幕間 王歴2025年春の季節3月目第4週7日目
春の季節3月目第4週最終日。
王都の錬金術研究所の所長室では、今日も一人の男が頭を悩ませていた。
「何故だ。何故、小娘1人を1か月も捕まえる事ができない」
華美な作りの外観には似合わず、錬金術研究所の所長室は、無駄のないシンプルなデザインをしていた。
風景画や置物など、見る者を和ませるような装飾品は一切置かれておらず、だだっ広い部屋には、執務机と無機質な椅子。そして稀に訪れる来訪者用の応接テーブルとソファが置かれているだけだった。
これは、現所長であるサルマン=バークレイの好みが色濃く反映された結果である。彼は華美なものは好まず、1日の大半を過ごす所長室が清潔で整然としていることを好んだ。
サルマンの頭を悩ませていたのは、先月バークレイ領にある屋敷から忽然と姿を消した少女のことだった。
王を連れたサルマンが屋敷に到着する数時間前には、確実に少女は屋敷の中にいた。それにも関わらず、少女は一晩の間に姿を消していたのだ。
まるで魔法のように、忽然と。
伯爵邸の閉鎖は元より、バークレイ領や周囲複数の領の関所、王都の門に至るまで考えられるところすべてに情報を流した。密かに懸賞金もかけ、裏の筋に情報も流した。
にも関わらず、全く情報が出てこない。
わずか16歳の少女は、金もなく魔法も使えない。教養も、外に頼れる人など絶対に誰もいないはずだ。10年間少女を放置していたサルマンも、これだけは気を付けていたから間違いないだろう。
「メイド長や執事長の裏切りか、、?いや、でも彼らだって裏切ればどのような目に遭うのかは身に染みてわかっているはずだ。現に今、牢の中で身の潔白を訴えているというではないか。」
この1か月何度も何度も考えた疑惑が、頭の中に浮かんでは自己完結の答えにより消えていく。
怪しいのは、メイド長が最近雇ったという給仕係の男だろうか。確か発音に難儀する奇妙な名前で、そして、これまた珍しい黒い髪をしていたという。
「10年だ。10年も待ち続けた。なのに、また”赤髪の女性”は、私の手から離れてゆくのか」
大きく息を吐いたサルマンが、ギギっと軋んだ椅子に座り直し、偽の魔石納品に関する報告書を読み直そうとしたその時。
所長室の扉が大きな音で、ドンドンドンと、3回叩かれた。
サルマンは騒々しい音を好まない。何か問題が発生したとしても、必ず理論整然と落ち着いて話すように部下には強く言い聞かせていた。気持ちだけが焦っても、良い結果にはならないからだ。
「入れ」
サルマンは苦々しい顔で部屋の壁に掛けられていた時計に視線を向けた。
時刻は午後10時を指している。殆どの職員は既に業務を終えて帰路についているはずだ。
「し、失礼します。所長。急ぎお耳に入れたいことが」
焦った様子で部屋に飛び込んできたのは、まさに先ほどまでサルマンが頭を悩ませていた、少女の捜索を任せていた秘書の一人だった。
「・・・なんだ。」
「先ほど極秘に入手した、アカデミーの入学者リストを見ていたところ。あったんです!」
「声を落とせ。落ち着いて話せといつも言っているだろう」
「・・失礼しました。こちらをご覧ください」
秘書の男は乱れた髪を撫でつけながら、1枚の紙を執務机の上に置いた。
夜遅くに見るには非常に細かい書類だ。サルマンは疲れた目を抑えながら、書類に書かれた文字を読み始めた。
先頭には”Al Quinn”の文字が書かれている。その下の文字を辿っていくと、グレイ公爵家のご子息や、ヴィラ公爵家のご息女の名前が並んでいた。
どうやら秘書が言う通り、今年のアカデミーの入学名簿のようだ。普通は外部に公開されていないはずだが、どうにか入手したのだろう。
「これがなんだと言うのだ。」
「Rの所をご覧ください。」
乱れた息を整えながら、できる限り冷静な声を保った秘書の男が、書類の一部を指さす。
サルマンが痛む目を抑えながら再度書類に目を落とすと、そこには、”Rowan Barclay”と書かれていた。
あるはずのない文字に、書類のインクを追っていたサルマンの目が止まる。
先月の偽魔石の納品事件から働き詰めであるサルマンは、自分の見間違いであることを疑い、一つ。目を閉じて大きな息を吐いた。
そして、冷静になった頭で再び書類に目を落とすと、そこには変わらず、サルマンがこの1月ずっと探していた少女の名である、”ローワン=バークレイ”の名前が書かれていた。
「・・・これはどういうことだ」
「わ、わかりません。おそらく先週行われた入試の最終回を受けたのではないかと」
「王都に侵入していたということか?門の監視はどうした」
「もちろん!そこは所長のおっしゃる通りに。辻馬車や貸馬車、商人の馬車に至るまでくまなくチェックしております」
あの子がアカデミーに入学したと。そんなこと、現実的ではない。
王都までの侵入経路や金もそうだが、そもそもどうやって合格した。
この10年間、全ての教育から遠ざけていた彼女の知識レベルは、6歳頃のままだろう。その辺りの三流校ならともかく、大陸最高峰と言われるアカデミーに入れるような学力など、持ち合わせてはいないはず。
「リンデンに付けた監視からの報告は」
「アカデミー学長であるラーレ=リンデンは、この数か月モルボーデン王国に帰ってきておりません。隣国で行われている学会と合わせ、周辺国の視察を続けているようです」
アカデミーは、何があろうとも入学試験に合格していない者の入学は許さない。それはどの国の王族であろうとも変わらず、いくら金を積まれたとしても絶対にその信念だけは揺るがない。
いくら学長のラーレが手を加えたとしても、その決まりは変わらないだろう。
「・・・やはり、指輪の力を既に」
「はっ、今何と」
「気にするな。王都の宿泊者名簿は」
「入手済みです。しかし、現時点でめぼしい人物は特定できておりません」
「明日、王都中の宿を警備隊に回らせろ。必ず、アカデミーに入学するまでに確保するんだ」
「承知いたしました」
秘書の男が部屋を出ていき、扉が閉まったのを見届けたサルマンは、手元の入学者リストをぐしゃりと握りしめた。
まさか、よりにもよってアカデミーとは。
我々の手が及ばす、そして自らが生きていることを公表するためにはアカデミーへの入学は最善手だ。そして、こちらにとっては最悪の手を取られた。
可能性を考えなかったわけではない。しかし、非現実的だと思って候補から外していたのだ。
アカデミーの中に入られては、モルボーデン王国の権力が効かない。たとえ、王に進言したとしても、アカデミーの生徒を引きずり出すことは困難だろう。
それに、今まで死んだとされていた者が生きていたとあれば、周辺にも動揺が生じるだろう。逃した時に備え貴族たちに情報を流しておかなければ。
ここまで痛いところを突かれるとは、やはり”洗脳の力”が解けていたのだろうか。それとも、指輪の力か。
しかし、どれほど探しても指輪も、魔力の痕跡すらも見つけることができなかった。一体、どこに。そして、どうやって。
「アリシャ、やはり君なのか。」
サルマンは疲れた身体を沈めるように、椅子に座ったまま天を仰ぎ見た。
天井に取り付けられた魔石のランプの光が、眩暈がするほどに、サルマンの疲れた目に降り注ぐ。
アカデミーが始まるまでは、あと3日ある。
必ず、あの子を捕まえなければ。
そして、指輪を。必ず、この手に。




