Ep.1 バークレイ伯爵家
「そこのあなた!また掃除さぼったわね!」
今日も玄関ホールにメイド長の怒号が響く。
王都から馬車で2日半。
広くも狭くもなく、大した特産品もない。
誇れるのは広大な自然と、のどかな領民だけのバークレイ伯爵家。
メイド長はひっつめ髪で吊り上がった目をさらに吊り上げて、ローワンを睨みつけた。
「すみません、、」
ローワンは、メイド服のエプロンをぎゅっと掴んで答える。
理不尽に怒られるのはいつものことだ。
ここで反論するともっと長引くということを理解していたローワンは、ぐっ、と自分を抑えて頭を下げた。
「今日は夕食抜きです。罰として地下室の掃除でもしていなさい」
”今日も”の間違いだ。と、黒いロングスカートをたなびかせ屋敷の奥へと立ち去るメイド長の背中を見ながらローワンは思った。
毎日掃除はしているし、自分の担当は玄関ホールではなく客室の掃除のはずだ。玄関ホール担当の者は他にいるのに、今日も彼女たちの姿はここにはない。
メイド長は週に3日ほど機嫌を損ね、理不尽にローワンにあたり散らし罰を与える。今週は運の悪いことに4日連続で夕食にありつけていない。
「たまには、おなかが膨れるくらいご飯が食べられてもいいのに」
ぼそっとつぶやいたローワンの弱々しい声は、伯爵家の静寂にまぎれてすぐに消えていった。
ローワンがバークレイ伯爵家でメイドの仕事を始めて10年。
正確には、仕事をさせられ続けて10年も経ってしまったという方が正しい。
ローワンは明日で16歳になる。
10年前にローワンの両親が亡くなるまでは、毎年の誕生日に大好物を目いっぱい並べて晩餐会を開いていた。友人を招き、大勢の人に祝ってもらう誕生日を、ローワンは楽しみにしていた。
元バークレイ伯爵であった父と母が亡くなってからは、どこから話を聞きつけたのか、遠縁の親類であった現バークレイ伯爵がやってきて、ローワンはあれよあれよという間に片隅に追いやられていた。
当時6歳だったローワンは、突然両親が亡くなったことに悲しむ間もなく、外出することも、友人と手紙をやり取りすることも禁止されてしまったのだった。
それ以来、伯爵令嬢だったはずのローワンは、メイドとしてバークレイ伯爵家で働いている。
両親が亡くなる前に屋敷にいた使用人は全員解雇され、ローワンが元々この屋敷で伯爵令嬢だったことを知る者はもういない。
メイド長に関しては知っているのではないかという素振りを見せることがあるが、むしろ知っているからこそつらく当たるのではないか、とローワンは思っている。
☆
「今日は何をしようかしら」
メイド長の八つ当たり指令を受けたローワンは地下室に来ていた。
メイド長は自分が掃除しろと言った事すら覚えていないと思うが、部屋にいるところを見られては困るので、念の為だ。
それに、地下室はローワンのお気に入りだった。
地下室の掃除も、メイド長は罰のつもりだろうが、ローワンにとっては何の問題もない。
歴史あるバークレイ伯爵家の地下には、敷地の2倍ほどの広さがあると言われている地下空間が広がっている。
どういう目的で作られたのかはわからないが、迷路のような作りになっていて、狭い道や小さな部屋が点在しているかと思えば、突然天井の高いホールのような広い空間が現れたりする。
そして、ほとんどの部屋には鍵がかかっていて、その開け方も様々だ。
伯爵であった父の執務室に鍵が置いてあった部屋もあれば、魔術師だった母が呪文を唱えれば開く部屋、それに、満月の夜しか空かない部屋もあった。
バークレイ伯爵家ができて数百年経つが、部屋の数はいまだに把握できておらず、それぞれの部屋の役割もよくわかっていないらしい。
天候不良に備えて備蓄食料を置いてある部屋、代々のバークレイ伯爵家の肖像画が飾ってある部屋、先々代が収集していた不思議な骨董品が詰まった部屋、恋愛小説ばかりが置かれた部屋など。
温暖な気候のバークレイ領では、地下室は少し蒸し暑く、空気の巡りが悪いからかじっとりとしている。
そして入口は一つしかない上に、窓がないため昼間でも薄暗い。時折どこからか不気味な音が聞こえてくる事もあり、屋敷の使用人たちは地下室に近づくのを嫌がっていた。
地下室に入ることは新入りの仕事か、罰の一種であり、それでも人の出入りがあるのは入口付近の食糧庫くらいだ。
両親が亡くなって以来、安寧の場所がなくなってしまったローワンにとって、
理不尽なメイド長や使用人、辛い仕事から逃げるためには、人がいない地下室はうってつけの場所だった。




