Ep.6 精霊(のようなもの)前編
2年間どう頑張っても開かなかった箱は、
まるで初めから鍵などかかっていなかったのように、簡単に開いた。
上下に開いた箱の中には、赤い台座が敷き詰められていた。
外側に張られているものと同じ布のようだが、外側と違い外気に触れていないからだろうか。外側よりもかなり鮮やかな赤色で、柔らかな肌触りをしている。
そしてその台座の中心には、細い銀色の指輪が固定されていた。
幅が狭く、華奢な指輪だ。外側にはツタのような模様が描かれている。
ローワンはゆっくりと指輪を台座から外し、顔の前に掲げ、ランプの光を当ててみる。箱が古そうだったので心配していたが、中の指輪は脆くなったりしていないようだ。
指輪の内側を目を凝らして見てみると、記号が刻まれているのが分かった。
これは、古代文字だ。
幸いにも、ローワンにも見たことのある文字が書かれていた。
「えっと、これは確か。T、、A、K、A、、、Y、、U、K、I」
どういう意味だろうか。
指輪を見ながら頭を悩ませていると、ふと向こう側の銀と白のシルエットが目に入った。
そうだ、”人間のようなもの”が部屋にいたのをすっかり忘れていた。
グレーの瞳は、ローワンの手の中にある指輪をじっと見つめている。なんだか先ほどよりも少しだけ、眼光が鋭くなっているような気がする。もしかして、この指輪を探していたのだろうか。
指輪を手に持ったローワンは、”人間のようなもの”との距離を縮めていく。
この指輪の持ち主かもしれない。
指輪を渡せば、動いたり話し始めたりしないだろうか。
人一人分の距離を開け、”人間のようなもの”の前に立つ。
”人間のようなもの”は、視線だけを動かしてローワンの動き、正確には指輪の動き、を見ている。
「手に握らせればいいのかな」
恐怖心など、とうに失われていたローワンは、目の前の”人間のようなもの”の、腕組みをしている陶器のように真っ白な腕に手を伸ばす。
「あれ、掴めない」
”人間のようなもの”は、どうやら触ることができないらしい。
伸ばしたローワンの手は、空気をつかむように"人間のようなもの”の身体を通り過ぎていく。
「もしかして、幽霊?」
ローワンの中で、目の前の”人間のようなもの”は、”幽霊のようなもの”に変化した。
どうやら”幽霊のようなもの”は、身体に触れられても怒ったりしないらしい。
ただ眉間に皺を寄せ、腕組みをしたまま指輪を見ている。
しゃべらない相手といるというのは意外とストレスが溜まるものだ。
この屋敷の人間たちは、ローワンを普段居ないものとして扱うため会話が成立しない。そういうところは同じだが、この”幽霊のようなもの”とは違い、彼らはすぐにローワンの目の前からいなくなるのだ。
「もー、どうすればいいのよ。私がつけちゃうからね!いいの?」
”幽霊のようなもの”が何を求めているのか全く分からないので、できることはやってみるしかない。
ローワンは指輪を持ち、えい、と勢いをつけて右手の人差し指に差し込んだ。
すると、指輪が緑色の光を放つ。
それと同時に、少し大きかったはずの指輪がキュっと小さく縮み、ローワンの人差し指にピッタリはまった。
「え、ちょっと待ってこれ、もしかして」
指輪が光った瞬間にいやな予感がしたローワンだったが、どうやら予想が当たったらしい。
人差し指にピッタリとはまった指輪は、どう引っ張っても全く動く気配がなかった。
「取れない、、!」
引っ張ってみても、回してみても、まったく指輪が動く気配はない。
まるで指輪がここに住むと決めたかのように。皮膚と一体化してしまったかのように、一ミリも動かすことができなかった。
呪いの指輪とかだったらどうしよう。と、ローワンに今更ながら焦りが募る
かなり焦っていたローワンだったが、視線の端で白い人影がゆっくりと動いているのが見えてしまった。
なんだか嫌な予感がして、おそるおそる”幽霊のようなもの”へ視線を動かす。
「やはり、お前が適合者か」
男の声とも女の声ともわからない、凛とした声がランプの部屋に響いた。
ビクッと体を震わせたローワンは、まさかそんなわけないよね、と声のする方へ視線を動かす。
残念なことに、いやな予感は当たってしまったらしい。
グレーの瞳とばっちり目が合ってしまった。
「ひぇ」
なんとも情けない声がローワンの口から零れた。
先ほどまで人形のように固まっていた”幽霊のようなもの”が、首をかしげるようにしてローワンをまっすぐ見つめていた。
固まっていたせいで肩が凝ったとでもいうように、”幽霊のようなもの”は首に手を当て、首をコキっと鳴らす。
「ここはどこだ。」
キョロキョロと部屋の中を見渡しながら、”幽霊のようなもの”が言う。
動いている。そして話をしている。
さっきまで人形のように固まっていたのは何だったのだろうか。
ローワンはあんぐりと口を開け、目の前の”幽霊のようなもの”を見つめた。
「聞こえなかったのか。ここはどこだと聞いている」
一度目より、少し低くなった声で”幽霊のようなもの”がローワンに尋ねる。
本当に自分に話しかけられているのだ、と、ローワンは身体を震わせた。
「あ、ここは。バークレイ領の、バークレイ伯爵家です、その、地下室、の部屋で、」
先ほどこの人形が動けば良いのにと思ったローワンだったが、謝罪と”はい”以外でまともに人と話すのは10年ぶりなのだ。
自分が思っていたよりもかなり小さい音量で、上ずった情けない声が自分の口からこぼれ、ローワンは、自分のメイド服の裾をぎゅっと握りしめた。
「バークレイ、、?」
ローワンの返答が気に食わなかったのだろうか
”幽霊のようなもの”は、顎に手を当て、何かを考えるようなそぶりを見せる。
先ほどまでローワンの方を見ていた美しい瞳が、部屋中をつぶさに観察している
「お前の名前は?」
部屋中を見ていたグレーの瞳が、ローワンの姿を上から下までじっくりと観察を始めた。
自分と対照的な美しいものに見られ、居心地が悪くなったローワンは、肩まである自身のくすんだ灰色の髪をぎゅっと握りしめた。
「ローワン、、ローワン=バークレイです」
「ふむ。名前から察するに領主一族の者か」
10年ぶりに、自身のフルネームを他人に名乗った。
領地と同じ姓を持つことができるのは、この国で唯一、領主の血筋だけだ。
自分の名前を答えるだけだったが、くたびれたメイド服に、くすんだ灰色の傷んだ髪。年頃の貴族令嬢としては考えられない格好をしている自分を思い出し、ローワンはカッと顔に熱が集まるのが分かった。
今までは気にする余裕もなかったが、目の前の美しい姿を見るとなんだか自分の惨めな姿が急に恥ずかしくなってきた。
「ローワン。そしてバークレイか。バークレイ、ローワン、んん、」
自分の名前が誰かの口から発せられるのを聞くのは、久しぶりだ。両親が亡くなって以来、数えるほどしかないのではないだろうか。
目の前の美しい人が、自分の名前を噛みしめるように呼んでいる。
表情から見るに、どうやらローワンの領主一族らしからぬ格好が気になるわけではないらしい。
バークレイ。バークレイ。と繰り返しながら、視線はローワンと部屋の中を行ったり来たりする。
その視線がローワンを捉える度、グレーの瞳にすべてを見透かされているような気がして、ローワンは思わず俯いた。




