Ep.31 エクターとトーア
緊張した面持ちでエクター王子の後ろをついてきたローワンは、訓練場全体を見渡すことができる観覧席に来ていた。
剣や魔法の修行のための訓練場には、周囲の人を巻き込まないようにするため、少し高い位置にこのような観覧席が用意されているのだそうだ。
生徒同士で決闘をする際には、この観覧席いっぱいに人が集まることがあるらしいよ。と、緊張をほぐそうとしてくれているのだろうか。固い表情のローワンに向けて、柔らかな表情のエクター王子がそう教えてくれた。
下の訓練場では、楽しそうな顔をしたキール=ロジャースが、アクルに向け魔法を放っていて、それをアクルが怒りの声をあげながら避けている。あれは、本当に止めなくても大丈夫なのだろうか。
「ここ、座って」
「あ、ありがとう、ございます。」
エクター王子がベンチの上を軽く手で払い、ローワンに隣に座るように促す。
自立しようと決めたローワンだったが、人半分ほどの距離を空けて隣に座った、美しすぎる王子の姿を見て、だんだんと自信がなくなってきていた。
エクター王子は、プラチナブロンドに碧眼で、まるでお時話の中からそのまま出てきた王子様のようだ。いや、実際本当に王子様なのだが。
「君の反応を見る限り、私のことを覚えていないかな」
「・・・ごめんなさい」
「いいんだ。君と最後に会ったのは10年も前だし、それに長い期間じゃなかったからね」
わずかに眉を下げたエクター王子の姿に、ローワンは猛烈な申し訳なさを感じていた。カマラ夫人のこともそうだが、なぜローワンはこんなにも昔のことを覚えていられないのだろう。
「昔、ローワンに会うために何度かバークレイ領に行ったよ。先々月、久しぶりに訪れてみたけど、あそこは変わらないね。ずっと、のどかで素晴らしい領だ」
君が王都に来てくれたこともあるんだよ。と、どこか遠いところを見るような、そんな顔で話をするエクター王子だが、やはりどうも思い出せない。
こんな綺麗な顔の人を、思い出せないことなどあるのだろうか。男の人なのに陶器のように綺麗な肌で、そしてキラキラと透き通るような碧い眼で。
その瞳は、まるで光が反射した海のように輝いていて。
「ん、?碧い、目?」
「君はいつも、私のこの碧い目を至近距離で見つめて、”海のようね”と言ってくれていたよ」
自らの右目を指さし、そしてローワンに見せるようにわずかに距離を詰めたエクター王子の瞳は、今日も夏の日差しに照らされて、きらきらと、海の水面のように輝いている。
そして、海にずっと憧れを持っていたローワンは、確かに。幼き日に友人の目を見て、その言葉を言ったことがあるような気がする。
「・・・トーア?」
「そうだよ。やっと思い出した?」
ふにゃりと柔らかな顔で笑ったエクター王子は、確かにローワンの記憶の中の友人によく似ていた。
Tor、それはローワンのかつて大好きだった友人の名前だ。
伯爵邸にいた時は、一度も思い出すことがなかったのに。月の家に着いてしばらくして、チェンバレン領の海を見ながら、まるでトーアの瞳のようだなと思ったのだ。
トーアに最初に会ったのは、ローワンが6歳の秋の季節だった。両親が連れてきた少年で、バークレイ伯爵家の庭で一緒に本を読んだり、走り回ったり。
領から出ず、あまり友達が多くなかったローワンにとって、トーアはとても大切で。大好きな友達だった。
温暖なバークレイ領とは言っても、秋の季節となればそこそこ寒くて。いつまでも外から帰ってこない二人を心配して、よくお父様が探しに来てくれた。
雪を見てみたいというローワンの要望に、まだ6歳のトーアが無理やり魔法を使おうとして、熱を出して屋敷中が大騒ぎしていたこともあった。
確か、最後にトーアに会ったのは王都だった。
お父様とお母様と一緒に王都に遊びに行った日で、ローワンがトーアとの遊びに夢中になっている間に、お父様とお母様は話があるから。と、二人でどこかへ向かっていた。
あれは、よく考えればお父様とお母様が亡くなる少し前だった気がする。
当時のローワンは、トーアに会えた事が嬉しくて全く気にも留めていなかったが、二人は一体、王都で何をしていたのだろう。
「・・・ローワン。大丈夫?」
「わ、ごめんなさい!」
トーア、もといエクター王子の、海のように碧い瞳をじっと見つめたまま、考え込んでしまっていたようだ。一国の王子を目の前にして物思いにふけってしまうとは大失態だ。たとえ、それがかつての友人だったとしても。
頬に感じた、慣れないひんやりとした感覚で、両親のことを考えていたローワンは現実に戻ってきたらしい。いつの間にか距離が詰められていたエクター王子の、少し冷たい手が、ローワンの頬に置かれている。
「ち、ちか!」
ぼーっとするローワンを、覗き込むようにして見つめていたトーアと目が合った。
かつての友人は、びっくりして距離を取るように飛び上がったローワンを見て、楽しそうに笑っている。
「ははっ。やっぱりローワンは変わってないね」
「そ、そうかな」
「そうだよ。いつだって感情表現が豊かで、一緒にいると、私もそうなれたようでとても楽しかった」
後ろに手を着いた姿勢でベンチに座り、ゆったりと足を組んだトーアは、訓練場で未だ激しい戦いを繰り広げるアクル達を見て、柔らかく笑った。
その姿は、雑誌やバークレイ伯爵邸で見たような凛とした王子の姿ではなく、どこか肩の力を抜いた、年相応の16歳の青年の姿に見えた。
「ずっと、君に会いたかったんだ。亡くなったと聞かされても、お葬式に出ても。どこか実感がなくて。また君に会えるんじゃないかと思って」
トーアが遠い目で見つめている訓練場からは、アクルの魔法なのか強い風が吹き、トーアの柔らかそうなプラチナブロンドの髪をゆらゆらと揺らしている。
「だから、伯爵邸の裏庭で、メイド服を着た赤い髪の女性を見た時。本当に嬉しかったんだ。幻影でも、幽霊でもいいから、もう一度ローワンに会いたいって」
なんだか女々しいよね。と、くしゃりとした顔で笑うトーアの顔に、ローワンはなぜか泣きそうになっていた。
ずっと一人ぼっちだと思っていた。両親が亡くなって、アクルが現れるまでの約10年間。
毎日誰かに苛められ、いないも同然の扱いをされ。誰も、ローワンのことを気にしてくれる人などいなかった。
どうして、トーアのことを忘れてしまっていたのだろう。
友人でいたのは長い期間ではなかったが、トーアは確かにローワンの大切な友人だった。最後に受け取った手紙には、いつか一緒に海を見に行こう。と、そう書いてあった気がする。あの手紙は、今どこにあるのだろう。
「体調はもう大丈夫?何年も植物人間状態だったと聞いたよ。伯爵邸で会った時には、もう元気そうに見えたけど」
「あ、うん。もう、大丈夫」
「伯爵も教えてくれればいいのに。もし知っていたら、頻繁にお見舞いに行ったよ」
「意識ないのに?」
「なくても。君が目が覚めた時、一番におはようって言ってあげるよ」
「ふふ、変なの。」
何故笑うんだ。と、少し恥ずかしそうに笑ったエクター王子は、ローワンのかつての友人の表情そのものだった。
そっか。私にも、待っていてくれる人が、会いたいと思ってくれる人が、いたんだ。
「トーアも、私が死んだと聞かされてたの?」
「そうだよ。バークレイ伯爵夫妻と一緒に馬車の事故で、ってね。お葬式で、ローワンの棺が灰になるのも最後まで見守ったよ。今考えると、あれは空だったんだな。泣いて損した」
「・・・泣いてくれたんだね。ありがとう」
「そうだよ。純粋な7歳のトーア少年の涙だよ、とても貴重だから。感謝してよね」
「自分で言う?それ」
10年の月日が、嘘のように。先ほどまで怯えていたのは何だったのだろう。と、そう思わせてくれるくらい、トーアは昔のままだった。
自分を待っていてくれた人がいる。そして、自分が亡くなった時には悲しいと思っていてくれた人がいる。ただそれだけで、ローワンは救われた気持ちだった。
目のふちに溜まった涙に気付かれないように、そっと拭いながらトーアに向けて笑いかけると、トーアも同じように笑みを返してくれた。
「これから、またよろしくね。」
「もちろん」
「さて、ローワンに思い出してもらえたことだし、そろそろキール達を止めな、、、、、危ない!」
立ち上がったトーアが、訓練場に向けて視線を向けたその時。
訓練場から飛んできたであろう、風の槍が、観覧席にいたローワンとトーアに向けて飛んできた。
わずかに反応が遅れ、立ち上がろうとしたローワンの肩を、トーアがわずかな力を入れてその場に留め。そして、
「Escudo Frío 」
トーアが唱えた呪文により、ローワン達の目の前に大きな氷の壁が現れ、トーアの目前まで迫っていた風の槍は、バリンと大きな音がして目の前の氷の壁に衝突した。
槍によって崩された氷が、ゴロゴロと地面を転がるような音と、ひんやりとした空気がローワンの足元を通っていく。
「ローワン、怪我は?」
「あ、うん。大丈夫」
ベンチに座ったままになっていたローワンに、トーアが手を差し出してくれた。
びっくりした。一体、何が。
ローワンは何が起きたのか、目の前の事情をよく把握できていなかったが、とりあえずトーアの手を取って立ち上がる。
すると、
「エクター王子、いらっしゃるとは気づかず。大変失礼しました。」
風の槍を受け止めたことで割れてしまった、トーアが作り出した氷の壁の間から、ふわりと浮かんだアクルが姿を現した。
ポケットに手を入れた姿勢で空に浮かんでいるアクルは、何故だろう。謝っているはずだが、全く悪いと思っていないようにも見える。
先ほどまで、下の訓練場でキール=ロジャースと戦っていたはずのアクルが、何故こんなところに。
「ローワン。怪我はないな」
トーアに差し出された手を握っていた方の手を掴み、くるくるとローワンの身体を回しながら確認するアクル。な、なんなの。突然。
「ちょ、目が回る。」
アクルが出している風のせいか、掴まれた手を軸にしてローワンの身体はくるくると、風車のように回っている。そして満足したのか、何周かローワンを回したところで風はやんだ。
何が起きたのだろうか。
ぼさぼさになってしまった自身の赤い髪を落ちつけながら、よろよろと平衡感覚を取り戻していると、下の訓練場からキール=ロジャースの声が響いた。
「アル=クイン!もう終わりか?」
「十分、付き合ってやっただろう。もううんざりだ」
「なに、まだ決着はついていないぞ」
「キール、そろそろ食堂が閉まるよ。またにしなよ」
「ふむ、それもそうだな。これから長いアカデミー生活を共にするのだ。アル=クイン、いやアル!また俺と戦おう!」
トーアに諫められ、今日の所はキール=ロジャースもこれで終わりにするらしい。
下からはつらつとした表情でアクルの方を見ているキール=ロジャースに、アクルは心底うんざりした顔をしているようだった。
「アル、よかったね!友達ができて」
「あいつは、友達などではない。」
大きなため息をつきながら、ふるふると首を横に振ったアクルは、どうやら相当疲れたらしい。
下にいるキール=ロジャースは、ケイと盛り上がったように何かの話をしているようだ。ケイは、誰とでも仲良くなるのが早いのね。
「ローワン、よかったら一緒に昼食を取らないか。」
「あ、えっと。アル、いいかな?」
「・・あぁ。構わない」
ローワンが誘いに乗るとは思わなかったのだろうか、ピクリと眉を動かしたアクルは、トーアの方を見てわずかに目を細め、すぐに同意を示した。
「よし、では私は下の二人にも伝えてくる」
よっと、王子には似合わず軽い声を上げたトーアは、観覧席の前に設置された低い柵をぴょんと飛び越え、3mはあるであろう下の訓練場へと降りて行った。
「あの王子と、やけに親しそうだったが」
氷の魔法で無事地面に着地したらしいトーアを見つめていたローワンに、アクルがやや低い声で話かけた。
「うん。あのね、昔にトーアっていう友達がいたって話したよね」
「あぁ」
「それが、エクター王子だったの。ずっと、私に会いたいなと思っていてくれたんだって」
ローワンの発言を聞いたアクルは、驚いたのだろうか。少し、眉をピクリと動かし、そしていつものように手を口元に当て、何か考えるような仕草をした。
「Tor。なるほど、Ectorの愛称か」
「あの日。赤い髪のメイド服を着た女性を伯爵邸の裏庭で見たんだって。でも、私に話しかけた時は灰色の髪をしたメイドの姿だったって言ってた。これ、どういう意味だと思う?」
「ふむ。その王子が言っていることが本当かはわからんが。今お前の髪が赤く見えていることから考えても、髪色の効果はバークレイ伯爵邸の中でのみ影響を及ぼしていた可能性があるな。」
「トーアは、嘘言ってないと思うよ。」
月の家でローワンの髪色の謎についての話をしていた時、アクルはエクター王子が嘘を言っていた可能性は捨てきれない。と、言っていた。
わからないことが多すぎるから、信用できない人間が言った言葉を前提にするな、と。
でも、さっき話した限りでは、エクター王子はローワンの友人のトーアそのものだった。
信用できる人間と考えても、問題ないはずだ。
「あのなぁ。お前、本当に警戒心がないにもほどがあるぞ。昔の友人だったからなんだ。10年も前の話だろう」
「アクルはさっきのトーアの姿を見てないから!見てたら、絶対嘘つくような人には見えないって」
トーアは、嘘を言うような人じゃない。
さっき、この10年ずっとローワンに会いたかったと、そう言ってくれたのだ。たとえ、意識がなくても、ずっとお見舞いに来てくれるって。
「はぁ。ローワン。お前、自分の名前を、もう少し噛みしめてみたらどうだ」
「名前、、?」
「Rowanの花言葉は、”慎重”、”賢明”。お前に最も足りない要素だ」
「もー、うるさい!」
アクルは逆に慎重すぎるのだ。疑り深いにもほどがある。
カマラ夫人に対しても、指輪のこと含めて、全部正直に話そうとしたローワンのことを止めたのだから。あんなに良くしてもらっているのに。
ベーっと、顔をくしゃりとして舌を出せば、アクルはため息をつきながら、いつものようにうっとおしそうに手を振ってくる。
そして、下にいるケイたちを見て、少し真剣な顔つきになったアクルは、声を落として話を再開した。
「警戒心と言えば。ローワン、ケイには注意しろよ」
「なに?今度はケイのことまで疑えって?」
「そうだ。あいつ、指輪のことを知っているような雰囲気だった。」
「え、、?」
「行きの馬車で聞かれたのだ。ツタの模様が書かれている、銀の指輪を持っていないか、と」
アクルから言われた衝撃的な言葉に、ローワンは思わず自身の右手に隠された指輪をなぞった。
どうして。ケイの前では指輪を見せたことも、つけている素振りを見せたこともないのに。
「それに、あいつの首にあるイヤーマフラーからは不思議な魔力を感じる。どこかで感じたことのあるような。言い表すのは難しいが」
目を細め、下の訓練場で楽しそうにトーアやキール=ロジャースと話をしているケイを見ながら、アクルが言った。
ローワンもつられるようにケイを見ると、気配を感じたのだろうか。会話をしていたケイが、笑顔でこっちを向いた。
「アル、ローワン!エクターとキールが一緒に飯食おうって。行こうぜ!俺もう腹減ったよ」
「あぁ。今行く」
下からぶんぶんと手を振りながら、笑顔で声をかけてくるケイに。思わずローワンの表情が強張ってしまう。
「こちらが警戒していることには気づかれないようにしろ。いいな。普段通りにするんだ」
「・・う、うん」
ぽん、とローワンの肩に手を置いたアクルが、先ほどのトーアと同じように下へひょいっと飛び降りていく。
ざわざわとした気持ちでアクルが行った方を見ていると、キール=ロジャースにガシリを肩を組まれ、うっとおしそうにしているアクルがそこにはいた。
「ローワン?大丈夫か?」
食堂の方へ向かって行くケイ、アクル、キールから遅れ、立ち止まったトーアがローワンに声をかけてくれる。
どうしてケイが指輪のことを知っているのかはわからないが、きっと良いことではないはずだ。
伯爵様は指輪を探していて、そしてケイはその仲間なのだろうか。でも、もしそうだとしたら、カマラ夫人も、カイさんも?
いや、今は考えるのは辞めよう。
これ以上考えてしまうと、きっとケイの前で笑えなくなってしまう。
「だ、大丈夫。今行く」




