Ep.24 王都へ
カマラ夫人が、初めて月の家を訪れてから3週間。
日々、勉強や魔法の修行を続けていたローワンの実力は、着実に成長を続けていた。
この期間の間にも、何度か食料を持って月の家に来てくれたカマラ夫人に、アクルを会わせることにした。
もちろん、街に出た時の人間の姿で、伯爵家の使用人仲間で脱出を手伝ってくれた、友人の”アル”ということにして。
成り行きでアカデミーの入学試験を受けることを伝えると、カマラ夫人のご子息が過去に使っていたという教材を分けてくれた。
そして、地理学者だというカマラ夫人から天文学や幾何学について教えてもらうことができた。空き時間には、転移魔法陣に使用していたという座標の測り方を少しだけ学んだ。
アクルが本から得る知識だけでは心配だ、と言っていたが、夫人のおかげでかなり実践的な勉強ができているようだ。
王都への移動時間を考えると、集中して勉強できるのは今日で最後だ。
勉強を開始したころを思えば、目を見張るほどの成長だが、カマラ夫人曰く合格ラインに乗るかどうかは、正直かなり微妙なところだそうだ。
今日も男爵家へ戻っていくカマラ夫人を見送り、夕日に照らされたローワンは、庭で大きく伸びをした。
「そういえばアクル。お金について策があるって言っていたけど、どうするの?入試まで、もう何日もないよ」
シルバーの髪を一つに結び、ローワンの愛犬のアルと同じヘーゼル色の目をしたアクルに問いかける。少しずつ見慣れてきたが、この青年の姿をしているアクルといると、なんだか不思議な気分だ。
「あぁ。それならもう入手済みだ」
「2000万 Jもどうやって!?やっぱり泥棒でもしたんじゃ、、!」
ちっちっちと、ローワンに向けて人差し指を数回横に振ったアクルは、16歳の青年の年相応ないたずらっぽい笑みをしていた。
「チェンバレン領のはずれには、魔石鉱山の労働者が集まる違法カジノがあるんだ。この家にあった金を元手に、先週サクっとな。」
「な、」
確かに先週の夜、アクルが青年の姿のままどこかに出かけて行ったことがあった。
ローワンはアクルに出された課題を解くのに精いっぱいで気にしていなかったが、確かに帰宅したときに”今日は良い仕事をした”とか言っていた気がする。
「カジノってそんな簡単に大金が手に入るの、、?」
「もちろん少々手を加えさせてもらったが、元々違法の賭博場だ。何かをしたとて咎められる謂れはないさ」
ふん、と鼻を鳴らしたアクルが言うには、どうやら元の姿に戻れば人から姿が見えないことを利用して、青年の姿と切り替えながらうまくやったらしい。
そこで大量の魔力を使ってしまったため、今は再び魔力が枯渇しており、しばらくは青年の姿から戻れないのだそうだ。
前から思っていたけど、アクルは物を盗んだことを拝借したと言ったり、金を盗むのは良くないといいつつ、カジノで平気で不正したり、ちょっとモラルが心配な感じだわ。
お金を入手してくれたのは感謝しつつ、腐っても一応貴族令嬢であるローワンは、今後アクルに流されないように気を付けよう、と心に決めた。
「金は稼いだし、王都への安全な移動手段もできた。あとは、お前の入試がどうなるかだけだな」
「うん、、」
アクルが言っている安全な移動手段とは、チェンバレン男爵家の馬車のことだろう。
カマラ夫人に馬車を貸してもらえないか頼んでみたところ、もちろん!と快く承諾してくれた。馬車だけではなく、カマラ夫人のご子息を護衛として同行させてくれるという好待遇っぷりだ。
「アクルは?大丈夫なの?」
「私がお前の何倍勉強したと思っている。首席で合格してやるさ」
お父様も過去にアカデミーで歴史学の教授をしていたという情報を得てから、アクルも一緒にアカデミーに行くことを決めた。
その方が情報を集めやすくなるし、ローワンとも行動しやすいという考えのようだ。
平民であれば身元を偽るのも難しくないとのことで、カマラ夫人の協力の元、”Al.Quinn”という16歳の青年の戸籍を作ってもらった。
Aqlを並び替えて、AL. Q
そこからQから始まる名前で、ローワンが辞書から見つけた”知識”や”賢者”と言う意味のQuinnの姓を付けた。
アクルはローワンに勉強を教えるため、本来の姿でほぼ寝ずにあらゆる科目の対策をしてくれたのだ。カマラ夫人曰く、奨学生の合格も難くないというお墨付きをもらっていた。
「後は、私の実力次第だね」
「そう気負うな。やることはやったのだ。本番は落ち着いて、今までやってきたことを出すだけだ」
ローワンは、この1か月朝から晩までずっと入試の対策をしてきたのだ。
周りの人に比べれば少ない時間だったかもしれないが、それでも、ローワンにとっては人生で一番濃密な時間だった。
「軽く復習をして、明日に備えて早く寝よう。」
「うん!」
☆
翌朝。
ローワンは異様に早く目が覚めてしまったので、月の家の周囲をぐるりと散歩していた。
既に起きていたアクルは、革袋の中身を整理したいと言っていたので家に置いてきた。
柔らかな、陽の光がローワンを優しく照らしてくれている。
靴を脱いだ足の裏に、少し湿った砂浜の感覚が伝わってくる。
チェンバレン領に来て、1か月と少し。初めてこの場所に来た時も、砂浜を裸足で走り回った。
初めて見る海、10年ぶりの外。
この家に来てから初めてのことばかりだった。
10年ぶりに見た自分の赤い髪に、両親の顔。なぜか忘れてしまっていた、両親と最後に話した夜のこと。
勉強をすることも久しぶりだったが、初めてのことを次々と知ることができる勉強は、ローワンにとって楽しいことばかりだった。
カマラ夫人にも会え、ローワンの知らなかった母の学生時代の話を聞くこともできた。
それに、この家に来てすぐ、昔一緒によく遊んだ友人のことも思い出すことができた。
”トーア”と名乗る少年で、昔、よくバークレイ伯爵家の庭で一緒に遊んだのだ。
もう、顔もおぼろげでよく思い出せないが、ローワンは時折遊びに来るトーアのことが大好きだったような気がする。
ざぶざぶと、初めてここに来た夜と同じように、足首まで海の中に沈めた。
透き通った海には、朝日が反射して、きらきらと輝いている。
伯爵家でメイドとして働いていた日々が、はるか昔のことのようだ。
16歳の誕生日に、地下室で指輪を見つけて。
アクルが現れて、10年ぶりに伯爵様に”大きくなったな”と話しかけられて、
殺されそうになりながら伯爵家を脱出して。
初めて安心して眠ることができた、この月の家とも、今日でお別れだ。
ローワンは、爽やかな潮風を感じながら、丘の上に建つ月の家を見上げた。
カマラ夫人にもらったワンピースと共に、風に揺られた自分の赤い髪が、ゆらゆらと揺れている。
お父様とお母様が、何を調べていたのか。
何を思って、この家を用意してくれたのか。
自分たちの身に、ローワンの身に、何が起こるのかを理解していたのだろうか。
今はまだわからないことだらけだ。
だから、必ずアカデミーに合格しよう。
そして自分が生きていることを公表して、王都で情報を集めよう。
両親を殺したのが、伯爵様だとしても、そうじゃないとしても。
必ず、真実を知りたい。
「よし。がんばろ」
海に向け、自分への激励も兼ねて、小さく声を吐く。
「ローワン。そろそろ準備しろ」
ちゃぷちゃぷと、足を海に浸して精神統一を図っていると、家の方からアクルの声が聞こえてきた。
くるりと、振り返り家の方向を見て見ると、小さなすり鉢を持つ、人間の姿をしたアクルの姿が見えた。
カマラ夫人とは、街のはずれにある森の中で落ち合うことになっている。その前に、髪を染めなければならない。
「うん!」
王都まではここから馬車で3日だ。
そこから、朝から夕方にかけて入試を受けて、その日の夜には結果がでる。
”リスクを取らずに、最大限の結果を得ることはできない”と、お母様も言っていた。
最大限の結果を得るため、絶対に合格しよう。
いざ、王都へ。




