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Ep.13 赤い髪の女性


 「なんだか今日は、誕生日の前に戻ったみたいだったな」

 

 本日2度目のメイド長にこってりと叱られたローワンは、遅めの昼食を手に入れるため厨房へ向かっていた。

 ローワンの誕生日から1週間と少し。メイド長に怒られることもなくなっていたのに、今日は2回もお説教を食らってしまった。


 いつもは理不尽な八つ当たりが多いのだが、今日のメイド長は不思議なことに、ローワンが何をしていたのかを執拗に聞きたがった。

 柵に近づいて何をしていたのか、であったり、外に出ようとしていたのではないか、だったり。

 

 明け方に地下室外の廊下で見つかった時とは違い、今回は普通に草むしりをしていただけなのだ。ちょっと森にいる猫に気を取られてはいたが。



 くれぐれも敷地の外には出ないように。と、帰り際メイド長は言っていたが、

 この10年、どんなに虐げられようと、屋敷の外に出たいと思ったことは一度もなかった。


 確かにメイドの仕事をさせられたり、怒鳴られたり、いじめられたり水をかけられたり、夕食を抜かれることもあったが、それでも一日に1度はご飯が食べられるし、夜眠る場所もある。


 最後に屋敷の外に出たのは、おそらく両親が亡くなる少し前だったと思うが、元々両親ともに外出が多いわけではなかった。

 屋敷の中で、研究をする父や母の隣で本を読んだり、仲の良い使用人と庭でお茶を飲んだり、同い年の領民の子たちとピクニックをしたり。

 

 かつての友人たちは、今頃どうしているのだろう。

 16歳になったのだ。家業を継いでいるような子もいるかもしれないし、領を出て王都に住んでいる子もいるかもしれない。

 もう名前も顔もおぼろげだが、いつか、どこかでまた会えるだろうか。



 「今の、私の姿を見たら驚くだろうな。」


 毎日ただ生きるためだけに、仕事をし、ご飯を食べ、そして眠るだけの毎日だ。

 周りの使用人からは冷遇され、現伯爵様からは忘れたも同然の扱いをされている。

 そんな、惨めな今の状況を知られるのは、とても、いやだ。


 やっぱり、この邸宅から出るのは無理だ。

 お金も持っていないし、売れるようなものも何もない。屋敷の外に頼れる人もいないし、ひとりでは食べ物を手に入れることも、眠ることもできないだろう。


 


 そんなことを考えながら、厨房への通路を歩いていると、ふと、目の前から見慣れない人が歩いてくるのが見えた。

 

 屋敷では見たことがない人だ。

 見たところ、給仕係と同じくらいの歳の青年だろうか。

 執事見習や給仕係とは違う、シンプルな黒いズボンに白い仕立てのよさそうなチュニック、それにマントとブーツを着用している。旅装のようだ。


 外から来たのだろうか。それにしても、あの歩き方や雰囲気は確実に平民ではないだろう。

 お客様が来るのは明日じゃなかったかしら。と思ったローワンだったが、6年の短い伯爵令嬢人生で培っていたわずかな勘を頼りに、通路の端に寄って頭を下げた。


 万が一、少し早く到着していたお客様であれば大変なことになる。

 なぜ見ず知らずの貴族らしき人物が、こんな使用人しか通らないであろう邸宅の隅の通路を通っているのかはわからないが、メイド長に怒られそうな可能性は減らしておこう。



 頭を下げ、視界に大きく広がった床を見ながら、何も失礼をしていませんように。早く通り過ぎてくれますように。と心の中で唱える。

 少し泥に汚れたブーツが、視界の左端に映る。


 そして、


 「ちょっといいかな。聞きたいことがあるんだけど」



 ローワンの必死の祈りは届かなかったらしい。

 残念なことに、上質な皮で作られていそうな茶色いブーツは、床を見ていたローワンの視界の真ん中で止まった。


 「あ、あの。えっと」


 こういうとき、頭を上げても良いのだろうか。

 伯爵令嬢時代にも、自分より身分が上の貴族にまともに接する機会のなかったローワンは、目上の人に対する態度が全く分からない。


 「あぁ。ごめんね。頭をあげてくれないかな」


 許可をされた以上、下を向いたままでいるわけにはいかない。これは許可ではなく、むしろ命令だ。

 目の前の人は一体誰で、これから何を聞かれるのだろう。


 おずおずと、ゆっくりと視線を上げたローワンの視界に飛び込んできたのは、

 9日ぶりに再び見る、圧倒的”美”だった。



 アクルとは種類の違う、美しい青年だ。

 アクルが幻想的でどこか妖美な美しさなのに対し、目の前の青年は、プラチナブロンドに透き通るような碧眼で、凛とした美しさを持っていた。

 ちょうど青年と少年の間くらいの、少しあどけなさが残る顔立ちに、意思の強さを感じさせる強い瞳をしている。


 「何か私の顔についているかな」 


 眼前に飛び込んできた美しい光景に、思考が追い付かないようだ。ぱちぱちとまばたきをしながら、目の前の人をじっと見てしまっていたらしい。

 青年は見られるのに慣れているのか、さほど気にしていないようだが、ローワンは慌てて視線を外した。


 「い、いえ。申し訳ございません。伯爵家では普段お見掛けしない方だと思いまして」


 これが正しい回答なのかわからないが、ローワンの頭は初めて見る貴族らしき人への対応と、青年の美しさを処理するのでいっぱいいっぱいだった。


 「あぁ。先ほどこの屋敷に着いたんだ。父は明日到着するそうだけど、先に様子を見たくてね。早く着いてしまった」


 やはりお客様だったようだ。

 伯爵様が連れてくるお客様ということは、きっと貴族に違いない。

 粗相をしないよう、最大限気を引き締めなければ。


 「それで、聞きたいんだけど。この屋敷に赤い髪をした女性はいるかな?」


 「赤い髪、、ですか」


 この屋敷には多くの女性の使用人がいるが、その多くは茶色や褐色、栗色などの暗い髪をしている。そのほかには、ローワンのような灰色や、少し金が混じったような色をしている者もいるが、赤髪の女性はいないはずだ。


 赤色なんて珍しい髪色をしていれば必ず目立つだろうし、たとえローワンの接点が少ない者だとしても顔くらいは知っているはずだ。


 「ぞ、存じ上げません」

 

 「本当に?使用人だと思うんだけど」


 「私の知りうる限りでは、赤髪の女性はいないのではないかと、、思います。」


 「そう。邸宅の裏にいたような気がするんだけど。見間違いかな。」


 目の前の青年は、ローワンから視線を外し、少し遠いところを見ながら何かを考えているようだ。

 確かにさっき、森の中から見たはずなんだけどな、とつぶやいている。


 「ここは懐かしい友人の故郷でね。もしかすると幻影でも見たのかもしれない。」


 考えるのをやめた青年は、ローワンの方に向き直り、懐かしむように笑った。

 このような時に、なんて声をかければ良いのかわからない。


 「町の方に行けば、人が多いので見つかるかもしれません。」


 少なくとも伯爵家の使用人の中には、お探しの赤い髪の女性はいないだろう。

 領民にも、そんな派手な髪の人物がいた記憶はないが、街に出ればここよりもはるかに多い人がいるはずだ。


 「あぁ、いいんだ。彼女は事故で死んでしまったから。春の季節2月目は彼女の誕生日だったから少し懐かしくなってしまって、つい、ね。」


 「あ、それは、、」


 町に行けば見つかるなどと、不躾なことを言ってしまったかもしれない。

 大変な失礼をしてしまったかもしれない。ローワンが謝罪をするため大きく息を吸い込むと、


 「いいんだ。もうずいぶん昔のことだ。心の整理もついているよ」


 謝らなくていいよ。と、ローワンの動きを手で軽く制した青年は、何度もうなずくように、噛みしめるようにそう言った。


 「足を止めて悪かったね。私はもう行くから、仕事に戻っていいよ」


 「は、い。失礼いたします」


 ペコリと、最大限丁寧にお辞儀をし、先ほどローワンが歩いてきた方向へ歩いていく青年の背中を、視界の端で捉えた。


 

 一体、誰だったのだろう。




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