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Ep.36 北の大地


 ニナ先生の研究室を出たローワンは、薬草学の授業を受けるため足早に正門近くの温室へと向かっていた。

 あの後、お母様の研究がいかに素晴らしいかについて語るニナ先生の話を聞いたり、両親の事故についてもう少し詳しい情報を聞いているうちに随分と時間が経ってしまっていた。


 普段人見知りをするローワンだが、ニナ先生のお母様と似た雰囲気や、今先生が行っている研究についての興味深い話なども相まってとても楽しい時間を過ごすことができた。

 両親が伯爵様に殺されたかもしれないというのに、不思議と深刻に捉えられていないのは、まだ現実味が湧いていないからなのだろうか。それとも、両親が居なくなってあまりにも長い時間が経ちすぎてしまったからなのか。


 今まで分かった情報を整理すると、伯爵様の目的はおそらくローワンの右手の人差し指にはめられているこの指輪だろう。この国に4つしかない、不思議な力を持っている秘宝とそれに宿る精霊のようなもの。

 伯爵様がこの指輪を手に入れるために両親を事故に見せかけて殺したのだとしたら、何故この指輪は今ローワンの手元にあるのだろう。この指輪は10年間バークレイ伯爵家の地下室に眠っていた。きっと、探し出すチャンスはいくらでもあったはずなのに。


 何かがおかしい気がする。伯爵様との会話も、まるで、ローワンが16歳の誕生日にこの指輪を見つけ出すことを知っていたかのようだ。

 エクターの話では、適合者になれるのは16歳以上で、そして実際に誰がなるのかを決めるのは思念体、つまりアクルの意思次第ということになる。そんなアクルの記憶はないし、自身の能力についてもあやふやだと言う。



 「うーん、わかんないなぁ」


 ローワンは中庭の景色を視界に入れながら、煮詰まった頭をぶるぶると左右に振った。中庭の芝生が、夏の日差しを浴びてきらきらと水面のように輝いている。だだっ広い中庭には、くるくると回って水をまき散らす魔石道具のようなものが置かれているようだ。


 くるくると回りながら規則正しい円を描く水しぶきは、月の家で見た魔法陣にどこか似ている。お母様が書いたという転移魔法陣は、もっといろいろな文字が書かれていてとても複雑なものだったが、規則正しい渦巻型をしていた。


 「お母様とお父様は、ラーレ学長と月の家で会う約束をしていた。それなのに、なんで転移魔法陣を使わなかったんだろう」


 大雨の日にわざわざ危険とされているゴルシュの谷を通ってまで急いで行こうとしていたのだ。馬車になど乗らず、転移魔法陣を使えば良かったのではないだろうか。

 それに、そもそも両親はその日、ラーレ学長に何の話をしようとしたのだろう。ずっと調べていた事って、一体。



 「ローワン」


 斜め後ろから聞こえてきた声に振り返ると、そこには食堂から出てきた様子のエクターがいた。

 爽やかな笑顔と共に小走りでこちらに近づいてきたエクターからは、暑い日だと言うのに汗一つかいておらず、とても良い花の香りがした。


 「エクター。他のみんなはどうしたの?」


 「先に温室に向かったよ。私は王宮に手紙を書いていたから、先に行ってもらったんだ」


 入学初日以降、エクターとキール=ロジャースはもちろん、ケイとアクルを含めた4人でよく一緒にいるらしい。アクルに言わせれば一緒にいるのではなく、キールとケイに付きまとわれているらしいけど。

 

 「ご両親に手紙を出したの?」


 「はは、違うよ。コーニッシュ伯爵にちょっとお願い事をね。」


 「コーニッシュ伯爵、、確か北の方の領地を持たれている方よね」


 「そう。来月のフィールドワーク行き先希望の締め切りがもうすぐだろう。研究対象にしたい薬草がコーニッシュ伯爵領にしか自生していなくてね。フィールドワークの許可を頂けないかなと思って連絡してみたのさ。そしたら是非にと返事をもらったから御礼の手紙を書いていたんだ」


 来月に、アカデミーの1年次を対象とした1週間のフィールドワークがある。約200名の生徒は何グループかに分かれて希望する地域に関する研究を進めることになる。

 研究の対象は何でも構わないが、フィールドワーク終了後には分厚いレポートを提出する必要があるため、あらかじめ自分の興味関心のある地域の候補を挙げておくのだ。


 「ローワンは何か候補を決めた?」


 「んー。まだ、あまり興味があるものが見つかってなくて」


 アカデミーに入学する多くの生徒は、入学前から研究したいものが決まっている人が多いそうだ。

 ケイは海辺のチェンバレン領出身だからか、海洋生物に興味があるらしい。キール=ロジャースは将来騎士団に入ることを見越して戦術学や統率諭などの軍事学を専攻したいと言っているし、皆それぞれにアカデミーでやるべきことが明確になっている。


 ローワンにも両親の死の真相に近づくという目標はあるものの、アカデミーに入学したのは伯爵様から身を護るためというのが大半なので、いまいち学問とは紐づいていないのだ。


 「エクターはどんな学問に興味があるの?」


 「私は鉱物に興味があるんだ。正確には魔石道具を作るための鉱物なんだけど。錬金術と鉱物は関わりが深いし、良い効果の魔石道具を作るためにもどんな鉱物を利用するかは重要だからね。」


 「あれ、でもさっき研究対象は薬草って言ってなかった?コーニッシュ伯爵領にしか自生していない薬草があるって」


 「そうだよ。先日薬草学の教授から興味深い話を教えていただいたんだ。その薬草が近くに生えていると、同じ種類の鉱石でもほかのものに比べて格段に魔力の通りがよくなるっていう話を聞いてね。その薬草を王都でも栽培することができれば、もっと効果の高い魔石道具を作ることができるかもしれない。そうすればもっと人々の生活が豊かになるかもしれないから。」


 「へぇ、不思議だね。じゃあエクターは将来、錬金術研究所とかに就職するの?」


 毎日授業についていくだけでも精いっぱいのローワンに比べて、エクターは明確な興味や目標を持っていて凄いな。そう思って何気なく発した言葉だったが、何かエクターの気に障ったのだろうか。

 ローワンと並んで温室の方へと歩みを進めていたエクターが突然足を止め、ローワンの方を目を見開いて見ている。


 「エクター?・・ごめん、何か気に障るようなこと言ったかな」


 怒っているというより、どちらかと言えば面食らった顔をしてこちらを見ているエクターの方を、ローワンも足を止めて振り返る。

 ローワンと目が合ったエクターは、何度かぱちぱちとまばたきをし、口角を上げたまま少し俯いて首を左右に何度か振った。


 「あはは、違うよ。ちょっとびっくりしちゃっただけ。」

 

 笑い声と共に顔を上げたエクターは手を口元に当て、コホンと一つ咳払いをしてローワンの方を見る。そして何かを懐かしむような、ローワンを通してどこか遠くを見ているようなそんな表情をして口を開く。


 「ローワンは忘れているかもしれないけど、一応私はこの国の第一王子なんだ。しかも他に兄妹もいない、ね。」


 「あ、」


 そうだった。あまりに気楽に接してくれるものだからローワンの頭からはすっかり抜け落ちていたが、エクターはモルボーデン王国の第一王位継承者なのだ。

 エクターがアカデミーにいる間に何を専攻し研究しようとも、彼の将来の就職先はこの国の王に決まっている。


 「ごめん。間抜けな質問だったね。」


 「やっぱりローワンは昔から変わらないな。」


 「な、なんで笑ってるの」


 国王になることが決まっている人に将来は錬金術研究所に就職するのか。などと間抜けな質問をした自分を恥じていたローワンの視界には、くっくっと笑いを押し殺そうとして全くうまくいっていないエクターが腹を抱えている姿が映る。


 「昔から君と話しているといかに自分が視野が狭い人間なのかに気付かされるよ。私はいつも大人たちの言いつけを必死に守っていたけれど、ローワンはいつだって自由に好奇心の赴くままに行動していたよね。それで私のお目付け役によく怒られていたよ」


 「そうだったかなぁ」


 さっぱり記憶にないがどうやら昔のローワンはそこそこに活発な子供だったらしい。今の自分にその要素が残っているとは思わないが、確かにアクルからは慎重さが足りないとはよく言われている。

 なんだか少し恥ずかしくなったローワンは、教科書を持っていない方の手で自らの顔を覆い隠すように赤い髪を撫でつけた。


 「わ。なに」

 

 「私はそんなローワンにずっと憧れていたんだ」


 何かを慈しむように、海のように碧い綺麗な目を細めたエクターが、撫でつけたことで乱れたローワンの赤い髪に触れる。

 剣を握っているからか、少しだけ皮膚が固くなった手がローワンの頬をかすめ、量の多いローワンの赤髪を耳に掛けた。


 「うん、きれいだ。さ、そろそろ行こうか。授業に遅刻してしまうから」


 何か吹っ切れるように軽く頷いたエクターは、そのまますたすたと温室の方へと歩いていく。



 「え、えぇ」


 エクターに触れられた耳が熱を持っているような気がする。無意識にそこに手を当てたローワンは自分の血管がドクドクとものすごいスピードで血液を送り込んでいる音を聞きながら、エクターの

凛と伸びた背中を呆然と見つめていた。


もしまだ読んでくださる方がいらっしゃるなら、少しずつ書き続けていければと思います(2025.3.3)

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