Ep.22 訪問者
ローワンがアカデミーの入試を受けることを決めてから10日。
執務机には、今日も大量の本に囲まれながら、必死に勉強するローワンの姿があった。
そんなローワンを見ながら、私は先ほどローワンが解いた問題の答え合わせをしていた。
ローワンの実力を把握した翌日、再び街の本屋に行きアカデミー入試の過去問を100年分入手した。
毎年の出題傾向や、法則性などを洗い出し、今年におそらく出題されるであろう範囲に絞り、各科目の教材を元にローワンに教えることにした。
最も壊滅的だった音楽については、暗記をするより他ないため、ある程度絞り込んだ範囲で山を張って丸暗記させている。
文法学、数学、幾何学そして天文学については基礎から大急ぎで対応することにした。語彙や文法などの習得に加え、数学は四則演算や各種公式の理解などが主に時間を要するところだろう。
この10日間ローワンの様子を見ていたところ、非常に高い集中力と知的好奇心を持っているようだった。両親が亡くなって以降の10年間を埋めるように、あらゆる知識をものすごいスピードで吸収していっている。
そして驚くことに、理解力もそこそこ高いようだった。数学の公式や図形の仕組み、天体の動きなどについて教えると、非常に短時間で理解することができていた。
どうやら、幼い頃から両親と共に、遊びと乗じたパズルや積み木、アストロラーベを用いた天体観測、謎解き遊びと称した暗号学の学習などを行っており、それが基礎知識となって理解が進んでいるようだ。
ローワンの父親の著書には、父親も同様にアカデミーで歴史学の教授をしていたと書いてあったし、遺伝的要因も相まって、これは本当に1か月で合格レベルまで持っていけるかもしれない。
「ローワン。10問中8問正解だ。復習をして、午後からは実技試験の練習をしよう」
「うん、わかった。」
ローワンは、呼びかけに手元の教材から目を離さないまま応えた。朝からずっと座りっぱなしだ。大した集中力だな。
先ほどローワンが解いた音楽の問題を、答えと共に執務机に風で飛ばし、昼食の準備に取り掛かることにした。
椅子から立ち上がり、ふわりと浮かんで外に出るための扉へと向かう。
現在では生活費の節約や、ローワンの睡眠中に翌日の授業の用意をするため、街に行く時を除いて元の姿に戻ることにしていた。
姿を変えると食事や睡眠が必要になってしまうので、非常に不便なのだ。
庭に出て、家を取り囲むように展開されている魔法陣を視界に入れる。
この家を取り囲んでいる魔法陣の効果範囲は非常に広く、周囲数キロに及ぶほどだ。
そして魔法陣の範囲には、魚が容易に取れる岩陰や、周囲の様子を見渡すことのできる高台などが含まれている。
「明らかに、誰かが隠れるために用意された家だ」
高台の隅に設置された魔法陣を見て、ぼそりとつぶやいた。
この家に来て以来、私はこの魔法陣の解析に取り組んでいた。この半月で、式の内容についてはなんとか理解はできるようになったが、これを別の場所で再現するのは非常に難しいだろう。
見れば見るほど非常に興味深く、高度な技術を用いた魔法陣であることがわかる。
この魔法陣も、伯爵家にあったものと同様、魔力を鍵として発動する代物のようだ。
入室を許可された者の名前を記すタイプらしく、この魔法陣に入ることを許された人物は4名いるらしい。
バークレイ夫妻とローワンの名に加え、それから”Kamala”という名前が書かれていた。
ローワンにこの人物について心当たりがないか尋ねてみたが、特に覚えはないということだった。
貴族名鑑を見て見たところ、生存中の人物でKamalaの名を持つものは6名ほどいた。おそらく、最も怪しい人物は、カマラ=チェンバレン男爵夫人だろう。
ローワンの母親と同じ1980年生まれで、この月の家があるチェンバレン領の領主一族でもある。アカデミーでの交流や、この月の家を用意する際に何らかの関わりを持った可能性もある。
できれば接触を図りたいが、どこから伯爵に伝わるかわからない以上、むやみに貴族と接触を図るのは好ましくないだろう。ローワンがアカデミーに合格してから、また考えるしかないな。
「アクル」
カマラ=チェンバレンについて考えながら、野菜の収穫のため畑の方へ足を進めていたところ、家の中からローワンが出てくるのが見えた。
「どうした?」
「外に人の気配がするような気がするの。ほんの少しだけど、馬の鳴き声が聞こえたような気がする」
ローワンには魔法の修行も兼ねて、勉強中にもSpionageの魔法を使い続けるように教えていた。
私が伯爵家で常に使用していた諜報の魔法で、風を自身の周囲に張り巡らせることで、人の気配や会話の内容などを風に乗せて聞くことができる。
ローワンの魔力の節約のため抑えていたが、パチンと指を鳴らし、自身の諜報の風を吹かせる。
「・・・確かに馬の足音が聞こえるな。音から察するに1頭のようだが」
ローワンと共に高台をに上ってみたところ、数kmほど先に、非常に小さく馬に乗っているらしき人物が見えた。
見たところ1頭の馬に、1名の人間のようだ。男か女か、顔などはここからでは識別できない。
「・・・どうしよう」
「魔法陣の範囲が及ぶのがあの大きな石の部分だ。そこを超えるかどうかをまずは確かめよう。通常であれば横の道に逸れるはずだ」
馬に乗っている謎の人物の通り道にある大きな石を指さし、心配そうな顔をしているローワンに言う。
魔法陣が正しく発動すれば、あの石の部分より先は行き止まりに見えるはずだ。
「どうしようアクル!こっちに来てるよ」
馬に乗る人物は先ほど指さした石を超え、魔法陣の効果など一切関係ないように、まっすぐにこの月の家がある丘の上に向けて馬を進めている。
馬の速度から考えるに、後15分から20分程でこの屋敷に到着するだろう。
「私は家の中を片付けてくる。ローワンはここで様子を伺っててくれ。」
「わ、わかった」
ローワンがコクリと頷いたのを確認し、急いで家の中に戻ってきた。
家に入ると同時に、風を操って部屋中に散らばっていた本や紙を所定の場所に戻す。
この家に人がいたことを気づかれない方が良い。この10年以内で手に入りそうなものをすべて隠さなければ。
ローワンが初日に来ていたメイド服はもう捨ててしまったので問題ないとして、新しく購入した本はとりあえず全てクローゼットの中に押しこんだ。
初日に見た家の様子を思い返しながら、違和感がないか家中を見回していると、テーブルの上に置かれていた”貴族名鑑 2025年”が視界に入った。
「これは、手元に置いておいた方が良いだろう」
首元に掛けていた革袋は、伯爵家から持ってきた本と、食糧、それから金を仕舞うために殆どの容量を使ってしまっている。しかし、ランプの部屋の本や、ローワンの母の研究室から持ってきた本をこの家に出すわけにはいかない。
「ん、、、致し方ない。」
貴族名鑑は高いのだ。そして王歴2025年版ということで、この家に最近人が入ったことに気付かれてしまう可能性がある。かなりの容量を使ってしまうことになるが、この本は持っていくのが良いだろう。
容量を開けるため、代わりに革袋の中から、伯爵家の地下室から持ってきていたバークレイ一族の肖像画を取り出す。ローワンの両親と、5歳のローワンが描かれた肖像画だ。
ローワンには申し訳ないが、この家に置いてあって一番違和感がないのがこの絵だろう。
取り出した絵をクローゼットの隅に建てかけ、家の様子を3度確認してから、ローワンが待っている外に出た。
「どうだ?」
「女の人みたい。」
馬に乗る人物から死角になるように、庭の柵のそばにしゃがみこんでいたローワンが、私の姿を見つけてわずかに顔をこちらに向けた。
魔法陣の範囲に入り、この家にまっすぐ近づいてきている人物は、もうこの場所からでも性別が確認できるほどに接近してきていた。
あたりにはその人物を除いて人の気配は無く、やはり一人のようだ。
黒い短いコートに、白いパンツ、黒のハイブーツ。ローワンの言う通り、体形などから見るに女性のようだ。顔を覆い隠すように、つばの広いハットをかぶっており顔は見えない。
「どうするの?家に近づいてきているみたいだけど」
「魔法陣は先ほどと変わらず発動しているから、おそらくあれがKamalaだろう。少し様子を見よう」
ちらり、と近くの魔法陣へ視線を向ける。先ほどと変わらず、問題なく発動している。
魔法陣を破壊した場合、必ず”式”にゆがみが生じるはずだ。
それに、先ほどの人物は魔法陣の範囲に入ってくるときに何もしていなかった。魔法陣に何らかの手を加えるのであれば、物理的に破壊するか、上書きするための陣を書かねばならない。
「ブロンドに青い目をしているみたいだわ。あれ、チェンバレン男爵夫人じゃない?」
地面に這いつくばるようにして、柵の隙間から様子を伺っていたローワンが小声でいう。
かなり近づいていた様子の訪問者は、馬の揺れに合わせ、わずかにハットの隙間からブロンドの髪が覗いている。
青い目にあの顔は貴族名鑑と一致している。確かにカマラ=チェンバレンで間違いないだろう。
「Spionageの魔法を家の中に向けるんだ。様子を伺いつつ、逃げられるように高台の方へ行こう。」
コクリ、とローワンが頷くのを確認し、訪問者の死角になる場所を確認しながら、ローワンの移動ルートを指示する。
器用に風を操りながら、身を低くして移動するローワンを注視しつつ、ふわりと浮き上がり、家の正面に到着した訪問者を上から確認する。
訪問者は月の家の前に到着し、慣れた手つきで馬の手綱を入口前の馬留に結び付けているようだ。
再び地面に着地し、庭の窓から、家の中に入った訪問者の様子を伺い見る。自分の姿がほかの者に見えないというのはやはり便利なことだ。
室内に入り、ハットを脱いだのは間違いなくカマラ=チェンバレンだった。
腰まであるブロンドヘアーを一つに編み込んでおり、大きな目にバラ色に染まった頬のおかげか、30代前半にも見える。しかし、貴族名鑑によると現在は45歳のはずだ。
「ローワン。本当にカマラ=チェンバレンとは面識がないのか?」
這いつくばって、高台の茂みに身を隠しているローワンに尋ねれば、ローワンは声を出さないまま大きく首を横に振っていた。
カマラ=チェンバレンは屋敷に入るなり、窓を開け、ベッドに置かれている布団や枕を窓の外に出し、大きく振り始めた。
どうやらカマラは風の魔法型のようだ。カーペットやクッションなどがどんどんと風で外に運ばれ、埃を掃うようにぱたぱたと揺れている。
明らかにこの家に慣れている者の動きだ。
すべての布製品を外に出し終えたカマラは、慣れた手つきでシンクに水を張り、洗面台から飛んできたタオルを洗っている。
住んでいるというより、この家を管理しているような。
確かに、初めてこの家に来た際、ローワンの両親の死後手を入れていないにしては、かなり綺麗な状態だと思った。
初めは魔石道具の力だろうと思っていたが、クローゼットに置かれている服や、タオルなどが比較的新しいもののように思うことも多かった。
「おっと、クローゼットに手を付け始めたぞ」
初めて来た奴であればごまかせるだろうと思ったが、何度か足を運んでいるのであれば話は別だ。
クローゼットの中には、この半月で新たに増えた本や、そしてバークレイ一家の肖像画がしまわれている。
カマラ=チェンバレンはクローゼットを開けると、しばらくの間停止し周囲を見渡し始めた。
確実に、以前クローゼットを開けたことがあるのだろう。異変に気付かれたようだ。
いつでも逃げられるよう、ローワンに視線で心の準備を促す。
諜報の魔法で中の様子を伺っていたらしいローワンは、無言でコクリと頷いた。
再び視線を室内に戻し、カマラ=チェンバレンの様子を見ると、
『アリシャ、、、』
クローゼットの中からバークレイ一族の肖像画を見つけたカマラは、クローゼットの前にぺたんと座り込み涙を流し始めた。
『アリシャ、、!アリシャ!あなた、いるんでしょ!出できて頂戴。やっぱり死んだなんて嘘なのよね!』
大きな声でローワンの母の名前を呼び、立ち上がって部屋中を見渡している。
やはりローワンの母親の知り合いのようだ。様子を見る限り、伯爵側の人間には見えないが。
「どうする。」
振り返り、ローワンのいた場所に視線を向けると、いつの間にかローワンは私の隣で窓から室内の様子を伺っていた。
ここまで静かに移動魔法を使えるようになっていたのか。なかなかの上達速度だ。
「悪い人には見えないよ。話をしてみたい。」
真剣な顔つきで室内のカマラを見つめていたローワンは、小さいが、強い意志を宿した声でそう言った。




