第9話 住宅街の終わりまで
再び目を覚ました時、ベッドの上にはルアの姿も、ニータの姿もなかった。
部屋を見渡すと、窓を覆っていた布は除かれ、扉も開けっ放しになっている。
僕の頭には、あの恐怖が残っている。
けれども、この寝室には僕一人しかいない。
「ルア? どこにいるの?」
寝室の外に向かって呼び掛けてみる。
が、返事はない。
『ニータ?』
ニータの返事もない。
どうしよう。部屋の外に出るべきか?
すごく怖い。
もし、まだ新月が終わっていなかったら……。
外も怖いけど、一人も怖い。
怯えながら、寝室の開いた扉から顔だけそっと出す。
いつも通りの部屋。
そこに、窓を覆っている布を外しているルアがいる。
その窓には、相変わらず夜空が広がっているが、月の光もわずかに差している。
新月は、終わったようだ。
そう確信した瞬間に、ふっと全身の力が抜けてしまい、座り込んでしまう。
良かったと思う反面、年に四回はこの日が来るのかと考えると、完全に安心しきることはできない。
「ルアぁ~……」
すごく情けない声が出てしまった。
そんなことも気にならないほど、ルアが居てくれてすごくうれしかった。
今はすごく甘えたい。
しかしこれも、自分の容姿の良さをある程度自覚できているからできること。
僕が男らしい姿だったら、こんなことはできない。
「おはよう! ラビィ。どうしたの?」
そっか、ルアは深夜のことを知らないのか。
「ううん、なんでもないよ」
昨日のことから、また今日も甘えてばかりではいられない。
深夜のことは、すごく精神的につらかったが、この世界で過ごすなら慣れておかないと。
さて、ニータはどこにいるのだろうか。
「ねえ、ニータを見た?」
「うーん、朝起きた時はいたけど、寝室を出てからは見てないね」
「そっか」
まあ、いつも通り寝るころには戻ってくるだろう。
僕は、ほかの窓に掛かっている布を外す手伝いをする。
今みたいに、何か大きな試練を超えた後は朝日を浴びてみるのが一番だと思うが、この街には太陽が顔をのぞかせることはない。
月の光は優しいが、たまには力強い太陽の光が恋しくなる。
ルアと朝食を食べ、外に出てみる。
家を出ると、その視線の先にある石畳の道が中央から黒くすさんでいるのが、街灯に照らされて見えた。
その黒さは、街道のずっと先から続いているようだった。
道沿いに家がある人々は、その道の黒いすすのようなものを箒ではいている。
「ルア、あれって、もしかしてアプリストが通った後?」
「そうだね、新月の後はいつもあんな風になってるよ」
ふと、今出てきた家の地面を見る。
扉の足元には、一段と黒ずみが濃くなっている部分があった。
まるで、ついさっきまで何かが佇んでおり、影だけを残して行ったようだった。
この黒ずみはどこから始まり、どこまで続いているのだろうか。
そう気になった僕は、街の人々が道の掃除を行っている間に黒ずみを辿っていくことにした。
残された黒ずみは、上に見える夜空の色よりもずっと暗かった。
左右にたてられている街灯は、人々の生活の中で必要になるだけでなく、アプリストが民家に訪れてしまわないような対策としても存在していることから、いかに街灯が重要かを知ることになった。
確かに、よく見てみると、この街灯は凝った作りになっている。
繊細な装飾には、時折金が使われているようにも見える。
その光を放つガラスの部分は、魔女が持ってきていたミーニのようにも見える。
複雑に光を屈折させ、あらゆる方向から注目を集めているようだ。
その街道を歩いて進んでいると、ある事の気が付く。
黒ずみの中に、ぽつぽつと足跡のようなものがあった。
この小ささ、右足と左足の感覚からして、兎ほどの小動物のものだろう。
恐らく、ニータの足跡だ。
その足跡と黒ずみを目印に進んでいく。
数十分歩いていると、いろいろな道と合流していき、やがて大きな道となっていった。
すると黒ずみには、兎の足跡だけでなく、人々の足跡や馬車の車輪の跡などが増えて行った。
さらに歩くことで、大通りに出た。
その大通りは交差点になっており、交差点の中央には噴水があった。
いわゆる環状交差点みたいな空間だった。
そして噴水の周りには、何やら大掛かりな木の板や敷物などを持った大人数人がそれぞれのグループを作っていた。
何をしているのだろうか。
この辺りにはあまり来たことがなかったので、興味があるが、ニータの跡を追っていくことにした。
この黒ずみを見ていると、新月の間には相当な数のアプリストが現れたに違いない。
どの道にも黒ずみがあり、狭い路地なんかは家の壁にも黒ずみが残っているところもある。
そのようなに、どんなに狭い路地でも、街灯があった。
さらに歩いていくと、猫がいた。
猫は道に停められた荷車の下に向かってうなっている。
猫はとてもかわいい。
前の世界でも飼っていた。
しかしあの猫は、野良猫のようだった。
毛並みの感じ、痩せている体。
このイートアの街はフォルタート領内にあるが、フォルタート領には林や草原もある。
林にも出ずに街にいるということは、それでもここの方が食べ物にありつきやすいのかもしれない。
久しぶりに猫を見たのだから撫でてみたいけど、野良猫に触るのはちょっと怖いな。
何を見ているのだろうか。
猫の隣に行っても、その猫はちらっとこちらを見ても逃げずに、すぐに荷車の下に視線を戻した。
猫と同じような姿勢になって、僕も荷車の下を覗いてみる。
周りの視線なんて関係ない。
あ。
ニータいた。
ニータは荷車の下で青々とした葉っぱを食べていた。
『ニータ、ここで何しているの?』
『食事。食べているところを人に見られるのは嫌いなんだ』
『へ~……。この猫に嫌われているみたいだけど、何かしたの?』
猫は今もニータに敵意を剥き出しにしている。
それに構わず、ニータは葉っぱをのうのうと食べている。
『それは、ここがその猫の縄張りみたいだからね』
『他人の縄張りでご飯を食べるなんて、ニータ……。で、ここで何してるの? まさか、ご飯食べるためだけにここまで来たわけではないでしょ?』
『ん~……。依頼があったからね』
『依頼?』
葉っぱを食べ終えたニータは、猫と僕の間をぬって出てきた。
猫は唸るのをやめて、ニータの出ていく様子を見守っている。
ガンッ!
「いたっ!」
顔を上げようとしたら荷車にぶつけた。
ニータは調子を変えずに説明している。
『そう、最近ここら辺で野良犬と野良猫の縄張り関係が荒れているらしくてね。だいぶ前から依頼を受けていたんだ』
そう言って僕が向かっていた方向と同じ向きで歩き始めた。
『へ~。依頼って、なんで?』
『居場所づくりかな。ボクには家族がいるんだ。いずれ、家族を連れてここで暮らしたいと考えているの。人間はちゃんと制度が作られているでしょ? でも、ボク達は居場所を自分で作らないと、安心して生活することはできないんだ』
だからニータはまだ故郷に帰らないのか。
この前言っていたことが理解できた。
『そうなんだ、大変なんだね』
『人間も人間で大変そうだけどね。ちなみに依頼をもらったのは前回の新月の時だったから、それで唸ってたのもあると思う』
ということは、あの猫は3カ月ほど待たされていたってこと?
そりゃあ怒るかもね。
その上、自分の縄張りでご飯も食べていたんだから。
『で、ラビィこそ何しているの?』
『この黒ずみがアプリストの跡だって聞いたから、この後を辿って行ったら何かわかるかなって』
『ふ~~ん。まあ、先には何もないよ』
ここまで歩いてきたのに。
『何もないの?』
『うん。突然黒ずみが終わっているだけ。住宅街の終わりでね』
『ええ~……』
『住宅街が終わるまでもっと続くから、帰るなら今のうちだと思うけど』
『そっか……。じゃあ、ニータについていこうかな』
『この依頼は二日くらいかかると思うけど、大丈夫?』
『途中まではついていく』
『そう、それなら、住宅街の終わりまで一緒に行ってみる?』
ニータと一緒に住宅街を歩く。
どうやら、例の環状交差点のような大通りが街の一番の中心らしく、そこから離れるにつれて道が分岐していき、幅も狭くなっていっている。
それ以上の変わった様子といえば、こちら側の地区は水路が見えるように設置されている。
石造りの立体的な水路で、道の端にあったり、住居をつないだりしている。
まさに異国の景色って感じ。
『野良犬と野良猫の縄張り争いの仲介をするの? そうやって居場所を作っていくの?』
『こういうことの積み重ねで、ここ、イートアの街におけるボクの社会的地位をみんなに認めてもらうのさ』
『今度、僕にも手伝えそうなことがあったら、手伝わしてよ』
『ありがとう、ラビィ。その時は、僕の方から声掛けするよ。今回の事案は、野良猫のボスが先日亡くなったことで、野良犬の勢力が大きくなっていって、野良猫が締め出されそうな状況になっているものなんだ』
『それをニータが仲介できるの? 犬猫の争いに、兎のニータが?』
『兎の僕だからこそできることもある。それを見つけていくことが、大切なんだ』
ニータは兎だけれども、人間で二十歳近くの僕でも学ばせてもらうことはたくさんある。
すごい兎だ。
僕が転移した日、なぜニータは倒れていたのだろうか。
本当に馬車にはねられただけなのだろうか。
さらに進んでいくことで、住宅街の終わりにたどり着く。
そこは、本当に何もなかった。
ただただ、レンガ造りの住居がなくなると同時に、黒ずみも終わっている。
この向こうには、大きな屋敷が遠くに見える。
『ほんとだ。ただ終わっているだけで、それ以外に何もないね』
『うん……。じゃあ、ボクは依頼に取り掛かるとするよ。またね』
そういってニータはあっという間に行ってしまった。
一人、置いて行かれた……。
街の辺境に。
帰るか。
どうしよう、あんまり道を覚えていないな、と思いながら後ろを振りかえろうとすると、視界の端っこに人が見えた。
その人は、僕の知っている人だった。
前にルアの薬屋に訪れた人、オルダ・デンさんだった。




