Ep.29 アカデミー初日 前編
「ローワン。入るぞ」
コンコン、と部屋の壁がノックされ、開いたドアからアクルとケイが入ってきた。
チェンバレン男爵邸では、何かあった時にすぐ行動できるよう、アクルと同室にしてもらっていた。もちろんベッドは別だが、月の家でずっと一緒にいたからか特に違和感はなかった。
ケイは、本当に二人は付き合ってねーの?と言っていたが、アクルはそもそも人間ではないのだ。そういう話になるわけもない。
「昨日は眠れたか?」
「うん!ばっちり」
「ケイ、心配するな。ローワンはかなり図太い」
「もう!うるさいな!」
昨日、転移魔法陣を使ってカマラ夫人に手紙を送ると、すぐに返事が返ってきた。本当におめでとうという嬉しい言葉と共に、アカデミーの敷地内に入るまで油断しないように、という緊張する言葉が添えられていた。
昨晩。カイさんから聞いた話や、アカデミーの敷地内に入るための作戦を思い出し、なかなか寝付くことができなかった。
ごろごろと寝がえりをうっていると、月明りで本を読んでいたアクルが傍に来て他愛もないおしゃべりに付き合ってくれた。
そして、アクルが風の魔法を使って、庭に植えられている月下香の甘い香りを部屋に流してくれた。夜に香りが強くなる不思議な花で、鎮静効果やリラックス効果があるらしい。
本当は夏の季節に入ってから咲くのだが、今年は気温が高いので少し咲くのが早いと、執事長が言っていた。
昨日は、落ち着くアクルの声とよい香りに包まれ、ローワンは深い眠りに落ちることができた。
「さて、カイ兄さんも準備できたらしいから行こうか」
「あれ、ケイそのイヤーマフラー」
「あぁ、これね。季節外れなんだけど、ないと落ち着かなくて」
ケイの首元には、今まではつけていなかった黒いイヤーマフラーのようなものがつけられていた。
あの特徴的な形状、間違いない。チェンバレン領の本屋で見たのは、やっぱりケイだったんだ。確かに季節外れだなとは思うが、きっとケイにとっては大事なものなのだろう。
ローワンは自分の右手に隠された指輪を、かすかに反対側の手でなぞった。
今はアクルがかけてくれた目くらましの魔法で隠れているが、ローワンの右手には伯爵家の地下で見つけた指輪がつけられている。これも、ローワンとアクルを繋ぐとても大事なものだ。
「じゃ行きますか」
「うん!」
☆
ローブと帽子で髪を覆ったローワンが、ケイやアクルと一緒に屋敷の正面までやってくると、そこには騎士団の所有の物らしい白馬の横に立つカイさんと、チェンバレン男爵家の紋章が入った馬車が並んでいた。
アカデミーの正門前に警備隊がいるだろうから、ということで昨日4人で話をして決めた作戦はこうだ。
ケイとアクルが男爵家所有の馬車で普通に正門に向かい、ローワンはカイさんの馬に乗り、正門の様子を伺いながら脇にある職員通路から侵入するというものだ。
アカデミーの敷地内は自治区のようなものになっており、許可されたもの以外はたとえ王族であろうとも入ることができないのだそうだ。
アカデミーの入学が決まった生徒の魔力は、敷地内に張り巡らされた魔法陣に登録されているそうだから、ローワンが正門以外から入っても怒られないらしい。
なぜそんなにアカデミーについて詳しいのかカイさんに聞いてみたところ、どうやらアカデミーの職員の一人と付き合っており、よく馬に乗せて職員通路まで送迎をしているらしい。
だからカイさんと一緒に居れば、そこまで怪しまれずに近づけるのではないかとのことだった。
「じゃ、あとでな」
「うん、カイ兄さん。ローワンのこと頼んだよ」
カイさんの馬に一緒に乗せてもらったローワンは、馬車の窓から顔を出しているケイやアクルに別れを告げ、別々にアカデミーへ出発した。
アクルと別行動をするのは初めてだったのでかなり緊張していた。しかし、門の近くの木に、下着姿の男が3人括りつけられているのが気になってしまって、正直それどころではなかった。
カイさんは、害虫だから気にしなくて良いよと言っていたが、大人の男性3人がしくしくと泣きながら下ろしてくれと言っているのを見て、気にしない方が無理ではないかという気持ちでいっぱいになった。
ローワンは馬に乗るのは初めてだったが、カイさんが風の魔法で衝撃を抑えてくれている事に加え、先ほどの異様な光景が気になりすぎて、怖い思いをする暇もなく、アカデミーへの道のりは進んだ。
「そういえばさ、あのアルって子とどういう関係なの?彼氏?」
「ち、違います。ただの友人です。伯爵家からの脱出も手伝ってくれて」
「ふうん。かなり賢そうだったね。奨学生だって言ってたし、あとそこそこ魔法も使えそうな雰囲気」
早足で駆け抜ける馬の上で、カイさんがローワンの耳元で声をかけてきた。
ケイもだけど、どうしてそんなにアクルと私の関係が気になるんだろう。
「あの子、平民なんだよね?」
「あ、はい」
正確には、カマラ夫人の手で平民と言うことにしている、だが。
「なーんか不思議な雰囲気がするんだよな。最近は感じなくなったけど、うちの団長と戦ってるときに似てるような。」
カイさんが言う団長とは、騎士団団長のロジャース公爵のことだろうか。
給仕係が大好きなキール=ロジャースの御父上で、貴族名鑑によると騎士団団長の中でも歴代最強と言われるほどに強いのだそうだ。
そういえば、以前に給仕係が、キール=ロジャースもアカデミーに入学するのではないかと言っていたような気がする。アクルも雑誌に似たようなことが書かれていたと言っていたし、もしかすると在学中に姿を見かけるようなこともあるのだろうか。
「ま、いいや。そろそろ近づいてきたから、髪の毛ちゃんと隠してね」
「はい。」
アカデミーが近づいてくると、馬のスピードがわずかに緩まってきた。
馬の速度が落ちるのとは反対に、ローワンの心臓がドクドクと早鐘をうっていた。
無事に、アカデミーの敷地内に入らなければ。ここで失敗してしまっては、チェンバレン男爵家にも迷惑が掛かってしまうし、それに、王都まで来た意味がなくなってしまう。
「んー。やっぱり職員通路前にも人がいるな。さすがにそんなに甘くないか」
Spionageの魔法を唱えたカイさんがそう言ったのを聞き、ローワンも同じ呪文を唱える。
職員通路の前には5人ほどの大人がいる気配と、そして正門の前には馬車のようなものから降りてくる大勢の人と、門の前で10人程の人間が5対5で向かい合って何かを話しているような気配がする。
「何か、もめているんでしょうか」
「警備隊とアカデミーの職員だろうね」
正門の方に風を集め、気配を深く探ってみると、男女数人が言い合いをしているような声が聞こえてきた。
『あなたたち、ここがどこだかわかっているの?髪の毛一本でも敷地内に入って見なさい。即首まで切り落としてやるから』
『ガリ勉の癖に偉そうに!黙れ!俺たちは人を探しているだけだ!お前たちには関係ない』
『君たちが探しているというのが、アカデミーの生徒なら話は別だね。僕たちには生徒の安全を守る義務がある。』
『その安全を確保するために私たちはいるんだ。お前たちのような危険思想の奴らに、伯爵様のご息女が染まらないようにな!』
『あーら。その危険思想の学校に、今日まさにあなたたちが敬愛するエクター王子や三大公爵のご子息たちが入学してくるわけだけど?いいのかしらそんなことを言って』
『ぐぅぅ。黙れ!』
警備隊らしき男と、アカデミーの職員らしい複数人の声が聞こえた。
話をしている男女の声を、ローワンは何となく聞き覚えがあった。あれは、入学の手続きをしてくれた職員ではないだろうか。
「ニナ、アイツは相変らずだなぁ」
「え、知り合いなんですか?」
諜報の魔法で正門の様子を伺っていたらしい、カイさんがそう呟いた。先ほど聞こえてきた女性の声は、入学手続きをしてくれたニナと言う女性職員の声にそっくりだったのだ。
「あぁ。あの偉そうに喋ってるのが、さっき言った俺の彼女のニナ。あいつも君のお母さんと同じように、魔法陣の研究してるんだ。」
あ、ちなみにあの魔法陣のことはアイツにも秘密にしてるから、会っても言わないでね。と、カイさんはそう言って、口元に人差し指を立て、ローワンに向けて妖美に微笑んだ。
まさか、あの女性の職員がカイさんとお付き合いされている方だったなんて。両親が亡くなった時の事故について知っているようだったから、できればもう一度会いたいと思っていたのだ。世間は意外と狭いのかもしれない。
『リーダー!チェンバレン男爵家の馬車が来ます!』
『何!今日はカイ=チェンバレンもいないはずだ!中身を検めさせてもらおう!』
風の魔法経由で聞こえてきたカイさんの名前に、ローワンは思わず後ろにいたカイさんの方を振り返ってみると、ニヤリと、とても楽しそうな顔で”いるけどね”と呟いていた。
もしかすると、チェンバレン邸の正門にいた男たちは、カイさんによってあのように吊るされたのではないだろうか。と、ローワンの頭には、何故だか確信に近いような考えが浮かんだ。
「さて、ケイたちが囮になってくれていることだし。」
正門から少し離れた所の、アカデミーの敷地を囲っている柵の前まで到着したカイさんは、馬を止めひらりと軽やかに地面に降り立った。
そして、居り方がわからずあたふたしているローワンに向け、笑いながらも脇に手を入れてひょいっと持ち上げ、地面におろしてくれた。
「どうするんですか?」
「昨日も言った通り、アカデミーは自治区のようなものになっていてね。許可されたもの以外は立ち入ると国際問題になるんだ。」
だから兎にも角にもまずは敷地内に入るのが大事だな、と言葉を続けたカイさんは、小声で一つ呪文を唱えた。その呪文は、ローワンも知っているものだった。
Sōparā Auraと唱えられたそれは、ローワンが先日、アカデミーの入学試験で使った風の攻撃魔法で、アクルがローワンに向けて地下室で放ってきた魔法でもある。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
幸か不幸か、伯爵邸を出て以降魔法を学んでいたローワンには、今からカイさんが何をしようとしているのか、はっきりと分かってしまった。
そして、それをすれば、自分の身に何が起こるのかと言うことも。
「言ったろ。アカデミーの生徒は、正門から入らなくても大丈夫なのさ。」
手から生み出された、猛烈な竜巻をこちらに少しずつ近づけてきたカイさんは、ニヤリと笑って言った。
そして、
「じゃ、よく学んで、楽しんできな。」
カイさんのその声を最後に、猛烈な竜巻に巻き込まれたローワンの身体は、宙を舞った。
Sōparā Aura。それは竜巻を起こす魔法だ。
この魔法は、人を飛ばすためのものではなく、上級の攻撃魔法だ。
本来は、人に向けて放って良いものではないに違いない。
「お、落ちる、、、!!!!!!!」
伯爵邸の地下室と違い、アカデミーの柵が高いからだろうか。
吹き飛んだローワンの身体は、以前よりもかなり高く、そして猛烈な勢いでアカデミーの敷地の中へと吹っ飛んでいく。
『なんだ!あの音は!』
『見ろ!』
かけっぱなしにしていた諜報の魔法から、正門の人たちの声が耳に入ってくる。
皆、言い合いをやめ、宙に吹き飛ばされるローワンの方を見ているらしい。
やばいやばい。冷静に聞いてる場合じゃない。本当にこの高さから落ちたら死んじゃう!!!!
柵の上を超え、無事アカデミーの敷地の上空に入ったローワンの身体は、なぜか正門の方へと勢い猛烈に落下していく。
なんだっけ、こういうときに使う魔法!えっと、えっと!昨日アクルに教えてもらったのに!!
「 そうだ!Luftpolster」
地面すれすれでそう唱えたローワンの身体を、ふわりとした風が包み込む。
そして、ゴツンと、地面に着地するかと思われたローワンの身体は、なんだか暖かく厚みのあるものの上に着地した。
「馬鹿!お前何してるんだ!」
「え、アク、、アル!」
アカデミーの敷地内に無事着地したローワンの身体の下にあったのは、アクルの身体だった。
正門前の馬車の中にいたはずだが、いつの間にこんなところにいたのだろう。
「おいおい、二人とも大丈夫か?」
唖然とする周囲をかき分けるように、門の方からケイが駆け寄ってくるのが見えた。
重い、どけ。と不機嫌そうにしているローワンの下敷きになっているアクルを見て、見かねたケイがローワンに手を差し出してくれた。
状況がよく呑み込めていないローワンだったが、とりあえずケイの手を取って立ち上がる。
爆風のせいでローブと帽子が外れてしまったようで、ローワンの赤い髪はあらわになっていた。
とりあえずぼさぼさの髪を手櫛で抑えながら、ローワンに続いて立ち上がったアクルを見ると、服についた埃を掃いながらぶつぶつと何かを言っているようだった。
「おい、あれは!ローワン=バークレイじゃないか!いつの間に中に入ったんだ。こっちへ来い!」
聞こえてきた声に振り返って見てみると、門の前に立っていた警備隊が、ローワンの方を指さして大きな声を出していた。
「あら、大事な伯爵様のご息女に対して、ずいぶんな言い草ね。やっぱり警備隊みたいな微妙な奴らの忠誠心なんてそんなもんよねぇ」
憤慨するように足を地面に向けて踏み鳴らしている警備隊に対し、カイさんの彼女だという女性はフンと、鼻をならし高らかに言い張った。
何故だろう。どこか嬉しそうだ。
「だまれ!このクソ女が!」
そう言った警備隊の男性が、職員の女性に向けて掴みかかろうと手を伸ばした時。
猛烈な風が吹き、警備隊の男の身体が、大きく横に吹っ飛んでいった。
「はいはい。君たち、俺の大切な人に無礼は辞めてくれないかな」
「カイ!」
「カイ=チェンバレン!お前!ことごとく俺たちの邪魔を!」
「やぁニナ。今日も元気そうだな」
「話を聞け!無視するな!」
警備隊の男を吹き飛ばしたのは、先ほどまでローワンと一緒に離れたところにいたはずのカイさんのようだった。
にこやかな笑みでニナと呼ばれた彼女に声をかけると、怒る警備隊たちの相手をしながら、わずかにこちらを向いたカイさんがウインクをしたような気がした。
「ローワン。今のうちに行こう」
「え、でも。」
「カイ兄さんならほっといても大丈夫だよ。どっちかと言えば、警備隊の方を心配した方がいいし」
「え?」
心なしかげっそりとした顔をしたケイがそう呟き、アクルが肩を校舎の方に向けて押すので、ローワンの身体は自然と門から離れて行ってしまう。
無事にアカデミーには入れたのは良いが、このまま行ってしまっても良いのだろうか。




