Ep.30 主人公登場 前編
「お前たち、ここで何をしているんだ」
アクルとケイに急かされながら、受付の方へ歩みを進めていたローワンの耳に、背後から凛とした声が聞こえてきた。
それは、少年と青年の間のような、まだわずかにあどけなさを残す男性の声で、しかしどこか威圧感を感じさせるものだった。
「うぉ、ついに主人公の登場」
「え?主人公って?」
「あ、いや、なんでもない」
ケイがよくわからない言葉を発していたが、シーンと静まり返った正門前に立つ一人の青年の姿に、ローワンは見覚えがあった。
ホワイトブロンドに琥珀色の瞳。どこかプライドの高さを感じさせる鋭い眼光に、周りに囲まれた大人たちを黙らせるほどの堂々とした雰囲気。
そして耳元には稲妻型のピアスがキラリと光っている。
それは、給仕係の大好きなキール=ロジャースの姿だった。
「カイ=チェンバレン。また警備隊と問題を起こしているんじゃないだろうな」
「これはこれはキール坊ちゃん。大きくなりましたね。本日は入学おめでとうございます。」
「ちっ、忌々しい」
キール=ロジャースに向け、恭しい仕草でお辞儀をしたカイさん。
ロジャース公爵は現騎士団長で、カイさんは現役の騎士団員だと言っていたから面識はあるのかもしれないけど。この二人、仲が悪いのだろうか。
にこやかな笑みを向けるカイさんとは対照的に、お祝いの言葉を言われたはずのキール=ロジャースは、なぜかとても嫌そうだ。
「き、キール様!警備隊第一支部第4地区リーダーのストムと申します。アカデミー敷地内に我々の捕獲対象がおりまして。ぜひ敷地内に入るための許可を頂きたく!」
「捕獲対象、、?」
警備隊の男のセリフに眉を顰めたキール=ロジャースは、敷地内で正門前の様子を伺っていたローワン、アクル、ケイの3人の姿を視界に入れた。
そして、ローワンの頭付近に視線を合わせ、あぁ伯爵の。と、小さな声でつぶやいた。
肩に置かれている、アルの手に、わずかに力が入ったのが分かる。
「バークレイ伯爵のご息女は、私と同じくアカデミーの新入生と聞いている。つまり、彼女は不法侵入でもなければ犯罪者でもない」
「し、しかし早急に保護する必要がありまして!」
「黙れ。アカデミーの敷地内にいる以上、お前たちが干渉することは不可能だ。これ以上王国の恥を晒す前にとっとと消えろ。」
キール=ロジャースは、目の前の警備隊の男たちに向け、眉を顰めたまま淡々と言った。
頼みの公爵ご子息に味方してもらえなかった上に、むしろ怒られてしまった様子の警備隊は、ぐぬぬぬと、悔しそうにローワンの方を見ている。
恨むような警備隊の視線に対してビクリと身体を揺らせたローワンに、アクルとケイが心配するな。と声をかけてくれた。
そうだ、アカデミーの中にいる限りは安全なんだ。
二人に礼を伝える意味も込め、コクリと無言で頷いて再び正門の方に視線を向けると、すごすごと肩を落として帰路に就く警備隊と、疲れたーと伸びをしながら解散していくアカデミーの職員が見えた。
キール=ロジャースは敷地内に向け足を進めながら、ニコニコと楽しそうに様子を見守っていたカイさんに対して、お前も早く訓練に戻れ。と、鬱陶しそうに手をはらっている。
カイさんは楽しそうにキール=ロジャースに別れを告げると、門にいたニナという女性に近づき、馬の上からキスをしていた。
顔を真っ赤にした女性は、カイさんに向け風の魔法を放ち、楽しそうに笑ったカイさんはそのまま門の前から馬を走らせ、消えて行ってしまった。
「え、あの人誰?」
「カイさんの彼女らしいよ」
「ひぇ。知らなかった」
「ケイ、ローワン。人が増えてきた。そろそろ行こう」
「そうだな。無事にこれで入学できそうだし一安心。」
「うん!二人ともありがとう!」
門の様子を観察していた野次馬生徒たちが続々と入学手続きの方へ進んでいくので、ローワン達三人も混んでくる前にそちらに歩き始めた。
いろんな人に助けてもらったおかげで、ようやくアカデミーの生活を始めることができそうだ。
☆
入学手続きの列に並んだローワンは、受付にいた職員に名前を告げ、今日のスケジュールが書かれた紙と、一本の小さな鍵を受け取った。
「入学おめでとう。君のお父様が書かれた”ティンタジェル遺跡”についての本を読んだよ。あれは素晴らしかった。会えて光栄だ」
名前を告げると同時に受付の男性から言われた言葉に、どう返すのが正解かよくわからなかったローワンは、ぎこちなく笑みを返した。
お母様の話はよく聞くけど、お父様についての話をされるのは初めてだわ。
職員の話を聞くと、寮生活の最初は身体的事情などで配慮が必要な人を除き、男女別の2人部屋になるらしい。
ローワンに告げられたルームメイトの名は、三大公爵のヴィラ公爵のご息女であるアヴァロン=ヴィラだった。
会ったことはないが、貴族名鑑によると猛烈に美しいと評判で、代々王族宮廷医の職に就く一族の生粋のお嬢様だ。10年間虐げられながらメイド生活をしてきたローワンと、はたして会話は成立するのだろうか。
スケジュールによると、一度与えられた寮の部屋で支給された制服に着替えた後、全員で講堂に集まり、今後の流れの説明があるらしい。
男子寮に着いていくわけにはいかないので、ケイやアクルと待ち合わせ場所を決めて、後で講堂で合流することにした。
受付で伝えられた部屋の鍵を開け、ノックをしながら入室する。
ローワンが4人で使っていたメイド部屋の5倍以上はありそうな広い部屋には、明るい光が差し込み、ベッドと勉強机のようなもの、それからクローゼットが2つずつ置かれていた。
まだ、同室のアヴァロン=ヴィラは到着していないらしく、ローワンはほっと安堵の息を吐いた。
メインの部屋の横には、小さなシャワー室が一つと、洗面台、それからお茶を入れられそうな小さなキッチンがついていた。
メイド生活が長かったため、ローワンもお茶を入れることくらいはできる。お客様や伯爵様の対応をすることはなかったので、実際に貴族に注いだことはないが、まずは挨拶がてらお茶を入れよう。
それをすることで同級生ではなく貴族とメイドのようになってしまわないだろうか、という疑問が頭によぎったローワンだったが、6歳以降ケイやアクル以外で友達付き合いを経験していないので、どうすれば正解なのかの答えは、着替えを終えても出なかった。
「ローワン。こっち!」
アクルとケイとの待ち合わせ時間までに、同室のアヴァロン=ヴィラは到着することなく、一人で着替えを済ませたローワンは二人との待ち合わせ場所にいた。
「わー!ケイ、アル!似合ってるね」
「そう?なんか恥ずかしい気がするけど」
目の前に立つ二人は、アカデミーの男子の制服を着ていた。
アカデミーの制服は男女ともに、太ももまでの長さがある落ち着いた深緑のロングブレザーに、白いシャツ、深い赤と黒のネクタイ、それと赤か黒のズボンもしくはスカートの4種類から、自由に選択できるようになっている。
アカデミー大全によると、多くの学生は次第に制服を着崩すようになり、ブレザーをきちんと着ているのは入学から少しの間だけなのだそうだ。
それでも、制服を着ることで、本当に入学した実感が湧き嬉しくなったローワンは、部屋に置かれた鏡の前で何度もくるくる回って自分の姿を確認した。
二人と一緒に講堂に着いたローワンは、段のようになっている部屋の中腹辺りにアクルとケイと一緒に座った。
アクルがケイに対して、一緒に行動して大丈夫なのか?と心配の声をかけていたけど、ケイは今更ぼっちの方がつらいじゃん。と返答していた。
ぼっちと言う意味が最初は理解できなかったが、どうやら一人ぼっちと言う意味らしい。ケイの使う言葉はたまに難しい。
「なんか、すげぇ見られてんね」
「正門であれだけ大騒ぎしていたから、大方ローワンのことを気にしているのだろう。こいつの髪は目立つからな」
講堂には100人以上の学生たちが集まっていた。
皆ローワンやケイと同じくらいの歳をしているようだが、赤い髪をした人は一人もいなさそうだった。やっぱり、この髪色はそこそこ珍しいらしい。
こんなに多くの人を見るのも珍しく、ローワンが周囲を再びきょろきょろと見渡していると、講堂の前の方に小さな人だかりのようなものが見えた。
どうやら、複数の女子生徒たちが、そこに座る男性2人に群がっているらしい。
女子生徒たちの隙間から、わずかに白っぽい頭が2つ覗いている。プラチナブロンドと、ホワイトブロンドの二人組。
あれは、先ほども正門で見たキール=ロジャースと、それから。
「あそこで囲まれてるの、エクター王子だろ。相変わらずすげぇ女子人気」
椅子とくっついているテーブルの上に肘をついたケイが、ローワンと同じ方向を見ながら目を細めて言った。
どこか不機嫌そうな顔をしているキール=ロジャースとは対照的に、周囲の女子生徒に向けて笑顔で受け答えしているのは、確かにエクター王子のようだった。
先日、バークレイ伯爵邸で初めて会って、そして、ローワンと昔婚約の話が上がっていたという。
ローワンは、ケイと同じようにテーブルの上に肘をつき、両手を口に当て、遠くに座るエクター王子の美貌を堪能していた。うーん、遠くから見てもやっぱり超美形だ。いくらお母様の研究のことがあろうと、あのような美しい人とローワンが釣り合うはずもない。
すると、にこやかに話をしていた女子生徒たちが自分の席へと戻っていくのに合わせ、わずかに視線を後ろに動かしたエクター王子が、こちらを向いたような気がした。
そして、わずかに目を見開き、椅子からガタガタっと立ち上がったエクター王子と目が合った。
『まもなく開始します。着席してください』
エクター王子が立ち上がると同時に、魔石道具であろう拡声器からアナウンスが鳴り響いた。
職員の声にハッ、と我に返った様子のエクター王子は、突然立ち上がった彼に驚いた様子のキール=ロジャースに向け何か声をかけ、前を向いて座り直した。
びっくりした。まさか振り向くとは思わなかった。目が合ったエクター王子は、やっぱりとても美しかったし、そして確実にローワンと目が合っていた。
伯爵邸で会った時も、ローワンらしき人物のことを友人だ。と言っていたが、どうやら、彼はローワンのことを知っているらしい。
幼いころに遠目で見たことがあるのかもしれないが、ローワンの記憶の限りでは、やはりエクター王子と友達だったどころか、交流をしたこともない。
首をかしげているローワンの方をなぜかアクルやケイが見ていた気がしたが、講堂の壇上に人がやってくると二人ともそちらの方を向いた。
「新入生の皆さん、ミドルアース魔法学校へようこそ。私は副学長のシェルシェです。本日は学長のリンデンが不在にしているため、彼女からのメッセージを投影します」
落ち着いた威厳のある声でそう言った副学長は、壇上の演説台に置かれていた小さな箱を、杖のようなもので2回コツンコツンと叩いた。
すると、講堂いっぱいに四角い枠が広がり、その中に女性の上半身が現れた。ローワンは初めて見るものだが、これも魔石道具の力なのだろうか。
現れたのは、緑色の瞳に灰色の髪をした女性で、月の家でカマラ夫人に見せてもらったペンダントに描かれていた時よりも、歳を重ね非常に堂々とした雰囲気を感じさせた。
”尊敬する新入生の皆さん、本日は直接お話ができず申し訳ありません。
まずは、合格おめでとうございます。そして、ようこそミドルアース魔法学校へ。
私たちアカデミーは、”知を得て、道を明らかにせよ”という校訓を掲げています。この校訓は、私たちが目指すべき方向性を示しています。知を追求し、真実を探求することは、人間にとって重要なことです。しかし、その過程で知識に惑わされ、自分自身を失ってしまうことがあることもまた事実です。
時に、知識は人を滅ぼす力となります。
卒業生の中には、自己中心的な追求に没頭して、他者の意見を聞かず、身を滅ぼした生徒もいました。私たちは、知識を追求することが重要であると同時に、その知識を正しく活用することが求められているということを忘れてはいけません。
ですから、皆さんには、知識を追求することはもちろん重要ですが、その過程で他者と協力し、友情を育み、正しい方向性を見出すことも忘れないで頂きたい。私たちアカデミーは、知識を活用して、この世界をより良い場所にすることを目指しています。そして、皆さんにもその目標を共有し、協力して達成していただきたいと思います。
私たちは、皆さんがこのアカデミーで最高の教育を受け、素晴らしい魔法使いになることを期待しています。最後に、皆さんのアカデミー生活がより良いものになることを、心から願っています。”
学長の話が終わると同時に、枠と女性の姿は消えた。
知識を正しく活用すること、か。
昨日のカイさんの話を聞く限り、お母様が行っていたのはまさにそういう活動なのだろう。
この世界をより良い場所にするために、様々な研究を行い、そしてそれを大陸のために共有しようとした。
その過程では、きっとカマラ夫人や、リンデン学長のような多くの友人と協力したのだろう。
ローワンにも、そのような友人を得ることはできるだろうか。
両親の死の真相を掴むことはもちろんだが、もっと、いろいろなことを学びたい。この世界のことを深く知っていきたい。
「なんだ、変な顔をして」
無意識に隣に座るアクルの方を見てしまっていたようだ。
ローワンのことを広い世界に連れ出してくれたのは、アクルだ。入試の準備を始めとして、一緒に生活するうちに色々なことを教えてくれた。
「へへ、なんでもない」
アクルは人間ではないが、それでもローワンの一番大切な友人であることには変わりはない。
これからも、ずっと一緒にいられると嬉しい。
そして、副学長が退場した後は、入試で1番の成績を収めたというキール=ロジャースが今後の意気込みのようなことを自信たっぷりに演説し、職員から今後の授業についての話を聞いて終了した。
給仕係が無駄に自信たっぷりだったのは、もしかするとキール=ロジャースの影響かもしれないな、と演説を聞きながらローワンは思っていた。
話が終わり、講堂から少しずつ生徒たちが退場していく。
ちらりと、エクター王子が座っていた部分を見ていると、キール=ロジャースと一緒にまたいろいろな人に囲まれているようだった。
「アル、ローワン。中庭に成績表が張り出されるらしいぜ。食堂に行く前に寄って行こう」
「うん!」




