくれた。
そこには、一つ千円から一万円で売っているもの、まとめて売っているものもあった。
「異常気象?」
「もはやそういうレベルを超えている気がするけど」
どうやらさらに調べてみると、日本とヨーロッパそれぞれの一部地域だけで降ったものらしい。
そして原因も不明とのことだった。
異世界との関連はあるのだろうか。
僕が転移したことが引き金になったりしたのだろうか。
これ以上の情報を得られることはなく先生が来て授業が始まった。
授業中、和真がノートパソコンに隠れてスマホを見せてきた。
先生にバレないように覗いてみると、和真がショッピングアプリで例の『記憶の涙』を買っていた。
何をやっているのやら。
わざわざ買う??
その後も色々話をし、家に帰ってきた。
荷物を置いたら例の空き家を訪れた。
兎たちに、異世界では空からミーニが降るのかどうか確かめたかったから。
昨日から色々お世話になっている、ちゃんと話が通じる兎に話しかけた。
『ねえ、聞きたいことがあるんだけど、君たちの故郷にはミーニってある?』
『ミーニは人間の魔女さんが作るものですよね。人間たちが使った後のかけらなんかは私たち動物も食べることはありますよ』
ここでまず、この兎が言う故郷というものが僕が訪れていた異世界と同じだろうという強い確信に近づいた。
『そのミーニが空から降ってくることはある?』
『そんなことありませんよ』
そっか。
異世界でもミーニが空から降ることはないらしい。
それでもやっぱり何か関係はある気がするのだが。
新月まで、あと二日
今日も、昨日と同じように学校に行く。
昨日は『記憶の涙』という話題のせいで色々考えてしまったが、今度こそは思い残しがないかちゃんと確認をしよう。
大学に着き講義室で待っていると、昨日と同じように和真がやってきた。
「よう」
「おはよう」
その日は特におかしなことはなかった。
だから、サークルに顔を出すことにした。
家族以外に一緒に飲みに行ったのはそこの先輩たちが初めてだったけれども、楽しかったことは覚えている。
会うのがこれで最後になるのかもしれないんだから、今日はこの人たちと飲みにでも行こうかな。
「先輩、今日終わったら飲みに行きませんか?」
ちなみに僕は結構軽い感じで先輩たちにこんなお誘いをしている。
僕はお誘いというよりその場の冗談で言っているつもりの時が多いけれど、結構先輩たちは「行こうか」と言ってくれる。
「じゃあ行くか」
「私も行く」
「俺はいけないなー」
なんてことがあって、先輩二人と僕と同じく二年が一人の合計四人で行くことになった。
僕はお酒は嫌いではないけれど、まあまあ酔ったりする。
酔った時は脱力する感じになる。
悪酔いしたことはこれまでないけれど、そもそも飲み物をたくさん飲もうとすると喉と胃が苦しくから結局は自分にとってちょうどよい量を飲むことになるのだと思う。
先輩方と色々話をしていると、そういえば三年次からゼミが始まるということを思い出した。
確認してみると、ゼミは希望通り国際法で決定となっていた。
僕がもし異世界に行くことがなければ、他の先輩方と同じようにゼミに行って発表なり研究なりすることになっていただろう。
これで良いのだろうか。
とは言っても、これまで二回転移をしていることだし、もっと時間をかけて考えることかもしれない。
今は酔いも回ってきて、ちゃんと考えることもできないし。
「もう終わりかー、ここから一人で帰るの寂しいなー、先輩一緒の電車に乗りませんかー」
飲んだ後は大体こんな感じでダル絡みをする。
先輩二人は大学から徒歩で行き来できる距離だけど、僕だけは電車で行く距離なので帰るのが寂しいのは本当だけれど。
「この時間だと、行ったら帰るまで一時間電車待つだろ?」
「二百十円ですよ、ほらー」
「じゃあ、行っちゃう? 行ってみようよー」
「そうするか」
あれ、なんかついてきそうな流れだ。
本当についてきて一時間待つのはだめでしょ。
僕が下りる駅の近くってなにもないし。
「いや、やっぱ来ないでください」
最後には改札まで送ってくれたけれど、電車には一人で乗っている。
この生活も楽しいんだけれどな。
でも、大学を卒業した後の良いイメージがあんまりわかないんだよね。
このままこの世界で生きて、どうなるのだろうか。
そんな考えに至ってしまう。
いつもこうなる。
だから、あの異世界転移は自分にとってすんなり受け入れることができたのだろう。
いわば、新しいゲームに手を付けた時のような、あらゆる可能性に対してわくわくしたのだろうか。
新月まであと一日。
今日一日を終えたら、新月となる。
残された一日、今日は金曜日。
学校に向かう。
その途中で本屋にいった。
あの世界でのルアのサポートをできるように、薬や医学に関係するような本を買っていった。
もともと深入りしたことのない分野だったので、入門書みたいなもので、果たしてこんな本がやくにたつのかどうかはわからない。
というか役に立たないだろう。
それでも、一応持っていく。
知識として活用するためと言うよりは、この世界のことを思い出せるように。
最後の一日もこれまでと全く変わりない日だった。
いつも通り授業を受けて、和真と話して、学食を食べてた。
すると、和真はリュックをゴソゴソとしていた。
取り出したそれは、最近話題になっていた『記憶の涙』だった。
「え? あ、そういえば買ってたね。届くの早くない?」
「だよね。一個上げるよ」
「いいの? まあまあ値段するでしょ、これ」
「いいよ、あげる」
そういう流れで和真から『記憶の涙』をもらった。
スマホ越しに見ていたそれよりも、ずっと綺麗なものだった。
本当にミーニに似ている。
それを自分のポケットに入れた。
あれ、何かすでに入っている。
それは転移する日に拾った不思議な玉をポケットに入れていたんだった。
学校が終わり、一人で電車に乗り、家に帰った。
新月まで待つまでに、この世界での、恐らく最後の夕食も食べた。
永遠に戻らないことはないだろうし、少なくとも一回くらいは帰ってこようかなとは思っているけれども、寂しい気持ちも大きい。
異世界に行くときに、アルバムと本と、自室にあったぬいぐるみも二つ持っていくことになした。
それらをリュックに入れて、となりの空き家に行く。
これまでと変わらず兎たちはいっぱいいた。
『今日だよね……』
『はい、ラビィさん! お待ちしていました』
新月が来るまで数時間はその空き家で時間をつぶす。
そうだ、兎たちに和真からもらった『記憶の涙』がミーニかどうか確認してもらおうか。
『ねえ、アン。これってミーニかな?』
そう言って僕はポケットから取り出す。
『ふむふむ……。ミーニのように見えますね。少しかじってみてもいいですか?』
『どうぞ』
アンはその小さな歯で『記憶の涙』をかじる。
『これは……。ミーニですね。魔力の温かみを感じます』
これがミーニ……。
これは、大丈夫なのか?
この世界だと、魔力ってないよな。
一応。
それとも、この世界の人間には魔力を感知できないとか?
僕が異世界で感じたと思っていたものは魔力じゃなかったのかな。
アプリストを見た時は、あの威圧感が魔力なのかと思っていたけど……。
そういえば、僕もミーニを異世界で食べた時は温かかったな。
あの感覚が魔力とか?
僕もその『記憶の涙』を少しかじってみる。
そして感じたすべては、以前食べたミーニと同じだった。
『その『魔力の温かみ』って、ミーニだと中心に行けば行くほど温かくなる?』
『はい! そんな感じです』
『僕、魔力についてあまりわからないんだけど、どんな感じなの? 他にも感じれるものはある?』
『そうですね……。魔力はほとんどのものに宿っていますよ。でも、ここら辺のものは僕の故郷に比べて極端に少ないですね。ここまで魔力が少ないものばかりの街の方が、珍しいのではないでしょうか』
兎たちはこの世界とあの世界について恐らく異世界という認識がない。
兎にとっては、この世界はあくまでちょっと遠い違う場所だ。
僕はラノベとかで異世界という表現になれてはいるが。
『もしかして、アプリストって魔力大きい?』
『そうですね。アプリストはかなり魔力が大きいですね。人間の子たちが魔力を感じるきっかけになるのが、アプリストの襲来というものが多いと聞いたことがあります。イートアの街限定ですけれどね。……ってニータさんが言っていたことがあります。ニータさんは私たちの立派なお師匠さんなんです! 何でも知っているんですよ!』
『へ~』
ニータは兎たちに慕われているのか。
つまり、僕も魔力を感じれるようになっていて、きっかけもこの兎たちが言うことと同じようにアプリストという可能性がとても大きい。
そして、『記憶の涙』ことミーニがこの世界の空から降ってきたということは大きな問題だ。
兎は言っていた、この街は魔力が極端に少ないと。
この街とは、異世界という認識を知らない兎にとってはこの世界を指していることだろう。
そんなこの世界にとって、ミーニとは異世界から来た異質なもの。
これは、僕の転移と関係がないと言えるだろうか。
何か、良くない予感がする。
そんな違和感と腑に落ちない疑問に満たされたまま、0時を知らせる振り子時計の音がその空き家に響いた。
新月の日になった。
前日とは同じ夜だが、兎によれば異世界に行くためにはためにはこの時まで待たないといけないらしい。
『ラビィさん、それでは行きましょうか。日の出までは六時間ほどありますが、木の根をくぐれるのはあと一時間です』
『うん。じゃあ行こうか』
『俺たちも行こうか』
他の兎たちもさわさわと動き出した。
どうやらここにいる兎たちはみんな異世界に行くらしい。
僕も準備したリュックを持って、部屋のろうそくを消して、空き家を出る。
『月ないねー』
『ねー、ないねー』
そんな会話を兎たちがしている。
これは、僕の勝手な予想なのだが、一切根拠も何もない考えだが、もし、この世界と異世界の境界が曖昧になっていたり、僕以外にも転移しているものがあったとしたら。
そしてそれが、恐ろしいものだったとしたら。
例えば、アプリストとか。
そんなものが転移してきたら、どうなるだろうか。
これはただの思いつきだった。
それには、何の意味もなかった。
だが次の瞬間に、そんなことを考えるべきではなかったと後悔した。
やめておくべきだった。
それは、まれにみる悪夢のようだった。
頭に思い浮かぶ最悪が、実際に起こってしまうような。
その時は、兎たちと、街灯の明かりだけを頼りに歩いていた。
神社に向かって。
神社にある大木の根をくぐって、異世界に戻ろうとしていた。
その時僕は、後ろに身の毛がよだつ気配を感じた。
かつて感じたことのある、恐ろしいそれは、一瞬にして僕の体の自由を奪った。
それは、兎たちにおいても同じようだった。
次の瞬間。
『走って!!』
アンが叫ぶと同時に、僕と周りの兎たちはいっせいに走り出した。
目指すところは神社の大木。
その場の誰かが後ろを見たわけではない。
それでも、その場にいたみんなが感じ取った。
その気配は、恐怖そのもの。
これが魔力だ。
魔力の塊、そう表現できる。
後ろから全身に冷たく太く大きな釘を刺されるような感覚だった。
前に、異世界でアプリストが来た際に感じたものだ。
僕たちは、ただ走った。




