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石と誰かの物語

あの角を曲がれば

作者: 河 美子

石と誰かの物語です。

 ここ数日は気が重い。

 生理が始まって最近は出血量も多く、お腹も痛い。少しのことで腹も立つ。八つ当たりをすると、鋭い娘の加里奈

「始まったのね、ママ。もうすぐわかるんだから」

「女だから仕方ないでしょう。私だってなりたくてなってるんじゃないんだから」

「子どもが言うセリフでしょう。一体何歳よ」

「46よ、それが何か?」

「ああやだやだ、私はそんな女になりたくない」

 捨て台詞を残して娘が友達のリコちゃんちに行くようだ。

「あんまり遅くまでお邪魔したらダメよ。試験中なんだから、リコちゃんちも迷惑よ」

「はいはい」

「パパも帰るんだからね」

 いつからだろうか、親の話をまともに受け止めなくなったのは。

 今日は京都から夫も帰ってくるというのに。またいないのかといわれるのもいやなのに。夫は最近やたらと土産を買ってくる。娘に気に入られようと必死だが。15歳の娘は反抗期の真っただ中。

 私は実家の経理事務所へ勤めている。一人っ子だったので、絶対に婿養子をもらうと言っていたが30歳を過ぎても結婚しない娘にあきらめがついたようだ。出会った夫も一人っ子だったからこの結婚は許してもらえるか親に紹介するのが心配だったが、父親は明日にでも嫁にやる勢いで結婚を許したのだった。まるで私が出来損ないの娘かのように。

 電話が鳴った。

「もしもし、山内です」

「俺だよ」

「あら、あなた、どうしたの。いまどこ?」

「悪い、仕事が入って今日は帰れないんだ」

「そうなの、つまんないわ。話すこといっぱいあるのに」

「じゃ、急ぐから切るよ」

 あっけなく切れた電話。

 夫の好きなエビフライをするつもりで、今日は車エビを奮発したのに。昨日から作っておいたシチューも。面白くないなあ。日曜日の昼間のテレビって、どうしてこうもつまらないものばかりやるのかしら。録画しておいた映画でも見ようか。でも、長いのは疲れるなあ。

 すると、また電話。

「もしもし」

「あのそちら、山内さんのお宅ですか」

「はい」

「私、野村といいますが、ご主人はご在宅でしょうか」

「いえ、今日は京都にいるようですが」

「え? あ、そうですか。失礼しました」

「あの、どちらの野村さんでしょうか。改めて主人から電話させましょうか」

「いえ、結構です。失礼します」

 声から想像すると、とてもすっきりとした顔立ちが浮かんでくる。声で判断するのもおかしいが。

 そのうちに娘からメール。

「ママ、リコちゃんちに泊まっていい?」

「ダメ、帰ってきて。パパも帰ってこないからママ一人ではいやよ」

「え? パパはこっちにいるよ。さっき、タクシーに乗ってたもん」

「違うわよ、今電話あったもの」

 文字打つのが面倒になってついにケータイにかける。

「加里奈、パパはどこで見かけたの?」

「リコちゃんと渋谷の楽器店で吹奏楽の楽譜見てると、外をパパが走ってタクシーに乗ったもん」

「本当にパパ?」

「うん。娘よ、私、間違うわけないじゃん。リコも足速いねって驚いてたもん」

 なんかこれって、夫の浮気って場面じゃないかしら。京都にいるとは言わなかったけど帰れないってことは京都でしょう。でも娘が見たのはパパに決まってるし。

 ふーん、そういうことか。

 私は物分かりのいいできた女性よ。夫を縛り付けておこうなんてこれっぽっちも考えたことないわ。仕事だって持っているし、反抗期の娘もきっと私のそばを離れないはず。それなのに、妙に心臓はドキドキして頭がのぼせるのが分かる。これは更年期よ、やきもちなんかじゃないわ。

 こういう日は買い物するに限る。

 お気に入りのブティックで買うの。買ってやるんだから。夫のスーツ代くらいの高いやつを。

 店のドアを開けると、優しいオーナーが笑顔で迎えてくれる。

「あら、いっらしゃいませ。お元気ですか。ちょうどいいワンピースが入ったところなの」

「まあ、うれしい。少し太ったから合うかしら」

「大丈夫です。見ないでも香織さんのサイズはわかります」

「ふふふ、もう母からですものね、この店」

 母が素敵なブティックを見つけたと教えてくれたのはもう15年も前の話。新婚旅行に行くときの服をここで買ったのだった。それ以来の付き合い。

 奥から出してきたのはモノトーンのスタンドカラーのワンピース。

「あ、素敵。アクセサリーも映えそう」

「でしょう。生地も軽くてそれでいて透けないからいいですよ。試着してみませんか」

「するする」

 早速着替えると、これまた自分で言うのもなんだがよく似合う。

「買います」

「それにこのジレも着てみませんか」

 彼女の手にあるのは黒いレースのジレ。わ、なんか合いそうだわ。

「でも、二枚も買っていいかなあ」

「代金はいつでもいいですよ」

「また、そんなこと言うのね。その言葉に弱いわ」

 ふいに買いたくなる日にここに来ると、彼女はいつもこう言うのだけど、翌日にはすぐ払いに来る私。すると、彼女はマネキンがつけていた大ぶりのペンダントを私にかけてくれた。

「これとても似あいますから。私からのプレゼントです」

「え、いいの?」

「はい、上得意の香織さんですから」

 値札は5200円とついていたのに。まあワンピースとジレで結構な値段にはなったから甘えてもいいかな。

「コーヒーでもいかがですか」

「ありがとう。なんだかのども乾いたわ」

「ではアイスコーヒーにしましょうか」

「お願いします」

 美しくたたんで素敵なオーガンジーの袋に入れてくれた。

「今日はここへ来たら胸がすっきりしたわ」

「そうでしたか。香織さんでもそんなことあるんですね」

「ありますとも」

「ところで、先ほどのペンダント。本当は香織さんに贈るつもりでいたんですよ。今日お越しいただいてよかったです」

「あら、どうして?」

「香織さん、今日は結婚記念日でしょう。この前、ブラウスを買っていただいたときにそう話してらしたから。6月20日は結婚記念日って、いつも夫婦で忘れてしまうって」

「あら、本当だわ。忘れてた」

「ですから、今度いらしたときに何か贈りたいと思ってましたの」

 そうよ、結婚記念日だった。だから、夫は今回その日に合わせるって話していたのに。二人ともそのこと忘れてた。それなのに。それなのに。涙がポトンと落ちた。

「わ、困ったわ。私ったら何泣いてるのかしら」

 でも、止まらない。

 彼女はそんな私の肩を優しく抱いてこういった。

「心も疲れますからね。いつでも来てください。私のお茶飲みに付き合ってください」

 ふーっと、大きくため息をつくと、心の底からすっきりした。

「本当は言いたいことたくさんあったのに、なんかどうでもよくなりました。すごいコーヒーですね」

「そうでしょう。魔法入りなんです」

 茶目っ気たっぷりに彼女はウインクしながら答えた。

 袋を抱えて帰ると、娘が後ろから大きな声で私を呼んだ。

「ママ、それなあに」

「私のワンピースよ」

「加里奈のは?」

「ありません」

「つまんないなあ」

 家の明かりがついてる。

「あ、ママ消し忘れてる」

「あれ、鍵も開いてる」

 恐る恐る入ると、夫がソファで寝ている。

「パパ、帰ってるじゃん」

「あなた、帰らないって」

 夫はあくびをしながら私に小さな包みを渡した。

「結婚記念日だからって言ったじゃないか」

「でも、あなたは仕事って」

「パパ、渋谷で走ってたよね」

「そうなんだよ、タクシーにこれ置き忘れて、走って追いかけたよ」

「でも、電話が」

「前に君が欲しがってたローズなんとやらのイヤリングができたって連絡がケータイにきたけど、僕電源入れるの忘れてたから、うちに連絡したみたいだよ」

「なあんだ」

 加里奈は私をじっと見て

「ママ、パパが浮気したって思ったんでしょう」

「そ、そんなことないわ」

「だって、ママがそこの袋の店に行くときって、機嫌悪い時だよね」


 女の子っていつもこんなに鋭いのね。

 にやにやしている夫を睨みつけながらも、可愛い箱を開けると、ローズクオーツのイヤリング。

「わあ、ママ、加里奈に頂戴」

「ダメ、大人になったらね」

「パパ、加里奈にはないの?」

「加里奈にはこれ」

 渡したのはライブチケット。

「きゃ、よく買えたね。これでリコちゃんと行ける」

「いや、リコちゃんじゃなく」

 最後まで聞かずに夫に飛びつく娘。パパと行く気はないみたいね。

 私はそんな二人を見ながらイヤリングをつける。そして、エビフライを作り始めた。


 

 


 

 


 


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