Ep.23 カマラ=チェンバレン
大きく息を吐き、庭から室内へと通じる扉を開けば、中にいた女性が驚いてこちらを振り返った。
目に涙を浮かべているらしい女性は、確かに貴族名鑑に乗っていたカマラ=チェンバレン男爵夫人と同じ顔をしていた。
「ローワン、、?あなた、ローワンよね」
元々大きい眼をさらに見開いた女性は、ローワンの方を見てゆっくりと、確かめるように言った。
なんて答えれば良いのかわからない。
視線を泳がせるように、視界の端に映ったアクルの方を見れば、ローワンの横で腕を組んだまま、こっちを見るなと言っている。
泣いている大人の人を見るのは初めてだ。しかし、答えないわけにもいかないのでローワンはぎこちなく頷いた。
「アリシャは、、!あなたのお母様も一緒にいるのよね!?」
縋り付くようにして、少しずつ近づいてきた男爵夫人に、思わず足が後ろに下がってしまう。
母の名前を呼んでいたが、ローワンにとっては初めて会う人なのだ。悪い人には見えないが、あまりに距離を詰められるのは、少し、怖い。
「・・おかあ、さまは。亡くなりました。10年前に」
自分でも思っていた以上に小さな声で発した言葉だったが、男爵夫人にはしっかり届いたらしい。
唇をぐっと噛み、悲しそうに眉をひそめた夫人は、わずかに顔を俯けた。
「・・・ごめんなさい。取り乱してしまって。」
顔を両手で覆い、大きく息を吐いた夫人は、目じりに溜まっていた涙を拭き、ローワンの方を真っすぐに見つめた。
「私の事、覚えてるかしら」
「・・・ごめんなさい。」
「いいえ、気にしないで。最後に会ったのはあなたが4,5歳の時だもの。覚えていなくて当然だわ。」
悲しみを振り払うように、首をわずかに振りながらそう言った夫人は、首からネックレスのようなものを外す。
そして風の魔法を使って、そのネックレスをローワンがいる方向に飛ばしてきた。
「あなたに聞きたいことはたくさんあるけど。覚えてないなら警戒して当然よね。」
ローワンの方にふわふわと飛んできたそのネックレスは、小さな丸いロケットがついているようだ。両手で捕まえると、男爵夫人がロケットを開くように促したので、おそるおそるロケットの蓋を開いた。
「そこに描かれているのは、あなたのお母様と私よ。アカデミーの卒業記念に作ったから19歳のころだったかしら。」
夫人の言う通り、ロケットの中にしまわれていたのは小さな絵だった。
若き日のローワンの母と、ブロンドに青い目をした女性、そして灰色の髪に緑色の目をした女性の3人が描かれている。3人は仲がよさそうに肩を組み、笑顔で笑っているようだ。
真ん中に描かれたブロンドに青い目の女性は、確かにチェンバレン男爵夫人の面影を感じる。
「あなたのお母様とは親友だったの。卒業してからもずっと手紙のやり取りを続けていて、あなたに会いにバークレイ領まで行ったこともあるのよ。」
少し悲しそうな顔をして言った夫人に対し、ローワンは今まで警戒していたことに対して、少し申し訳なさを感じ始めていた。
とてもいい人そうで、お母様が亡くなったことを本当に悲しんでいるように見えるわ。
「・・・お母さまのことを、教えてもらえませんか」
夫人の目を見て、しっかりと届くように声を張る。
アクルが警戒を解くのが早すぎるぞ、と言っている声が聞こえるが、気にしないことにして室内へと足を進める。
「ええ、もちろんよ。私も、あなたに聞きたいことがたくさんあるの」
☆
月の家に入ったローワンは、チェンバレン男爵夫人と向かい合うようにテーブルに腰かけていた。
お茶を入れるわねと言い、ローワンが手を出す暇もなく手早くカップとティーポットを取り出した夫人は、本当にこの家に慣れているようだった。
「この家は、あなたのお母様が建てた家なんだけどね。名義は私にしているの。隠れ家にしたいからってアリシャが言っていたわ」
あなたのことが知りたいけど、まずは私のことを知ってもらうのが先よね。と言った夫人は、優雅な仕草で紅茶に口をつけたあと、ぽつりぽつりと話始めた。
「この家を建てたのが10年と少し前だったかしら。あなたのご両親が亡くなったと新聞で見る数か月前だったわ。名義を私にしてほしいって言った時も変だと思っていたけど、この家の魔法陣に私の名前を刻んでいるときも不思議なことを言っていたの」
思い出すように、懐かしむように言った夫人は、手元の紅茶の波紋をどこか遠い眼をして見つめながら、話を続けた。
「もし近々私が死ぬようなことがあれば、この家を管理してくれないかって。半年に一度でも、1年に一度でもいいから。最低10年は時々この家に風を入れてあげてほしい、って大真面目な顔して言ってたの。その時はまだ私たちも30代だったし、何言ってるのって笑って聞いてたけど。」
それからしばらくして、新聞でバークレイ一家が亡くなったって記事を見て、本当に驚いたわ。と、夫人は悲しそうにほほ笑んだ。
夫人の言葉に驚き、ローワンは思わず、夫人の背後でふわふわと浮かぶアクルと目が合ってしまった。
アクルもローワンと同じことを思ったのだろうか。眉間に皺を寄せ、斜め下を見ながら何かを考えるような顔をしている。
「お母様は、自分が死ぬかもしれないことを、わかって、いたってことなんですか」
ローワンは自分の声がわずかに震えているのが分かった。
目の前にいるのが、出会って間もないよく知らない人であることも関係あるだろうが、ローワンの頭の中では、アクルの”殺されたのではないか”という言葉が何度も繰り返し流れていた。
「今となってはわからないわ。アリシャは本当に素晴らしい魔術師だったし、周りの人にも本当に尊敬されていたわ。ちょっと変わった子ではあったけど、私もほかの友人も皆あなたのお母様のことが大好きだったの。決して、誰かに恨みを買うような子ではないわ」
小さく首を横に振りながらそういう男爵夫人は、この10年、何度も同じことを考えたことがあるのだろう。
どこか諦めるように、小さく息を吐いた夫人は、再び紅茶に口をつけ始めた。
「アリシャに言われた通り、私はこの10年間月に1,2回ほどの頻度でこの家に通い続けているの。ここしばらくは、ちょっと家のことで手が離せなくて間が空いてしまったけれど。アリシャは無駄なことを言う子じゃないから、あの子のいう通りにしていれば、いつか、ひょっこり戻ってくるんじゃないかって」
そういった男爵夫人の目には、わずかに涙が浮かんでいる。
ごめんなさいね、と謝りながらズビ、っと鼻をすすった目の前の女性は、本当に母のことを大切に思ってくれているように見えた。
「・・・私は、この10年間バークレイ伯爵家にいたんです」
おいおい。と、男爵夫人の背後で浮かんでいるアクルが咎めるような仕草をしているのが見えたが、ローワンは気にせず話を続けることにした。
この人は、信用に足る人物なのではないか。と、ローワンの直感が告げていた。
ローワンの言葉を聞いた男爵夫人は、目を大きく見開きカップを持つ手にわずかに力を入れたように見えた。
「メイドとして、働いていて、両親がどのように亡くなったのかや、自分のことが世間にどのように伝えられているのかも知りませんでした。・・・そして、少し前に、そんな生活が嫌になって隙を見て逃げ出してきたんです。」
嘘は言っていない。
アクルのことや、地下室の事、ローワンの記憶の混同などを伝えて良いのかはまだ判断ができない。
「私、実はアリシャが亡くなってから何度かバークレイ伯爵家に訪問しようとしたのよ。彼女との思い出を辿りたくなって。でも、一度も入れてもらえなかったの。あの庭にある変な像を、もう一度見たかったのだけどね」
夫人の言葉に、今度はローワンが目を開く番だった。
バークレイ伯爵家には、今まで一度もお客様が来たことがなかった。伯爵家にいた当時は何も思わなかったが、伯爵様が意図的に入れないようにしていた可能性もあったのだろうか。
「あなたは、新聞で見る限りはご両親と一緒に事故で亡くなったことになっているわ。それなのに、あなたはこの10年間生きて伯爵家にいて、そして、今はアリシャが遺したこの家にいるのね」
アリシャには、こうなることが分かっていたのかしらね。と、小さく息を吐いた男爵夫人は、ローワンの赤い髪を目を細めて見つめた。
まるで、ローワンに母の面影を感じているように。
「ここまでは、転移魔法陣を使ってきたのね。」
「え」
「あなたのお母様が、生前に転移魔法陣を完成させていたことは知っているわ。伯爵家とこの家の座標を繋いだ、一回きりの転移魔法陣がこの家の地面に書いてあるそうよ。座標を測る作業のために、何度も付き合わされたことがあるから忘れないわ。」
そこまで知っていたのか。と、アクルがつぶやいている声が聞こえる。
世間では、まだ長距離や人間の転移は実現していないとアクルが言っていた。男爵夫人は、既にお母様が成功させているのを知っていながら、この家のことを周囲に隠してくれていたのだろうか。
「おかしいと思うことはいくつもあったの。アリシャは将来この家を誰かが使うであろうことを確信しているみたいだったし、あなたのご両親が大雨の日に馬車の事故で亡くなったというのも変だったわ。アリシャは馬車が嫌いだったし、わざわざ天候の悪い日に外に出るような性格でもなかったの」
たしかに、とローワンは夫人の言葉に大きく頷いて同意した。
お母様は乗り物酔いするらしく、馬車が大嫌いだったのだ。それに、基本的に外出は嫌いらしく、寒い日や小雨の日ですら外に出るのを嫌がっていたのを覚えている。
「お母様とお父様は、そんな日にどこに行こうとしていたんでしょうか。」
「・・・おそらくだけど、あなたのご両親が最後に会おうとしたのは、ラーレだと思うわ。このネックレスに私とアリシャと一緒に描かれている。」
そう言った男爵夫人は、首にかけていた先ほどのネックレスのペンダントトップを開き、先ほどの絵を見せてくれた。
お母様とカマラ夫人と一緒に描かれているもう一人は、灰色の髪に、緑色の優しい眼をした聡明な顔の女性だ。
夫人の背後から、ペンダントトップを覗き込むようにしていたアクルが、これは”ラーレ=リンデン”ではないか。と言っているのが聞こえる。
リンデン?どこかでその名前を聞いたことがあるような気がする。
「アリシャが亡くなってから、何度か王都でラーレに会うことがあって。その時に、アリシャから大事な話があるからって、この家に呼び出されていたことを教えてもらったの」
「大事な話、って。それは、どんな、、」
「わからないわ。でも、アリシャはセージ伯爵、あなたのお父様と一緒に何かをずっと調べていたみたいだった。それに関する話なのかもしれないと、ラーレは言っていたわ」
お父様とお母様が、亡くなる前に何かを調べていた。
歴史や、魔法陣に関わることなのだろうか。もしくは、二人が一緒に調べていたということは、バークレイ家に関する事とか。
ちらり、とアクルの姿を視界の端にとらえれば、何かを考えるようにふわふわと空を飛んでいた。
「ラーレ=リンデンは、現在のアカデミーの学長だ。」
ローワンの視線に気づいたらしいアクルが、ローワンに聞こえるようにそう言った。
そうだ。リンデンと言えば、アカデミーの初代学長がベディヴィア=リンデンと言う名前だったはずだ。
「私、王都に行ってみようと思ってます」
ローワンがそう言ったことに対し、夫人は少し目を見開き、そしてアクルはローワンの方を見て、馬鹿正直になんでも言うな、と呆れ顔をしている。
元々アカデミーの入試を受けるために王都に行こうとは思っていた。お母様が最後に会おうとしていたのがアカデミーの学長なのであれば、一度会って話を聞いてこなければ。
「・・・今、あなたがどのような状況に置かれているのか、私にはわからないけれど。あなたの力になりたいわ。」
ふわりと、優しく微笑んだカマラ夫人は、ローワンの方を目を細めて見ている。
伯爵家で10年も何をしていたのかや、なぜ世間では死んだことになっているのかなど。ローワンに聞きたいことは山ほどあるはずなのに。
何も聞かずに、ただ力になってくれようとしているのだろうか。
☆
高台の上から、小さくなっていくカマラ男爵夫人の背中を見送る。
崖に打ち付ける波の音と、心地よい春の風が、突然の訪問者に驚いたローワンの心を、軽やかにしてくれるようだった。
「よかったのか。ついていかなくて」
庭で一緒にカマラ夫人を見送っていたアクルが、胡坐をかいてふわふわと浮かびながら、ローワンに尋ねた。
「うん。お母様のご友人に、迷惑かけられないし」
「そうか」
”あなたの力になりたいわ”と、言ったカマラ夫人は、ローワンに色々なことを提案してくれた。
今すぐにチェンバレン男爵家で共に暮らさないか、や、生きていることを公表するための手伝い、お母様やお父様のことを知っている人への紹介、金銭的な支援など。本当に様々なことを。
頼れる人がいないローワンにとって、それは非常に嬉しい提案だったが、やはりローワンは伯爵様のことが気になっていた。
アクルがアカデミーの入試を受けようと言ったのは、アカデミーが貴族からの干渉を受け辛いことが大きな理由の一つだ。
それはきっと、ローワンの居場所や、生きていることを公表することで、伯爵様が何らかの行動を起こす可能性があるからで。そうなった場合、確実にチェンバレン男爵家に迷惑をかけてしまうだろう。
やっぱり、アクルの言う通り、アカデミーに入学する方が安全だと思う。
「王都に行く時だけは、馬車を貸してもらえないか聞いてみようかな」
「そうだな」
アカデミーの入試が行われるのは、このチェンバレン領から馬車で3日離れた場所にある王都だ。
3週間後に行われる入試に合わせて、この魔法陣の範囲から出て移動しなければならない。
伯爵が本気でローワンを探しているのであれば、領と領の境目にある関所に、ローワンの情報を流し、移動を止めようとする可能性があるだろう。
その際男爵家の馬車を使う方が、辻馬車や商人の荷馬車に潜り込むより、格段にチェックが緩くなるはずだ。
「アカデミーの学長に会うという目的もできたことだ。入試まであと3週間、何とか合格レベルまでもっていくぞ」
「うん!」




