Ep.20 チェンバレン領中心街 前編
「celer」
アクルとローワンの二人が月の家に来て、一週間がたった。
ローワンは毎日朝から晩まで、ご飯を食べる時と眠るとき以外のすべての時間を魔法の修行に費やしていた。
そして今日もローワンは、いつものように家の裏庭で魔力コントロールとcelerの修行をしている。
「なかなか様になってきたようだな」
「アクル、おかえり。目当ての薬草は入手できた?」
「あぁ、少々探すのに手間取ったがな」
薬草採取に行ってくると言って、朝早くから出かけていたアクルが帰ってきた。
家の中で既にに洗ってきたのだろうか、風通しのよさそうなザルの上に色とりどりの薬草を広げ、すりばちのようなものを脇に抱えたアクルが裏庭に出てきた。
ローワンが終日魔力コントロールの練習をしている間、アクルは家にある本を読んだり、海で魚を捕まえたり、畑で野菜の面倒を見たりしていた。
5日前には一番近い街の様子を見に行ったようで、両手にパンを抱えて帰ってきていた。
ローワン以外の人にはアクルの姿は見えないので、どうやってパンを入手したのか尋ねたところ、月の家の金庫に置かれていたお金をカウンターの上に置いて、勝手にパンを拝借してきたらしい。
代金は払ったそうなので、泥棒ではないが怪奇現象などで騒がれてはいないのだろうか、とローワンは心配に思っていた。
「魔力コントロールには慣れてきたか?」
「うん!持続させるのが難しいけど、魔力の量や集める場所はかなり意識できるようになってきたよ」
「そうか」
ローワンの返答に満足そうに頷いたアクルは、庭の地面にどさりと座って胡坐を組み、小難しそうな本を広げて薬草をすりつぶし始めた。
「それ、何に使うの?」
「髪の染料だ」
「わたし用?」
「そうだ。先日町の様子を見てきたが、皆、茶色や灰色などの暗い髪をしていて、お前のような派手な頭をしたやつはいなかったからな」
そう言ったアクルの手元では、すり鉢の中でかなり黒に近い茶色のどろどろとしたものがかき混ぜられている。なんだか若干異臭がするような気がするのは気のせいだろうか。
「髪には魔力があるから色を変えるのは無理なんじゃないの?」
「長時間はな。髪に流れる魔力を抑えることができれば、染料の効果を長持ちさせることはできる」
「なるほど、それで魔力コントロールなんだね」
この1週間、ローワンは足の裏から髪の先まで、あらゆる場所での魔力濃度の調整ができるように練習をしていた。
ある日は前に吹っ飛んだり、後ろに吹っ飛んだり。修行を始めた初日は崖から落ちそうになったこともあったが、1週間たった今では、そこそこ狙った場所に魔力を集められるようになっていた。
昨日修行の成果を披露した際、適切な魔力量でcelerを1時間ほど持続させることができたので、ようやくローワンも街に出る許可をもらったのだ。
伯爵の目的が分からないが、もしかすると血眼になってローワンのことを探しているかもしれない。
見つかった時に逃げるための魔法を覚えること、というのがこの家の魔法陣から出るための最低条件になっていた。
アクルが昨日街を見回った際には、特に手配書のようなものは出回っていなかったということだが、ローワンはそもそも死んだことになっているのだ。髪色のような目立つ特徴は隠しておくに越したことはないだろう。
「アクルはどうするの?給仕係の時みたいに誰かの姿に変化するの?」
「普通に姿を変えるさ。小さな町ではなかったからな、見知らぬ奴が歩いていても問題ないだろう」
「魔法陣とかで?」
「いいや、私自身の力だ。」
アクルは本をぺらぺらと捲りながら、すり鉢をかき混ぜる手を止めないまま言った。
アクル自身の力?そんなもの初めて聞いた。屋敷にいた時は、魔法陣か風の魔法を使っている姿しか見なかったので、てっきり風の魔法を使うことがアクルの能力なのだと、ローワンは漠然と思っていた。
「封印が解けてしばらくは指輪の魔力が枯渇していたからな。それゆえ指輪を経由してローワンの魔力を借りる事しかできなかったが、少しずつ蓄積され始めているようだ」
「ふぅん。それって、どんな姿にもなれるの?」
「・・・言っておくが、犬になるつもりはないからな」
「ちぇっ」
本から目を離し、ローワンの方をジトっとした目で見たアクルは言った。
どんな姿にもなれるんだったら、せっかくならアルの姿になってもらおうと思っていたのに。アクルの銀色の長い髪が、まるでアルのふわふわの毛のようだな。とローワンはずっと思っていたのだ。
「街に行くのであれば、普通に人間の姿になるのが定石だろう。お前と会話もできるし、別行動しても良いからな。・・・さて、染料もできたし、昼食を済ませたら街へ行くか」
「うん!」
☆
「わー!これが街なのね」
街の門をくぐると、ローワンは目の前に広がった活気あふれる光景に思わず感激の声を上げた。
不揃いの石が所狭しと並べられた整備された道の上では、様々な荷を乗せた馬車や、色とりどりの色の服を着た人たちが行き交っている。
道路を埋め尽くすような大勢の人は、皆、幸せそうに声高に会話をし、そこらじゅうで笑い声や、子供たちがはしゃぐ声が聞こえてきている。
そして道の脇に所狭しと並んだ店のショーケースには、色とりどりの商品や、いい匂いのする食べ物などがたくさん並べられていた。
「あまりキョロキョロするな。怪しいから」
「あ、ごめんごめん」
昼食を済ませたローワンとアクルの二人は、celerの魔法を使って15kmほど離れたチェンバレン領の中心街に来ていた。
人目につかないようにできる限り低い位置を飛んでいたから、木にぶつかったり、地面に頭から突っ込もうとしているところを、何度もアクルに助けられた。
ローワンの真っ赤な髪は、アクルが作った異臭のする染料によりダークブラウンに染められていた。
塗られているときは臭すぎて街を歩くどころではないのではないか、と心配していたが、染料は髪になじむと不思議と無臭になった。
クローゼットの中に入っていた、チュニックとリネンのパンツという少年のような服装に身を包み、肩まであった髪を帽子の中に押し込んだローワンは、遠目には男の子に見えているだろう。
そして、隣に立つアクルは、ローワンと同じくらいの歳の青年に姿を変えていた。
元々は銀色の長い髪に、薄いグレーの瞳、中世的なとんでもない美しさをしていたが、今では肩まであるシルバーブロンドの髪を三つ編みに縛り、ヘーゼル色の瞳をした普通の青年の姿に変わっている。
当初はそのままの見た目で、年齢だけをローワンに合わせた姿をしていたのだが、あまりにも美しすぎて目立つので、ローワンが猛反対したのだ。
犬になってほしいというお願いは聞き入れてもらえなかったので、折衷案としてアルと同じシルバーブロンドにヘーゼルの色味を取り入れてもらった。
ローワンより少しだけ背が高いアクルと共に、街を並んで歩く。
両親が生きていたころは基本馬車移動だったので、ローワンはこのように誰かと一緒に街を歩くのは初めての経験だった。
街の中心部へと向かう間にすれ違う人々は、たくさんの買い物袋を抱えたり、友人たちと笑いあっていたり、家族と手を繋いで歩いている。
もし、お父様とお母様が今でも生きていたら、こんな風に一緒に街に遊びに来ることもできたのかしら。
「ローワン。掲示板の様子を見ていこう」
「うん!」
アクルに注意されたものの、やはり目に入るもの全てがローワンの興味をそそる。怪しくならないように注意しながら、あたりをくるりと見渡していると、アクルが指さした方向に、一際人が密集している場所が見えてきた。
街の入口からほどなく歩くと、少し開けた場所があった。小さな噴水やベンチ、食べ物の露店と共に、人の2倍ほどの高さで色とりどりの紙が貼られた板が置かれていた。どうやらあれが掲示板らしい。
掲示板の周囲に集まっていた人だかりをするりと抜けて、ローワンとアクルは最前列から掲示板の様子を見渡す。
掲示板の中には迷い犬の情報から、どこかの店のセールのお知らせまで、様々な情報が書かれているようだ。
”飼い犬を探しています!”
”魔石鉱山で働く人募集。歩合制で月400,000 J~!”
”違法カジノで酔っ払い同士の大喧嘩か!?現場に残されていた男3人は全治半年の大けが”
”アカデミー入試の最終回が春の季節3月目の3週目に決定。身分問わず、求む実力者”
”大地が枯れる!?北の端の大地で農作物が枯れ、人々は住む場所を追われているとの噂”
”パン屋で怪奇現象か!?店主の見知らぬ間に消えたパンの謎”
最後のこれは、、、きっとアクルのことに違いない。
ちらり、と掲示板に目を通すアクルの方へ顔を向けると、アクルは掲示板のど真ん中に一際目立つように張られている新聞の記事を読んでいるようだった。
”春の季節2月目第1週 チェンバレン三兄弟大活躍。深夜の魔石鉱山で、魔石泥棒を捕まえるお手柄。
主犯は直ちに捕縛され、チェンバレン男爵のきつい制裁を受けた末に魔石鉱山で強制労働の刑に処されたようだ。魔石鉱山でその主犯と共に働く者に話を聞いてみたところ、殴られた傷跡があまりにも痛々しく判断が難しいが、チェンバレン男爵のご弟様ではないかとの噂だ。
盗まれた魔石はすべて無事に王都の錬金研究所に届けられ、錬金術研究所の所長からお褒めの言葉をいただいたとのこと。今年は三男のケイ様のアカデミー入学も控えており、益々の成長が期待される。”
「錬金術研究所で起きていた問題とは、おそらくこれだろうな」
「伯爵様が王都に戻っていた理由ってこと?」
「そうだ。どこの誰かは知らんが、お前は魔石泥棒に感謝でもしておくんだな。」
なるほど、魔石泥棒が錬金研究所に届けられる予定の魔石を盗んだことで、伯爵様が対処のために王都に戻る必要があったということだろう。
確かにその泥棒が作り出してくれた9日間の猶予のおかげで、ローワンは伯爵邸を抜け出せたと言っても過言ではないだろう。
「特にお前に関わるような情報はなさそうだな。」
「そうだね。あ、アクル。この街に本屋はある?」
「あぁ、それならすぐ近くだ。」
アクルと一緒に、また人込みを縫うようにかき分け、本屋がある方向へと歩みを進めた。
伯爵の目的や、ローワンの両親の事故のことを知るためには、何よりもまず情報把握が第一だ。
ローワンはこの10年間、意図的と言えるほどに外の情報から隔離されていた。
この10年で何が起きたのか、両親やローワンが亡くなったとされている”不幸な事故”がどのような扱いをされているのかを、まずは知らなければ。




