Ep.6 精霊(のようなもの)後編
「記憶にないな。私はなぜこんなところにいるのだ。」
「え、」
聞こえてきた意外な言葉に、俯いていたローワンは顔を上げた。
美しい”幽霊のようなもの”は、最初に見た時よりもさらに深い皺を眉間に寄せている。
「それって、どういう、、」
「頭の中に靄がかかっているような感じだ。ここに来る前の私は、何をしていたのかわからない。そしてバークレイという地名にも聞き覚えはない」
”幽霊のようなもの”はローワンの質問に答えてくれるらしい。
この人が何故こんなところにいるのか。それは今一番ローワンが知りたいことだった。
突風を起こしたかと思えば、突然目の前に現れ、人形のように固まった後突然動き出し、ローワンに質問をしてきた。
そして聞きたい情報だけを聞いた上で、自分がどうしてここにいるのかも思い出せないと言う。
「あの、、箱を壊そうとしたことを怒って出てきたんじゃないんですか?」
ローワンが一番初めに想像したことを伝えてみる。
箱を壊そうとした瞬間に突風が吹き荒れ、目の前の”幽霊のようなもの”が現れたのだ。馬鹿馬鹿しい想像だが、やはりこの不思議な箱の番人なのではないか、というのがローワンの仮説だった。
ローワンをまっすぐに見つめた”幽霊のようなもの”は、 あぁ、そのことか、と手を叩いた。
「そういえば封印が解ける間際、何やら私に危害を加えようとしている者の雰囲気を感じたのでな。急いで外に出てきたのだ。」
箱の番人が怒って外に出てきたというのはあながち間違いではなさそうだ。
"急いで出てきた"という言葉から、できれば”幽霊のようなもの”には自分が箱を銅像で叩き壊そうとしていた、ということは言わない方が良いのだろうな。とローワンは思った。
「封印って、この箱に書かれている古代文字のことですか?」
銅像が”幽霊のようなもの”の視界に入らないことを祈りながら、指輪を取り出した後ソファーの上に置いたままになっていた箱を手に取り、”幽霊のようなもの”に向けて差し出した。
「あぁ。そうだな。この縁に書かれている模様が封印の魔法陣だ。」
”幽霊のようなもの”は、ローワンの差し出した箱をひょいっと手に持ち、金の縁を指さした。
そこには2年前に見つけた時から模様のようなものが描かれている。
「この魔法陣は、一定の条件を満たすと開くような式になっている。何か思い当たるものは?」
「あ、今日は私の誕生日です。16歳の」
ローワンの言葉を聞いた"幽霊のようなもの”は、ふむ、と頷き、手に持った箱を指先に載せ、くるくると回し始めた。
くるくると回った箱はやがて、”幽霊のようなもの”の指から離れ、ふわりと宙に浮いた。
「あぁ、ここに文字が刻まれているな。確かに適合者が16歳になれば開くようになっているようだ」
やっぱり、自分の予想は当たっていたんだわ。ローワンは自分の心が躍るのが分かった。
しかし、なぜ自分の誕生日なのだろう。
『適合者』。
聞きなれないその言葉が何を指すのかローワンにはよくわからなかったが、2年間この箱を持っていたのがローワンであることや、バークレイ伯爵家の血筋であることが関係あるのだろうか。
「あの、適合者って、、?」
ローワンは、段々と”幽霊のようなもの”とコミュニケーションをとることに対し、ためらいがなくなっていた。
何となく、悪い人ではなさそうだ。箱を壊そうとしたのがバレなければ、だが。
”幽霊のようなもの”は、メイド長とは違ってローワンが質問しても怒ったり無視したりしないらしい。なんともないような顔で、ローワンの質問に答えてくれる。
「お前の右手についているその指輪。そこからお前の魔力が私の身体に流れてきている。その指輪を持つものが”適合者”だ。」
”幽霊のようなもの”は、ローワンの右手の指輪を指さしながら、言った。
「私はその指輪に宿る思念体、のようなものだ。そして見ての通り、」
そこで言葉を切った”幽霊のようなもの”は、パチンと指を鳴らす。
ふむ、やはり魔法は問題なく使えるようだ。と独り言のようにつぶやき、ローワンと自分の間の空間を指さした。
「このように、私とお前の魔力が繋がっているのが見えるだろう。その指輪を媒介にしてお前から魔力を摂取することで、私は動いている。」
”幽霊のようなもの”が指さした空間には、きらきらと輝くグリーンの光の粒が、紐のようになってローワンと幽霊のようなものをつないでいた。
光の紐の先を目で辿ってみると、どうやら右手につけた指輪から出ているらしい。
光の粒は、”幽霊のようなもの”の辺りにきらきらと漂い、元々神々しかった”幽霊のようなもの”をさらに神々しい雰囲気にしている。
「私にも、魔力があるんですか、、?」
「当たり前だ。この世の生きとし生ける者にはすべからく魔力が宿っている。魔力がないのは死体か金を含む一部の無機物くらいだ」
自分にも魔力がある。ということは魔法を使える可能性があるということだ。
”適合者”とか”思念体”とか、理解できない言葉がいくつか聞こえてきたが、自分に魔力があり、魔法を使えるかもしれないということだけはローワンにも理解ができた。
「ということは、あなたは死体や無機物ではないってことなんでしょうか、、?」
「私は死体でも無機物でもない」
「じゃあ、人間?」
「否。」
「えっと、幽霊ですか、?」
”幽霊のようなもの”はふるふると首を振りながら、ふわりと宙に浮かんだ。
空を飛んでいるようだが、どうやら人間でも幽霊でもないらしい。
「じゃあ、指輪の精霊?」
”人間でも幽霊でもないもの”は、ふわふわと宙に浮かびながら、精霊か。とつぶやき、顎に手を当て考えるようなしぐさをする。
「ふむ、そうだな。私は指輪の魔力に意思が宿ったものだ。それゆえ思念体という言葉が一番正確だろうが、まぁある側面では精霊も似たようなものだ。精霊のようなもの、といったところか。」
それがお前にとって理解しやすいのであれば、それでも構わない。
そう言った自称”精霊のようなもの”は、今まではふわふわと宙に浮いているだけだったが、今度は身体を横にしながら、宙を舞い、泳ぐようにローワンの周りをくるくると回っている。
銀色の長い髪と、さらりとした肌触りのよさそうな白い服が、風に靡いて揺れている。
「精霊のようなもの。」
精霊のようなもの、精霊のようなもの。
目の前の現実を確かめるため、嚙みしめるように何度もつぶやいた。
ローワンは16年の人生で初めて精霊に会った。まさか、この世界に精霊がいるなんて、まるでおとぎ話のようだ。
「あの、”精霊のようなもの”さん」
「不可思議な呼び方はやめてくれないか。私にも名前がある、」
”精霊のようなもの”呼びはお気に召さなかったらしい。
”精霊のようなもの”は、ローワンの周りをくるくると回るのをやめ、空中で腕組みをして止まった。
「アクルだ。アクルと呼んでくれればいい」
「アクル。」
”アクル”。
美しい名前だな、とローワンは思った。軽やかで、まるで風のような美しい響きだ。
「アクル。わからないことがたくさんあるんです。教えてもらってもいいですか?」
指輪のこと、魔法のこと、箱に書かれていた魔法陣のこと
アクルのこと、そしてこの地下室のこと
この2年知りたかったことはたくさんある。
アクルであれば教えてくれるのではないだろうか。
「そうだな。私も今の状況を整理したい。お互いに情報を共有しよう」
アクルはそう言って何度か頷いた。
「ありがとうございます!」
ローワンは満面の笑みでアクルに言った。
誰かと話ができるだけではなく、自分の知りたいことを知ることができるかもしれない。ローワンは、16歳の誕生日にこれ以上ないほどの贈り物を手に入れた気分だった。
そしてそのまま、ローワンはソファーに腰かけ、アクルはそんなローワンの周りを飛び回り、
二人は何時間も話し続けた。




