還れぬたまご パーフェクトクライムの資料集番外編
そのタマゴは孵化する時を待っていた。
ただただ無言で。
その気配を消し去りながら。
還れぬタマゴ
まゆずみ勲は目を見開くと同期の刑事を見た。
佐藤辰巳という同期で同じ警察庁一課の人間だ。
辰巳は並んで用を足しながら驚く勲に
「お前、知らなかったのか?」
ノンビリだな
と笑い
「香川一課長が退職する理由って表向きは体調不良なんだけど」
本当は課長の奥さんが一時騒がれていた詐欺グループの受け子をしてたのが分かったから上には行けないから諦めたらしいぜ
と小さな声で告げた。
「あの人、上昇志向強かったし」
何れは刑事局長を狙ってたんじゃないのかなぁ
勲は用を終えてズボンのチャックを上げると
「家族とかの身上も調べるなんて厳しいんだな」
と呟いた。
辰巳は手を洗いながら
「まあ、平なら事件がらみじゃなきゃそう言うの無いと思うけど」
キャリアで上がっていくなら背後関係は調べられるんじゃないのか?
と告げた。
「俺はキャリアにはなれないからそういうのはないけどなぁ」
でも
「まゆずみは今警察庁一課で来月は移動して、また警察庁に戻ってくるんだろ?」
目をかけてもらってるからな
「そのうち家族の身上調べられるんじゃないのか?」
勲は視線を僅かに逸らしながら
「そうだな」
と答えた。
辰巳は笑いながら
「まあ、そういうので引っ掛かるやつ少ないし」
お前の父親は大手会社の社長だし
「母親はその会社の常務だろ?」
もうエリートじゃん
と警察庁の廊下を進み
「前に聞いた中学の時に出て行った異父兄弟のお兄さん?」
もう連絡も取ってないんだろ?
「そう言う人なら調べられないとは思うけどな」
と告げた。
勲は困ったように笑いながら
「兄貴は大丈夫…今は本当の父親と暮らして大学で助教授をしているからちゃんとやってるよ」
と告げた。
「時々LINEくれるから」
辰巳は驚きながら
「へー、助教授か」
本当にお前ん家エリートだな
と言い一課のフロアに入ると机へと向かった。
勲も自身の机に向かい報告書を作成しながら母親のことを考えていた。
母親の節子が刑事になる道を進めたのだ。
『勲、人間はね。力を持たないとダメなの』
『幸い貴方の父親はまゆずみグループの社長になれたわ。それもこれも「JDW」の力なの』
『私が所属していた結社の人脈のお陰』
…貴方にはそのJDWを復活させてもらいたいの…
『政財界からあらゆる方面に人脈を広げた団体』
『裏切り者のせいで解体されてしまったけど…いま、郡司さんがリストを元に結び直している』
だけどただの会社の力ではダメ
『公の力を持つ警察のトップに立ってその力を集結させるのよ』
…JDWの復活。それが私の夢なの…
勲は幼い頃から言われ続けてきた母親の言葉を思い出しながら
「だけど…JDWは…襲撃事件を起こした過去の危険団体として認識されている」
と呟いた。
もしも、母親がそこに所属していることが分かったら。
勲は重く圧し掛かる不安に報告書を打つ指先を止めた。
『平なら…』
だが。
だが。
母親はそれを許さないだろう。
勲は息を吐き出し報告書を書き終えると提出をして帰宅の途に付いた。
母親の指示で車が外で待機して待っているのだ。
勲はそれに乗り込み、窓の外の景色を見つめた。
外は既に夜の帳が降りて闇がそこここに降り注いでいる。
その闇を照らすようにあちらこちらで街頭や電灯が点いているがそれでも闇はあるのだ。
それはまるで今の勲の心のようであった。
異父兄の聡一は中学に上がる前から家の中では孤立していて中学に上がると同時に岩手に住んでいる実の父親の元へと帰った。
「俺は母さんの言うような人間にはなれないし、それに父さんのように穏やかに暮したいんだ」
そう言って去って行った。
今は岩手の方の大学で助教授として過ごしている。
兄が三歳まで一緒に暮らしていた黒崎茜という女性の子供と兄弟として仲良く遊んでいる写真が時々送られてきている。
その姿が本当に幸せそうなのだ。
半分だが自分こそ兄弟なのに…血の繋がらないその子供と兄弟として楽しそうに暮しているのだ。
勲は大きな家の前に立ち息を吐き出した。
「俺は…」
親は資産家で自分はキャリア組で世間から見れば裕福な家庭なのだろう。
幸せな家庭なのだろう。
だが。
だが。
勲は家に入ると駆け寄ってきた母親の節子を見た。
節子は勲に手を伸ばし
「今日はどうだった?」
近いうちに転勤して戻れば次は一課の課長かしら
「貴方ならきっと刑事局長になれるわ」
と微笑んだ。
「JDWを…復活させればかつてのように警察機構に政財界に全ての力が手に入るわ」
…私はねその為に貴方を産んだのよ…
「聡一は失敗だったわ」
やはり立花の血が濃いのね
「優しいだけの欲のない人間になって」
勲は目を細めて彼女を見つめた。
JDWの復活の為に生まれた。
その為に警察に入りキャリア組の道を歩いている。
だが。
だが。
『キャリアで上がっていくなら背後関係は調べられるんじゃないのか?』
『そのうち家族の身上調べられるんじゃないのか?』
勲の中に鬱積とした何かが孵化していくのを感じた。
…貴方の欲望の為に生まれて生きているけれど…
『貴方の欲望を叶えるには貴方が邪魔なんです』
勲は母親に微笑み
「部屋に荷物を置いてきます」
と二階にある自室へと上がった。
先の微笑む母を見て。
母の言葉を聞いて。
胸の奥にしまい込んでいた孵化させてはいけないパンドラのタマゴが割れて何かが心を支配するのを止められなかった。
勲は自室の窓から外の闇を見つめると
「貴方の夢を叶えてあげますよ」
その代わり
「貴方の存在は消えてもらいます」
その為だけに
「俺を産んだんでしょう?」
と呟いた。
きっとそのタマゴは彼女から植え付けられて、ずっと胸の中で孵化の時を待っていたのだろう。
欲望という名の。
悪心と言う名の。
孵化してはいけないタマゴ。
勲は目を閉じると
「そして、孵化すればもう殻に戻ることはない」
と呟いた。
理性とも。
正義とも。
いわれる殻の中には。
そしていつか自分は断罪されるだろう。
孵化させてはならないタマゴを孵化させてしまった罪を。
出来るならばそれが表にでる前に断罪の手が伸びれば救われるかもしれない。
勲は笑みを浮かべると
「だが、それまでは…俺はあの人の欲望の道を歩いていこう」
あの人の命の代償に
と窓に背を向けると足を踏み出した。
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